第百八十一話 池袋
【どうしてあなたたちはこんな簡単なことが分からないんだ! 龍神様に死んでもらうのは絶対に間違っている! 軍国主義ではなく私はそう言っているだけです!】
【しかし、このままでは日本が戦場になるのですよ】
【昔の戦争なんかと比べものにならない。探索者どもがどれほどの破滅的な力を持っているか、あなただってご存知のはずだ。四英傑はその最たる象徴。あんなものが戦えば、この日本を舞台に核戦争が起きるようなものですよ】
【そうだ。それこそ日本にとってのハルマゲドンになってしまう】
【皆さん甘い。あの12英傑が揃って本気で戦えば、日本列島ごと沈んだっておかしくないんです。龍神様を大事に思う気持ちは分かりますけどね。そうなった時、あなた責任取れるんですか。無理ですよね】
【別に4英傑が3英傑になったっていいじゃないですか。それで近隣諸国が安心すると言ってるんです。龍神様一人の命と近隣諸国の安全のためですよ】
ここぞとばかりに自由な発言が飛び交う。なぜか今のこの時期。どんな発言をしても探索者が怒ってこないのだ。
【黙れこの売国奴! その考え方が間違っていると言うんだ!】
【何がですか? どの道日本は3英傑で世界一の軍事力を保持することには違いがないんですよ】
【バカな。この世界一のアドバンテージを自分から捨てると? 日本が一番であることなど今後二度と訪れませんよ!】
【おや、しっぽが出てますよ】
【やかましい! 今まで大人しく黙っていたくせにここぞとばかりに好き放題! 殺されるべきはお前のような人間だ!】
【ふん、これだから軍国主義者は困る。6英傑からの申し出を断れば、どんな災厄が起きると思ってるんですか。いいじゃないですか。日本は強くなりすぎた。その最たる象徴には死んでもらいましょう】
池袋に着くまでスマホで見ていた討論番組を閉じた。かなり衝撃的な内容だ。今まで4英傑を表立って批判すればそれだけで死ぬリスクがあった。だから誰もそんなことをしなかった。だがこの討論番組はどうだ。
「平気な顔で龍神様に死ねって言ってる」
ダンジョンショップに入る前に、現在の日本の状況をつかんでおきたい。大八洲国で聞いたあの噂。それが本当なのかどうか。そして本当ならば詳細はどうなっているのか。知ってからダンジョンショップに行くべきだ。
そうして分かったことがあった。というのも6英傑側から軍縮を求められて、実際に名指しされた“英傑”がいるのだ。それは、
【龍炎竜美】
俗に龍神様と言われる南雲さん。4英傑の中で攻撃力に全振りした破壊の権化。今まで世界中のダンジョンにまつわる様々な問題解決のために暴れ回ってきた超問題児。助けに来たのか破壊しに来たのかはっきりしろと言われる龍神様。
それでもあまりに強いことでアメリカでは絶大な人気を誇る。6英傑は軍縮としてこの龍神様が英傑でなくなればいいと言ってきたのだ。要は遠回しに『死ね』と言っているのだ。
どうして4英傑の中で龍神様が名指しされたのかと言うと、曰く一番近隣諸国に怖がられているからだ。それに他の候補ではだめなのだ。
森神はポーション供給や世界経済にもかなり影響力がある人で、例え6英傑の連名でも殺せない。
天使は世界中で人気がありすぎて殺せない。
鬼の田中はなんか目立たないし、死んでもあまりパッとしないからダメ。頑張れ田中。俺はお前を応援してる。
そんな中で日本の軍事力の象徴。その一番が龍神様だ。とにかくこの人、化け物みたいに強い。そして暴れだすと止まらないし怖い。多分、6英傑でも、この人を怒らせるのは嫌なんじゃないだろうか。
それなのに今、この人こそを死ぬべきだという議論が、日本中で巻き起こっている。6英傑がどう考えても言いがかりとしか思えない理由をつけて、名指ししたのがこの人だったからだ。
「賛成派の方が多いのか。くそっ」
日本のいろんな機関が何度も賛成派と反対派のどちらが多いのかアンケートを取っていた。だが8割の人は『龍神様は死ぬべき』と考えているそうだ。いくつかのネットの履歴を漁ってみたが、どうも意見が誘導されている。
「徹底的だな……」
一般人の言うことを聞く必要がない探索者をこういう形で責める。かなり有効な手段だ。どんなに精神力の強いものでも、日本中の人間から死ねと思われたら、かなり生きてることに罪悪感を抱く。
「……こんなことで死んだりしないよな」
それにしても気になるのが、弓神ロロンと瞬神ゲイルだ。アメリカはかなり日本に助けてもらっていると思う。まあロロンとゲイルはアメリカ人ではない。むしろアメリカを侵攻した側だ。とはいえ龍神はこの二英傑と仲がいいように見えた。
なのに、これまで何も言ってきていない。
「この2人が協力してくれたら、こんなバカな騒動にならない……」
だがなってる。ロロンとゲイルはこの件で傍観者を決め込むつもりか。
「1つ席を開けろってことかな……」
大八洲に入れるようになり、1つはっきりしたことがある。それは、どうもレベル1000以上になれる数は決まっているようなのだ。大八洲国も12だった。この地球でも12だ。これ以上はどうやらなろうと思ってもなれないらしい。
「ということは俺も誰かが死なないと英傑にはなれない……」
もしそうだったとしても、それが南雲さんであることだけは嫌だ。
「はあ、とはいえ俺じゃな……せめてあと5年早く生まれたかったな」
自分でもとんでもない自惚れだと思う。だがもし南雲さんたちと同じ時期にダンジョンに入れていたら、こんな無茶苦茶抜かしてきたやつらを一発ぐらいぶん殴れたかもしれない。
「美鈴たちに自分で言った通りだ」
池袋なんかに来ても自分にできることはない。それよりも自分こそ急がなきゃいけない。五郎左衆を壊滅させる。そのためには1分1秒でも時間を無駄にしてはいけない。分かっている。でも、
「来たって意味ないのに……」
俺があの時、自分がまだどうなるかも知らず、探索者になるために最初に訪れた場所。
まだダンジョンの中に国があるなんてこと知りもしなかった頃。
怖がりながらダンジョンの中に入ろうとした。
その場所に立っていた。
皮肉なことに、その時俺を助けてくれた人は、今一番苦しい立場にいるようだ。
「何もできないのにな……」
あの日のように暗がりではなかった。眩しい日の光のもと、相も変わらず10個のゲートが、大きく、そして不気味に口を開いている。
「ふう」
口から息が漏れた。こんな場所にいても意味がないのだ。何もできることはない。太陽光が差し込んでいるダンジョンショップを見た。日中であるが人影はなかった。どうやら中に探索者は1人もいないようだ。
「みんな、こんなところでじっとしてるぐらいなら、1つでもレベルを上げるか」
そう思っているのかもしれない。俺ならそうだ。ダンジョンの中でどれほど戦ってきたと思う。ちょっと脅されたぐらいでビビり散らす。そんな人間は探索者の中にはいない。特に特級ダンジョンである池袋にはいないだろう。
思いながらも俺は人のいないダンジョンショップの中に入った。
夏ということもあり、冷房が効いていてひんやりとしていた。相変わらず日本だというのにあらゆる銃火器が並んでいる。この中を華やかに思った。今は地球などまだまだなのだと知ってしまった。
やることなど何もない。
だからなんとなくあの場所へと歩いていく。
それはかつて、
【炎帝アグニ】
があった場所だ。
その姿がなくなり、今は別のものを置いていた。マジックバッグの中にあるアグニ。これを使って何かできないだろうか。そんなことを考える。だが、不完全にこれを使っただけであれほどのダメージを受けてしまった。
そんな自分がこれを使ったところで、どう考えても焼け石に水。意味があるとは思えない。
「お久しぶり」
今日はよく声をかけられる。誰なのかは見なくても分かった。探索者になると一歩を踏み出して、最初に話した人だ。振り向く。予想通りの女の人がいた。
「お久しぶりです」
「へえ、ちょっと噂は聞いてたけど、本当にずいぶん変わったわねー」
ジロジロと見られた。
「ええ、まあ、他に人いないんですか?」
「時期が時期だしね。あの人、かなりの人から嫌われてるけど、好かれる人には死ぬほど好かれてるから、ここにいるような人たちはみんなちょっとでもレベルを上げるんだって必死よ。それに嫌ってる人もあの人に恩を売るチャンスだって……、探索者って意外と単純よね」
「……どうなんでしょうね」
「まあ私も君のせいで彼に酷い目に遭わされたけど、さすがに死んでほしくはないな。むしろ生きててくれないと困るよね。あの人がちょっと睨むだけで、大抵の探索者は震え上がってくれるんだもん」
「南雲さんは?」
「攻めてきたやつらは『全員殺す』って言ってる」
俺はその言葉を聞いて、しばらく言葉を失う。そして思わず笑い出した。
「ふふ、心配で来ちゃったんでしょ? 可愛いところのある子ね。でも君は心配する必要ないよ。あの人は本当にとんでもなく強いから。きっと君じゃ想像もつかないぐらい強いよ」
「はは、確かにそうだ。蟻が竜の心配をするなんてこんな滑稽なことはないですね」
笑うだけ笑う。少し気持ちが軽くなった。
「相変わらずの人だな」
「本当。少しは可愛く悩んだら、私が優しく慰めてあげたのにね」
「おしっこを漏らしたのに?」
「い、言うな!」
顔を赤くしたダンジョンショップのお姉さん。
「くく」
「もう、可愛くないことを言うようになったじゃない」
「少しは成長してるんですよ」
「本当に?」
「本当に」
ともかくレジのお姉さんは誰もいなくて今とっても暇らしい。もう少し話し相手をしてほしそうだった。だが気が済んだ俺は出口に向かって歩き出した。
「もう帰っちゃうの?」
「俺もさっさとレベルを上げようと思いました」
「ぷっ、何を言ってるの。君じゃどう考えても意味ないよ」
「まあそれは分かってます」
「ね。今幾つなの?」
年齢を聞かれたわけではないだろう。レベルを聞かれたのだ。普段なら答えない。でも周りに人影もなく、こんなところで口にしたからといって問題が起きるわけでもない。だから俺は口にした。
「160です」
「……嘘はダメよ」
「本当だとしたら」
「あれから半年とちょっと過ぎたぐらいよ。この夏の暑い日に冗談ならもうちょっとうまく言いなさい」
「……騙されないか。本当は43ですよ」
「それは逆に嘘っぽい。君がすごいペースでレベルアップしてるの噂になってたもん」
「じゃあ最初のが本当です」
「え? でも、魔眼殺しがブロンズエリアについに来たって聞いたの本当に昨日よ?」
別にここでこの人に信じてもらう必要もない。俺は出口の前に立ち、出口の自動ドアが開いて、外に出ようとした。
「待て」
そう言われた。その瞬間、声の主は南雲さんかと思った。どうしてかといえば、あの時感じたものと同じ寒気がした。あたりの温度が1度。いや5℃ぐらい一気に下がった気がした。どうしてか寒気がする。
今まで何一つ感じなかったのに、人の気配が色濃く急に現れたように表に出てきた。振り向く。何もなかった場所に人の姿が浮かび上がってくる。米崎みたいに姿を消していた。いやそれ以上に分からなかった。こんな気配に気付かなかった。
「あの男がしょぼくれる姿というのは懐かしくてな。1つ慰めてやろうかと来たのだが、そこの女の言葉で杞憂だったかと思いつまらぬと思った。男は少しぐらい弱い部分があるのが可愛い。そう思わんか?」
頭に白い猫のような耳。切れ長の瞳。鮮烈なほどの赤い唇。胸元の大きく開いた服を着ていた。このレベルになっても見つめられるだけで意識が飛びそうになる。そして体中に電気を帯びているように見えた。
この感覚……この見た目……見たことがあるその姿。
「雷神……」
レジ係のお姉さんがペタリと床に座り込んでしまった。
「様をつけろ。無礼だと思わないか?」
「お、思い……まひゅっ」
お姉さんは怖くて呂律が回ってない。
「そうか。思わないのか。では」「ま、待ってください!」
一瞬何をしようとしたのかは分からない。でも、レジ係のお姉さんを殺そうとしたように見えた。そんな程度で殺すわけがないと思う。でもそう見えた。この人は本当に噂通りやばい人だ。
「ほお、殺意に気づいたか……。ああ、悪くない子だ。それで待ってどうするのだ?」
「それは……」
どうしよう。怖い。足が震えている。絶対勝てないと分かってる。ああ、この気分。池本に虐められていた時と似ている。自分こそが勝てないと決めてしまう。これを味わいたくないから早く強くなりたいのに……。
『クエストと全く関係のないところで野垂れ死んだりするなよ』
摩莉佳さんの言葉が思い出された。雷神豊国。日本の探索者の悪い部分を煮詰めたような人間。ちょっと気に食わないだけで平気で人を殺すヤバい人。間違いなく日本で一番人を殺している人。
また漏らしてしまったレジのお姉さんを可哀想に思いながらも、自分が殺されないことを祈る。摩莉佳さんの言葉を守れるように、努力せねばいけなかった。





