第百八十八話 女神像
「へえ、降りない」
不思議な現象に思わず見入ってしまう。俺は足を下ろすとちゃんと階段の下に降りた。それなのに玲香は降りられない。だからって玲香を置いていくわけにはいかない。これ以上降ろすと向こうに渡ってしまうことを経験上知ってる。
だから足を引っ込めた。
「……」
本人は想像以上にダメージを受けているらしい。そのまま動けずにいた。
《どうしよう》
クミカに聞いてみた。
《……玲香の手に触れてみてください》
《こう?》
言われるままに手を差し出してみた。
「何?」
「いや、手を繋げば降りられないかと思ったんだけど」
「手を握るの?」
「お嫌でなければ」
「嫌なわけないけど」
それで本当にうまくいくのかと疑わしそうに俺の手を握る。だが玲香の足は、それ以上、下へと進まなかった。階段の上に透明なガラスでも敷かれているみたいに、上に乗ってもびくともしない。ゲートで他の入り口に入れないことと似ている。
ダメなものはダメだという絶対的なルール。まるで玲香の足の下だけ、次元と切り離されているみたいだ。
「階段は見えてるよね?」
「もちろん。そうじゃなきゃ私はどこに向かって足を出してるのよ」
《声をかけてみてはどうでしょう?》
クミカは思いつくままに提案してくる。
《誰に?》
《ルルティエラにです》
それは意味があるのか。
《声をかけるだけならタダですし》
《まあそりゃそうか》
だから俺は女神像に向かって口を開いた。
「ルルティエラ様。桐山玲香を大八洲に入れてもらえませんか?」
我ながらアホな発言だ。こんなもので入れるなら米崎も玲香もなんの苦労もしてない。それでもダメだったから俺に頼んでるんだ。
「ルルティエラ様。お願いします。桐山玲香を大八洲に入れてもらえませんか!?」
こんなにでかい女神像である。聞こえてないのかもしれない。声を大きく明瞭に叫んでみた。
《やっぱ無理っぽくない?》
クミカにもう一度言う。というか自分のアホっぽい行動に心が折れそうだ。
《困りましたね。祐太様の言葉なら私なら喜んで聞くのに、何が嫌なのでしょう》
《いやまあ、前提条件が違うんじゃない?》
そもそもルルティエラは俺になんの恩もない。クミカと違い、俺の言うことを聞くわけがない。どちらかというと俺の方が恩があるぐらいだ。
「ルルティエラ。あなたは私をここまでだと拒絶するの?」
玲香も女神像に向けて言う。
「呼び捨ては失礼では?」
俺が思わず言う。
「そう?」
「そうだよ。だって相手は神様だし」
「ルルティエラというのは神なの?」
「多分、そう言われてる」
「でも外国だと敬称をつけることの方が珍しいわよ」
「そりゃまあ外国はそうだろうけど日本じゃ……」
《呼び捨てにしてみるのは確かにいいかもしれません。私なら祐太様に呼び捨てにされたいです》
なぜかクミカは全部自分に置き換えてしゃべる。
《バチとか当たらん?》
《当たりません。むしろ私なら喜びます》
《だから相手はクミカじゃないんだって》
とはいえものは試しである。
「ルルティエラ! 桐山玲香を大八洲国に入れてくれ!」
【許可します】
そんな返事が来た。ダンジョンからの声。あのいつも聞こえている女の人の声。
「うん?」
何が起きたのかわからずに首を傾げた。
【六条祐太の要請により、桐山玲香に大八洲国入国許可証を発行します】
「へ?」
玲香にも声が聞こえたようだ。不思議そうにキョロキョロして、そして視線を女神像へと向けた。俺も女神像へと目を向ける。女神像と目が合う。見つめ合う。見つめ合う。なぜか俺のことを絶対に離さないと思っている。
そんな気がする。
なぜだろう。
それが体に絡まり、離れようとしない。以前は気のせいかと思ったが、前よりも感覚が鋭くなり、そう思えた。ただこれがダンジョンから好かれたもの全員が感じるものなのか、それとも俺個人のものなのかの判断がつかない。
「【入国許可:大八洲国】出てる。出てるわ!」
ダンジョンからの声が聞こえたことで、自分のステータスを見る勇気が出たようだ。玲香はステータスを確認してこんな顔もするのかというぐらい喜んで、俺に抱きついてくる。欧米で習慣化したキスを頬にされた。
俺の方を見てくる。
「あなた本当になんなの? ルルティエラにあなたが言えばなんでも叶えてくれるの? 神様にしてくれって言ったらしてくれるの?」
「そんなアホな。苦しいからちょっと離して」
お互い装備をつけているから密着しているわけでもない。ただどうにも美鈴の姉とこの距離というのは、居心地が悪い。俺が経験したことのない大人の女性の顔が目の前にある。これをやられた男はたまったものではないだろう。
でも、玲香がこれっぽっちも俺に恋心を抱いていないと分かっているから、騙されないぞと気合を入れる。
《心を読みますか?》
《いや、それはいいから》
クミカは少しでも俺が不安な気持ちになると相手の心を覗こうとする。でもそれをするからミカエラは壊れたのだ。よく知ってる。心を読むのは必要な時だけ。必要でない時まで覗けば心の健康を損なう。
「……そんなに見られても何もないから」
俺の顔を玲香が興味深そうに見てくる。
「ありがとう」
本気で言われたような気がする。大人の色気。騙されない騙されない騙されない。念仏のように唱えた。
《読みます?》
《読まない。クミカ。寝てなさい》
《はーい》
「私はダンジョンの声を聞いたのも本当に久しぶり。探索者の人はみんな『女の人の声が聞こえる』って言うけど、人工レベルアップをした人間は、その声を聞くことができないのよ」
「嬉しかったのか?」
「ええ、すぐに慣れるのでしょうけど、頭の中に直接声が聞こえてくるこの感覚。素晴らしいわ。ようやく探索者としてのステージに立つことができた。そんな気がするの」
玲香が俺から離れた。
「祐太。あなたはルルティエラに声をかければいつも返事をもらえるの?」
「どうだろう」
玲香の気持ちは分かる。
玲香の男の好みからすると俺は嫌いなタイプ。
それなのにそいつの方が、ダンジョンからは認められている。
今のこの世界でダンジョンから好かれている。
それは世界から好かれていることと同義だ。
玲香はそう考えている。
そして博士も祐太に最も興味を持っている。
「ルルティエラ、俺をレベル1000にしてください」
試しに言ってみた。
「それじゃダメよ。私でも急激なレベルアップは体が爆発するからって博士はしなかった。レベルを10ほど上げるとお願いしてみてはどう?」
「それもそうか」
玲香から言われる。レベルアップとはおそらく筋肉的なものではないのだろう。それはキャパシティ的な何か。どこかに自分の力を保管する場所でもあるのか、そもそも力というものに大きさがあるのかもよく分からない。
ただ玲香はいきなり増やすことは無理だということを知っていた。
「ルルティエラ。俺をレベル170にしてほしいです」
【不可能】
拒否したがすぐに返事がきた。
「どうしてですか?」
【ダンジョンにはルールがある。規定のルールから外れたレベルアップは、システムの大幅改修が必要。膨大な時間を要し、六条祐太ならば普通にレベルアップした方が早い】
「返事が返ってきた」
驚いて目をまたたいた。お願いしてのレベルアップはできないと言われたが、その理由に対する説明があるとも思ってなかった。
「本当?」
「ああ」
「ねえ、じゃあ、ルルティエラの“目的”について聞いてみない」
確かにそれには興味がある。後で米崎が悔しそうな顔をするのを見てみたいと思っている。玲香はまあそんなところだ。でも俺も聞いてみたかった。
「ルルティエラ。お前の目的はなんだ?」
【回答不能。ダンジョンにはルールがある。規定のルールから外れた回答は、システムの大幅改修が必要。膨大な時間を要し、六条祐太ならば普通にレベルアップした方が早い】
《ほとんど同じ言葉になりましたね》
寝ろと言っても寝てなかった。意識がつながったままのような状態になっている。だからクミカのことは説明されなくても分かる。クミカもダンジョンについてはかなり興味があるようだ。
《そうだな。でもレベルアップすれば知れるということか》
《他にも聞いてみられたら》
《いや、やめとくよ。レベルアップすれば教えられると言ってるんだ。それ以外の方法は、おそらくどれほど願っても無理なんだろう。できることはできる。でもできないことはできない。それはルルティエラでも変わらないことなんだろう》
ただ、おそらくこれはこの女神像がある場所だけのこと。そんな気がする。俺は興味がわいた。
「ちょっと確かめてくる」
俺は再び女神像の前まで来た。白い大理石で造られ、高さ50mあろうかという女神像。頭にティアラをつけ、瞳には赤い宝石。これだけでもかなり高価なものだ。俺は跳び上がる。純粋なジャンプだ。そして女神像の肩の上に乗った。
「ねえ、早く行かないの?」
自分だけが大八洲国に間違って入ってしまったら大変だ。だから、階段からはおっかなそうに距離を置き、それでも国があるということだけは気付いている玲香は早く行かないのかと内心では待ちきれない。
いちいち心を読んでいるわけではないが、こういう時何を考えるのか手に取るように分かる。
「玲香は神様を信じてる方?」
「こんな世の中だもの。誰かこの世界を創ったやつがいる。その最有力がルルティエラ。それぐらいのことは考えるわ」
「そりゃまあそうか」
肩の上に乗って女神像の顔の真横に位置する。それでもまだ顔の位置は上だ。首に触れてみる。やはりぬくもりがある。
「大丈夫? バチが当たって急に死なないでよ。困るんだから」
俺がいないと大森林に一人で入らなきゃいけなくなる。
「玲香。ルルティエラの足に触ってみてくれ。人肌ぐらいの温もりがあるか?」
「何を言ってるのよ。石像にそんなものあるわけないでしょ」
そんなことを言いながらも研究者としての興味もある。国連職員は研究者ではないけど、国連に入る前はかなりそういうことに関わってきたらしい。だから俺に言われるがままに怯えつつも女神像の足に触ってみる。
「冷たいじゃない。これ多分普通の大理石の温度だと思うわよ!」
ちょっと落胆しながら言ってきた。叫んでいるのは怒っているわけではなく、女神像の肩の上にいる俺の位置が遠いからだ。
《クミカ。分かる?》
俺の意図がわかって、クミカも肩の上で影から手だけを出して触れてみた。
《……分かりません。心を読んでみますか?》
《ううん……》
もしそれでルルティエラなどという存在の心が少しでも見えたら、クミカがやばい気がした。
《いや、いい。危ない相手の心は読まなくていい》
《畏まりました。では、ルルティエラの像を爆発させてみますか? 中身を見れば何かわかるかもしれません》
《やらないから。やろうとしたら怒るよ》
《すみません……》
なんでも爆発させたらいいと思っている。さすがにそれはどうかと思う。かなりの高確率でただ単に石を爆発させたことになるだけだと思った。何よりももしも壊してしまって、バチが当たるのも怖い。少なくともダンジョンを創ったやつはいる。
そんな上位存在に目をつけられたくはない。ただもう少しだけ確かめておこうとスキルを使った。それは、
【念動力】
最近気づいたことだが【念動力】を使うと自分の体を操って浮かぶことができる。あまり速くないから、戦闘で飛ぶのは危険だが、重宝する能力である。俺は自分の体を浮かび上がらせて、女神像の顔の正面に自分を固定した。
宝石を埋め込まれた赤い瞳。頭部だけで7mほどある。よく見るとどこか少女のような幼さがある顔立ちだった。
「早く行きましょうよ。ここにはリッチグレモンってやつも出るんでしょう」
そういえば伊万里がここでリッチと出会ったと言っていたな。クエストでなければ出てこないのか。その気配がない。これ以上、分かることはないか。最後にもう一度触れてみる。今度はもう大理石と同じ冷たさだった。
何かを勘違いしているだけか。肩をすくめて玲香の居る階段前に戻った。
「とにかく降りましょう。どんな世界なのか早く見たいの」
玲香が自然と手をつないでくる。間違っても大八洲国で1人にならないように気をつけている。“あなたに好意があるの”というような顔で微笑んでいるが、分かってる。だから、おでこにチョップした。
「な、何するのよ」
「いや、別に」
そして俺たちは、そのまま下へと降りた。





