第百七十五話 引き継ぎ
「邪魔をするぞ」
扉を叩く音がして、声が聞こえた。その声は間違いなく摩莉佳さんの声だった。みんなで顔を見合わせると頷いた。
「いいぜ。入ってくれ」
マークさんはエヴィーの護衛だった頃の癖をそのままに、率先して扉を開けにいった。黒服でそういうことをすると、なんだかこれから銃撃戦でも始まりそうだ。
でもそんなこと起きるわけもなく、摩莉佳さんはいつも通り翼を生やして、メガネもしていて、マークさんに招かれて俺たちの部屋へと入ってきた。
「——戦闘行為はどこまで許されているのか?」
俺たちはまず摩莉佳さんにその確認をした。パンフレットを見たところ桃源郷は全てがなんらかの娯楽施設になっている。それらの中で戦闘行為が許されている場所はないようだ。だがそれだと違法行為が蔓延るわけがなかった。
翠聖都の中はかなり厳重に、戦闘行為が禁止されていた。戦いの兆候が見られた段階でも、武官が飛んでくるというような話も聞いていた。だがそれは必ずしも100%ではないのかと思った。
「基本は翠聖都と変わらん。戦闘行為は全面禁止されている。ただ桃源郷は広く、管理が行き届いていないというのが現状だ。それにまあ抜け道が結構あるのだ」
「抜け道ってどんなのですか?」
俺は聞いた。
「そもそもお前たちは戦闘禁止区域というものを信じすぎだ。あくまでもそれを取り締まっているのは武官だ」
「機械が取り締まっているんじゃないんですか? 俺、転移駅でお金がないのばれましたよ」
「それはお前が転移駅の利用が初めてだったからだ。顔認証システムで、初利用客を検知。そして【意思疎通】で連絡を入れる。ただそれだけのことだ。転移門を勝手にくぐられると料金の徴収が大変なのだそうだ。まあお前たちはあれにすっかり驚いていろいろ勘違いするようだがな。あれはそんなに大層なものではない」
「そ、そうなんだ」
じゃあジャックも最初にそれをやられてかなり驚いた口なんだな。
「話を戻すが、戦闘禁止区域を実現しているのは武官であり、そいつらが優秀でなければ実現できない。つい先ほどまでお前たちがいた翠聖都でも、守られているのは三層までだ。四層、五層などのエリアは、お前たちの国とそう変わらん程度の治安しか維持できていない。五層などは地球で言うところのスラム街と言ってしまってもいい」
「でも武官はいるんでしょ?」
「四層、五層に常駐している武官などいない。呼んでやっと来てくれたと思ったら、犯罪者は逃げてるなんて、よくあることだ。常に守られているのは三層まで。その三層も大陸を支配している神によって状況は全く違う。そもそも身内の恥さらしになってしまうが、お金を積まれると弱い探索者が多いのだ。特にブロンズまでの探索者はかなりこれに乗ってしまう」
摩莉佳さんは翼を折りたたんで、座布団に座り、伊万里が緑茶を入れると一口飲んだ。
「ブロンズ級まで行けば、かなり金は儲かるって聞いたぞ」
マークさんが聞く。
「地球ならばそうだろう。だが、大八洲は違う。お前たちは1日でこんなところまで来てしまったが、普通はもっとかかる。だからその分だけガチャコインを手に入れる枚数も広い期間に渡る。1人の探索者が手に入れられるガチャコインの数はよほどのことがない限り同じだ。そしてガチャ運3程度ではルビーもほとんど出ない。そして売ったとしても日本と比べて0が1つ足りない。2つ足りない場合もある。実入りが悪い。つまり普通のブロンズ級の探索者は金持ちではない」
「じゃあブロンズってこの国では大したことがないと?」
美鈴が聞いた。ちょっとショックそうである。
「そうではない。この国でもブロンズのものは選ばれし者たちだ。ダンジョンに挑み、ほとんどのものはブロンズに到達することなく死ぬ。その中でよく生き残ったと尊敬もされる。だが残念なことにガチャから手に入れられるルビーや金カプセルはお前たちと同じ事情だ。できれば探索者を続ける限りは売りたくない。またクエストの報酬も一部のトップレベルのブロンズ探索者以外は渋いものが多い」
「要はお金で転んでしまう人は多いか」
俺は思わず言ってしまった。どれほど言葉で取り繕っても、この世界での実入りは良くないのだ。
「まあそうなる。ただ探索者のいないエリアに行けば別だ。レベル200もあれば急にちやほやしてもらえるぞ」
そこらへんも日本と似てるなと思いながら話を聞いた。
「まあそんな感じで、戦闘禁止区域の秩序が守られるか否かは、その地の治安を維持する武官の質によってまるで違う。そして武官の質が高いのは、その地を治める神がどこまで強いお方であるかにもよるのだ。この地を治めておられる方は隠神刑部様というとにかく面白いことが大好きな狸人の神様でな。正直あまり昔から強い神様ではないし、何よりも問題なのはかなり高齢なのだ」
「いくつなんですか?」
1000歳を超えてるんだろうなと思いながら聞いた。
「999歳だ」
「へえ」
意外と若いんだなと思ったのは白蓮様は1000歳を超えていると聞いたからだ。翠聖様に至っては確かもっと年上だったはずである。なのに翠聖様がここの神様のことを『爺様』という発言は違和感がある。
「意外と若いと思っただろう?」
考えを読まれてしまった。
「思いました」
「神様の年齢はその神様によってまちまちなのだ。それこそ万年を超えて生きることもできるという話だ。ただしそれには半神を越え、本物の神へと至る必要がある」
「どうやって?」
「我々と同じだ。ダンジョンのより下の階層に到達する必要がある。だがサファイアエリアよりも下は修羅の道だ。大八洲国の12柱でも半数以上はサファイアエリアのままだ」
「隠神刑部様もその1人だと?」
「別名大八洲最弱の神とも言われていてな。長く生きる間、戦うことよりも楽しむことを優先させたのだ。おかげで神様としての人気はとても高いのだが、1000年以上は生きられない。残念なことだ。神様でありながら、正月の時にはいつも腹踊りをされてな。あれが大変面白かったのだが」
「999歳ということはじゃあひょっとするともうすぐ死んじゃうんですか?」
神様の寿命が尽きようとしている。違和感のある話だが実際に起こることのようだ。
「そうだ。隠神刑部様はもうすぐ亡くなられる。それは12柱の席が空くことを意味している。これは滅多にないことでな。おかげで大貴族連中は今、そのことで頭がいっぱいだ。五郎左衆はその貴族の隙を狙って、この地で勝手放題にしているというわけだ」
「そしてお金のない武官はこの機会に儲け話に乗っておきたくて、五郎左衆に協力すると?」
「察しの通りだ。今、大貴族はこの地で少々の問題が起きたとしても、全てが終わってから武力を持って解決すればいいぐらいに思っている。だからそんな争いとは全く離れた場所におられる翠聖様が、手を打たれたわけだ」
「それが俺たちだと」
「残念なことにな」
可哀想なものでも見るように摩莉佳さんは俺たちを見た。
「お前たちは確かにトップレベルのブロンズ級探索者だ。だがこの件に関しては荷が勝ちすぎていると私も思う」
だからこそチャンスでもあるという言葉は局長さんからも聞いた。
「腐っても探索者だ。ただ隠れるだけならば同レベル帯のレベル200の武官たちでは、見つけることが困難だ。このままでは捜査は行き詰まっていただろう。それがお前たちのような半人前が、捜査を引き継いだと聞けば、五郎左衆は一気に好き放題暴れだすだろうよ」
「隠神刑部様が死ぬのって、いつのことかはっきりしてるんですか?」
「今からちょうど30日だな。五郎座衆を壊滅させるなら期限もここまでだ。これを過ぎて解決するのはかなり時間がかかるだろう」
「あまりのんびりはしてられませんね」
「最初の質問の答えだ。現状ではこの地で戦闘禁止区域はせいぜいこの宿の中だけだと思っておけ。他は堂々とまではいかないが、表通りから裏に回ればいくらでもという感じだ」
「じゃあもうほとんど日本と同じだ」
日本でも堂々と探索者は犯罪行為を犯さないが、ちょっと裏に回れば好き放題にしているという話だ。行き過ぎない限りはなんでもありなのだ。極端な話レ〇プぐらいなら、堂々としてもつかまらないぐらいである。
ただまあ日本ではそこまでしても許される探索者の絶対数は少ないので、治安崩壊には至っていない。何よりも日本ではそこまでできる探索者は、普通、周りから尊敬され犯罪行為に走る必要がない。
「そういうことだ。では詳しく五郎左衆について現在分かっている範囲で伝えておく」
摩莉佳さんは自分のステータスをオープンにした。自分のステータスの詳しい部分は何も表示されていない。ただこの国の人たちはこれを使って、ほぼ全ての情報処理を行っているようなのだ。
ステータスから映像が投影される。ステータスがデバイスの役目もになっているのだ。そこから五郎左衆幹部の画像が映し出された。オールバックにした赤髪。体の中心部に縦に斬られたような痕がある。
虚無的な目をしており、ごく簡単な着流しを着て、その姿に何か見覚えを感じた。
「……この人」
こんな傷はなかった。そして目もこんなに虚ろではなかった。髪型もオールバックにはしていない。しかし、この姿には見覚えがあった。
「なんか見覚えあるよね」
美鈴も言ってきた。
「見覚えか……」
俺は考えて間違いないと思った。
「この人、翠聖様が俺たちの前を通り過ぎた時にいた人だ」
「ああ、そうそう。男みたいな女の人だ」
あの時、その人は俺の手を引いて、道の端によるように教えてくれた。それでとても親切そうで男みたいな女の人だと思った。間違ってもこんな怖い雰囲気の人ではなかった。
別人と言われればそう見えなくもないのだが、探索者としてほとんど完全に人の顔を覚えることができるようになった。それと照らし合わせると、体の特徴がほぼ一致していた。
「本当か?」
「ええ、多分……。体の真ん中部分に傷なんてなかったけど」
「これは1年ほど前に武官がとった映像だ。そして五郎左衆幹部切江の資料として残っている映像でもある。なかなか表に出てこないやつでな。そうか……この傷を治してしまったか」
「エリクサーですか?」
「いやこの国ではエリクサーよりも万能な回復薬として一番メジャーなのは仙桃だ。桃源郷にある仙桃園で採れる。おそらくそこから盗んだのだろう。貴族からも重宝される品だ。さすがにこれに手を出すことはないと思ったが……」
「手を出したと」
「隠神刑部様が死ぬのももうすぐだ。最後にいよいよ形振り構わずやっているようだな」
そういう意味では時間がないが、逆にチャンスとも言える。派手に動いてくれるなら、こちらとしてもやりやすい。
「トップの五郎左は?」
「用心深いやつで映像は残っていない。切江、木阿弥、月影。この3人が主要メンバーで局長は全てを殺せと言っていたが、翠聖様のクエスト内容は、五郎左とこの3人の死亡もしくは捕縛。これは絶対だ。そして組織が再生不可能なまでに追い込むこと。少なくとも、半数は殺さなければならないと思っておけ」
その後も摩莉佳さんの説明は続いた。五郎左衆4人の主要メンバーのできる限りの能力。そしてレベル200の数が少なくとも50人以上、今まで発覚した五郎左衆への武官の協力者5名の資料。組織の拠点と思われる場所10ヶ所の位置。
桃源郷や翠聖都の四層、五層にもあるらしい。さらに過去の犯罪歴など膨大な量の資料が次々と映像によって映し出されていく。それは俺たちのステータスへと送信されて、俺たちもその資料が確認できるようになった。
そして五郎左衆についての現在判明している組織内容をほぼ全て把握することができた。
「——いけそうか?」
摩莉佳さんが聞いてきた。
「まあなんとか頑張ってみます」
武官の捜査資料がもらえたのは大変助かった。これであとは細かい作戦を立てていくだけである。ただその前にやるべきこともある。あまり時間はないが、協力者だけは見つけなければいけない。すぐには動けないのは残念だ。
だが時間がかかってでも、それだけはしなければいけなかった。目当てはもうついている。後は"死んでしまう前"に声をかけるだけだ。
それにしても切江とあそこで接触したのが気になる。
なぜあそこに彼女がいて俺の手を引っ張った。ただの偶然と考えるにはあまりにも楽観的すぎる。とはいえ翠聖様の行動は突発的なものだったようで、周りの人間も驚いていた。そしてあの時のことは翠聖様が忘れさせた。
覚えている人間は俺の仲間も含めて誰もいないはずだ。俺達を怪しむには、いくらなんでもタイミングが早すぎる。このクエストは局長さんでも予想してなかった。どうして、なぜあそこにいた。それがかなり気がかりだった。
一応そのことも摩莉佳さんに聞いておいた。
「そうか……。正直私でもそれは予想がつかん」
「予知とか?」
俺は試しに口にした。
「予知はブロンズの探索者が持っているようなスキルではない」
「ですよね」
【明日の手紙】ですら黒桜の反応を見る限り、かなり珍しいアイテムのようだった。それでもわかるのは明日までだ。俺が知りもしなかった切江が、俺に接触した理由。そんなものがあるとしたら、向こうが俺を知ってるから……。
少なからず俺は大八洲国の探索者の中で、有名になりつつあるらしい。そのつながりか? だとすると俺にクエストが出る可能性を考えたやつがいる?
「ところで六条」
摩莉佳さんがメガネを直しながらこちらを見てきた。
「何でしょうか?」
「今回の件、局長はお前たちに協力するべきかどうかかなりお考えになっていた」
「ああ……」
それは俺も考えた。ただ頼もうとは思わなかった。探索局の局長に探索の手伝いを頼む。それが許されるのならば、誰だってそうしたいだろう。だがそれはかなりの反則だ。
「だが局長はかなり目立つ方でな。動けば向こうにその情報が伝わることだけは間違いなかった。それにそれではお前たちのクエストではなくなるとも思ったようだ」
「分かってます。俺も頼みたいけど頼めませんでしたし」
「そうか……。六条。十分に気をつけておけ、同じレベル帯の人間というのは本当に怖いぞ」
そう言われて頷いた。どんなことをしていてもそうである。それまでゲームでもコンピューターが相手ならば勝てたとしても、相手が人間になった瞬間。勝ったり負けたりするようになる。それを全て勝ち続けなければいけない。負けてからのリセットボタンはない。
「本当にできるんだな? 逃げるなら今のうちだぞ」
「今俺が考えている中では、できると思ってます」
「そうか……いいだろう」
摩莉佳さんはそれでもまだ俺を見ていた。何かあるのかと俺も見返した。そうすると摩莉佳さんの顔が赤面する。それを他人ごとみたいに見てしまう。俺の顔は、相変わらず性能のいい顔である。この顔を見て赤面しない女はまずいない。
好き嫌いなど関係ない。男が超美人に見つめられたらドギマギしてしまうのと同じだ。この顔は、それぐらい高性能なのだ。何しろ自分でも自分の顔を鏡で見ると赤面してしまうぐらいなのだから。
「では私はこのままお前たちと合流する。私のことも好きに使え」
「……は?」
「私のことを好きに使え。お前に言われるまま動いてやろう」
「なんと?」
「私のことを好きに使え。お前に言われるまま動いてやろう」
「いや、聞こえなかったんじゃありません」
それだと武官の引き継ぎをした摩莉佳さんが最も目立つ存在になってしまう。
「私は五郎左衆と因縁があってな。局長の許しを得て仕事は自主退職してきた。そしてお前に使われて、このクエストで死んでも良いと覚悟し、この言葉は言っている」
「それはまた……」
「頼む。私をこのクエストに参加させてくれ」
摩莉佳さんはどう見ても死ぬほどプライドが高そうなのに、こちらに体ごと向いて、座り直して土下座してきた。
「……」
思わず声が出なかった。素早く美鈴とエヴィーと伊万里を見る。美鈴は眉間がヒクつき、エヴィーも同じような感じだ。伊万里はニコッと笑っていた。マークさんだけが頷いた。そして俺はここで断ることなど出来るわけもなかった。





