第二百二話 猫寝様③
「分身心症。似ているので君たちがよく知っているのは多重人格かな。探索者の場合は多重人格と言うより、完全に別の自分。自分が2つに分かれたみたいに別の分身を作り出してしまうんだよ」
久兵衛として扱われていた哀れな男性の遺体の検死が終わると、米崎が湯船ごと死体を自分のマジックバッグに回収した。眉一つ動かさない。人が死んだとかそういうことに対する感想は0らしい。
米崎にとっては動物が死んでいることと、人間が死んでいることはあまり違いがないのかもしれない。
「言葉を聞く限り心が2つあるのか? 実際の分身の術みたいに2人に分かれるとかじゃないんだな?」
俺が聞いた。
「そういうことだ。分かれているのは心だけだ。探索者によっては3つも4つも心を分けてしまうケースもある。また、それがひどい人間ほど使えるスキルや魔法まで変化するという話だ。六条君には以前話したことがあるよね。探索者は脳の処理速度が異常なほど向上するために、自分の頭の中を2つに分けることができると」
「ああ、実際それはやってみたことがあるけど、マルチタスクで考えられるぐらいで、自分の心を二つに分けるなんてことはできないぞ」
「まあそうだね。僕も別のもう一人の自分なんていないよ。ただ、それが完全な形で起きる探索者が稀にいるんだよ。これになると大抵は自分の性格と真逆の自分ができる。神話の中でもあるよね。怒りと悲しみと慈悲の心。そういったものを使い分ける神様。それぞれが全く別の特性を持つ。探索者の場合もそうなるケースが多い。まあ君たちはもう見たから言うけど、クミカ君も2人が完全に入れ替わると姿まで変わるだろう。おそらく久兵衛君もそれに近いんじゃないかな」
「それは博士の推測だよな?」
ジャックが言った。
「まあね。確証があるわけではない」
今は全員が座布団に座り、玲香が用意してくれた緑茶がそれぞれの前にあった。中央に茶菓子が置かれている。これぐらいはいいだろうとシャルティーがもたれかかってきた。主に胸の部分で気が散るのでやめてほしい。
「ただ状況から推察するに正解の可能性はかなり高いと思う。久兵衛君はそうなりやすい高ストレスの環境にもあったようだしね」
「ストレスが高いとそうなるのか? それだと俺も可能性があるのか?」
最近の自分の行動を顧みると自分にも可能性があるように思えた。そうか。だから俺は女の子の誘惑に負けるのか。なるほど。女の子の胸や尻に魅了されるのは、もう一人の自分が勝手にやってしまうことなんだな。
「いや、君の可能性は低いと思う。何しろ発散する場所もあるしね。それで5人目だろう?」
「うっ、うん。そっか、まあそうだよな」
シャルティーを見ながら言われた。要は久兵衛は自分の力を抜くのが苦手だったのか。ストレスが溜まった結果人殺し集団の仲間入りをした。人は真面目なのがダメなのではない。自分に嘘をつくのが駄目なのだ。
久兵衛はきっと自分を偽り続けたのだ。俺は最近自分のことをとことん大したことがない男だと思ってる。女に弱い。昔のことも結構根に持つ。そういう自分を自覚してきている。久兵衛はそれをしたくなかった。そんな気がした。
「分身との交代は自分で自由にできるのか?」
「おそらく高い確率で便宜上【表の久兵衛君】。まあ君たちが知ってる久兵衛君のことだね。表の久兵衛君はもう一人の自分を知らないんじゃないかな。聞いている限りの人柄だと、裏切り者などという行為は、とても許容できる性格とは思えない。もし気づいていればとっくに自害しているだろう」
「じゃあ表の久兵衛には罪がないとも言えるのか?」
「どうだろうね。裏を作るのは自分だからね。自分の汚い部分を全て裏の自分に押し付けたとしたら、それは罪がないとは言えないよね。そしておそらく裏の久兵衛君は、自分の表の部分を自覚しているだろう。そして過度のストレスを感じた時に主要人格が交代するんだ」
「過度のストレス……」
「おそらく猫寝様の告白じゃないかな……」
「ああ……」
なんとも救いようのない話である。米崎は淡々と話しているが、それが真実ならば、猫寝様の久兵衛を諦めない恋心が、久兵衛を追い詰めたことになる。才能のなかった久兵衛に対する過剰な猫寝様の期待。
それに応えようともがいた久兵衛。だが応えられずにそのジレンマに耐えきれず裏を作ってしまった。耐えきれない心を全て裏に押し付けることで綺麗な久兵衛は生まれた。久兵衛にとって猫寝様の告白など本当はただの苦痛……。
だが表の久兵衛は確かに喜んでた。
全ての苦痛を裏に押し付けることで喜んでいた……。
今から考えるとアーニャの裏の部分も久兵衛に似ただけだったのか……。
「治す方法はあるのか?」
「大八洲国の資料を見たら一応治療の見込みはあるそうだよ。もう片方の人格がもう片方の人格を自覚して、そしてストレスの原因となったことを克服する。そうすると再び心が統合されるらしい。まあほとんど無理らしいけどね」
「博士よ。おっさんはほぼ間違いなくそれなのか?」
ジャックが聞いた。
「クミカ君の能力が久兵衛君に使用されてなければ、他の可能性も考えるべきだっただろう。でも幸い心を読んでる。それで久兵衛君が白だったなら、『裏の心』と呼べるものが完全に眠っていたのだろう。そうでなければ、たとえ僕でも魔法護符無しで、クミカ君の【心眼】は防げないよ。僕の【心眼】の防ぎ方は、防いでいるというよりも、10個の思考を作ることで限りなく心を読みにくくしているだけだからね。ついでに言えば、おそらくシャルティー君たちが使用していたという【心理バリア】と呼ばれるものもそういう技術じゃないかな」
完全に防げないから心にモザイクをかける。【心理バリア】とはそういうものだと米崎は推察しているようだ。
「なるほどな。武官も考えたものだな」
クミカの【心眼】は強力である。【心理バリア】でも完全には防げてなかった。だから久兵衛に裏切りの意思が少しでもあれば、見えていたはずなのだ。
《眠っている心。祐太様。申し訳ありません。次からはその裏まできっちり読むようにいたします》
《いや、クミカ。あまり無理をするな。本当に人の裏の裏。絶対に見せたくない部分。表の自分は気づきもしない部分。そんなものは見ない方がいい。俺はお前の心の健康の方が大事だ。もともと人の心なんて分からずにみんな生きてるものだ。今の精度で十分だ》
《……畏まりました》
クミカは悔しいと思いながらも、自分自身を自覚してもいた。あまり無理に心を読みすぎると本当に疲れるのだ。俺と一緒でもそうなのだ。そしてクミカが見るということは俺も見るということだ。だからそこは引いてくれた。
「鳴ってるよ」
そこで探索者用のスマホが鳴った。名前を見ると土岐からだった。
『ああ、六条君。今時間ある?』
「うん。時間を作ろうと思えば作れる」
『じゃあちょっと旅館の上に来てくれるかな』
「上って……」
この旅館は平屋なので上はない。それでも上があるとすれば三層の貴族が利用するエリアである。この宿の中は、四層へ部分的に降りれるようになっており、貴族でないものが泊まる場合は四層を利用するのだ。
貴族と同じエリアに寝泊まりするのは恐れ多いということで、取られている措置である。おかげでニュースも四層のニュースが流れてくるというわけだ。土岐は上に来てほしいと言ってきた。それは貴族エリアに来てほしいということだ。
『いいけど、俺だけで行くのか?』
「いや、シャルティー君も連れてきてほしいそうだ」
そのことから誰に呼ばれているのか分かった。
「猫寝様が来てるのか?」
『うん。「直接行く」と言って聞かなくてね。お連れしたんだ』
今となっては久兵衛の心をどこまで信じていいのか分からないが、こんな話を聞くと慌てて猫寝様が飛んでくる。その行動から、久兵衛は少なくともかなり大事にされていたことだけは間違いないようだ。
「分かった。すぐに行くよ。米崎、猫寝様が直接来たらしい。『シャルティーを連れて来い』とのことだ」
「私ですの?」
「ああ」
「こ……殺されるのでしょうか……」
シャルティーにもある程度の事情は話してある。だからかなり動揺している。くっついてくるから体が震えているのが分かった。俺たちにとっての第二種警報が出たようなものである。抗うことのできない存在。貴族が呼び出しをかけている。
一般人だった頃の俺がヤクザの組事務所に呼び出された。それぐらいインパクトのあることかもしれない。しかも高確率でヤクザは怒ってる。
「大丈夫。殺させないから。それにこれでシャルティーに怒るとしたら、さすがに八つ当たりがすぎるよ」
五郎左衆の襲撃メンバーの中で久兵衛の裏切りを知っていたのは切江と紫乃とシャルティーの3人である。そしてシャルティーのおかげで久兵衛の裏切りを知ることができたのだから、怒られる謂れはない。まあ理屈はそうなのだ。
「米崎。猫寝様に事情を話してくる。大丈夫だとは思うが猫寝様がシャルティーを殺そうとしたら、俺はそれを庇う。その結果は……」
「君のやりたいようにやりたまえ。僕は君についていくと決めた段階で、君の決めたことを中心に動くと決めていた。その結果が、死だと言うなら受け入れるさ」
玲香とジャックも文句はないようだった。
「まあおそらくそうならないだろ。猫寝様は理不尽な御貴族様ってわけじゃないしな」
ジャックが言った。だから俺はシャルティーを連れて、本来のこの宿の層へと上った。玄関エントランスでエレベーターに乗ると三層に移動できる。構造は四層と三層で変化がない。見事な日本家屋がコピーされたように再現されている。
扉が開いて奥に進み、板張りの廊下を歩いていく。下でも見た日本庭園と鯉の水球が見える。おそらく貴族の人なのだろう。蝶のような大きな羽が背中について、綺麗な水色の髪の女性が通り過ぎていく。
パッと見た感じ水の精霊のように見えた。転生が水の精霊か。願わくば俺も見た目のいい転生先がいいな。思わず心から見とれてしまった。
「おや、見かけない子。どこの子供?」
優しくにこっと微笑まれる。やはり転生したルビー級は違う。見た目の良い人になると、人間の美しさなど超越する。ちょっと怖いぐらい全てが完璧になる。ルビー級の中でもかなり上の人なのだろうと思った。
「えっと、クエスト中の探索者で、猫寝様から呼び出されました」
こういう人に嘘をつくと碌のことがない。だからちゃんと本当のことを言う。俺はどこの家の子供でもないし、ここで迂闊に猫寝様の名前でも出して、確認されては大変である。
「ふふ、緊張しなくていいのよ。あんまり意地悪な貴族はこの宿に泊まらないから。猫寝ちゃんか……さっき来たのは感じてたけど、なんだか深刻な顔してたわね。どうしても困ったら相談しなさいって言ってあげて。私は月城。月城迦具夜。大八洲では結構有名人なのよ」
軽く手を振ると迦具夜様は歩いていった。そちらを目で追いかけてしまう。それにしても相変わらず俺って女性との遭遇率が、男性との遭遇率のはるか上を行く。南雲さんに会いたい。またアメリカ旅行とか連れて行ってくれないか。
などと思いつつ、緊張しているシャルティーの手を握る。猫寝様がいるという部屋の前に来た。四層の俺が泊まっている部屋と同じ場所になっていた。偶然ではないのだろう。
《土岐、来たぞ》
《了解。ちょっと待ってね》
【意思疎通】を送る。すぐに土岐が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。どうぞ」
土岐はいつもより緊張した様子だった。招かれて中へ入ると内装は俺たちと同じ部屋だった。貴族といえど感覚は俺たちとそこまで変わらない。黄金の茶室みたいな部屋を用意しろと無茶なことを言う貴族はほとんどいないらしい。
そして俺が部屋の奥に目を向けた。座布団に座っている猫寝様。かなりピリピリしているのが分かった。髪の毛が逆立っている。こちらに対して殺意を向けているわけではない。ただどうしようもない気持ちを無理やり抑え込んでる。
そう見えた。
「六条。よく来てくれた」
猫寝様がなんとか普通の声を出したが震えていた。見た目は小さい女の子が頭の中を混乱させている。可哀想だが、俺よりもはるかに年上でもある人なのだ。俺が左に座って右側にシャルティーが座った。
テーブルを挟んで猫寝様が正面に座り、土岐がその少し後ろに控えた場所に立ったままだった。
「まず此度の件だが……」
続く言葉に緊張する。シャルティーは今にも逃げ出したい気分のようだ。いつでも逃げられるように軽く腰を浮かせている。だが猫寝様は再びあの時のように頭を下げてきた。
「謝らせてほしい。久兵衛に関して全てのことは私の責任だ。迷惑をかけ申し訳なかった。まだそちらに死者が出なかっただけが救い。摩莉佳とマークという者も無事なのだな?」
そのことを先に心配してくれる。いい人なのだと思った。貴族と俺たちでは力関係がかなり違う。こちらの事情など一切考えず、そちらの事情だけを押し付けてきても文句は言えない。それでも猫寝様がそうすることはなかった。
「ええ、無事だと聞いています。今は【極楽粉】の製造現場に先に向かってもらってます」
「これが終われば行くか?」
「そのつもりです」
「シャルティーとやら。久兵衛の情報。全て真実で間違いないな?」
猫寝様は尋ねる言葉の中に思わず殺気がこもっていた。
「ま、間違いありません。誓って嘘は申しません」
普段、居丈高な喋り方をするシャルティーだが、貴族を相手に喋り方はかなり丁寧なものになっていた。この階層に長くいて、それぐらいのことを覚えてなかったら、生きてはいられない。
「……裏切りの詳しい理由を知っておるか?」
「残念ながら私はそこまでは知りません。ただ久兵衛は“木阿弥”という名前で、五郎左衆で上級幹部をしておりますわ。今まで武官の情報もかなり流していたようです」
「そうか……ふふ、木阿弥。全ては元の木阿弥か。全てはなかったことと同じこと……ふふ……今まで散々情報まで流しておった……か」
「猫寝様……」
つまりそれは久兵衛のせいで五郎左衆の捜査がかなり滞っていたとも言える。久兵衛のせいで武官に死者も出ている。それは猫寝様への裏切り以上に、責任問題にならないのか心配になった。
「くく」
だがなぜか猫寝様から笑いのようなものが漏れた。
「はははは!」
猫寝様がそこから狂ったように笑った。何がおかしいのか全く笑いをやめることがなく、笑い続ける。それなのに目から涙が溢れていた。
「ルルティエラ様も相変わらず意地が悪い! どうして私のような弱小貴族に勇者殺しなどという大役が回ってきたのか不思議に思っていたが、そうか! くく、そういうことか。自分が好きなものに最高の舞台を用意してあげたかったか。くく、ははは。私も飛んだ間抜けよ。好いた男にこれほど裏切られているとも知らず、今回こそはと期待して待ちわびていた。なんと愚かな!」
抑えきれない殺気が溢れ出す。それだけでこっちは死にそうなほど息苦しい。心は全く落ち着いていなかったようだ。建物が軋む。意識を保っているのが辛くなってくる。これほど強さが違うか。本気で殺気を当てられ死にそうになる。
息が苦しくてできないのだ。本当にこんなことで死んだらバカみたいである。しかし意識が遠のく寸前のところで、殺気が治まった。
「すまぬ……」
そして目に見えて落ち込んだ。
「はは、そなたたちもさぞ笑いものであろう」
「と、とんでもございませませんわ」
「黙れ! 痴れ者!」
「は、はい。ごめんなさいごめんなさい」
シャルティーは本当に怖いようで俺の後ろに隠れた。
「私はな。久兵衛がどうしても愛おしかったのだ……。重荷に感じておるとは思っておった。だがそれでもどうしても抑えられなくてな……。気づけばこんな様よ。それでもまだ愛おしいといえば、阿呆だと思うだろうな」
「そんなことは……」
「冷静でいようと思ったのだが、どうにも気持ちが抑えきれぬ。少しだけ待ってくれ」
「はい」
どんな慰めの言葉も陳腐に聞こえる。久兵衛は手酷いほど裏切った。俺がここまで裏切られたのは一度だけ。父親が出ていったあの時だけだ。それを心から許せているだろうか。いや、きっとこの女の子にとってはそれ以上なんだろう。
「——六条。久兵衛の阿呆の責任は私が取らねばならん。ゆえに協力体制を見直させてほしい」
どれぐらい時間が経ったのか分からない。なんとか冷静さを取り戻した猫寝様が俺に提案してきた。
「見直しですか?」
「うむ。私としてはできればもう一度久兵衛と会いたい」
「ああ……」
やはりあの久兵衛の心の中にあった全ては嘘ではないようだ。猫寝様が久兵衛のことを強く思っている。それだけは間違いないことのようだ。いや、本当だからこそこうなったのか。
「そしてちゃんと話をしたい」
やめておいた方がいいと思う。心の底から猫寝様にそう言いたい。良い結果になる未来などない。それでもこの女の子はそうしなければいけないのだろう。未練がかなりあるんだろうな……。
「気持ちは分かります」
俺も美鈴たちが同じ状況になったら、言葉で聞いただけの状況に納得はいかない。どうやってでも自分で確かめようとする。だからその気持ちは本当に理解できた。
「でも今の久兵衛の状況に私は皆目見当がつかぬ。それに下手に私が動き回ると五郎左衆自体が出てこないということにもなるであろう」
「そうなんですよね……」
それが一番のネックだ。彼らは逃げる。そして逃げ足が速い。逃げるために探索者があまり使いたがらない科学技術の産物まで使ってくる。そしてその対応に関しては、実際のところ探索者でも科学技術に頼らなければならないらしい。
武官としては四層の技術を使うなどかなりの屈辱なのだそうだ。それどころか、どうもあの姿を消す道具も【極楽粉】も“五層”の物なのだという。四層では三層の探索者に気を使って、それを超えるような技術を開発しない傾向にある。
だからって、四層の技術が五層に劣っている気はしないし、むしろ上回っていると思う。それでも『この部分に手をつけると探索者が怒る』というような技術に四層は触れないということだろう。
だから、俺たちがこれから行こうと思っていた【極楽粉】の製造現場も、実際のところ桃源郷の五層に存在するものだった。
「であるから、これでどうじゃ?」
そう言って猫寝様の姿が変化していく。元々小さい猫人だったが、さらに縮んでいき猫になった。それは黒桜とほとんど見た目が一緒だった。額に桜のマークがある黒猫。猫寝様がぽんっと飛び上がると俺の肩に掴まった。
「これは?」
なんとなくだが猫寝様から感じていた圧倒的な力がほとんど感じられなくなった。おそらく弱体化しているように思えた。
「久兵衛に私だと悟られると近づいてこないだろう。だから、これはあやつの知らぬ姿だ。本来獣化は力を増すために使うのだがな。逆向きに使った。そして六条の女が使役するという黒猫の姿を模させてもらった。勝手ですまぬが、土岐に【意思疎通】で黒桜の姿を教えてもらったのだ。変わった力を使う猫だったらしいが、久兵衛はその詳細は知らぬのであろう?」
「ええ、多分ほとんど知らないと思います。ただ【異界反応】という魔法を使えるのは知っていると思います」
「ならばそれを真似てやろう。ステータスも私の方でレベル160程度の召喚獣に調整した」
「あいつは魔法以外使いませんよ」
「了解だ。使用するのは全て魔法にしておこう。私は基本的にそれ以上の力は使わないように気をつける。久兵衛がもし目の前に現れても、絶対に使わないと誓おう。そして六条。ここぞという時にお主が合図せよ。その時は力を解放して、全てのものを根絶やしにしてやる」
「なるほど……」
確かに協力関係は見直さなきゃいけなかった。久兵衛が寝返った以上、こちらの手の内は向こうにばればれである。そうなると猫寝様が一箇所に集めた五郎左衆を一斉に刈り取る。という方法もおそらく使えなくなる。
「分かりました。じゃあ、黒桜の姿で失礼でなければお願いします。ただ、俺たちがこれから行くのは五層ですよ。貴族どころかこの国では探索者ですら近づきたがらないと聞きます」
「構わぬ。下々の者と交わる。正直私はその方が好きなのだ」
本当に基本的に気さくな人なんだな。いっそ探索者として才能はなくて、久兵衛と同じぐらいだったら全てがうまくいったのか。まあそんなこと今更思っても仕方のないことだ。
「猫寝様。黒桜が普段どんな姿か【意思疎通】でお送りしてもいいですか?」
黒桜は変な猫である。普通の猫の召喚獣として振る舞ってもだめだ。久兵衛は少しだが黒桜と接触しているはずで、あの独特のしゃべり方も知っているだろう。ただ貴族に【意思疎通】を勝手に送ったらかなり失礼になると思えた。
「うむ。真似をするなら徹底した方がいいだろうしな。頼む」
猫寝様の返事を聞いて、俺は送った。できるだけ俺が猫寝様をどう思っているか伝わらないように気をつけた。それでも猫寝様の頬が膨らむ。半眼で睨まれた。バレた。小さい女の子が必死に大人ぶって喋って可愛いなって思ってるのがバレた。
《すみません……》
《よい。みんな滑稽だって笑うから。お前は心の中で笑ってないだけマシ》
でもさすがに猫寝様にも見せなくていい称号などは見せなかった。
「うむ? かなり強力な魔法を使う召喚獣じゃな。知能もアホみたいに高い。六条。これだと主を超えぬのか?」
「超えてますね。知能が倍ぐらいあります」
「ふむ……主より知能の高い召喚獣。あまり言うことを聞かんじゃろ?」
「いえ、そんなことないですよ。まあドジっ子なところがあるやつで、役に立つのか立たないのか。でも役に立つときはものすごく役に立ってるくれるんですけどね。まあマスコットキャラ的な感じかな」
「変わったやつじゃな。魔法もどれもこれもシルバー級じゃぞ。これで言うことを聞くのであればさぞ戦力になるだろう」
「なんかあんまり戦うのが好きじゃないらしくて、そこまで戦力にならないんですよね」
黒桜は戦いの時に役に立つというより、逃げる時に役に立ってくれる。戦いの時はあまり印象にない猫だった。
「ううん。奇妙な召喚獣じゃな。では私もあまり積極的には戦わん方がいいか?」
「完璧に真似るならそうですけど、久兵衛は黒桜のことなんてほとんど知らないので大丈夫だと思いますよ」
「なるほど……うむ……なんかこの猫のステータス引っかかるんじゃが、まあ良い。適度に加減して手伝ってやる。言っておくが真剣に助けることはできんからな。あまり当てにするでないぞ」
「もちろん分かってます。あいつらの逃げ足の速さからいっても簡単には猫寝様の全力はお借りできません。基本は自堕落な感じで控えておいてください」
「分かった。迷惑をかけるがしばらく頼む」
「いえ、居てくれると思うだけで心強いです」
久兵衛にだけはバレないように気をつけて、いざという時の保険が側にいてくれることを心強く感じる。そんな俺はジャック、シャルティー、玲香、土岐を連れて、摩莉佳さんたちが先行している五層へと向かうことにした。
心の病の名称を分身心症と改めました。
完全にこの世界観独自の病気となります。
それに伴い説明も少し変更しましたので、
気になる方は序盤だけ読み直してみてください。





