第八十三話 Sideプリンセス・クリスティーナ
私はバカな考えを起こしたのかと後悔している。王族と呼ばれ、王女として自分の生を歩んできた。欧州の小さな国。私の国は日本と同じ立憲君主制の国だった。
王が直接統治するわけではなく、議会の決定が何よりも尊重される。自由が重んじられる国ではあるが、ダンジョンについては閉鎖主義が支持された国でもあった。
理由はダンジョンが現れて半年もしない頃から、探索者の凶悪な犯罪が頻発したためである。このため、閉鎖主義に対する国民の支持は90%を超え、それは歓迎された政策であった。
少なくとも私はそれがどれほどの過ちなのかは気付かなかった。当時、世界的にもダンジョンに対するイメージはモンスターの出る危険な穴蔵で、そんなものに好きこのんで入ることは非常に野蛮というものだった。
『ふう、全くあんな野蛮なものがどうして現れたのか』
『お父様、探索者は人肉を食べるというのは本当ですか?』
その方針が決まって、国民の誰一人としてダンジョンに入れなくなり、二年が平和に過ぎた。外では開放主義の国が探索者の犯罪に悩まされ、混乱しているときだった。
欧米のほとんどは閉鎖主義だったから、開放主義の代表日本は特に国際社会で馬鹿にされていた。ダンジョンを閉鎖し損ねた愚かな国として。
『お父様。なぜ日本はダンジョンを閉鎖しないのかしら? あのままでは国体を維持できなくなるわ』
『日本政府は動くのが遅すぎたのだ。我々が動くのを待ってそれに倣おうとしている間に、探索者が強くなりすぎた。もう今更、探索者の意向に逆らうのは無理だろう。ただ、これは……』
私はそれを聞いてアジアの大国は愚かだと思った。欧米が次々と閉鎖主義になっていく中で、日本は閉鎖するどころか、閉鎖主義を声高に唱えた政治家が皆殺しにされるテロ事件まで起きた。
『凄い騒ぎね』
『ああ……』
『とても平和な国だと聞いていたのに、いつから日本はそんなに野蛮な国になったのかしら? 探索者の受刑者が堂々と看守を殺してしまったっていう話もあるじゃない。今やテロ国家のようだわ』
『力は人を狂わせる。というからな。ただ、クリスティーナ。迂闊に日本を悪く言うんじゃない』
『どうして?』
『今の日本は昔の日本ではない。もはや別の国だ。正直、私はあの国が怖い』
お父様とそんな話をしたのを覚えている。お父様は何かを心配し続けているみたいだった。日本の閉鎖主義の政治家が皆殺しにされたことで、世界中のマスコミが蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
こんな野蛮なことが許されるわけがないと、アメリカ主導のもと日本への国連軍派遣も検討された。しかし、それは見送られた。自衛隊がたったひとりの探索者に為す術無く負けたという信じられない事態が起きたからだ。
それでも呑気に欧米のマスコミも一般市民も、先制攻撃ができない自衛隊だから負けただけだと噂した。しかし、その頃からお父様の顔には恐怖が張り付くようになった。
いや、開放主義の国から続々と情報が入ってくるほど、ダンジョンという存在に誰もが恐怖した。拳銃どころか対戦車ライフルですら傷ひとつつかないモンスター、それを平気で殺してしまう探索者という存在。
『そんな人が本当にいるの?』
『あ、ああ、日本で一番恐ろしい探索者がナグモというらしい。とても可愛らしい少女の姿をしているそうだ。それなのに本人は男だと言うのだ』
『まさか、探索者は両性具有になるの?』
『いや、よくわからん』
欧米が自分たちのダンジョン関連の対応について、疑問を持ち始めた時だった。探索者というものが、あまりにも力を持つことを世界が気づき始めていた。
ダンジョンを閉鎖し損ねた愚かな国、開放主義の国の為にダンジョンの中で化け物がどんどん育ってる。当時の欧米ではその代表である日本憎しの機運も高まっていた。世界中の軍隊で日本を叩き潰そうなどという話まで出ていた。
しかし、そんな中でたった一つの欧州の国が裏切った。
イギリスだった。
いや、国が裏切ったのではない。たったひとりの男に裏切らされたのだ。その名を【カイン】。今でこそ英傑などと称えられているが、当時はその名を聞くだけで欧州が震え上がるというほどの悪名だった。
いつ頃からなのか、イギリス議会が12の怪物を従えるその男に支配され、言いなりになり、いち早くダンジョンが開放された。イギリスの歴史上最大の過ち。と言われた事ではあるが、結果的にそれはイギリスを救った。
そう。イギリスがダンジョンを開放して程なくして、ダンジョン崩壊が起きたのだ。そこからはもう地獄だった。あふれ出したゴブリンに次々と人が殺された。
街中がゴブリンだらけで、あちこちで惨劇が繰り広げられた。モンスターは人に対する同情など欠片もなく、どんな野蛮な軍隊よりも、はるかに野蛮なことを平気で行った。
『これは何かの天罰?』
まるでヨハネの黙示録が現実化したようだった。そう思うしかない程の光景だった。
『クリスティーナ。日本が王族の受け入れをしてくれる。お前は逃げなさい』
『日本に? い、嫌よ。アジアの島国なんて言葉すらわからないわ。だいたい今の日本はとても野蛮だと聞くわ』
『クリスティーナ。いいか。家族は私とお前以外もうみんな死んでしまったんだ。私ももうこんな姿だ』
我が国の軍隊は3mあるゴブリンに指揮されたゴブリン軍に蹂躙された。ライオンに乗ったゴブリンが王城まで襲って、魔法を唱えるゴブリンが王城を燃やし、人間の大人よりも屈強なゴブリンが、王城の護衛軍の首を大剣でとばした。
その時、私の大事な家族は殺され、お父様も腕をもがれた。外国に留学していた私だけが無事だった。お父様も死ぬギリギリまで追い詰められていたそうだが、外国の探索者に助けられたらしい。
エリクサーも与えられたそうだが、お父様はそれを拒否して、国民を一人でも助けてくれと願ったそうだ。
「でも国は滅びた」
甲府ダンジョンの三階層。
集落の中で楽しそうにしているゴブリン達を見て、昔を懐かしむ。
外国の探索者は国王を助けると共に、私たちの国の支配を宣言した。議会が崩壊しており、一時的に国の運営を任されたお父様が、王権を探索者に委譲したのだ。モンスターの恐怖から開放されるために、その支配を国民のほとんどが支持した。
『嫌! お父様。私はもう生きるのがつらいの。私も一緒に死なせて』
『いいか、クリスティーナ。まだまだこれからこの国はもっと混乱する。私は前国王として、たとえ両腕がもがれようとも逃げるわけにはいかない。だから、お前だけでも平和に生きてくれ。安心しろ。ダンジョン産の翻訳機がある』
それをお父様が持っているのは知っていた。エリクサーはいらない。でも、翻訳機が二つ欲しいと探索者にお願いしていたのだ。
『これでお前が言葉で悩まされることはない。日本へ行ったら向こうの言うことをちゃんと聞くんだぞ。そして【万年樹の木森】という人物を探せ。探索者の良心と呼ばれている御方だ。我が国の避難民を多少なりと受け入れてくれるのも、その方の発案らしい』
『い、嫌だと言ってるでしょ! 一人でなんてどうやって生きていくのよ!』
『アンナも一緒だ』
それでも私は逃げるしかなかった。日本についてしばらくして、国が正式に滅び、国連に【リアント】という国が新たに承認された。私はそれでも嘆いている暇もなかった。日本での私は、もはや王女でもなんでもなかった。
王族を受け入れたといっても、日本は何ひとつ私に対してしてくれることはなかった。
『ここで住めと言うのですか? アンナ、私は王女ですよ?』
かつて私が住んでいた場所と比べれば、そこはまるでウサギ小屋だった。日本政府によって建てられた難民受け入れの集合住宅が私の住まいだった。
『滅びた国の王女です。お嬢様。我々は望まれてこの国に来たのではないのです。慈悲を与えられただけなのです。生活のすべては自分たちで賄えとのことです』
『そんな……日本は優しい国ではなかったの?』
『どれほどの国が日本に助けを求めていることか。今や滅びた小国の避難民に過ぎない我々が、まだ住む場所を与えられただけましです』
お父様が持たせてくれた国の宝物を生活費のために売りもした。そして、生きていくために、できたばかりのダンジョン高校に入った。でも生きて行くことと別の目標も持っていた。
国に帰る。私が国民の誰にも望まれていないこともわかっている。でも国に帰ってお父様と生きたい。それが私の目標になっていた。まだお父様が生きているうちに、私が手に入れたエリクサーを飲ませてあげたかった。
しかし、日本のダンジョン高校は私の望んでいるものではなかった。最初にダンジョンの1階層に入るだけでも三ヶ月以上かけて、それから一つレベルを上げるだけでも大騒ぎだった。
『いいかー。ダンジョンではまず死なないことを一番重視しろよー』
『『『『『『はーい』』』』』』
教師はまるで普通の授業のように話している。まるで本当に普通の授業を受けているみたいに答えている生徒たち。
『これが日本』
戦闘訓練をする教師の話を聞きながら、私の目にその国はとても平和に見えた。聞いていた姿とは全く違う。平和すぎて、ダンジョンに入っているのに死人もほとんど出てなかった。
『アンナ。私たちこれでいいのかしら?』
『お嬢様。ダンジョン高校はどの国もこんな様子だという話ですよ』
『そうなの……』
日本の第一世代の探索者はたった一年でレベル200にまで至ったものも居るという話だったが、少なくともここはそんな環境ではなかった。そんな折、
『木森が来てるの?』
『はい。そういう噂です。とても綺麗なエルフが現れたと生徒たちが騒いでます』
私はどうしてもその人と話をしたかった。何よりもお父様がそう望んでいた。
だから、一歩間違えば殺される行為だとわかっていたけど、応接間で隠れて待った。殺されたところで、この生きる苦しみから逃げ出せるだけ。何も怖くなかった。すぐにバレると思った行為は、不思議と誰にもバレなかった。
『ゴミ製造機とはよく言ったもんだよ』
『はは、エルフさんから見ればそうでしょうね。まあ、ここはレベル10まで上げれば充分と思ってますから。いわゆる新しい労働者階級の製造機ですよ。レベル10ならそこそこ労働で使えるでしょ?』
『有望そうなのはいないのかい?』
木森は後ろ姿だけでもとても綺麗な人だとわかった。
『そんな探索者はもう日本に必要ありません。あなたと南雲様、あと2人の英傑、そして私も含む、34名の高レベル探索者。それらが支配者層として日本を平和統治すればいい。あとは他国が勢力を伸ばしすぎないように見張っているだけです』
『つまらないことを考えるね』
『エルフさん。最初に大事なものを手にした者たちが、支配者となって、後から来る者たちは蹴落とす。当然でしょう。私たちは世界中から非難されながらも、この命をかけて探索者としてレベルを上げた。今はダンジョンからそのご褒美がもらえているんですよ』
『ふん、そんなくだらないものをダンジョンが用意するなんて初めて聞いたよ』
『安心してください。あなた方4人の目障りには決してなりませんから』
あの時、この世のものとは思えないぐらい、綺麗なエルフと目があった。ダンジョン高校で私は身分を隠していた。ただの外国の難民だった。それでも私にその人が、この話を聞かせてくれたような気がした。
ここにいても未来はない。そういうことなんだと私は理解した。
私はお付きのアンナと共にダンジョン高校を辞めることを決意した。
『じ、自分たちでダンジョンに入るのか?』
『はい』
教師たちは驚いていた。教師はレベル100までの人たちで、一般ダンジョンの危険性をいやというほど分かっていた。その教師から、
『じゃあせめて甲府にしとけ。あそこは1~10階層に危険人物がいない。まあ一人だけ変人はいるが、積極的に新人を潰してこようという人ではない』
そう教えられた。私たちは新人探索者の危険性を懇々と教えられて、新人のうちは人目に付かないようにと気をつけて、2人でダンジョンに入った。この時期の新人探索者は誰のことも頼れなくて、すごく寂しかった。
でも、生まれた頃からずっと一緒に生きてきたお付きのアンナと2人なら頑張れた。先生達からもらったアドバイスのおかげもあって、3階層には下りられて、そこには確かに一人だけ変人がいた。
『ステータスは悪くない。監視対象にはできるかな』
『あ、あの、見逃して頂けるでしょうか?』
『別に僕は君たちを取って食おうなんて思ってないんだけどね。ああ、でも、ゴブリンの子供を産むというのなら是非観察させてほしいな』
でも、恐ろしくはあったが、確かに実害はなかった。だから、その人は無視して、アンナと2人で考えながら一生懸命頑張った。でも、私たちは3階層のクエストで失敗した。クエスト内容は【50体以上のゴブリン軍の殲滅】だった。
二人以下の場合、ゴブリン大帝は出てこないという噂だったが、それは本当だった。しかし私たちはそのクエストをしくじった。二体のジェネラルに負け、アンナが重傷を負った。
ポーションを飲ませる暇もなくソルジャーに囲まれて、私は戦意を喪失した。教師からも、『もしもの時は降伏しなさい』と教えられていた。何よりもお父様のためにもまだ死ぬわけにはいかなかった。
『お嬢様申し訳ございません。私のせいで』
『良いのよアンナ。私は平気。あなたがいてくれるから。それにきっと大丈夫よ。日本のダンジョンならひと月に一度は探索者が見回りに来るという話よ。月初めに間引きの見回りがあるという話だから、その時にきっと助けてもらえるわ』
私たちは囚われの身となった。そしてゴブリン集落での一日はなかなか終わらなかった。バカな考えを起こさなければよかったと、大人しく日本の労働者になっていればよかったと後悔する日が、何度もあった。
何度か2人で死ぬことも考えたけど、常にソルジャーが見張っていた。何よりもポーションを取り上げられていた。ガチャから出て来た虎の子の1000万円のポーションが2本。それがアンナの重症を治して、一本だけ残っていた。
そのせいで2人で死ねない状況になっていた。どちらかだけ、ポーションで、助けられてしまうからだ。だから、いつしかゴブリンと一緒に住むことが当たり前になった。誰も助けに来ない環境に心が適応し始めていた。
助けに来てくれない人間よりも、優しくしてくれるゴブリン達のほうが、よっぽどましだとアンナと話し合うようになった。スポーツやチェスなど教えてあげたらゴブリン達はすぐにその遊びを覚えた。
これはこれで毎日楽しいと私は思おうとした。
そんなある日のことだった。ゴブリンの集落が急にざわめき出した。どうしたのかと思った。今までこんなことは一度も無かったのだ。まるでこの階層には人がいないのかというぐらい静かだったんだ。
ゴブリン達の「ギャ!」という叫び声がした。アンナと2人でなんだろうと話し合って、外に様子を見に行った。
逃げない限りは、ゴブリン達は集落内での私たちの行動の自由を許してくれていた。
「リーン。5体は少し面倒だ。頼む」
「了解ー」
美しい男の人がいた。ずっと醜悪なゴブリンばかり見ていたから、その姿はことのほか美しく見えた。その男の人の前に五体のジェネラルが出てきた。アンナを殺しかけた存在。そして私たちがここで囚われてきた証。
「そこのあなた! 逃げなさい! そいつは桁違いに強いわ!」
私はその人が殺されると思ったから逃げるように言った。間引きの探索者はもっと常識外の動きをして、私たちでは何をしているのか分からないと聞いていた。でも、その人は少なくとも何をしているかは見えたのだ。
だとすれば五体にまで増えているジェネラルには絶対に勝てないと思った。
「お願い! そいつらを殺して!」
でもアンナが叫んだ。
『お嬢様。私はあの子達に名前を付けてあげようと思います』
『名前?』
『ええ、おかしなことでしょうか?』
『いいえ、それはとてもいいことよ』
そんな話をしていた。 五体のジェネラルは自分たちの穢れた証拠でもあった。
「落ち着いてアンナ。あの人は多分間引きの探索者ではないわ。いったん逃げてもらって間引きの探索者を連れてきてもらうのよ」
「何を言ってるのですお嬢様! それでまた誰も来なくなったらどうするのですか!?」
「それは……」
綺麗な男の人に醜悪な存在が向かっていく。あれには勝てない。私たちが逃げなかったのも、最終的にはあの子供達が追いかけてくると分かっていたからだ。
可愛いと思い込もうとした存在。でも、心の奥底ではいつも嫌っていた。
「嫌……」
私も嫌だ。こんなところに残されて、あんな醜悪な者達を可愛いと思って生きていく。私はそんなために日本に来たんじゃない。
「お願い、殺して!!!」
アンナに続いて私も叫んでいた。
「任せてください」
その男の人が青い光りをおびた。そして青く綺麗な人間になった。そこからまた桁違いに男の人の動きが速くなった。次々とジェネラルの首を刎ねていく。
私はとてつもないカタルシスを感じた。
「救世主様」
最後のジェネラルが縦にかち割られた。
「助けに来ました」
と。彼は言った。私たちは泣いて彼に縋った。アンナとともに、この命続く限り、この殿方について行きたいと思った。
ちょっと外国の様子を書こうと思っただけなのに、なんかえらい濃いキャラが出来てしまった。この子どうしよう(マテ





