第三百九十八話 醜悪
「とにかく戦わなくていいなら助かりますよ……ね?」
俺は気を使って摩莉佳さんの表情を伺う。
「私に聞かれてもな。実際のところ相手はもう戦う気がないということか?」
「どうなんでしょうね」
そうなもの俺の方が聞きたい。
「聞いてみたらどうだ?」
摩莉佳さんは言うけど、ベラミスに対して油断はしていないのが分かる。いつでも回避行動が取れるように翼が少し広がっていた。俺も翼が生えたので分かる。こうするといざという時の行動が早くなる。
俺は念のために、先ほど気になった現象をもう一度確かめた。それは【時間停止】である。徐々に慣れてきて自然に止められるようになってきた。だから、気軽に魔法を唱える。全ての時間が停止して何もかもが動かなくなる。
世界から隔離される1秒間。先程から少しだけ気分が悪いのは続いていたのだが、それが【時間停止】を唱えた瞬間なくなった。どうやら花園の巨大魔法陣は時間が止まると効果が切れるようで、そうすると催眠が解けるのだ。
ベラミスは花園全体に及ぶ魔法陣で、自分が使う魔法の効果をさらに高めていることは間違いなさそうだ。先ほどのように人の位置が変わるなんてことはなかった。それでもデバフがかかっているような感覚が抜ける。
俺は一応しっかりと周囲を確認して、ベラミスの言葉に嘘はないのか、騙されていないかどうか確かめた。
「俺も摩莉佳さんも自分の認識通りの場所にいる。ベラミスも俺が認識している位置から変わってない。とりあえずベラミスが今すぐはこっちを騙してくる様子はない……。気分の悪さはこれだけ【奈落の花】が咲いてたら仕方ない」
それでもベラミスの言葉が唐突に思えて、正気で言ってることなのか疑念が拭えない。止まった世界の中でベラミスの顔を見る。長いまつ毛とクリッとした瞳。まなじりが上がっていて気が強そうだ。
肌は透明感のある白で、美しい模様を描く綺麗な翅。ベラミスはまだ俺が時間を操っていることには気づいていないようだ。その点はホロスとはかなり違う。まああれだけ短期間でそんなことに気づいたホロスが異常なのだ。
普通は時間なんて操れるものとは思っていないから、自分の認識が少しずれていたのかと思うぐらいだ。特にこんな特殊な空間ではそう思い込む可能性は高い。俺はこの優位を無くさないように気をつけた。
体の位置を完璧に元の状態に戻す。そして時間は動き出す。
「ベラミス、その言葉は本気で言ってるのか?」
「もちろん。冗談など言うはずがありませんわ! 私よりは少し劣っているけれどあなたの美しさを認めましょう! さあ、私のモノになりなさい!」
「断る」
私のモノにと言われた瞬間。自分の中で急激に何かが醒めていく。なるほど。“そっち”か。ちょっと期待してしまった自分が恥ずかしい。
「あら、どうして?」
断られると予想してなかったか。ベラミスはプライドが高いのだろう。上から見下ろすようにこちらを見ている。その顔に浮かぶ笑顔は挑発的だ。なるほど【媚薬】を使ったわけでもないから、“俺の方に従え”と言いたいわけだ。
「悪いが俺には心に決めた女性が“結構”いる」
一昔前ならとんでもない発言になる。そんな言葉を俺は割り切って口にした。
「命令されてまで誰かのものになる必要は感じないな。まあお前の態度次第では考えてやらんこともないが」
俺も挑発的に笑った。下手に出る必要を全く感じない。お願いされるのは俺で、向こうはお願いする方だ。
「まあ!」
ベラミスは大げさに赤い唇を開いて口を抑えて驚いた。このベラミスというやつは全体的に芝居がかっていた。
「この私が誘ってあげてるのに、断るバカな男がこの世にいるなんて信じられませんわ!」
「言っておくが完全に断ろうというわけじゃない。俺がお前の相手をすれば、お前がここの【管理球】をこちらに1ヶ月ほどだけ支配させてくれるなら、その点は考える余地はある」
「お前……」
摩莉佳さんの視線が突き刺さる。『女性と見れば見境なし』と言いたいのはよくわかる。しかし考えてみればモンスターとはいえ綺麗な女の人から誘われて、それに乗れば戦わなくておまけに仲間になってくれる可能性もある。
それなら俺は迷わずそちらを選ぶ。今更うちの女性陣が俺の女性関係で、目くじらを立てるとは思えない。そりゃちょっとは怒られそうだが、戦いを少しでも有利に進める。それがリーダーとしての最上の選択だ。
《俺は戦わなくていいなら、男娼でいいならしますよ》
《そんな考えを抱いている気はしたが……。私は正直この女が好きになれないが、お前はいいのか?》
《男は相手の顔がよければ、結構性格には目をつぶれるものですよ》
《理解できんな。まあ戦わなくていいなら私も戦いたくない相手。催眠の効果次第ではこちらが負ける可能性もある。それにモンスターとはいえ人型を殺すのは気が進まん。お前の方が賢い選択といえばそうだな》
《まあ実際のところは、まだ分からないですけどね》
《お前の顔は相当好みだったようだが……さて、何を考えてるのやら》
【媚薬】を使用して無理やり仲間にしたシャルティーと似たような反応だ。しかし俺はそんなことをしていない。摩莉佳さんも口にしたもののさすがに俺がそんなことをしたと思ってないようだ。それなのに相手は『好きだ』と言い出した。
にわかには信じられなかった。
「あら1ヶ月ですか? そんな短期間だけ【管理球】が欲しいのですか?」
「そうだ。それだけあれば俺はこの世界の支配を終えられると思う。全て終われば敵対しなかった相手に対しては【管理球】は返す予定だ」
「へえ、人間。あなたがこの世界の支配をする気ですの? セラス様のこと分かってます?」
やはり【媚薬】が効果を発揮した場合とは違う。操られているような雰囲気が全くない。何よりもこちらに従っている雰囲気もない。【奈落の花】の甘い匂いもしてくる。俺は少し警戒度を上げた。
「もちろん知った上で言ってる」
「言っておきますがあなたから感じる気配。セラス様とは比べ物になりませんわよ?」
それに小馬鹿にしているような雰囲気が消えない。頭の足りない人間に教えてあげてるという雰囲気だ。
「承知している。方法はあるつもりだ」
「それはまた何と大胆な……だけれど! それでこそ! 私のモノになるのに相応しい! だって、ちょっとおバカさんなぐらいの方が、可愛いもの!」
ベラミスがこちらを見る視線に熱が増した。自分の赤い唇を舐めた。
「俺がバカか?」
「気づいてないのね! でもそれも仕方がないことよ! おバカさんはおバカさんを自覚できないものだもの! でも、もう一度だけ聞いてあげます! 自らの意思で私のモノになりなさい!」
ベラミスのその言葉と共にその瞳が真っ黒に染まる。そして周囲の景色がゆがんだ。ベラミスの姿が歪んで行く。花園の花がざわめきだす。ほのかに地面が血のように赤く輝いている。巨大魔法陣が発動しようとしていた。
《俺の顔は好きだけどあくまでも、自分の方が上で俺に何かやってくれる気はゼロ。一方的に自分が欲しいだけみたいです。これってどうなんでしょうね》
《期待が外れて残念だったな。六条、あいつはこの空間に絶対の自信を持ってる。交渉で平和的解決は無理だ。白黒はっきりさせるしかない》
《まあそうなりますよね》
こちらの提案を受け入れるよりも、この空間に絶対の自信があれば、俺を支配して永遠に自分のものとして生きていく方がいいか。
「お前、この花園に頼っているな。おかげで見る目がない」
俺は最後に忠告してあげた。
「何の話ですか? ああ、そうそう、安心してくださいましね。あなたは一生私が腐らないようにその形を残して愛でてあげますわ。私綺麗なものを保存するのが大好きですのよ。私のコレクションの一つにしてあげますわ。きっと今のところ一番のお気に入りになりますわ!」
花園の巨大魔法陣の赤い光が強くなっていく。血管のように脈動をはじめ、どんどん景色が歪んで三半規管が狂い出す。認識がずらされてベラミスの姿が2体から3体へ。3体から4体へ増えていく。その数が12体にも増した。
そしてその増えた全員が足並みを揃えてこちらに歩いてくる。
《六条、気をつけろよ。お前は催眠耐性がそんなに強くないだろう。私はこの中でもまだ自分の位置を把握できるし、ベラミスも10m以内に近づいたら、完全に把握してみせる》
摩莉佳さんは作戦会議の時自分で口にしていた通り、自分の正気を保つことに関して自信があるようだ。実際ベラミスもここまで摩莉佳さんを攻めあぐねていたようだし、摩莉佳さんの体に傷もないようだ。
《まあそっちは正直自信ないですね。今もベラミスが12体に見えてますしね》
《分かってると思うが実際は一体のままだ。ほらマシになったか?》
繋いでいた手から、魔力が流れ込んでくる。術式を編んでいるその魔力は、俺の認識を正常に少し戻した。おかげでふらつきがかなりマシになった。
《ええ、かなり良くなりました。でも、摩莉佳さん。多分大丈夫です》
俺が結構な自信を持って言う。
「ベラミス。俺としてはお前にとって一番良いプランを提案したつもりなんだけど、気に食わなかったか?」
「当然です。良いプランだと言いますが、つまりそれって私があなたに従うってことですわ」
「そんなつもりはないんだけどな。気に食わないなら【管理球】を貸してくれたその後は別の報酬でもいいぞ」
正直言ってベラミスは綺麗だ。綺麗なものを無理に壊したいとは思えなかった。話せばわかるならわかってほしい。
「ですからそんなの必要ないでしょう? どうして私が男に従って生きていかなければいけませんの? 私は自由に空を飛ぶ蝶ですのよ。この花園にいる限り絶対に誰にも犯されることのない究極の美の体現者! それが私! たとえどれほど美しい男でも私の美しさの前ではゴミも同然!」
「交渉決裂。こちらの言うことを聞く気は一切ない。それでいいんだな?」
「ぷっ、まだそんなことを口にしている姿がいっそ哀れですわね。あなたはここに捉えられた時点でもう二度とその女と共に外には出られませんわ! そんな相手に私が従うわけないでしょう! 世界支配なんて世迷い言セラス様より強くなってから言ってくださいまし!」
12体の美しいベラミスが、さらに美しくこの世にこれ以上美しいものなどないと思えるほどに輝いて見える。それがまっすぐ進んでくる。
しかし体中に張り巡らせた糸が俺の体の内側で燃え続けて、その灼熱の痛みと再生の中でぎりぎり正気を保たせた。
「自分の立場をわきまえなさいな下等生物! まあ私がここで殺してあげるので、もうそれもかなわないですわね! あなた性格はともかく見た目は綺麗だから私すぐに壊しちゃいたくならないか心」【時間停止】
魔法の言葉を口にする。その瞬間周りの景色が歪んでいくのが完全に収束した。元の美しい赤い花が咲く花園へと姿を変える。それを見て俺は思考加速を使いながら考える。
アウラの件があるからひょっとしてとは思ったんだが、全然だな。やっぱりあれはアウラがかなり変わったモンスターだったということか。しかしそうか時間が止まると催眠って、効果がなくなるんだな。
そう考えると面白い発見だった。おそらく体に直接効果を発揮していた催眠は鳳凰の回復効果でかなりの部分がレジストされたんだろう。だから外からの要因が完全に止まると、催眠の効果が消えてしまうわけだ。
まあお前の人形になって愛でられるのはちょっと俺の趣味とは合わない。
「だから——」
炎竜・垓の指輪は便利なので常にしていた。その指輪から糸が無数に伸び出す。そして蜘蛛の糸が絡まるようにベラミスの美しい12体ではなく1体だけになった体に張り付いた。そして俺は、それ以上時間が止めていられなかった。
「——配ですわ!」
「その心配は必要ない。もうお前は何も考えなくていい」
「何を言ってますの……え? あなたそんなところにいましたか?」
ベラミスは少し俺の位置がずれたことに違和感を抱いたようだ。摩莉佳さんと手は繋いだままなので、自由に歩き回れないが、微妙に少しだけ前に歩いたのだ。
「そういえば、先ほども少しずれた時がありましたわね。それ、どうやってますの?」
「教える必要はないな。それより自分の体をよく見ろ」
俺は指輪から伸びた糸に炎を灯す。ベラミスの体にすぐに引火した。
「何これ……熱い……熱いきゃ、キャアアアアアアアアア!」
「仲間に大人しくなっていれば本当に悪い扱いをするつもりはなかったんだ。でも残念だ。さすがに人形にされるのは嫌なんだよ」
炎の糸がそのままベラミスの体に食い込んでいく。ベラミスは叫ぶが、本心は十分に聞いた。
「ま、待って! さ、さっきの条件でいい! さっきの条件で! ギャアアアアアアア! アアアヅイイイイイイイ!」
そのままベラミスの体がサイコロのように寸断された。そしてそのまま灰も残らないような強烈な炎を放って燃え上がる。その炎は花園にまで燃え移る。血のように赤い【奈落の花】の花園。これは燃やしておいた方がいいと思った。
だからさらに蜘蛛の巣のように花園全体。直系100kmの円形の空間を糸で埋め尽くして炎を放った。花は一気に燃え上がった。その炎に煽られるように俺と摩莉佳さんは手をつないだまま浮かんでいく。
お互い翼が生えているのでつがいのように見える。やはりマークさんに見られたら殴られそうだ。
「六条……【時間停止】か?」
もう必要ないのだけど、手を離すことも忘れた摩莉佳さんが聞いてきた。
「そこは秘密です。必要だから言ったけど、それでもこのことは人に教えない方がいいんです。それより、やっちゃってから言うのもなんですけど、ここの花全部燃やしちゃっていいんですかね?」
「まあ【奈落の花】はかなりの高額で取引されるものだし、ここの花はどれも高いが、全てお前の国で言うところの違法薬物だ。大八洲ならそれでも大した問題にならないが、欲しかったか?」
「【奈落の花】にはあまりいい思い出がないので」
周囲100kmに炎が燃え上がる。俺と摩莉佳さんは燃え盛る花園を見つめた。
「だろうな……」
【奈落の花】でした経験を思い出す。俺たちはルビー級だから耐えられるが、【奈落の花】の与える死にたいというを衝動は強烈だ。ベラミスはここに入った人間をことごとく自殺に追い込んできたのだろうか。
今となっては確かめる術もない。
「しかし六条。美女のお誘いを断ったこと、正直、もったいないと思ってるだろ?」
面白そうに摩莉佳さんが言う。
「あんなの最初から眼中にないですよ」
「本当か?」
摩莉佳さんに疑わしそうに見られる。
「本当です。俺はこう見えて女を選ぶ目は確かなつもりですよ。あれはない」
「くく、まあ確かにな。六条【管理球】をさっさと手に入れてこい。私はベルミスが復活しないかしばらく見守っておく。まあ花園がこうなってしまっては大丈夫だと思うがな」
大事なことだった。何しろルビー級になると必ず復活方法を持っているものだ。俺のようにスキルで一瞬で復活できるものから、長時間かけて復活するなんていうのもあるらしい。ともかく俺は地中に飛び立とうとした。
「あ、少し待て六条。私は次にどこの戦場に行けばいい?」
俺はそう言われて不思議そうに聞き返した。
「摩莉佳さんはマークさんのところに行くんじゃないんですか?」
「鬼が出てる最中はマークに近づきたくないんだ。以前なら鬼が出た時ほどそばにいたが、今はあの鬼とも折り合いがついてるしな。あの鬼、自分の戦いを邪魔されるのを死ぬほど嫌う。邪魔しない契約にもなってる。だから他の場所を言ってくれればそこに行く」
「分かりました。じゃあ、米崎は大丈夫そうなんで、俺はジャックのところの様子を見に行こうと思ってます。摩莉佳さんは美鈴達のところに急いでくれますか?」
クミカも気にはなるが、今のところ助けて欲しいとは言ってこないのだ。それに多分、クミカに助けは必要ない。クミカはきっと桜魔には負けない。残るところで心配なのはジャックたちと美鈴たちだけだ。
それなら美鈴たちのところに行きたいけど、この時少し躊躇した。自分の女のところに先に行くのか? そんなことが気になった。まあこういう考え方をするところが、結局俺は俺なのだ。
何よりも光の精霊たちの情報では、美鈴達はまだギガの広範囲攻撃から逃げ回っているだけで、戦いに変化がなかった。榊がいることも考えると、何か作戦があるのかとも思えた。
「了解した。では話してるよりお前も急げ」
摩莉佳さんに言われて急ぐことにした。戦いの天秤が徐々にこちらに傾いてきている。このまま行けば勝てる。それでもまだ嫌な予感は抜けない。あと1つでも勝利する戦場が出れば、戦いの天秤は完全にこちらに向くはずだ。
セラスが動けないこともかなり大きな要因だ。
「【災禍の手紙】が刺さったか……」
【管理球】を探すために地中へと潜りながら考える。かなり迷ったが【災禍の手紙】は伊万里に出した。それ以外だとかなり中途半端な結果しか期待できなかったし、伊万里に動かれると俺が抵抗できる自信がない。
「でも……」
千代さんが無事に帰ってきて俺に教えてくれたことがある。
『祐太さん。私は伊万里ちゃんと接触してきました。情報はお渡しした限りです』
千代さんは全ての情報を映像付きで俺に教えてくれた。だから伊万里が俺のレベル1000になることを心配している。それも分かった。伊万里は結局俺のために裏切ってる。俺には少なくともそう思えた。
『千代さんも俺がレベル999を超えない方がいいと思いますか?』
『分かりません。ただ友禅ちゃんが白蓮様に聞いた話と伊万里ちゃんの話は違います。あの神様は少なくとも祐太さんがレベル999を超えることを止めてませんでした』
俺がレベル1000になることで起こるというルルティエラからの接触。それが全ての終わりにつながるということか。
「さすがにそれは嫌だな」
考えながらも花園の【管理球】が見えてきた。おそらくこれを完全にこっちのものにすればベラミス復活はなくなる。さっさとベラミスを復活できないようにしてしまおうと急いだ。





