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コメディ系短編小説

用便中にテロに遭遇した時の対処法

作者: 有嶋俊成

【登場人物】

羽田ヒロオ…サラリーマン。用便中にテロに巻き込まれる。

シモツキ…テロリストグループのメンバー。

 会社員の羽田(はねだ)ヒロオは、個室トイレにいた。勤務中に催し、席を立ってビルの中を移動し男子トイレの個室に入った。ここまではいつも通りだった。

 しかし、それから三分ほど経った頃だろうか。トイレの外が妙に騒がしい。悲鳴や罵声、破裂音などがたくさん聞こえてくる。いつもならトイレに他の人が会話をしながら入って来る時以外は静かなのだが…。

「おい! 誰かいるか!」

 野太い男の声がトイレの中で響いた。個室トイレの中にいるヒロオには当然、男の姿は見えない。

 ―ドンドンドンドンドンドンドンドンドン!

 ヒロオの入る個室トイレのドアが激しく何度も叩かれる。

「おい! 入ってんのか!」

 男の声が響く。中にいるヒロオに向かって叫んでいるのは明白だ。

 ―コンコンコン

「あ⁉」

 ―コンコンコン

 男は中に誰かいるのか確認するためにドアをノックしているのだ。こちらからもノックをして存在を知らせるのは当然だ。

「いるなら返事しろ!」

 どうやら男は口頭での返答が欲しかったようだ。もしかすると気難しいタイプなのかもしれない。

「入ってまーす。」

「あ⁉」

「入ってまーす。」

 ヒロオは男の望み通り口頭で返答した。これで外にいる男も満足だろう。

「んなんわかってんだよ! 早く出てこい!」

 なんだこの男は。ノックにノックで返してもキレる、口頭での返答の要求にきちんと口頭で返してもキレる。挙句の果てに「早く出てこい!」などと顔も見えない相手を乱暴な言葉で急かす。いかにもクレーマー気質という感じだ。もしも相手が自分の上司や仲の良い同僚だったらどうするのか。しかしながらこちらにも考慮すべきことはある。こちらが催したらすぐにトイレを利用したいのと同じようにあちら側もすぐに使いたいのだ。もしかするとあちら側は一刻を争う状況なのかもしれない。しかしこちらもまだ出られる状況ではないのは事実だ。

「あのーすいませんが、もう少しかかりそうですので、お隣の方空いていると思いますのでそちら利用して頂けませんか?」

 この男子トイレには三つ個室が存在する。自分がここへ来た時は全て空いていた。そして自分が個室に入った後も誰かが入ってきた気配は無い。今は空いている残りの二つのうちのどちらかを使ってもらうしかない。というかこのビルのトイレは色が回転して使用中か否かがわかるタイプの鍵なのでそこを見ればすぐにわかるはずなのだが…。

「「………」」

 沈黙が流れる。少し落ち着いたのか、なんと言い返すか考えているのか、それとも"限界突破"してしまったのか。

「ムツキ、ちょっといいか? 今…」

 男の地声が聞こえてくる。こちらに向けてのものではないようだ。電話でも来たのだろうか?

「…いて…だけど………わかった。」

 終わったか? 隣の個室を使う気になったか?

 ―ズダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!

 耳をつんざくような爆音がトイレ中に響いた。風船が割れる音が連続しているようだ。気に食わないことがあるとどこまでいきり立ってしまうのだろうか? このモンスタークレーマー男は。

「これで何が起きてるか分かっただろ!」

「……ちゃんと自分の言葉で説明してくださいよ。」

「は?」

「あのね、あなたね、さっきね、このドアを〝ドンドンドンドンドン〟って、ノックしてきたでしょう? そしてわたしはそれにノックをして返しました。その後、あなたは『いるなら返事しろ』って、口頭での返答を求めたでしょう? そして私はちゃんと口頭で存在を知らせました。それなのにあなたは大きな音を立てて『何が起きているか分かっただろ』と言った。これはちゃんと口で事象を知らせろというあなたの言動と矛盾が生じていませんか?」

 ヒロオは至極真っ当な正論をモンスタークレーマー男に言ってやった。

「……お前…何者だ。」

 モンスタークレーマー男は静かな声でヒロオに問うてきた。

「このビルで働いているサラリーマンです。」

「サラリーマン⁉」

 声からしてモンスタークレーマー男は非常に驚いているようだ。

「はい。サラリーマンです。」

「警察じゃないんだな?」

「はい?」

「この状況がどんな状況が本当にわからないんだな?」

「もしかして、僕が警察だと思って滅茶苦茶ビビってたんですか?」

「うるせぇ!」

 またしても大声で威嚇してくるモンスタークレーマー男。トイレの中のヒロオを警察官だと勘違いしていたことがよほど恥ずかしかったのだろう。しかしなぜ急に警察官だと思ったのだろうか? ヒロオが終始冷静に対処していたからだろうか?

「えっとさ…お前わかんね? わからねぇか? この音。」

 そう男が言うと先程と同じ様に風船が割れるような爆音が響いた。

「僕をビビらせるために何かで大きな音を立てているんでしょ?」

「お前それマジで言ってんのか?」

「それくらいしか考えられないですねぇ。」

「マジか…」

「あのトイレ、お腹の調子大丈夫ですか? さっきまでだいぶ焦ってたと思うんですけど。」

「別にクソしにきたわけじゃねぇよ!」

「あ、小さい方ですか?」

「そういうわけじゃなくて…あ、また…」

 男はまたぼそぼそと独り言のように話し始めた。

「ごめん…正直もう…あ、ダメ?…でも…うん…わかった。」

 男は深くため息をついた。

「もう正直に言おう。俺は…まあ簡単に言えば"テロリスト"だ。」

「……え⁉ そうなんですか⁉」

「これでわかっただろ。俺に従わなければお前は…」

「じゃ、尚更出たくないですよ!」

「なんでそうなる…」

「当たり前でしょ。なんですかテロリストって…そりゃ身を守る方を取るでしょ。そもそもそういった反社会的な組織の言う事を聞くのは社会的にNGなので。」

「お前なんでサラリーマンの癖にマシンガンにビビらねぇの?」

「マシンガン? なんのことですか?」

「この音のことだろ。」

 またしてもトイレ内に爆音が響き渡る。

「ホントあんまり撃ちたくないんだからね。弾勿体ないから。」

「そんなに僕をここから出すのにコストを使いたくないなら、もう僕だけ置いて次の段階に移ったらどうですか? 僕は終わるまでここで大人しくしてるんで。」

「そういうわけにはいかねんだよ。俺達のリーダーが全員に話がしたいって言ってるから…」

「グループでやってたんですね。」

「当たり前だろ。こんなでっかいビル一人で占拠しねぇよ。頼む、無線でもう二回も催促されてるんだよ。三回目はねぇよ…」

「因みにそのリーダーって…"ムツキ"さんですか?」

「なんだ聞いてたのか?」

「ちらっと聞こえたので。さっきの恐らく無線でのやり取り。」

「そうだ。俺達のリーダーの名はムツキだ。名前といってもコードネームだがな。」

「へぇ~。で、その人が僕を早く連れてこいと言っていると。」

「そうだ。だから早く出てこい。死にたくなければな。」

「そうですねーもう少ししたら出れると思います。あと少し出ると思うので。」

「マジで急げよ。」

 テロリスト男は待ってくれるようだ。

「うーん…うーん…」

 ヒロオはとりあえず力みだす。

「うーん…うーん…」

「………」

 テロリスト男はそれを黙って待つ。

「うーん…うーん…」

「………」

「うーん…大変ですねーテロリストも。」

「…あーうん。まあな。」

「うーん…あ、申し遅れました。僕このビルのオフィスで働いてる羽田っていいます。」

「…あぁ、そうか。」

「うーん…あなたのお名前はなんていうんですか?」

「なんでお前テロリストと普通に会話出来るんだよ。」

 テロリスト男は力むヒロオに向かって言った。

「だって、この二人での沈黙の中で僕の唸り声と排泄音だけ響くのは気まずいし汚いじゃないですか?」

「ああ…なんか、ありがとな。」

「いえいえ。で、お名前は?」

「"シモツキ"だ。本名じゃないぞ。コードネームだ。」

「"シモツキ"さんですか。あれ?リーダーの名前は"ムツキ"…これって一月から十二月の古い呼び方から来てますよね?」

「ああ。そうだ。」

 大昔の日本で使われていた旧暦では、「一月、二月、三月、…」といった月を「睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい、…」といった具合に和風の名前で呼んでいた。シモツキらのテロリストグループは、メンバーのコードネームにそれを使用しているようだった。

「つまり霜月しもつきは十一月なのでシモツキさんは十一月生まれなんですか?」

「いいや、俺は十一月生まれではねぇ。」

「誕生月とは関係ないんですねぇ。あ、もしかしてメンバーの序列を現しているとか?」

「別に上下関係とかは感じてねぇが?」

「だってリーダーはムツキさんでしょ? 睦月は一月。グループの一番手だから一月の睦月が割り振られたのではないですか?」

「確かに、二月の如月と三月の弥生もグループでは中心的だ…」

「やっぱり。とすると十一月の霜月を与えられたシモツキさんはグループ内ではかなり下に見られてるってことに…」

「やめろ! それ以上話すな!」

「辛いですか?」

「辛い!」

 シモツキはヒロオをここから出そうと脅していた時と同じくらいの大きな声で叫んだ。

「まあまあでもさらに下の十二月、師走しわすさんがいますからちょっと安心…」

「シワスはいない。」

「いないんですか⁉」

「俺たちは十一人組だ。だからどうしても一つだけ余る。」

「じゃあ最底辺ですねw」

「貴様ァ~…」

 シモツキはドスの効いた声を挙げる。ヒロオが籠もるトイレの個室を睨んでいるに違いない。

「少しでも気を許した俺が馬鹿だった。もう用が済んだろ。さっさとケツ拭いて出てこい。」

「わかりました、わかりました。すぐ出ま、す……あれ?」

 トイレットペーパーホルダーのカバーを開ける音がした後、沈黙が流れる。

「おい!なにやってんだ!早く出てこい!」

「あのすいません。トイレットペーパー取ってもらっていいですか?」

「ハァッ⁉」

「あの切れてるんです。トイレットペーパーの芯しか刺さってなかったんです。」

「わかった、わかった。渡す、渡す。」

 さっさと次へ進みたいシモツキは慌ただしく掃除用具箱の扉を開きトイレットペーパーを探す。

「あったぞ。ほら上から渡すぞ。」

 シモツキはトイレの扉の上の空間からトイレットペーパーを差し出す。ヒロオの手がそれを受け取った。

「ありがとうございます。助かりました。」

「助けちゃったよ~テロリストが~人質を~」

 シモツキは本来人質として言う事を聞かせるはずのヒロオに逆に使われてしまったことで肩を落とす。

「まあまあこれでおあいこということで。」

 水洗トイレの水が流れる音が響く。

「あっ! ほらまた仲間から催促無線が来たぞ…え?」

 シモツキが身に着けている無線が仲間からの連絡を受信する。しかし今回は様子がおかしい。

「どうした! シモツキだ! おいどうした! 逃げろ? 何があった! は? 嘘だろ! 早すぎんだろ!」

 シモツキが息を荒くし、これまでにない動揺を見せている。

「どうしたんですか? なんかトラブルですか?」

「警察が乗り込んできた!」

「えーーーっ!」

 テロリストの人質ともなれば警察が駆け付けた際は本来なら助かったと安心して心が開放されるところだが、今のところ人質になっているかどうかが怪しく、そればかりかテロリストと軽く心を通じさせているヒロオには驚きの感情が圧倒的に上回っている。

「ちょっ、どどど、どうするんですか? お仲間の皆さんは?」

「キサラギ!大丈夫か! おい!ヤヨイ!サツキ! 応答しろ!カンナヅキ!カンナヅキ!カンナヅキーーー!」

 仲間の身を案ずるシモツキの叫びも虚しく、テロリストのメンバーたちは見えない場所で次々と警察に確保されていった。

「クッソーーー!なんでだよ!あれだけの計画を練ったのに!」

「あの…」

 ヒロオが恐る恐る口を開く。

「なんだ…こっちは今大変なんだぞ!」

「大きな声を出したら、ここにいることがバレると思います。」

「…お前、本当に冷静だな。」

「『大変な時こそ落ち着け』、親からの教えです。」

「フッ…大変なのはテロリストにマシンガンで脅迫されてる丸腰のお前だと思うけどな。」

 トイレの外の静かな廊下から固い靴で歩いてくるような音が聞こえる。

「俺も終わりか……やってやるよ。」

「何をする気ですか?」

「どうせこれが最後だ。ヤツらの前で…最後くらいやカッコつけてやる。」

 そう言ってシモツキはマシンガンを抱え、トイレの入口近くの壁に背を合わせる。

「待ってください!」

 ヒロオが扉を開けてシモツキの前に姿を現す。

「おお、会ってからだいぶ時間が経ったが、ようやく顔を見れたな。」

「あ、確かに顔を合わせるのは今が初ですね。」

 お互いの顔を始めてみた二人はどこか照れくさそうだった。

「あの…最後に教えてくれませんか? なぜこんな事件を起こしたのか。」

 相手は武器で罪なき人々を脅し、危険に晒した凶悪なテロリスト。しかしヒロオはシモツキが根っからの悪人でないことはなんとなくわかっていた。普通、こんな鬼気迫る状況の中で人質になる予定の人物の用便が済むのを待ったり、トイレットペーパーをわざわざ探してくれたりすることはない。だからこの事件を起こしたのには何か深い理由があるのではないかと思った。最後にそれを聞きたかった。

「俺たちはな、このビルの会社に恨みがあるんだ。お前がその会社の人間であるのなら悪いが、はっきり言ってその会社はクズだ。」

 シモツキの声からは凄まじい恨みが感じられる。

「リーダーのムツキとキサラギ、ヤヨイは、共同で作った会社をその会社の圧力によって潰された。ウヅキとサツキ、ミナヅキは親が大事にしていた先祖代々の土地をあくどい手段で強引に奪われた。フミヅキとハヅキは、その会社のクソ社長に…! ナガヅキは、幹部のパワハラで親友だった同期を亡くした。」

 酷い、本当に酷い。犯罪は肯定しないが、ここまで悪辣なことをしている会社であるのなら、こうやって襲撃されるのは自業自得と言える。

「シモツキさんは…?」

「…俺は、カンナヅキと一緒に横領の罪を着せられた。」

シモツキは重々しい口調で話し始める。

「俺はただ、普通に…真面目にこの会社で働いていただけだった。それなのにある日突然捕まった。俺と仕事でよく組んでいたカンナヅキも同時に。それから何もかもが変わった。悪い方向に。親は周囲から変な目でみられ、恋人は俺の元を離れた。カンナヅキは、結婚して幸せになるはずだった…だから俺は…!」

 その時、ヒロオは再びトイレの個室の中へと戻っていった。

「どうした?」

 シモツキが個室の中にいるヒロオに呼びかける。

「こここ怖いんですぅ…う、だだだ弾丸が飛んで、ぎっ、来るのが…」

 ヒロオの声は震えていた。

「本当にすまねぇな。俺はバカなことをした。」

「そ、そんなことないです…あなたは被害者です! 悪いのは会社、濡れ衣を着せた奴ら! そいつらが当然の報いを受けただけです!」

 個室トイレからヒロオの叫びが響く。

「俺の事情を理解してくれるヤツに出会えて、良かったぜ……じゃあな!」

 シモツキは深い一呼吸を置いた後、咆哮のような雄叫びを上げながら待ち受ける特殊部隊へと突撃していった。


 *


「大丈夫ですかー! 警察です! 犯人は全員確保しましたー!」

 ヒロオは恐る恐るドアを開ける。目の前には黒いヘルメットと覆面で顔を覆った特殊部隊の隊員がいた。

「あ…あ…」

 ヒロオは今起きたことへのショックで言葉が出ない。

「さあ、行きましょう。」

 ヒロオは特殊部隊員に腕を支えられながら歩きだす。

「あの、すいません、手を洗わせてください。」

 こんな状況にそぐわない発言だった。動揺して正常な判断を欠いていたのかもしれない。

「へ? あ、はい。どうぞ。」

 隊員は困惑しながらも容認した。まあ「ダメです」とは言わないか。

 自動水栓の水と多めの石鹸で手を洗い流した。そのついでに顔も洗う。

 シモツキ…あの人はあの後どうなるのだろうか…。ほぼ未遂の状態で取り締まられたので軽い刑罰で済むのだろうか、マシンガンを乱射した時点でかなり罪は重くなるのだろうか…。

 収監されたら面会に行ってあげるべきか…それともあちらから呼び出されるのだろうか…もしもまた会ったらなんと言えばいいのだろう、何を言われるんだろう…。

「お…終わりました。」

 隊員に保護されながらヒロオは再び歩きだす。まるで自分が捕まえられているような気分だった。


 ―「本当の横領犯は自分だ。」なんてもう言えない…



  ――終わり

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