卒業まであと、四八日
冬は嫌いじゃない。夏みたいにムシムシしているより、ピリリと乾燥していた方が、気持ちもしゃきっとする気がする。
だが、最近は、その乾燥しすぎた空気がなんとも居心地悪い。
「まこと~みんなで食堂行って勉強するけど、お前も来る?」
「ばっか、お前、まことがくるわけねえじゃん」
「あはは、そうだよな。わりい」
行くとも、行かないとも返事をしていないのに、勝手に話が終わってしまったらしいので、曖昧に笑って受けながす。
「そうだな。僕は教室で食べるよ」
「お前はいいよなあ。もう遊び放題じゃん」
「それな! ぶっちゃけもう学校こなくてもよくね⁉」
「はは……」
嫌味ともとれる言葉にひきつった笑顔をかえす。いや、実際嫌味なのだろう。
鮫島亮と本条航が教室から出ていったのを見送って、ふうと息をつく。ふたりとも、以前までは気のいい友人だったのだが。
教室を見渡すと、生徒全員が参考書やらワークやらを開いて勉強していた。その口元にはマスク。二〇二〇年に蔓延したコロナウイルスの影響で、生徒にはマスクの着用が義務づけられていた。それは二〇二二年になった今でも続いている。これから受験を控える受験生はコロナはおろか、風邪さえひくことは許されないのだろう。その目は殺気だって、血走っている。
どこか、別の所で食べよう。
また小さく息をついて弁当を持って立ち上がった。
*
鮫島と本条をふくむ友人たちの風当たりが強くなったのは、僕が大学の推薦を決めてからのことだ。兵庫県中部に位置する常盤桜市常盤桜高校はこれでも県内トップの進学校だ。生徒のほとんどが名の通った有名大学へ進学する。その分生徒の勉強量や、受験にかける熱量もすごい。
そんな中、僕は早々に受験戦争を放棄し、二流大学への進学を決めてしまった。今からラストスパートだ、がんばろうっていう彼らからすれば、文化祭の日にみんなで黒いTシャツを着てこようって示し合わせていたのに、ひとりだけ白いTシャツで来る奴みたいなものだ。
つまり、受験を放棄するっていうのは、彼らにとってそういうしらけた行いだったのだ。
*
校舎の中を一人、弁当を持って歩く。できれば人通りの少ないところがいい。ひとりで弁当を食べているところなんて、だれにも見られたくないものだ。トイレで食べることも一瞬考えたが、弁当がまずくなりそうだし、そこまでするならもう食べなくてもいい気がする。
人混みを避けるように、食堂と逆方向に歩いていると、いつの間にか、理科棟に来ていた。うちの学校は職員室や事務室からなる第一校舎と、高等部の主な教室がそろった第二校舎、中等部の主な教室がそろった第三校舎、化学室、物理室、理科室、生物室からなる理科棟によって構成されている。
ここなら、ちょうどいいかもしれない。授業の時を除けば、理科棟なんて人が入らない場所である。あとは空いている教室を探すだけだ。
「まあ、考えてみればそりゃそんなにうまくはいかないよな……」
一階から二階までの教室を見て回ったが、どこも鍵が開いていなかった。使わない教室には鍵をかけておく。考えてみたら当たり前のことだ。教室を使おうと思ったら、普通許可をもらってから、事務室に鍵を取りに行かなくてはならない。
なんていって? 教室の居心地が悪いので、弁当を食べるために、空き教室を貸してください。言えるわけがない。
あと確認していないのは三階にある化学室だけだ。なるほど、世の学生はこうやって便所飯への道をたどるわけか。半ば、諦めながら三階への階段を上る。
上りきると、冷たい風が身体をすり抜けた。
風は、おくから吹いている。たどるように廊下を進む。
「開いてる……」
化学室のドアは開いていた。
そこに、彼女はいた。
すーすすすー。
彼女は、退屈そうに足をぶらつかせながら、窓の冊子に座っていた。その尖らせた口からすーすすーと吐息がもれている。
僕が、最初に思ったのは、彼女が窓を開けていたから風が吹いていたんだなということと、落ちたらかなり危ないんじゃないかということだった。
「ねえ、そこでなにしているの?」
「え?」
ぼうっと放心したように眺めているとかちりと目が合った。
いつの間にか窓枠からおりたらしい彼女が近づいてくる。
「なにしているの、古賀くん」
「あ……」
とっさに弁当を身体の後ろに隠したが、言い訳する方が不自然だと思いなおし、正直に白状する。
「弁当を食べるのにいい教室がないかと思って……」
「ふうん」
自分から聞いたくせに、さほど興味がなさそうに彼女は目を細める。
僕は素直に教室で昼食をすませなかったことをひしひしと後悔し始めていた。彼女と対面で話すなんて初めてじゃないだろうか。できれば関わりたくない人種だ。
「えっと、篠崎さんはなにしてるの?」
ここは、進学校だから、不良のような生徒はまずいない。いるとすれば勉強や部活に真摯に打ちこむ、真面目な生徒か、もしくは、ごく少数の変わった奴。
つまり、篠崎百合根は変人なのだ。
いつも第一ボタンまで留められた制服は、たとえ夏であろうと長袖で、規定より少し長めのスカートの下には一年中デニールの濃い真っ黒なタイツがはかれている。
体育はいつも見学。本人は日差しに弱いからと言っているらしいが、絶対に肌を見せたがらない態度に、タトゥーでもはいっているんじゃないかと男子の間で面白おかしく噂されていた。
運動に関しては未知数な彼女だが、勉強は進学校であるうちのクラスでもトップにはいる。というのも、彼女は特待生で学費は全額免除。テスト後に張り出される成績優秀者の中には必ず彼女の名前がある。
今年初めて同じクラスになった彼女はあきらかにクラスから浮いていて、みんなも彼女を遠巻きに見ている節がある。だからといって本人はさほど気にした様子もなく、なにを考えているのか分からないから、やっぱり変わった奴なんだと思う。
「古賀くんといっしょかな」
帰ってきた返答に、少し考えてから、彼女も弁当を食べるためにこの教室を使っていたんだと結論づける。
「そっか……」
「そう」
射抜くような瞳に気まずくなって、目をそらす。篠崎は、僕から視線を外そうとしない。窓から吹く風が、彼女の炭の様に真っ黒な髪の毛を持ち上げては揺らしている。
「えっと、みんな教室で勉強しているけど、篠崎さんはやらないんだね?」
気まずさに耐えかねて尋ねると、彼女はふっと視線を緩めた。
「だから、君と一緒だよ」
「え?」
もしかするとさっきのは弁当の話ではなかったのだろうか。
「もしかして,篠崎さんも、もう推薦で大学決まっているとか?」
「……どうだろうね?」
彼女は目を三日月みたいに細めて、きゅっと口角をあげた。
意味が分からない。どうして質問したのに、疑問形で返されているのだろうか。やはり、変わった人なのだろう。あまりかかわらない方がいいかもしれない。
「……じゃあ、僕はもう行くね」
「待って」
なにか、冷たくて、柔らかいものが、僕の手に触れる。
篠崎が、僕の手をとって、僕を引きとめていた。
突然の出来事に硬直していると、篠崎が口を開いた。
「ここで食べなよ」
「え」
「お弁当。ここで食べたらいいよ」
「いや、でも」
篠崎百合根とふたりで?
「それとも、今から教室に持って帰って食べるの? お弁当持って出たのに、中身が減ってないなんて格好がつかないと思うけれど」
確信をつかれて、ぐ、と返答に詰まる。
「ていうか、毎日、ここで食べたらいいよ。ここは食堂と反対方向にあるから、人通りも少ないし、ドアを閉めてしまえば誰かに見られることもない」
彼女の言葉に心が揺らぐ。昼休みは五十分もある。受験生にとっては勉強に当てれる有意義な時間なのかもしれないが、なにもすることがない僕にとって、勉強する生徒に混じって教室にいるのは正直苦痛なのだ。
「心配しなくても、君がお昼休みの間私と一緒にいるだなんてことは誰にも言わない。そのかわり、」
僕の手を掴んでいる篠崎の手が、少しだけ震えた。
「卒業まで私と友達になってよ」
そう言って、篠崎百合根はまた三日月みたいに目を細めた。
さっきまでかかわらない方が、なんてかんがえていたにも関わらず、このよく分からない提案にうなずいてしまったのは、それが、彼女なりに作った笑顔であることに気づいたせいであると思う。
*
女子とふたりきりで弁当を食べるなんて数時間前の僕では想像しえなかった光景だ。しかも、その相手が篠崎百合根とは。
もしかして僕は卒業するまでずっと彼女とふたりで昼食をとるのだろうか。安易に流されてうなずいてしまったことと、断れない自分の性格をうらむ。
彼女はもう食べ終わっているのかやることがないらしく、じっと僕を見つめてくるので非常に食べづらい。喉につかえそうになったご飯をお茶で流しこみながら気になっていたことを質問する。
「篠崎さんって友達いらないんじゃなかったの?」
篠崎百合根が変人扱いされる由縁はその恰好だけじゃないのだ。入学当初、彼女に話しかけた女子が「私は友達を作る気はないし、君の話にも興味はないから必要事項以外話しかけてこないで」とバッサリ切られたらしい。そのほかに話しかけた生徒たちも似たり寄ったりな対応を受けたらしく、それ以来彼女に話しかける者はほとんどいなくなった。
「……事情が変わったの。だからといって、古賀くんとも卒業までの三ヶ月しか友達でいる気はないよ。卒業したら、私たちはただの、元クラスメイト」
「はあ……。そもそもなんで篠崎さんは僕と友達になりたいの?」
そう尋ねると彼女は僕に向けていた視線をすっと窓の方へ移した。
「私、友達とお昼ご飯食べてみたかったんだよね」
篠崎の瞳がかすかに揺れている気がして、僕はその横顔をじっと見つめる。
「あと、休み時間に何でもない話をしたり、一緒に寄り道して帰ったり、休みの日に遊んだり」
それは、本当になんでもない、普通の女の子が、普通に普段の日常の中でやっているであろうことだった。
「つまり、そういう高校生活でやり残したこと、みたいなのを僕に一緒にやってほしいってこと?」
「そうなるかな」
「へえ……」
なにを考えているのか分からない奴だと思っていたが、そんなことを考えていたとは意外だ。
「もちろん、私のことだけじゃなくて、君もやりたいことがあればできるかぎり協力するよ。だって私たち友達だもの」
そう言って篠崎はほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
「卒業までの時間、私と一緒に楽しいことをしよう」
正直、断る理由はなかった。僕はもう勉強する必要はないし、鮫島の言葉を借りるなら遊び放題である。しかし、周りはまだ受験生なので遊ぶ友だちはいない。つまるところ、僕は暇人なのだ。
「心配しなくても、クラスメイトの前では君に話しかけたりしないよ」
黙っている僕になにを思ったのか、彼女が続ける。
「さっきから思ってたんだけど、篠崎さんって……」
彼女は、クラスでの自分の立ち位置を理解しているらしい。自分がクラスで話しかけたら、僕が気まずい思いをするだろうと想像できるくらいには。
「なに?」
「いや、……篠崎さんって僕の名前知っていたんだね」
「古賀誠君でしょう? クラスメイトだもの。当たり前だよ」
意に反してフルネームが聞こえてきたことにおどろく。決して目立つ方ではない僕のフルネームを覚えている女子なんて、クラスに何人いるだろうか。
「どうかしたの?」
篠崎が不思議そうに首をかしげる。
「なんでもない。篠崎さんのやりたいこと、僕のできる範囲であれば協力するよ」
そう言うと彼女はまたきゅっと口角をあげて目を三日月型に細めた。
少し恥ずかしくなって、目をそらしながら彼女に問う。
「それと、なんで窓閉めないの? 寒くない?」
これも、さっきから気になっていたことだ。一月の風はかなり冷たい。窓を閉め切っていても寒いのに、彼女の後ろある窓は全開だ。
「換気だよ」
「はあ……、それでずっと窓開けているの?」
やはり、変わっている。と首をかしげた僕に篠崎は続けた。
「教室は、みんなの熱気でよどんでいる気がして、この時期、息がつまるんだ。マスクも、苦手で。だから、ここにきて、マスクを外して、窓を開けると安心する」
「あ、わかるよそれ」
思わず、食い気味に彼女に向かってそう答えていた。教室は暖房がきいていて温かい反面、時々、酷く息苦しい。そう言っても、今まで誰も分かってくれなかったのだが、思わぬ人と共感できたことに驚きつつも、嬉しくなる。
僕は考えを改め始めていた。僕が思っていたよりもずっと、篠崎百合根は普通の女の子なのかもしれない。
篠崎に向かって笑顔を向けていると、不意に風が入ってきてくしゅん、とくしゃみが出た。
ひとまず、明日からはセーターを持って来た方がよさそうだ。