第二話 義理の兄妹
ダンジョンが現れた当初から、ダンジョンに入りたいと思い続けてきた俺は、ずっとその準備をしてきた。そして15歳の誕生日が近づいてきた一年前からは高校には行かず、ダンジョンに入る探索者になることを両親にも打ち明けた。
教師よりも俺に興味がない両親に、電話でダンジョンについて自分なりに調べたことも説明した。でも所詮子供の話である。俺の気持ちは理解してもらえず、未だに両親もせめてDランに入ってほしいようだ。
5年前の1月1日0時。世界に突如としてダンジョンが現れた。当時のことは未だに鮮明に覚えている。
『臨時ニュースをお伝えします。東京都豊島区で局地的な大型地震が観測されました。気象庁の発表によりますと世界同時多発的な大規模地震の可能性がありマグニチュード10と——』
マグニチュード10という数字に当時子供もいいところだった俺ですら驚いた。
ついに関東大震災がやってきたんだと焦った。しかし池袋でマグニチュード10もあった地震は、不思議と同じ東京都に住む国分寺の分譲マンションにピクリとも揺れを伝えてこなかったのだ。
後で分かったことだが世界中で同時に1000カ所のダンジョンが現れ、あらゆる地で、地震が観測された。そのことで気象庁は当時かなり混乱していたそうだ。
そんな終末論すら叫ばれ、俺の親父まで家に帰ってこなくなった初めての年の瀬。小学4年で両親に捨てられた事に沈み切っていたあの日。同い年の義理の妹には、せめて年越しそばを作ってやろうと頑張ったのに、
『あんたの義父まで家に帰ってこなくなったのに、呑気に年越しそば!? あんたのそういう所が私は気持ち悪いのよ! 一緒の空気吸うだけでも嫌! こんなの絶対食べないから!』
義理の妹、伊万里にののしられて、凹んでいる時だった。
それでも伊万里に年越し蕎麦を食べさせてあげようと頑張って完成させた。それを伊万里にテーブルにひっくり返された時。地震情報を伝えるため、正月番組が全て中止になり、テレビから年越しの除夜の鐘が聞こえなかった。
俺はチャンネルを変えたが、世界にダンジョンが現れたあの日、どのチャンネルも地震速報を伝えて正月番組をしてなかった。
『揺れなんて起きてない……よな?』
あまりにニュースで『地震だ』『地震だ』と大騒ぎするものだから、まだ小4だった伊万里が、同じく小4の俺を嫌っていることを忘れたかのように、普段見せない姿で怖がって俺のそばで震えた。
しかし俺たちの住むマンションは全く揺れることがなく、自分たちの感覚の方がおかしいのかと思ったほどだ。後で分かったことだが、この時の地震は、ダンジョンが現れた場所にだけ起きた局地特化型の地震だったそうだ。
翌朝になり、
『世界同時多発的に起きたマグニチュード10の地震についての速報です。世界各地に現れた奇妙な洞窟。いや、洞窟と呼ぶべきではないという意見が多いのですが、奇妙な異空間が現れたにもかかわらず、周りの建物に被害は一切なく——』
そして世界中にダンジョンが現れた最初の速報が流れた。
その数100以上。
後に1000だと分かる。
時間が経つにつれ、どんどんと詳細がわかっていき、ダンジョンの中にはモンスターが現れること、ゲームと同じようなアイテムがあり、ガチャがある。ガチャからは蘇生薬すらも出てくることがわかり、人々は熱狂した。
『不思議な世界になったもんだよな』
『探索者によって滅ぼされた初めての国となった南米の国の二の舞になってはいけないと、欧米各国は——』
しかしダンジョンでレベルがあがったものが、その力に酔いしれて犯罪行為に及ぶことも頻繁に起きた。それどころか警察や軍隊に逆らうものまであらわれ、一年も経たずに許可のない者をダンジョンに入れない規制がかかることが確定した。
ダンジョンに入ることを夢見ていた俺は、そのニュースをかなり残念な気持ちで見ていた。しかし、規制がかかろうとして、そこで大きく世界中の為政者がつまずいた。
何しろダンジョンは、
1・15歳未満は入れず15歳以上になった瞬間から入れる。
2・誰にも求められることなく自分の意思で入る。
3・何者かに命令や束縛を受けて、入ることはできない。
4・以上のルールから警察や軍隊は人から命令されているとダンジョンに受け止められ、ダンジョンに入ることはできない。
こんなルールが後々になってわかってきた。当初はなぜ警察や軍隊が入れないのか見当もつかなかった。だが、警察や軍隊が入れないなら、ただの一般人を野放しにダンジョンに入れるわけにはいかない。
何せダンジョンではゲームのようにレベルが上がるという現象が起こり、レベルが上がったものは、魔法やスキルといった不思議な力を使う事が出来た。その力は軍隊の力も脅かすほどのものである。
欧米を筆頭に各国はダンジョンに入る国家試験を導入する法整備をし、そして、その法律が施行された国で、その瞬間から誰も、
"ダンジョンに入れなくなった"。
逆に政府の動きが遅く、法整備が遅れた国のダンジョンは入ることができた。日本もその一つで、先駆けて法律を作った欧米や社会主義の国々の様子を見てから法律を作るつもりだった。
しかし法律を作った国は何故かダンジョンに入れない。ダンジョンに対する法律のない国では入れて、ある国では入れないのだから、理由は明らかだった。
ゆえにイギリスがまず法律を撤廃した。
『なんか不思議な話だよね。誰かが作ってそれを監視してるみたい』
その瞬間からイギリスでもダンジョンに入ることができるようになった。このことからダンジョンは誰かが創ったものだと言われ、ダンジョンに入れない状態を、
『ダンジョンに嫌われる』
と言い表すようになった。
『ダンジョンに嫌われることを恐れる政府。その無責任な対応を追及する声は日に日に高まっており——』
ニュースでは毎日のようにそんなことが報道されたが、とはいえ、どんなお偉い先生方がテレビに出てきても、"ダンジョンに対して何もしない"こと以上の有効な手立ては示せなかった。
実際それで日本は外国よりはうまくいった。
それなのに欧米や社会主義の国々が日本のダンジョン解放に続くことはなかった。人間が誰でも自由に力を手に入れられるダンジョンを野放しにすることができず、なんとか規制しようとして、あらゆる手を尽くしたのだ。
結果としてダンジョンに入るルールが複雑化し、法律は建前上無いにもかかわらず、急に国の人間が誰もダンジョンに入れなくなるトラブルも頻発した。
日本はそれを見てますますダンジョンに対して無策のまま進んだ。そのことで諸外国から批判されるが、皮肉なことにその日本が今一番平和と言われていた。
そしてその日本ではダンジョンガチャから出てきた貴重なアイテムなどは、新たに出来た職業『探索者』から国や企業が買い取りをしている。
『伊万里。俺、Dランは行かないで探索者になろうと思うんだ』
次々と明らかになっていく探索者という夢のある話。
あるものは蘇生薬を発見して一夜にして長者になり、あるものは背中に翼を生やし空を飛んだ。俺は、誰でも入れるようにしてくれたダンジョンの意志に感謝したし、小4のあの日から今日までダンジョンに夢中だった。
「本当に行くの?」
伊万里には明日からダンジョンに挑戦することを伝えてある。一応、両親にもそのことは言ってあるが今日も家にはいなかった。さすがに今日は最後の日だから説得でもされるのかと期待したが、そんなことは全然なかった。
同時に説得しに来た両親と会えることを期待している自分もバカらしくなった。
「うんまっ、お前料理の腕あげたよな」
今日の夕食は伊万里が作ってくれたトンカツだった。サクサクの衣と肉汁とソースが絡み合ってたまらなく美味。分譲マンションの一室で、義理の兄と妹二人でご飯を食べるのが、すっかりお馴染みの光景になっていた。
「そりゃまあ、ほとんど毎日私が料理してるから」
「本当感謝してます」
「やめてよ。私が料理するようになるまでは祐太がずっと作ってくれてたじゃない」
「俺の下手くそ料理と伊万里のプロ顔負け料理を比べちゃいけないよ。伊万里は将来いいお嫁さんになるぞ」
「そうかなー、いつでも祐太のお嫁さんになってあげる。って、そんなことどうでもいいから本当に明日から行っちゃうの?」
おそらく唯一この妹だけが俺の心配を本気でしている。俺も伊万里も一般家庭よりも両親の愛情が薄いことを知っている。元々両親はそれぞれ連れ子を抱えての再婚で、俺と伊万里が7歳の頃だった。
そしてそれから間もなく義母が浮気をした。弁護士の親父は帰りが遅く、再婚したのにほとんど義母に関わろうとしていなかった。
それが原因で、いつ頃からか義母が家に帰ってこない日が多くなった。興信所を雇って親父が義母を調べてもらった結果、浮気していた。しかし、2度目の離婚という世間体を気にした親父は離婚を選択せず自分も浮気した。
そして小学生の子供2人を残して、両親は家に帰ってこなくなった。
「祐太がダンジョンで、家に私一人だと寂しいんだけど」
「ダンジョンに入るって言っても、当分は日帰りだから夜には帰ってくる。夜に一人で家の中には居させないから安心しろって」
「そ、そのこともだけど、それよりダンジョンに入ったら死ぬかもしれないんだよ? 私はいやだよ。祐太がダンジョンで死んで死体も返ってこないなんて。きっと全部何もかもやる気無くす。その時は私、祐太の後を追って死ぬからね」
「本当、お前は可愛いこと言ってくれるよ。でも死なないでくれよ」
おかげで小4から中3まで俺と伊万里は二人で生きてきた。中3にもなって兄なんて本当ならうざいだけの存在が、この妹は多分ブラコンだ。祐太がいなかったら死ぬと言ってたりするからヤンデレが入ってるかもしれない。
伊万里は俺や親父の平凡顔とは違い美人だった。
目鼻立ちが桐山さんとはまた違う形で可愛く整っている。何よりも目を引くのがその胸で、かなりの巨乳だった。義母がとても綺麗で胸が豊かな人で、その血を色濃く受け継いでるようだ。
「私のことなんてどうでもいいよ。それより本当にダンジョンに入るなら絶対危ないことはしない。毎日死なずに帰ってくる。約束してよ」
「わかってるよ。伊万里に泣かれるとかなわないし、ちゃんと帰ってくるって」
俺がダンジョンに入ることで説得するのに一番苦労したのが伊万里だった。何しろ他の人間と違って、本当に俺のことを心から心配してくれている相手だ。無下にはできず、3ヶ月以上も説得に時間がかかった。
でも反対する理由の一番は、探索者をやることではなく、
「私の誕生日まで待てばいいのに」
「もうその話は嫌って言うほどしただろ。Dランに行かないこと親父に納得させるためにも、それまで待てないんだ。1日でも早く結果を残さないといけないんだ。俺がレベル3になれたら、たぶんもう親父も何も言わないはずなんだ」
「でも私の誕生日、3月15日だよ」
3月で伊万里も15歳になる。俺の誕生日が1月16日で、実際は2ヶ月しか歳の違わない兄妹だった。それまで待ったら伊万里も一緒にダンジョンに入るというのだ。
「とにかくこの話はもうなしだ。散々しただろう」
「むう。じゃあ今日は一緒に寝たい」
「あのな、俺もお前も中3だぞ」
「そんなの気にしなくて良いじゃない。わたし、祐太と結婚するし」
「いや兄妹だから結婚できないだろ」
「知らないの? 義理だと両親が結婚してても、結婚できるんだよ」
何言ってるんだこいつ? 中3にもなって、ますますブラコンが激しくなっていく伊万里に眩暈を覚える。しかし、この日は本気で心配する伊万里を説得できず、Tシャツ、短パン姿で部屋の中に入ってきた。
「お、おい。真冬だぞ。せめて服ぐらい着てこいよ」
「着てるじゃない」
「そ、そんな薄着でか? もうすぐ15になる女子が恥ずかしくないのか?」
普通の胸の子なら別にまだいいが、お前の巨乳はTシャツだけだとやばいんだよ。
「恥ずかしいわけないでしょ。祐太なら裸でいいけど、それだと怒ってくるからちゃんと着てるんじゃない。ね?」
俺のベッドに上がってきてこちらを見てくる。Tシャツがはち切れそうなほどの巨乳が嫌というほどよくわかった。目の前に伊万里の可愛い顔がある。目がクリッとしていてじっとこちらを見ていた。
「祐太ならいいよ?」
おまけにこんなことを平気で言ってくる。
「何が?」
「言わせる気?」
「だから何がだよ?」
「もう仕方ないな」
「バカやめろ!」
抱きしめようとしてくる伊万里を押し返した。
「お、おい。兄妹でこういうのはなしにしようって」
「やだ。絶対やだ。『別に寝ろ』って言ったら朝まで泣く」
「じゃ、じゃあ、せめて抱きつくな。隣で寝るだけにしてくれ。伊万里に抱きつかれると寝られないんだよ」
「まあ、わかった」
伊万里と出会った当初はこんなじゃなかった。俺は仲良くしたかったが、伊万里は俺がかなり嫌いみたいだった。
それがどういうわけか頭の良さの違いで、別の中学に通うようになって、伊万里は変わった。小学生の時は、全然こんなに寄ってこなかったのに、中学生になってやたらこんなことが多くなった。
お風呂に一緒に入ろうとするし、一緒に寝ようとさえしてくる。中学になって伊万里の体が育ちすぎて、一緒は無理だとなんとか説得して、お風呂やベッドは別にしようとするのだが、あまりうまくいってない。
特に本当にダンジョンに入ると言い出してからは別に寝ることがほとんどなかった。小4で親が家に帰ってこなくなったので、育児放棄した親に代わって生まれたのが2ヶ月早いだけの俺が、父親代わりのつもりで頑張った。
だからこれも多分ブラコンというよりは、父性を求めているんだと思う。でも、小学生では求めてこなかった父性を、どうして中学になって求めてくるのかよくわからない。
俺はそれ以上の説得を諦めて、妹とは言え、同じ歳の女の子が横に寝ていることに緊張しながら目を閉じた。