卒業まであと、三九日
あれから僕たちは、昨日練った案を何とか原稿に落としこんだ。一種間で考えたにしてはなかなかいい線いってるんじゃないかと思う。PC教室から応募フォームを送ると、送信完了メールが届いた。発表は三月らしい。
「お疲れ様」
「篠崎さんも。前日までかかったけどなんとか仕上がってよかったよ」
送信完了の文字を見て思わず彼女とハイタッチする。僕が両手を向けると、ぎこちなく、彼女もそこに手を合わせてくれた。
それから、いつもの化学室に戻って後回しにしていた昼食をとる。化学室に来ると、彼女は窓を開けて、僕の正面に座った。それからマスクをゆっくりと外して丁寧に折りたたんでセーターのポケットにしまう。
「そういえば、最優秀賞には賞金が贈られるらしいけど、もし受賞したら何に使うの?」
ペットボトルを開けてお茶を飲みながら尋ねる。
「んー、君との駆け落ちの資金かな」
僕はお茶を吹き出しそうになって、慌てて口元をおさえる。むせて、せきこむ僕を篠崎は汚いなあ、と言う風な顔で見ている。
「君、真顔で冗談言うのやめてくれよ……」
「別に冗談じゃないけど」
ぐ、と黙った僕を彼女は面白そうに見ている。これはもしかして遊ばれているのだろうか。
「でもまあ、もしもの話でしょう。君だって、もし受賞したらって言ったじゃない」
「まあ、そうだけど」
少しむっとした僕に、彼女は不思議そうに首をかしげる。
「じゃあ、君は賞金をもらったらなにがしたいの?」
「え、うーん、アイスクリーム屋さんで全部くださいって言うとか? コーンに何段積んでくれるのか試してみたいんだよね」
僕の答えを聞いて、篠崎はふっと口元をゆるめた。
「君らしいね。アイス好きなの?」
「まあ、季節関係なく食べるくらいには好きだよ。冬にアイスっていうのもおつだよね」
「へえ、そうなの」
アイスなんて小学生から食べてないなあ、とつぶやいた彼女にぎょっとする。
「え、アイス嫌いなの?」
そんな人類いるのか。詰め寄った僕の勢いに彼女は少したじろぎながら答える。
「いや、嫌いではないけど、……たぶん結構好きかな」
「もったいない!」
たぶんがつくのは長らく食べていないからってことだろう。
「好きなら食べないのはもったいないよ! アイスは日々進化しているのに!」
「そ、そうかな。君は本当にアイスが好きなんだね」
珍しく彼女が気圧されたように身を引いている。別に、普通だと思う。アイスはみんな好きなものだし。
「そうだ、なら今日一緒に食べに行こうよ。打ち上げってことでさ」
僕の言葉に彼女が目を見開いた。
「駅前にアイス屋さんがあるんだよ。知らない?」
「知っているけれど、でも、いいの?」
彼女がいわんとしていることは分かる。そんなに人通りの多い場所を、篠崎百合根と二人で歩いていいのか、と聞いているのだ。
「いいよ、行こう」
僕はたぶん、彼女の望みを約束とか関係なく叶えてあげたいと思うくらいには、彼女のことが好きになっているのだ。
*
「君はどのアイスにしたの?」
先に店内のいすに座っていた篠崎が席に向かっている僕に話しかけてきた。
放課後、アイスを食べに行く約束をした僕たちは、同じ学校で同じクラスであるにもかかわらず、なぜか現地集合ということになった。僕はてっきり一緒に行くものかと思っていたのだが、放課後になると彼女が「現地集合で」とだけ言い残してさっさと行ってしまった。おそらく、最初に言っていた「クラスメイトの前では話しかけない」を律儀に守っているのだろう。自分と行動を共にすることで僕の評価が下がることを危惧しているのだ。いいよって言ったはずなのに、伝わらなかったのだろうか。受験で自分たちが必死なときに僕らを気にしている生徒なんてそういないと思うが。ふだんは大胆なくせに変なところで臆病なものだと思う。
「ストロベリーだよ」
篠崎は一番奥の席に座っていた。イートインスペースには全部で四つの席が用意されているが、この寒い中アイスを食べようなんて人はそうそういないらしく、店内は僕らの貸し切り状態だった。
「篠崎さんはなににしたの?」
隣に腰かけながら質問を返す。
「チョコミント」
「好みがわかれる味だよね。好きなの?」
「……あんまり好きじゃないよ。なにが美味しいのかよく分からないし」
「じゃあ、なんで頼んだのさ」
「母さんが、よく食べてたなと思って」
「へえ……」
どうやら篠崎は僕が来るまで食べずに待っていてくれたらしい。彼女の手の中にあるカップアイスは店内の暖房で溶け始めている。
「食べていたって、今は食べないの?」
「死んだの」
その言葉は彼女の口から驚くほどするりとでできて、彼女がこの問答を何度も繰り返してきたのだろうと分かった。
「ごめん……」
「なんで謝るの?」
彼女はふっと笑ってアイスを口に運んだ。
「やっぱり、何が美味しいのかよく分からないね」
篠崎はそう言って少し瞳を揺らした。彼女はこうやって時々寂しそうに瞳を揺らすことがあって、僕はそのたびにもどかしいような、やるせないような、歯がゆい気持ちになって、なにか気のきいた言葉が言えないかと思うのだけれど、結局なにも言えなくて黙ってしまうのだ。
「もしもの話の続きだけど、」
黙ってしまった僕に、彼女はアイスを見つめたまま話しかけてきた。
「駆け落ちじゃなくても、もしもお金があって、それが許されるなら、どこか遠くへ行ってきれいな景色でもみたいな」
「行こうよ」
彼女はアイスから僕に視線を移した。驚いたように、目を見開いている。
「遠く、は休みの日じゃないと無理かもしれないけど、きれいな景色なら、このあたりでもたくさんあるし、ていうか、やりたいことには協力するって言ったんだからそれくらい言ってくれれば連れていくよ」
彼女の望みはいつもたいてい些細なことで、もっとよくばってもいいのにと思ってしまう。
篠崎は僕の言葉を聞くと、見開いた目を数回瞬かせて、それから、きゅっと眉を寄せた。
「……君は、贅沢だね。今日、連れてきてくれてありがとう。嬉しかったよ」
「君が節制しすぎなんだよ。……どういたしまして」
「次は、別のアイスを頼もうかな」
「それがいいよ」
じゃあ、次は僕はチョコミントにしようかな、と言うと彼女はようやくいつもみたいに目を細めて笑ってくれた。どうやら次の約束ができたらしい。冬にアイスはやっぱり少し寒いけれど、もう少しだけ彼女に付き合ってもいいかと思う。
読んでくださってありがとうございます……!