解放された王女
「あれか?」
遠目に見える小さな離宮。王宮と比べたら極小なそれは、王宮の森で狩りをしたりした時に休憩などをするためのモノだ。
親しい人間を招いたり、ちょっとしたパーティーも開ける慎ましい佇まいに、バルバロッサは好感を持つ。
「そうです。今日から王女殿下の住まいになります」
「これが部屋なのか? 大きいな」
「いえ…… 部屋でなく宮といいます。中に幾つもの部屋があり、用途別で造られています。王女殿下の部屋は寝室と書斎、応接室の三つに分かれていますね。御不浄と浴室や衣装部屋もございます」
「……? 分からん」
真顔で首を傾げるデザアト。それに微笑み、二人は離宮へと向かった。そんな家庭教師と護衛騎士の背中を刺すように見守る三対の双眸。
「アレが…… 妹か?」
「みたいだな…… 酷い状態だからと面会は控えていたが。やはり挨拶ぐらいはしておくべきか?」
「どうでしょう? バルバロッサが言うには、人見知りはないようでしたが…… 逆にあけすけで、無礼三昧はしてくるかもしれないから、それなりに教養を身につけるまで待って欲しいと」
なんとも言えない沈黙が三人に降りる。
「……抱かれていたな」
「どこか悪いのか? 報告はないが」
「深刻なら報告があるでしょう。……最初が肝心と申します。兄がいることだけでも…… そうだ、夕食を共にしたいと申し込んでみては? 離宮に用意させますので」
バルバロッサらと一緒にいる姿を見た限り、そこまで問題があるようには思えない。食事程度なら何とでもなるだろう。
……美味しいものを。地下では何も受け付けなかったというし? ああ、そうだ、綺麗なドレスとかアクセサリーとか? 贈ったら、きっと喜ぶはずだ。女の子なんだから。
デザアトの境遇に憐憫を抱きながらも、末っ子のエーデルは、妹という存在に浮かれていた。まさか女兄妹が出来るなど夢にも思わず、彼女への虐待に直接的な関与をしていなかった彼は、降って湧いた妹に興味津々。
そんなエーデルを余所に、スフィアは一人、悶々と臍を噛む。
……酷い格好をしていたな。ペラペラの寝間着みたいな。……それしか与えられてなかったんだよな。俺のせいで? 馬鹿な命令をしておいて、忘れていた俺の不出来だ。なにか…… ああ、どうしたら?
考えてもどうしようもないことを脳内で道々巡りさせ、深く項垂れるスフィアと、イマイチぴんっときてなさげなエーデルを見つめ、ガイロックもまた、デザアトに何かしてやりたいと考えていた。
……妹。……だったのにな。……なぜ、あれほど嫌悪したのか。
当時はそれを正しいと思っていた。心の底から恨み、憎み、目にしたくもないと思っていた。
父王も同じだと。だから、顔を見にもいかないのだと。勝手に思い込んでいた。
しかし、今のガイロックなら分かる。父王はデザアトを忌々しく思う自身が恐ろしかったに過ぎない。
彼女を目にしたら何をするか分からない自分こそを恐れ、会いにいかなかったのだ。
でなくば公費を充てたり、周りに人を置くよう指示したりすまい。床に伏しつつも、ちゃんとデザアトが王女として暮らせるよう取り計らっていた。
きっと愛せない。それでも我が子だ。
そんな切ない父王の葛藤。それを無残にも歪め、蔑ろにした事実に歯噛みし、ガイロックも凄まじい後悔に陥った。
そして、善は急げと王宮に取って返した三人は手紙をしたためる。
顔合わせだけでもしたいと。罵られても良いから、兄が居ることだけでも知って欲しいと。
届いた手紙にバルバロッサも難色は示したが、不承不承受け入れる。ただし、くれぐれも怒らないようにと返信に含ませて。
かくしてその夜、デザアトの苛烈な洗礼を受ける三兄弟。新たな罪悪感の高波に呑み込まれるとは知りもせず、何か贈り物をと、いそいそ買い求めに走る滑稽な新米兄貴達だった。
その夜、散々な晩餐で打ちのめされるとも知らずに。
「「「……………………」」」
「手掴みでも宜しいですよ? カトラリーは端から使っていきます」
「こうか?」
「……………」
唖然と見つめる兄貴ーズの前で、デザアトは食事をしていた。……いや、掴んでいた。
持ち上げたパンにかぶりつき、具沢山なスープを器から直接すする。ポテトサラダにフォークで挑戦してみたものの殆ど取りこぼし、結局指で摘んで食べていた。
それを優しく見守るバルバロッサとスチュワード。
「今日初めてカトラリーを使うのですから。慣れない道具で食べられるわけないです」
「左様。……まさか、王子殿下らがお越しになるなど夢にも思っておりませなんだし」
軽く眉を上げ、真顔な護衛騎士の毒を含んだ言葉に、兄貴ーズは狼狽える。
王子達からすれば、こんなこと少し教えたら使えるだろうと思うかもしれないが、事はそんな単純ではない。
こういった道具を使いこなすには、その基礎となる知識が必要なのだ。物を使うという根本的なことを理解していないデザアトには至難の業。
横で共に食べるバルバロッサを手本にして、見様見真似から始めるほかない。それをする時間すら与えなかったのは、今日、突然晩餐を申し込んできた性急な兄貴ーズのせいだった。
暗に含まれたスチュワードの言葉のトゲでそれに気付かされ、王子達は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「その…… 身体は良いのか? 食事が私達と違うようだが……」
王子達の前には立派な肉料理が並び、大皿で魚介や野菜が用意されていた。小皿に取り分けて食べるような見事な晩餐。
しかし、バルバロッサ達の前にはスープやミールといった煮込み料理が置いてある。よく煮込まれ、グズグズになった柔らかな物ばかり。野菜もポテトサラダだ。
「王女殿下は長く清貧に暮らしておられたので。胃腸をおどかさないよう消化の良い物にしてあります。地味に身体も弱っていますし、これから健康を心がけて、食事の献立やスケジュールを立てる予定でございました」
次々と放たれる鋭利なトゲ。劣悪な環境で何年も過ごし、デザアトの体調はすこぶる悪いのだと理解して、王子達の顔からみるみる血の気が下がっていく。
思わずくらりと傾ぐ末っ子王子。彼は妹の存在すら知らなかったため、突きつけられた現実に顔面蒼白だ。
その本気な動揺をさとり、噂雀がピーチク囀りまくる王宮にありながら、稀有なことだとバルバロッサは冷たい一瞥を投げかける。
……よほど兄上らに可愛がられておられたのでしょうね。世俗の汚い部分を知らせないように。
今回の聖女騒ぎがなくば、デザアトはその存在すら黙殺されただろう。そんな彼女の未来を想像しただけで、バルバロッサの体内にドロリとした憤怒が湧き上がる。
自分とて噂の範囲でしか知らなかった王家の闇だ。幽閉された王女の詳しい話など誰も口にしない。特に公費を着服していた侍女らが話すわけもない。
それでも王族としての待遇は受けていると思っていた。暮らしは勿論、ちゃんと教師もつき、知識や教養くらいは学ばせていると。
国王が公費を割り当てている時点でそれを疑うわけはない。まさか、その公費が着服されているなど、誰が予想しようか。
侍女らをそのように増長をさせたのは、この王子達だ。彼らに厭われたことでデザアトの悲惨な暮らしが始まった。
……なのに、親睦をかねて晩餐を共にしたい? おふざけでないよ。
文をもらって暫し逡巡したバルバロッサだが、これは逆に好機だと考える。
デザアトがどのようにされたか目の当たりにしてやろうと。きっと驚くに違いないと。だからあえてスプーンでなくフォークを使わせた。スプーンではそれなりに掬えて食べられてしまうからだ。
ボロボロと取りこぼし、テーブルを汚しまくるデザアト。その使い方も幼児のような握り掴み。パンも千切らずかぶりつき、スープも熱めにしておいたので、程よく冷やすために彼女は空気を取り込んですする。そのすすり方だと、音が盛大に響き渡るのをバルバロッサは知っていた。
しかも具沢山だったため、デザアトは呷るように器を傾け、中の具材を口に流し込む。
首を仰け反らせてあぐあぐ食べる妹の姿に、兄貴ーズは言葉もないらしい。
……まだまだ。これからですよ?
陰惨な光を目に宿すバルバロッサとスチュワード。
王子達の悪夢は終わらない。