最弱と最強の恋物語。
──その、女性は。
「キミ、」
あまりにも奇妙で、それでいて美しく。
「大丈夫かい?」
そして──可愛かった。
***
俺の名前はサミュエル・レンジャー。王国に居を構えるしがない冒険者だ。
冒険者とは、主に冒険者組合という組織から様々な依頼を受けて、その報奨金などで生計を立てる人物のことを言う。
俺が冒険者になった理由は、ない。ただ、田舎から王国までやって来た記念──のようなもので冒険者組合のテストを受けた。いわゆる記念受験で見事に受かってしまったのである。そして、そのままずるずると今まで冒険者をやってきているのだが──。
俺は冒険者に向いていない、と気づいたのはかなり初期の状態だった。
俺は、命のやり取りができなかった。これが最も大きな理由だ。
魔物──そう呼ばれる、魔力を持った生物に攻撃できない。
冒険者の主な仕事は魔物退治だ。王国を一歩出た森や草原に蔓延る魔物を狩って、しるしを上げる。
しかし俺はそれができなかったのである。最弱と呼ばれるゴブリンの目の前に出た瞬間、俺の身体は震え始め、持っていた剣を取り落とした。
怖かったのである。目の前の存在の、俺の命を奪わんとするその目を向けてきた瞬間に、恐怖が一気に押し寄せてきた。組合のテストで中々ではないかと褒められた剣術も何も無く、俺はいち生物として目の前の死に怯んだのである。
その時は偶然近くにいた冒険者に助けられ、事なきを得た。そうでないとゴブリンに殺されていただろう。その手に持つ武器で。そう考えると、夜も眠れないほどの恐怖が押し寄せてくる。
ゴブリンに遭遇した次の日、冒険者をやめようと考えた。折角来た王国だが、田舎に帰ろう。そう思って出立の準備をしていた時、伝書鳩が届いた。
兄のジョンが病に倒れてしまったのだという。元より体の弱かった兄が、ついに床に臥せってしまったのだと。薬代は……相当かかると、手紙には書いてあった。
俺は冒険者をやめなかった。モンスター退治ではなく薬草の採取や荷運びなどの仕事を斡旋してもらうようになった。
「あいつ、ゴブリンも倒せないそうだぜ。」知らない冒険者が俺のことをそう言い、その噂のせいでパーティを組むこともできず、たった一人で──ずっと、兄の薬代を稼いだ。
冒険者になって一年。兄の経過はよくない。だが薬を投与し続ければ回復するかもしれない、と俺はこの日も薬草の採取をすることにした。俺を見て笑う冒険者たち。俺も有名人になったものだ。
王国の門を抜け、以来の薬草がよく生える森に入って行く。この一年で覚えた技術はモンスターに遭遇しないようすることだけだった。腰に佩いた飾りの剣が少しだけ揺れる。すまんなぁ、おまえも、使われたかったろうになぁ。
「ここだ、着いた……」
薬草の群生地は覚えていた。規定量を超えないように──後から生えてくる薬草のために、大量に採ることは禁止されている──手に持った籠に薬草を入れていく。依頼の量を採取し終え、俺は屈んで固まった腰を伸ばした。
その時。
「ウォーォ……」
その場に響いた声に、俺の体中の汗腺から汗が噴き出した。
ウルフだ。ウルフの鳴き声だ。知っている。一度遭遇し、木の上でやり過ごしたことを覚えている。奴らは鼻が利く。だが木を上ることはできないようだった。
「木……木……」
登りやすそうな木をとっさに探す。丁度真後ろにあった木が比較的登りやすそうだったが故に、俺は籠を落とさないように腰ひもにぶら下げてから木を上り始めた。木の葉に隠れるようにして、出来る限り息を殺す。
ウルフの声が近づいてくる。おいまじかよ、ふざけんなよ。来るなよ!
「ウォン!」
「ウォーン!」
ウルフが2頭、俺がついさっきまで薬草を採っていた場所までたどり着く。くんくんと辺りの匂いを嗅いで、そして──俺を見上げた。
「ひ、っ……!」
「ワン!」
「ウォン! ウォン!」
2頭のウルフが俺の登っている木の根元を鋭い爪でがりがりと掻き始めた。そこそこの太さの木だからか揺れはしないが、これではやり過ごすのに時間がかかってしまう。
「(どうする? どうする? 剣を……駄目だ、手が震えてる)」
どうする? このまま見逃してくれるように神に祈るしかないのか?
「誰か……」
誰か。
「誰か助けてくれ……!!」
「任された!」
そんな声がして、え、と思っていると、ウルフの後ろ──俺の目線の一直線上に女性が現れた。
彼女は奇妙な格好を──街で時折見かける東方の衣装に似ている気がする──していて、剣らしきものを佩いていた。彼女が任されたと言ったのに違いはないだろう。
ウルフの興味は女性に向かったようで、ウルフは彼女の方を向いた。そして、何故か首を垂れた。
「え……?」
「すまんな、お前ら。あの人以外を獲物にしてくれないか」
あの人、と言って彼女は僕を指差し、ウルフたちにそう告げる。するとウルフは顔を見合わせた後、茂みに向かって走って行って──消えてしまった。
──と言ったところで冒頭に戻る。声をかけられて、返さなければいけないのに、彼女に見とれる俺がいた。
この辺りでは珍しい黒い髪に宝石のような赤色をたたえる瞳。顔は可愛い。こんな可愛い子は王国にもいないって程可愛い。ぽーっと見つめていると、俺を見上げているその赤い瞳が心配そうな色をたたえる。ああ、多分まだ俺が怖がっていると思っているんだろう。どうしてか震えは収まっていた。
「大丈夫。オオカミは去ったよ」
「オオカミ……? それより、貴方は……」
「キミ、降りてきてから話そうじゃないか」
ハッとして木から降りる。彼女は俺が思っていたよりも身長が低く、自然と見下げる形になる。上目遣いをされて、少しだけキュンと胸が鳴る。さっきから何だろう、彼女が可愛くて仕方がない!
「キミ、大丈夫かい?」
そして彼女は同じセリフをもう一度繰り返した。
今度は答えられた。
「はい。助けてくださって、ありがとうございます。俺はサミュエル。サミュエル・レンジャーです」
「サミュエル・レンジャー……いい名前だ。僕はリオリ。リオリでいい」
「じゃあ俺はサムと」
田舎の皆から呼ばれている愛称だ。
「……サム」
「はい」
「いい名前だ」
リオリ──は、同じセリフを繰り返した。そして、首を傾げる。
「サムはこんなところで何をしていたんだい?」
「俺は依頼で薬草集めをしていました」
「敬語はいいよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」
「じゃあ……リオリ」
「うん」
「さっき、どうしてウルフたちが逃げて行ったんだ? そういうスキルでも使ったのか? 『威圧』とか『圧迫』とか……」
「あはは、違うよ。あのオオ……ウルフたちは友達みたいなもんなんだ。だから“お願い”をして行ってもらった」
「そう……だったのか」
この世にはテイマーという、魔物と主従関係を結んで戦う人もいる。そう言った関係のことなのだろうか。
「さてサム」
「え?」
「王国に行こう。王国の……なんだっけか。依頼をして暮らす人なのだろう?」
「ああ、冒険者のことか? 冒険者を知らないなんて珍しいな」
「事情があってね」
リオリはそれ以上は語ろうとしなかった。
王国の門へ向けて森を歩きだす俺たち。俺たちは道中、様々な話をした。家族のこと、俺が冒険者をしている理由、そして──戦えないポンコツだということ。
「さっきのウルフの事だけど……俺は怖いんだ。死ぬのが怖い。でも、病の兄の薬代のために、やらなくちゃいけない……」
「そんなの誰しもそうだろう。死が怖くないなんて奴はいない」
「そうかもしれないが……俺は特別怖がりなんだ。ゴブリンすら倒せないんだ。冒険者を名乗っていいかも分からないくらいだよ……」
「冒険者を名乗っていいか……ね。それは僕も同意するところだけど、でもその薬草」
リオリは俺の持っている籠を指さした。
「それを必要としている人がいて、サムがそれを満たす。それも立派な仕事だよ」
──俺は足を止めた。数歩先に進んだリオリが不思議そうな顔をして振り返る。
「なに? どうしたの?」
「……そんなこと、言ってくれる人なんていなかった」
「え?」
「みんな俺を見て笑うんだ。ゴブリンも倒せない意気地なし。すごすごと故郷に帰れって。でも、リオリはそうは思わないんだな……!?」
「うん。僕はサムのことを素直に尊敬するよ。病床に臥せっている兄のため、勝手も分からぬ場所でお金を稼ぐ……並みの人ができることじゃない。誇っていいと思うよ!」
そう言ってリオリは笑った。ドクン、と心臓が拍動する。思わず胸のあたりを掴んで下を向いた。顔に熱が集まる感覚がする。ああ、俺、俺──
「リオリ、好きだ」
思わず口から出た言葉。俺も驚いている。本当に自然と口から出た。好きだ、って。多分一目惚れだって、思う。
しん、と辺りが静まり返った。恐る恐る顔を上げると、ぽかんとした表情のリオリ。
ああ、やってしまった、やってしまった!
会って1時間もしない男に「好き」なんて言われて驚かない人なんていない。それも、助けなければ死んでいたような、こんな奴から。
「(ああああああ、何言ってんだ俺!!!)」
そう理解して、俺はごめんと言おうとした。でも言えなかった。口の中がカラカラで声が出ない。そうしている内に、リオリが真剣な面持ちになった。
「ごめん」
そ、うだよな。そうだよな。
「僕は……ごめん。その言葉を受け入れることはできない」
「(だよな。知ってる。分かってる)」
「でも、ひとつだけ条件を満たしてくれれば、僕はその提言を受け入れることができる」
「……え?」
リオリは少し考えたような素振りを見せてから、俺を見上げた。
「強くなることだ」
「強く、?」
「ああ。僕は、自分より強い人しか好きになれない、そういう女なんだ」
──その腰に佩いた剣らしきものは年季が入っていて、傷が散見される。それだけで彼女が歴戦の猛者だと分かってしまう自分がいた。
「僕は強い。でも、そんな僕より強くなった暁には──僕はサムの告白を受け入れるよ」
***
王国の門が近づいてきた。それを見たリオリは、ちょっと待って。と俺に声をかけた。
「どうしたんだ?」
「身分証がないと入れないだろう?」
「それはそうだ」
「ない」
「え?」
「ない」
身分証がない? どこの国でも身分証は必要だと思っていたのだが、リオリの故郷では不必要なのだろうか。
「じゃあどうする? 身分証がないと作るのに時間がかかるしお金も……」
「『不可視化』を使う」
………………は?
「リオリは剣士じゃないのか?」
「剣士だよ」
「でも、でも『不可視化』は魔法だぞ? しかもレベル4相当の高難易度魔法だ」
「魔法使いでもあるんだよ」
「いや、だから……レベル4相当だぞ?」
「でも使えるから……」
魔法に詳しくない俺でも、魔法の等級は知っている。
まずはレベル1。これは生活魔法と言われる、魔法使いでない人も使えるちょっとした魔法。明かりの魔法や小さな火をつける魔法がこれに該当する。
次はレベル2。ここからは魔法使いしか使えない魔法だ。攻撃魔法や防御魔法、味方を強化したり、敵を弱体化させる魔法がこれに該当する。
次はレベル3。魔法使いでも選ばれた者しか使えない上級魔法。レベル2の魔法をもっと強力にした魔法がこれに該当する。
そしてその次が、リオリが使うと言っている『不可視化』が存在するような伝説の魔法。過去の大英雄しか使えなかったという、現実に直接干渉する魔法だ。空間魔法『アイテムボックス』はあまりにも有名で、数々の魔法使いが至らんとする領域。
「リオリって……実際どれだけ強いんだ?」
「ドラゴンならどれだけ強くても単独で討伐余裕」
「……嘘だろ……」
「剣も魔法も使えるんだぞ? 当たり前だろ」
そう言うとリオリは笑って、指を鳴らした。スゥ……とリオリの姿が掻き消える。俺は驚いて目をひん剝くしかなかった。
本当に『不可視化』だ。本当に。
「早く行くよー。その依頼、報告しなきゃ」
「あ、ああ!」
姿は見えないがリオリが歩き出す音がした。俺はぶつからないように、見えないリオリが残す足跡から少し離れた道を歩き、無事に王国へと帰ってくることができた。
門兵に身分証を見せて王国内に入ると、少し進んだところで姿が見えないリオリにグイ、と腕を引っ張られ、路地裏へと引き込まれた。
リオリはそこで『不可視化』を解除する。入れたね、なんて言って笑う彼女も可愛いと思ってしまうのだから、惚れた弱みというのは凄い。
「さ、僕は王国を探索かな」
「今思えば不法侵入……だよな」
「今思わなくても不法侵入だよ」
ケラケラと笑うリオリ。俺は籠を見て、組合に行ってくると告げた。するとリオリは目を丸くして、それから笑顔を見せる。
「僕、組合とやら見てみたいな」
「ああ、じゃあ一緒に行くか」
「うん!」
跳ねるような声でそう言ったリオリにまた胸がきゅんとしつつ、俺たちは組合へ向けて歩き出した。
組合は門からほど近いところにあり、大きな建物に組合の旗が掲げられている。俺は慣れた手つきで扉を開いた。
中には冒険者たちが集っており、俺はこの時間が一番嫌いだった。
だって、また笑う。
「おい、また来たぜ」
「よく恥ずかしげもなく組合に来られるよな」
「俺だったら無理だわ~」
そんな声を無視してカウンターに行こうとしたその時だった。目の前に巨体の男が立ちはだかる。
「おい」
「……なんだよ」
「お前、その連れてる女……可愛いなぁ?」
「は……」
「お前なんかには勿体ねぇ。俺が可愛がってやるからこっちに寄こせよ!」
ハッとした。そうだ、今日はリオリがいる。そしてリオリは王国でも見ないほどの可愛さを持った人間!
俺はリオリを振り返った。リオリは何でもないような顔をして、それからフッと笑った。
「誰が行くかよ」
低い声でそう言ったリオリは俺の前に立っている男の胸ぐらを右手で掴み上げた。上げた。俺より小さな女の子が、俺より大きい男を片手で持ち上げた。
そしてそのまま床にダァン!という大きな音を立てて叩きつける。衝撃で大男は目を回し、周囲の声が一切聞こえなくなった。
「汚いもん掴んじゃった。あとで消毒しなきゃ……」
ペッペッとリオリが手を払うしぐさをすると、俺を見上げる。
「何してるんだい。障害は消えた。依頼の報告に行くんだね」
ここで待ってるから~、と手を振るリオリに、俺は何という子を好きになってしまったんだろうと軽く後悔しかけた。
受付嬢が薬草を数える間、ここに来るまでに垣間見たリオリの実力を思い返し、驚きを隠せない自分がいる。
ウルフを言葉だけで追い払い、伝説の魔法使いしか使えない魔法を軽く使い、大男を掴み上げてしまう。
「(俺の初恋……実るかなぁ)」
そう、これは俺が恋を成就させるか否かの物語。
最弱サミュエル・レンジャーと最強リオリの恋物語だ。