第百九十一話 エントロピー
「離れろ」
「何を怒ってるの? あなたも楽しんだじゃない」
「いいから。美鈴が来るかもしれないだろ」
よりにもよって美鈴の姉と関係を持つ。そりゃ確かに楽しんだよ。朝まで楽しんでしまったよ。気持ちだって良かった。しかしどう考えても倫理上やばいし、美鈴にバレたら【爆雷槍】をぶち込まれる。
いや、それで済めばいいが最悪捨てられる。
「美鈴がこんなところに来るわけないでしょう」
「姉の玲香がいるって分かったら急に会いに来るかもしれないし」
「バカね。怯えすぎよ」
しっかり楽しんでおいて言うことではないが、仕方がなかったのだ。俺がちょっとでも嫌がっていないと分かると、余計クミカは止まらなかった。胸も大きくて美人で、開放的な女性に迫られて完全に心から嫌がるとかそんなこと無理だろ。
こうなったらもう、筋を通すために美鈴に正直にこの出来事を話す。いやいや、だめだめ。錯乱するな。幸い玲香も内緒にしておきたいのだ。その点に関してはお互い利害が一致している。
《祐太様はいずれもっと上に行かれるお方です。堂々とされて良いと思うのですが》
《良くないのでちょっと黙っててください》
《はあ?》
おまけにクミカは何がどれほどダメか理解してない。俺の心を常に読んでるはずなのだが、それでも俺がたくさんの女性と関係を持つことが悪いと思わないらしい。むしろもっとたくさん女性を虜にするべきだと思っている。
俺のような崇高な人間は、たくさんの女性を相手にして、たくさんの女性を幸せにし、たくさんの子供を産むべきだ。そして祐太様の優秀な遺伝子をたくさんこの世に残す。クミカは冗談抜きで本気でそう考えている。
《どこかおかしな考えでしょうか?》
《クミカ。君は静かにしてなさい。ちょっと色々考えてるから》
《はあ?》
やはり理解してない。完全に繋がっているのに肝心な部分で齟齬がある。とはいえクミカは俺に本気で怒られることはさすがにしない。だから、いくら玲香のことを愛していても、この行動は俺の意思も入っていなければ無理なのだ。
「嫌だった?」
俺の様子を玲香が不審に思ったようで、俺から嫌がられているのかと心配する顔を向けてくる。
「……すまない。そうじゃない」
自分でOKしておいて、実は嫌でしたなど、どの口で言うのだ。言えるわけがない。俺の影の中のクミカが原因で、いなければ誘惑を断っていた自信はある。とはいえ、それもこれもクミカの意思と合わせればOKになってしまった。
要は俺が7割ぐらいの意思で玲香を断ろうとしても、クミカが10割の意思でOKしていると、そっちに引っ張られる。そんなイメージだった。クミカがそれをすると俺に嫌われると思うのは、8割以上嫌がってないとダメだ。
そうじゃないとクミカの10割に引っ張られる。まあそれでもクミカがどうしてもと思っている時だけなのだ。ほとんどは言うことを聞いてくれるクミカ。俺はクミカにはどうしても怒りにくかった。
「玲香の体はとても良かった」
その事実は変えようがなかった。
「ふふ、私もとても良かった。博士は全然そんな気のない人だから、正直私こういうことについてかなり溜まってたのよ」
結局燃えるところまで燃えた。今はまだ【同化暗幕】の中にいるままだった。お互い体を綺麗にして、服を着て、そして再び玲香が抱きついてきたところだった。俺が両手を回して引き寄せると嬉しそうに顔を寄せてきた。
「米崎は本当に興味がないんだな」
「これっぽっちもね。びっくりするほど興味がないの」
そのことは不満なようだった。いつまでもくっついていたいが、離れるとお互いに本当に装備を整え、【同化暗幕】も解除する。そしてもうこれ以上の訓練も必要ないから、俺たちはさっさと【翠聖都】に入った。
【翠聖都】の光景に目を輝かせながら、玲香が腕を組んでくる。まだ体が興奮しているのか、時折キスを求められた。それに応えながら転移駅でお金を払い【桃源郷】に到着した。
「ねえ」
甘えるように声を出してくる。
「なんだ?」
「できればこれからもあなたと毎日したいのだけど」
「毎日?」
「ええ、美鈴たちともしなきゃいけないし無理?」
玲香は美鈴との関係が本当に気にならないようだ。彼女の中にある考えは隠れてうまくやればいい。それだけだ。
「いや、美鈴たちとは毎日してないけど」
「してない……美鈴たちと仲がうまくいってないの?」
玲香が目を見開いた。彼女の中では気持ちいいことはできるだけ多くする。それがデフォルトなのだ。玲香なら忙しくても1日の中でちゃんとその時間を取っておく。そして存分に楽しんで勉強でも研究でも慈善活動でもする。
彼女は男女の肉体関係をとても大切にしている。それは俺の頭の中にあった基準とはかなり違う。毎日を充実させるため。彩りを添えるため。そして気持ち良く過ごすため。とても重要な手法の一つだと考えている。
「いや、良好だ」
だからできる相手がいるのに禁欲的に生きる。そんな意味など欠片も理解しない。外国で長く暮らすうちにそういうスタイルを自分の中で確立させたのだ。
「ああ、なるほど。じゃあ、そっちのことは誘っても断られるのね」
「いや」
「まあ若い子にはありがちよ」
「いや、そうでは」
「そっか、美鈴たちはあまりしたくないタイプなのね。外国では少なかったけど一定数そういう女の子はいたわ。私の上司になった女の子もそうだった」
「そうなの?」
玲香の上司の顔は記憶を読んだから知ってる。なぜか玲香をいつも腹立たしそうに見ていた。
「いいわ。じゃあ私と毎日しましょう。あなたとなら思いっきりできるし、美鈴たちが3人ともそっち系だったなんてラッキーだわ。お互い溜め込むのは良くないでしょ?」
「う、ううん?」
「ねえ、森でのことを思い出すとまたうずいてくる。あんなにするんだからあなたは嫌いじゃないんでしょ。美鈴がそんなんじゃ我慢して今まで大変だったはずよ。ひょっとして女がいるのに1人で慰めてたり?」
「いや、まあそういうことはあったけど」
「辛かったでしょう。これからはもうそんなこともないわ」
違う。そうじゃない。美鈴たちには先を急ぐという理由で、俺が誘われてもほとんど断っているのに玲香と毎日してたらさすがにおかしいだろ。
「どうしたの?」
「いや、そうじゃなくて、ただ単に忙しいんだ。このクエストだって急がなきゃいけない」
「本当?」
「本当だよ」
「じゃあどうして応じるの?」
米崎のいる宿に歩いて向かっている途中である。玲香は腕を組んで、唇を求めてくる。途中でしばらく立ち止まった。どうしても断ることができず、建物の影に隠れた。抑制していた分だけ、一度蓋を開けるとかかなり我慢できなくなる。
「——祐太」
玲香が再び建物の影で着衣を整えながら言ってきた。
「あなたの気持ちは分かるわ。美鈴たちには嫌われないでおこうとどうしてもしてしまうんでしょ? だから格好を付けちゃうのよね。『俺は欲望だって我慢できるんだぜ』って」
「……」
その言葉はなぜか胸に刺さった。玲香に勢いでいろいろ言葉でもぶちまけてしまった。それを玲香はただただ受け入れて、聞いてくれた。
「その年だとよくあることよ。男も女も相手に幻想を抱くの。私相手だとそれがないから、あなたは気楽に気持ちいいからつい許しちゃう」
「美鈴たちが理解できない時がある」
そんな言葉を自分で言うつもりはなかったのに、口にしていた。
「美鈴たちの誰かと仲良くしてると、美鈴たちの誰かが面白くなさそうなんでしょう?」
「ああ」
「美鈴たちはあなたに嫌われたくないから言わないだけで、それぞれと仲良くしていることに完璧に納得はいかないのでしょうね。だからつい別の女と仲良くしてると怒っている雰囲気が出ちゃう。結果的にあなたからしてもらえる回数が減っても、その辺はまだ子供なのよ」
「何かいい方法はあるか?」
今更誰かを捨てるなんていう選択肢がないことは理解していたし、そうするにはあまりにも3人のことを好きになりすぎた。
「教えない」
玲香と腕を組んで再び歩き出した。
「なんで?」
「私は今の状況の方が嬉しいから、何も言わないでおくの」
「意地悪な。何かアドバイスはないのか」
「ないわよ。解決しちゃったら毎日できないじゃない」
実際のところ未だに俺は人を怖がってる。これ以上深く、遠慮のない関係になっていく。それを怖がっている。どこかで破綻するのではと。
「ねえ、宿でもう1回だけ」
「答えを教えてくれ。玲香の考えでいい。そうしたらその……してやる」
「じゃあ教えてあげる」
「いいのか?」
「いいわよ。じゃあ言うわね」
「頼む」
「そんな答えは“ない”。これでOK?」
そう言って宿に着いた。俺はそんなふざけた答えに納得してしまい、米崎と会うのにもうしばらくの時間が必要になった。
「——くく、だから言わんこっちゃない」
いつの間にか高級旅館の部屋を、自分の研究室のように資料だらけにしてしまった米崎は、俺の顔を見て一番にそんなことを言ってきた。
「……なんのことだ?」
知ってるわけがないからとぼけた。勘のいいやつだからバレてそうだが、いくらなんでも確証はないだろう。
「君が来たのに気づいて、気配を消して近づいた」
「お前なんてことするんだよ!」
「つけられたりしていないかの確認だ。それらしい気配はなくて良かったよ。どうやら五郎左に僕たちの情報は渡ってないようだ。そして君たちは、予想通り仲良くなったようだね。お互い気持ちよかったようで何よりだ」
「見てたのか?」
米崎の部屋に来る前に先に、かなりしてしまった。1度してしまうと2度目3度目のハードルは、あまりにも低くなっていた。今ならわかる。自分は死ぬほど我慢していて毎日したかったんだと。
「最初から最後まで見てたよ。レベルが高くてもあまりすることは変わらないんだね。音速で腰が動いたりするのかと思ったけど、いたって普通でつまらなかった」
「見るなよ!」
「パンパンする時はどうして普通のスピードになるのか聞いていい?」
「聞くな!」
「あっそ。じゃあ聞かない」
玲香はまるでそんなことなど何もなかったかとでも言うように、身持ちの硬い淑女然とし、お茶の用意をしてくれていた。どうもあまりにも米崎が部屋を勝手に汚すもので、仲居さんたちは給仕を諦めたらしい。
さらに米崎はお金を出して、仲居さんたちには入ってくるなと言っているそうだ。
「あ、でも、1つだけ先に“予約”しておきたいことがあるんだ」
米崎がとてもいい笑顔で俺を見た。まさか自分もしたいなどと言いださないかとお尻がキュッとした。
「なんだよ」
「君がレベル1000を超えたらさ。玲香君との子供を僕にくれないかな。神様の子供って育ててみたいんだよね」
「お前には絶対やらん。欲しいなら自分で作れ」
「僕じゃあレベル1000は超えられないよ」
「じゃあ諦めろ」
「いいじゃないか。玲香君、いいよね?」
「私は子供が嫌いです」
「なんで?」
「泣くし喚くしビービー煩い」
玲香は母親には絶対にならない方がいいと俺は思った。俺はもし自分の子供を持つのなら、自分のような育て方をされる子供にだけはしたくなかった。
「そこが子供のいいところだよ。実に面白い。それに神様の子供というのが、どういう薬を摂取すれば黙るのか試してみたい」
「お前本当にそれをやったら縁を切るからな」
「おや、今のはちょっと本気が入ってるね。やめておこう。本気で怒られそうだ」
リアルにネグレクトをやられた俺としては子供を使った冗談は本気で頭にくる。米崎は引き際を心得ていた。
「二度とそういう冗談は言わないでくれ」
「分かった。今のはすまなかった。僕もどうかしている。望んでいたものがもうすぐと思うと冷静なつもりでも、どこか冷静じゃないのかもね。本題に入ろう」
俺もいつまでもこんなことばかりを話している暇はなかった。五郎左衆壊滅クエスト。本格的に進めなければいけない。
「米崎。進捗はどうなってる?」
俺が玲香にかかりきりになっている間、米崎に司令塔を任せていた。だからこのクエストの進捗状況は全て掴んでいるはずである。
「美鈴組は現在ドワーフ工房を探索中だね。いろんな転移門をくぐって、ドワーフ工房へと光る玉を使い、転移門から出た場所から光る方向へと線を引いて、場所を特定していったそうだ。どうも海の上らしい。今は海上にいるよ。しばらく連絡が取れないが心配しないでとのことだ」
「そ、そうか……」
胸がズキズキする。かなり後ろめたい。ただあの時は自分を止めることができなかった。そこに自分の意思はなかった。ただクミカに引っ張られただけ。そしてしばらく美鈴たちがいない。玲香とその間ずっと関係を持てる。
頭にそんな言葉が浮かんでしまう。一度思いっきり大人の女性によって開かれた欲望が、止められない。この状態はさすがにまずい。そこに俺の心を読んだように、米崎からの意思疎通が入った。
《あまり心を痛めないことだ。クミカ君が原因であることは僕も理解している。六条君がクミカ君を受け入れた時点で、玲香君を拒絶することは男色家でもない限り無理だと僕は思っていた》
《嵌めたのか?》
《そうなるとは思っていたが嵌めたつもりはない。僕としては玲香君の性欲を発散させる場所が出来てほっとしているよ》
《どうしてお前はしない》
《そこは聞かないでくれたまえ。きっと言えば笑われてしまう理由さ》
《……》
米崎に腹を立てたところで仕方がない。変に我慢をして決壊してしまったのは自分だ。それにクミカの生き方を受け入れたのも自分だ。その上で、こうなると予想していなかったなら、それは俺がまだまだ甘ちゃんだったのだ。
《ともかく玲香君の相手は継続してあげてほしい。君だって女を無駄に我慢しすぎない方がいい。そのことによって必要もない暴力性が生まれたりするよ》
《……気持ちいいからする。そう割り切るのか?》
《生物とはそういうものさ》
《俺は多分割り切れない》
《新世界と言ってもいい時代が来ようとしている。今の時代の考え方として、今の君の行動は正しいと僕は思っている。龍神様を嫌いな人も多いが、好きな人も多い。それは彼が新時代の象徴的なものだからだと思うよ》
確かに南雲さんは、女性に関しては俺どころではない。それもこれも俺のようにかなり色々あって、最終的に逆方向に悟りを開いたのか。
《俺には無理そうだ》
《だろうね。まあ15歳で何をか言わんやだ。君は好きに生きればいい。責任感にとらわれて楽しむことを忘れない。それが大事だと思うよ。少なくとも玲香君はバレないように器用にしてくれるさ》
米崎にメンタルカウンセリングをされてしまった。俺は悩みだすと沼るので、ある程度のところで助言がもらえると助かる。自分を責める必要はない。米崎は詰まるところそう言ってくれているようだった。
「君との約束通りだ」
米崎との進捗状況の報告。それは【意思疎通】をしている間も続いていた。【意思疎通】で話しながら口でもしゃべる。脳みそを2つに分ける。そのことで内緒話をするのが得意になった。
「摩莉佳君とマーク君だが、五郎左衆の潜伏先と思われる場所へ向かってもらうことにした。二人は【天変の指輪】を使わない。ゆえに返してきたから受け取りたまえ」
「どうして」
「君と僕で話し合った作戦を伝えた。それを聞いて変に姿など変えたら、作戦上、逆に危険。そう考えたらしい。彼女の判断だ」
「そうか……」
「君の作戦を伝えた。彼女はこれで死んでもいいそうだ」
「……俺が頼んだことは酷いか?」
それぐらい無茶をたのんだ。摩莉佳さんはそれを断らないと知っていた。
「いいや、誰も死にそうにない作戦を君が立てたら逆に、僕は不安になっていたよ。だから問題なく君のプラン通りに進めてる」
「かなり危険だろうな」
「摩莉佳君の命を危険にさらしてもらう。彼女には僕たちを裏切ってもらって、虚実の入り混じった情報を流してもらう。マーク君はサポート。そこまでは整えているよ。始めていいね?」
「OKだ。始めてくれ」
《摩莉佳君、マーク君。ゴーサインが出た。動きたまえ》
《《了解》》
「俺が久兵衛たちと接触する。そして美鈴たちがドワーフ工房を見つける。その間の動きはまた頼むぞ」
もう玲香と関係を持ってしまった。なかったことにはならない。毒を食らってしまった。
中途半端に食らうなんてことはできない。自分がこれからどうなるのか不安に思いながらも、米崎との会話が終わり、次の行動が決まった後、玲香と2人で久兵衛達の心をクミカが読むため、宿を出た。





