第三百十話 頼み事 ?年
【六条祐太。あなたは禁止事項に触れました。来たるべき時まであなたを封印します】
そんな言葉が頭に響いて、俺の意識は完全に世界から隔離されたのだと分かった。BT……ブラックツリー、つまり黒木だったんだよな? 頼む。できることなら米崎に伝えてくれ。
「——って、どういうことだ? 何も封印されてないよな?」
機械神ルルティエラから俺を封印するという声が聞こえて、すぐ後のことだった。封印されたはずの俺はなぜか普通に声が出せた。そもそも確かに意識が連続してある。
意識が消えるというよりもなくなった。機械神からの声が聞こえて、俺は封印された。たかがレベル400を相手に大げさだと思えた。それほどやってはいけないことだったのか。そのはずなのに何も消えても無くなってもない。
「なんでだ?」
繰り返し考えてみる。つい先ほど【封印します】という声を聞いた。何か勘違いしてるのかと周囲を見渡す。すると球体の魔法陣が張り巡らされ、俺はそこから外側を見ることができなかった。ただ魔法陣に照らされ、自分の体は見える。
「つまり、今のこの状態が封印されたってことなのか?」
これが封印? そうも思うが何か違う気もする。魔法陣に触ってみる。熱くもない。冷たくもない。でも確かにそこにあるとわかる。薄い光を帯びた膜が張っている。触れた手は魔法陣より先に進まない。
「球体の魔法陣……中で動く分には自由なのか?」
俺の身長の倍ぐらいある。意外と広いが、だからってこんな場所で何をしたらいいんだ。もう一度外側が見えないか確認する。探索者の瞳ならどれだけ暗くても、大抵、真昼のように見えるのに外側には光りそのものがないようだ。
「どういう場所なんだ? 俺は時間を飛んだはずだ。ここが10年後? じゃあどうして何もない? それとも黒木に連絡が取れた時と同じ状態なのか? あの時は意識を保つのも大変だったのに……どうしてこんなに頭の中がはっきりしてる?」
不安を紛らわすために独り言が増えた。誰に語りかけた言葉でもなかったはずなのに、俺の言葉に"返事"があった。
「それはな。ワシがここに"時間"を生み出したからだ」
俺の言葉に返事をする人は誰もいないはず。なのに声がした。声のする方を見た。足元だ。誰かいた。小さな小さな人。見覚えがある。
「なんで……どうして"あんた"がここにいるんだ?」
「探したぞ。六条祐太。ようやくヌシを見つけられた。まさか、これほど時間がかかるとは思わなかった。しかも、ただここにいるだけかと思ったら封印までされている。何をすればそんな状態になるのかヌシは相変わらず興味深いな」
豊かに蓄えられた白い髭と、頭髪のない老人。それでいて身長が俺の十分の一ほどしかない。それは【小人神レガ】の姿に間違いなかった。交渉が何よりも好きだという変わった悪神。俺の感覚ではこの悪神と会ったのはそれほど前ではない。
「なぜここに? あんたも時間を飛べるのか?」
「しかり。長く生きてれば、多少なりと時空間に触れることはできるもの。だが予想外だ。まさかヌシを見つけることに1000年もかかるとは。こんな場所で探し物をするものではない。やはり時間が動いていない世界は見通しにくいものだな」
レガは淡々としゃべっている。相変わらず隠しきれない妖気が漂い、小さいのに圧倒的な気配がある。この小人はなぜここにいる? 無意味に攻撃してくるタイプではないと思うが、意味もなくこんなところにいる相手でもない。
というか1000年?
「どうした六条? ワシの結界で局地的に時間は動いているはず。普通に頭も働くであろう」
「働く。そうだ。確かに普通に考えられる。じゃ、じゃあ教えてくれ! ここはどこなんだ? 10年後じゃないのか? 俺はどこにいるんだ?」
10年後に飛んだはず。それなのに10年後ではないはずの時代の黒木と接触できたり、こうして目の前のレガと喋ったり、俺がいる場所は何なのだ。
「まだ定められる前の未来のどこか。無限にある可能性のどこにでもなりうる10年後の一瞬。ヌシの世界で言うところのプランク時間の中にある一つ。無限に広く狭く長く短い。おかげでこのワシの寿命が1000年も消費されてしまった」
「いや、待て! あれから本当に1000年も時間が経ってるのか? だとすると外はもう俺の知ってる人はいないんじゃ」
伊万里のことも何もかも関わりもせずに通り過ぎてしまったのか。10年飛んだだけのつもりだったのに、何の手違いでそんなに飛んでしまうのだ。
「それは違う。ヌシが飛んだのは10年後に違いない場所だし、1000年も先に飛んだわけでもない。狙った場所に違いが出ることもあるまい。ただワシが時と空間の定まらぬ世界の中。ヌシを探すことに手間取っただけだ」
「時間、空間……」
「理解ができておらんようだな? 難しく考える必要もない。ここは決定されることが待たれた世界。その中で時が来るまでヌシは停止され、封印されておったのだ。それを解くのにもそれなりに時間がかかってしまった」
「どうしてそんなことをするんだ?」
「ほおワシにそんなことを聞くか。いつでもワシのしたいことは1つだけだ」
この小さな悪神がしたいこと。それは俺が知っている限りでも1つだ。人との交渉を楽しむこと。その上で探求心が強く、自分が知識を得るためならば人の目玉さえも奪う。しかしそれは破壊とは違うものだ。
レガは本来の悪神とは違う生き方をしている。そう見えた。悪神も長く生きれば破壊だけを考える存在でもなくなってくるのか。それともその破壊衝動をこちらには見せていないだけか。
「こんなところに来て交渉? そのために俺を1000年もかけて探し回った?」
「そうだ」
「正気とは思えない。なぜ俺にこだわる?」
「六条。ワシはな。長く生きてる」
「そりゃそんなことするぐらいだ。何千年と生きてるんだろうよ」
「あまりに長く生きるとな。自分の命に何の変化もなくなる。嘆きもせず笑いもせず何かを食べて美味いとも不味いとも思わん。ワイン以外、口にも入れずに何年も過ごす。それでもなんとも思わぬ。そんなワシが唯一趣味としているのは交渉ぐらいのことだ。それも滅多に楽しいと思えることはない。面白みのないことを言ってくるやつがこの世に山ほどいる。その度につまらぬと思うのだ」
前にも聞いたことがある気がする言葉。でも俺は永遠に生きられたら楽しいのにと思う。
「そんな枯れたワシが未だに大きく心が揺さぶられるのはルルティエラ様。そのことだけは初めて経験した性の衝動よりも、いつでも新鮮に心がときめく。ずいぶん長く生き、それでもあの方の姿を見たことがあるのは数えるほど。その中であの方がワシのために表情を変えたことなど見たこともない。ただ表情を変えるのはヌシ達が、ダンジョンに好かれたものと呼ぶ存在が現れた時だけだ」
「ダンジョンを壊すんだよな?」
「そうだ。だがそれとて本当かどうかはワシには確信が持てない。いつでもワシはルルティエラ様の心が知りたい。いつもあの方が何を目的にされているのか知りたい」
ダンジョンの中にいて、それを産み出した存在がいて、その存在が何を考えているのか知りたい。それは当然の欲求だ。きっと地球を産んだ神様がいて、それが実際人格を持っていたら、多少なりともそれに接触できる機会があれば。
きっと俺もその目的を知りたいと望んだと思う。人はそれを宗教と呼ぶのか。神の目的を人は知りたいのだ。
「六条。この焦がれる思いが理解できるか? ヌシにとっては一瞬前の惜別から、ワシにとって1000年経っている。その時の記憶感情、ワシも1000年も経てば摩耗し、擦り切れ、忘れそうなほど以前のこと。だがヌシにとっては当然覚えていることであろうよ。理解できるならワシとの約束を口にしてみてくれんか? 覚えているな?」
「覚えてる。レガの望みを俺は何でも一つ聞く。聞かないならレガは迦具夜の命を奪う。それは迦具夜が本来【呪怨】によって死んでいるからだった。レガは本来死ぬものに生きる術を教えてくれた。でも約束が守られないなら本来死ぬべきものは殺すと言った」
本気で忘れてるのかもしれない。誤魔化そうかとも思った。だが1000年も探したというその心に興味があった。それに誤魔化したところで俺の頭に浮かんだことをレガは読み取ってしまう。
「そんな内容だったか。ヌシへの頼みばかりが頭の中に残り、肝心の交渉内容を忘れてしまっておった」
足元から浮かび上がったレガの体からより濃厚な妖気が溢れ出てくる。息を呑んだ。怖いと思ってる。
「あんたにとって俺への頼み事なんて何の価値がある?」
「ワシは女神ルルティエラ様を尊敬し崇拝しておる。あの方こそ全ての母。機械神を生みだし、ダンジョンの全てを構築し、ワシのことも産み出された。母への尊崇の念というのは子供が根源的に持つもの。だからワシは、ダンジョンから好かれるものには、根源的な嫉妬心がある。長い長い命の中でワシの目になったものはほとんどがダンジョンから好かれたものだった」
そう聞いてレガの瞳を見る。しかしその場所には暗くて何もない虚空が開いていた。
「レガは俺の目が欲しいか?」
「ダンジョンに好かれたものの目を奪う。そうすることでこの醜い嫉妬心をささやかに癒していた。ただ、ワシに目を奪われたものは、残念なことにルルティエラ様の寵愛を失う。まるでルルティエラ様がこのワシを嫌うように!」
小人神は情念が籠もる。話の内容には不穏さを含んでいた。敵意が向いているわけではない。以前話した時のレガの方が怖かった。1000年もこんな場所をうろついていたからだろうか。望みが純粋化されているように思えた。
それは断ることができない純粋で執着に満ちたもの。
「ワシがヌシを探した理由は一つ。頼みは1つ。難しくはない。ヌシはそれを叶えられる。それによって誰かが不幸になることもない」
「どんな頼みなんだ?」
「ワシは、"ヌシになりたい"」
「……」
一瞬理解できずに止まった。そうするともう一度堂々と宣言してきた。
「ワシはヌシになりたい!」
「ど、どういう意味だ?」
超有名でイケメンな歌手に生まれ変われたらなと俺も思ったことがある。まさかそういう望みだろうか? レガの体が俺の顔と同じ位置になった。俺の頭の長さぐらいしかない男。抑えきれない欲望が溢れ出てきた。
「言葉のままだ。ヌシになりたいのだ」
「この体を奪う気か?」
もしその目的なら抵抗できる気はしなかった。見ていてわかる。強さの桁が違う。戦いにならない。カインどころではない。強さに絶望的な隔たりがある。
「奪ってどうする。ヌシがヌシでなくなれば、母の寵愛はなくなる。それでは意味がない。完全になりすましたところで母の目はごまかせぬ。なりたいのはあくまでもヌシだ。そうでなければワシのこの1000年も無駄になる」
「意味がわからない? どうしたいんだ? 俺は俺でお前はお前でそれはどうにもならないことだろう」
「当然そうだ。だからどうだろう。ヌシがワシを受け入れるのだ」
「……ゆ……融合のことか?」
思いつくのがそれしかなかった。正直気持ち悪いから嫌だと思った。
「馬鹿者。ワシとヌシが融合などできるか。融合した瞬間にヌシの意識は何もかも消える。レベルにいくつ違いがあると思っておるのだ。そうではないのだ。どうしてわからぬ。ワシをお前の頭に棲ませてくれと言ってるのだ」
「えぇ……つかぬことを聞くが、それはどういう状態だ?」
「究極までワシが小さくなる。そして頭の中で棲むのだ」
「ええ……」
ドン引きだ。レガの目になるというよりもまだ悪い。というかそれだと結局ルルティエラの寵愛というものがなくなるのではないのか?
「……」
「愚か者。いくらこれからワシがもっと小さくなると言っても、ウジ虫を見るような目を向けるでない。そもそも寵愛は失わぬはずだ。何しろ今までは目玉だけとは言え、そのものがそのものでなくなってしまっていた。しかしこれだとお前はお前のまま、ワシもワシのままだ」
「まあ欠損部位とかは出ないよな」
「そうだ。これはワシにとってメリットがある。そしてヌシとしてもメリットがある」
俺がよほど嫌だと考えているのが顔に出たようだ。しかしこんな面倒そうな爺さんを頭の中に棲ませる。クミカとは繋がることに何一つ嫌だと思わなかったが、俺にだって好みはある。せめて綺麗な姉ちゃんにしてくれ。
「なんだ。綺麗な女ならいいのか? そんなものいくらでもなってやろう。これでどうだ?」
真性の神は簡単に人の心を読む。今の瞬間もしっかり覗かれた気がして、レガの体が輝きだした。気味の悪い小人。それが女に変化していく。サイズは変わらないが美しい白い肌。胸が大きくなり、お尻にボリュームが出る。
腰がくびれ、顔の形が整い、虚空の瞳に目玉が浮かぶ。ピンク色の髪と大きな胸を持つ、16歳頃の美少女。膝下まであるスパッツに穴が開いて黒いしっぽが生えている。スポーツブラで胸を隠しているだけで、体の露出が多い。
た、確かにこれなら別にいい。
「いや、まあ、確かにその姿なら抵抗は低いけど、俺にメリットなんてあるか?」
「お前はワシの気分が乗ればアドバイスを常に受けることができる。そしてヌシはワシの力の影響を受けることで非常にレベルの上がりやすい状態になる」
「お前の力の影響なんて受けたら悪神になるんじゃないの?」
「言ったであろう。ヌシはむしろこちら側だと。嫌がる理由があるか?」
ありまくりだ馬鹿。
「バカではない。欲望に忠実なのだ。安心しろ。長く生きてきた中で姿などいくらでも変えたことがある。これもワシがずいぶん昔にとっていた姿の一つ。全くの嘘偽りの姿というわけでもない」
「小悪魔美少女の時もあったのか?」
「まあ数千年前のほんの数年だがな。綺麗な姿というのはすぐに飽きる。気分転換に変わった姿になるのだが、気づくといつも元のあの老人の姿になる。おそらくあれこそがワシの本質なのだろう」
「あのさ、俺はダンジョンを壊したいなんて本気で思ってないぞ。だから期待のものなんて何も見ることはない」
「ならばそれはそれで仕方なし」
美少女レガは、その肢体を目の前にまで迫らせた。俺の鼻が露出したへそに触れる。
「デメリットが大きすぎる」
「やめるか? いいのか? 月城迦具夜は死ぬぞ? 本当はあの美しい女が好きなのだろう? あの女の本質はあの姿だ。あれほど美しい姿の本質を持っている女はなかなかおらんぞ。それにヌシは弱いままでいいか? か弱きことを受け入れるか? 今のままだとあまりにも弱いままだぞ?」
綺麗な顔が俺の瞳を覗き込んで舌を出して舐めてきた。レガは俺が断らないと自信を持っている。美少女の顔で口の端を吊り上げて笑っている。俺の頭の中にこの美少女レガを棲ませる。
「素直になれ。強くなりたいだろう? もう負けたくないだろう?」
強くなりたい欲求の強い俺には心に響いた。レガの笑いが濃くなる。
「お前の中に入って構わぬか?」
俺はカインと戦って弱かった。迦具夜に融合してもらってぎりぎり戦えた。でも負けた。どうしようもないほど弱い。その問題は継続したまま消えてない。10年後に行くことで命は助かる。【呪怨】はもうない。
「本当に強くなるのか?」
しかし、美鈴達はきっと俺よりも強くなってる。才能のある伊万里なんてレベル1000を超えてるかもしれない。それでも俺はまだレベル400。
「どういう形で強くなるかは思い次第だがな。もう二度と誰にも負けぬようにしてやろう」
弱いことが罪だとカインに思い知らされた。本当ならあの時死んでた。
「……強くなりたい」
だから、どうしてもその言葉が出た。
「それでいいのだ」
その時のレガの嬉しそうな顔をきっと一生忘れない。レガの体がさらに小さくなっていく。そして俺の瞳の隙間にするりと入り込んだ。途端に吐き気がするほどの悪寒に包まれた。自分の体の中に毒物を受け入れたのだと分かった。





