第十五話 ガチャ
美鈴の急いでいる声に俺は慌てて振り向いた。美鈴がこういう声を出す時は、苦戦を強いられている時だと体が覚えていた。また美鈴がゴブリンに抱きつかれて叫び出さないうちにゴブリンを引きはがそうとして、
「うん?」
しかし大人のゴブリンが草原に血を流して倒れているだけで、美鈴が襲われている様子はなかった。
「倒せてるじゃないか。なんで叫んだの? 怪我でもした?」
「大丈夫。怪我はしてないから。私がゴブリン程度にそんな苦戦するわけないじゃない」
「5回ぐらいしてるけどね」
初期段階では女の方が男よりもステータスでかなり劣る。
そのため美鈴はあれからも何度かゴブリンに抱きつかれたりとか、唇を奪われかけたりとか、ボディアーマー越しに体を舐められたりとか。そのたびに助けるのが俺の役目だった。
「そんなの忘れた!」
「美鈴はもうちょっと慎重に動いてくれると嬉しいんだけど」
「あはは、そういうのは祐太に任してるから。それより、これ見てよ!」
美鈴が大人のゴブリンの手の辺りを指差していた。俺が視線を向け、
「!」
俺は目をゴシゴシとこすってもう一度見直した。傍らにコインがあったのだ。
「これって! もしかして! ガチャコイン!?」
「そうよ。ガチャコインだ!」
ダンジョン10階層毎に存在するガチャ。出入り口に設置されたそのガチャを回すにはコインがいる。そしてコインは一定確率でモンスターが所持している。ゴブリンはそれを所持していることが少なくて、300分の1ほどの確率だと言われていた。
「初めて生で見た」
「私も、石でできてるとか聞いたけど?」
つるっとした灰色のコインだった。
表にデフォルメしたゴブリンが描かれている。このガチャコインこそが、探索者の主な収入源と呼ばれるものだ。ゲームや小説などでは、モンスターを討伐した報酬とか、素材報酬とかがあるものだが、現状そんなものはなかった。
以前はモンスターの素材もお金になったのだが、倒されるモンスターの数が増えるごとに、市場価値がなくなってきて、今ではよほど強いモンスターでないとなんの価値もない。しかしそれでも探索者は実入りがよく、金持ちが多い。
その収入源を支えているのがガチャコインである。下の階層に行けば行くほどレア度の高いコインが現れ、1枚で十回引くことができる。
「アグニ出るかな」
「ストーンガチャでそんなの出るわけないよ。ストーンは金色が出ないとそれほど価値が高くないって言うよ」
探索者が仕事としてやっていけるようになるのは、ブロンズガチャを引けるようになってからで、それには11階層にあるガチャゾーンのガチャを引かなきゃいけない。
1階層のガチャゾーンにあるのはストーンガチャだけだ。
夢のある職業ではあるが、それを仕事にして食べていけるようになるのは、せめて10階層は越えなきゃいけない。
しかしそれを超えて、ブロンズガチャにたどり着ける人間は、本気で探索者を目指している者の中の100人に1人とも言われていた。
「祐太、今からガチャ引きに行こう!」
「今から?」
「当たり前でしょ! ガチャよガチャ! そこには探索者の夢が詰まってるのよ!」
「いやもうちょっとでレベルアップじゃないか。それから行った方がいいよ」
「そんなの明日でいい! 私は今ガチャが引きたい!」
「でもレベルアップしておいた方が明日から2階層への階段探せるし」
「ガーチャー!」
「いやでも」
「ガチャが終わってからレベルアップ頑張るからー」
「終わってから、またレベルアップしに行くってこと?」
それはすごい二度手間だ。加えてダンジョン入り口辺りはゴブリンを狩り尽くしている。必然的にゴブリンがいる場所まで時間がかかる。当然帰る時間も遅くなる。
「それでもいいの?」
「いい!」
俺は一分一秒でも長く美鈴と一緒にいたい。
だから時間がかかることになるのは別に構わない。
ただ両親に黙ってきている状態で、そんなに遅くなって大丈夫なのだろうか。と言うか、これから泊まり込みもあるのに、男と二人でそんなこと許してもらえるのか。
「分かったよ。じゃあ今から行こうか」
「私が引いてもいい? 見つけたのは私だしいいよね?」
俺だってガチャは引きたい。と言うか桐山さんのガチャ運1だよね。5の俺が引いた方がいいに決まってる。
「いいよ。でも一回だけ俺もやらせてよ」
しかし惚れた弱みだ。最初の一回目でもあるし、俺は大幅に譲歩した。
「やだ。全部引きたい」
おい、さすがに怒るぞ。俺は眉間がひくついた。
「お願い美鈴」
でも下手に出た。好きなので仕方ない。
「祐太はもう仕方ないなあ。じゃあ一回だけだからね」
「ありがとう」
なぜ俺はお礼を言っているのかよくわからない。
普通は5回ずつだろうと思う。でも美鈴が喜ぶならそれでいい。よほどガチャを引きたいのか、終始浮かれ気味の美鈴と一応周囲を警戒している俺とで入り口まで戻った。
俺たち2人はガチャの置いてあるガチャゾーンの円筒形の建物に入る。
窓はなく他に人はいなかった。1階層を利用している探索者は、今の時期は俺たちしかいないのだ。Dランのテリトリーだと逆になるのだが、そんなところに行く気はない。
「が、ガチャゾーンだよ美鈴! 初めて入ったよ!」
「すごいね祐太! 探索者って感じがするよ!」
ガチャゾーンは、ガチャを引けるコインを持っていないと入れないセーフティーゾーン。床はタイルで壁は白かった。中央には石でできているガチャが鎮座していた。ゲーセンなどにあるガチャよりは一回り大きい。
俗にストーンガチャと呼ばれるものだ。
10階層ごとにあるガチャゾーンは、下の階層に行くほどガチャ台も良いものになる。11階にあるガチャは青銅でできていて、21階にあるガチャは銀でできているそうだ。
「じゃあ入れるね」
石で作られたガチャに、美鈴が石のガチャコインを投入した。残り10回の電子表示が出た。美鈴がガチャをガチャコンと回す。その結果はガチャ運が1ということでわかりきっている。結果は、
「東京〇な奈だ!」
ガチャの景品が出てくる口から、ガチャコンとよく見るガチャの白カプセルが出てきた。白カプセルは外れである。ちょっとテンションが下がる。その白カプセルを開けるとミニサイズの箱入り東京〇な奈が出てくる。
美鈴がそれを取り出すと、不思議なことに、通常サイズの東京〇な奈の大きさまで巨大化した。
「おお、なんかすごいね」
最初なので、ミニサイズの食べ物が大きくなっただけでも感動した。しかし、4個入り500円ぐらいのその東京〇な奈は、一番レアリティが低いストーンガチャから出てきたものだと考えても相当微妙だ。
「美鈴、大丈夫だよね? ちなみに俺のガチャ運って5だよ」
ガチャ運は今一番高いと言われてる人でも、10ぐらいだそうだ。
その人はレベル1000を超えている人である。だから俺のガチャ運5は今のレベルから言えば破格なほど高い。正直絶対俺が引くべきだ。
「任せて私のガチャ運は神話級だからね! きっとガチャ運が1っていうのは100万飛んで1の部分の1がステータスで出てるだけよ!」
そんなことを宣って、さらに何の迷いもなくガチャを回した。出てきたのは、
「メープルメロンパン!」
「俺メロンパン好きなんだ」
次が、
「とんこつラーメン!」
器に盛られて出てきた。
箸までついてる。
湯気が出ていて美味しそうだ。
ちなみにストーンガチャで出てくるカプセルは、金色、銀色、銅色、白色に分かれていて、金色が大当たり、銀色が当たり、銅色が普通、白色が外れと言われていた。そして今出ているのは白色ばかりである。基本的に白色からは食べ物か日用雑貨が出てくるそうだ。
「美鈴、これ食べていい? 今晩これにしようかな」
「いいけど私も食べたいから半分残しといてね!」
そう言いながらもガチャを回していく。
「あ、いや、それより交代した方が、やっぱりガチャはガチャ運が高い人が引くべきだと」
「大丈夫! 神話級だから! ほら、白だけど海鮮丼が出た! 海鮮丼!?」
「痛みが早そうだね。美鈴、外から見て食べ物の時はカプセルを開けない方がいいよ。学校で散々習ったことだけど、カプセルは開けない限り時間経過しないから、ダンジョン内での主な食事になってくれる。と、僕は今晩やっぱこっちにしようかな」
「私、どっちも食べたいから半分こずつ!」
いやそれだと間接キスになるじゃないか。恥ずかしく思いながらも、美鈴はどんどんガチャを回していく。
なんだろう。このめげないガチャへの姿勢は。いっそ清々しい。でも探索者の主な収入源は、ガチャである。それなのにこのままだと、
「あの、美鈴。このままだと初期投資が回収できないよ? さすがにレジのお姉さんもこれ以上は足りないのに買い物したら怒ると思うんだけど」
その言葉に美鈴は一瞬ひるんだ。しかしそれでもガチャを回した。出てきたのは、
「やった今度は銅色だ! 何かな何かな~ぱかっと開けて! く、黒毛和牛出た!」
1kgぐらいの肉の塊、高級黒毛和牛が桐箱に入って出てきた。
「おお、やったね。今まで1000円ぐらいだったけど、これは1万円ぐらいしそうだ」
それにしてもやばいな。本来ストーンガチャでも、銅色は結構出るって話だけど、やっと出た。間違いない。神話級のガチャ運のなさだ。
「やっぱり交代した方が」
美鈴はそれなのにまたガチャを回してしまう。ガチャコンッという音がした。
「行け! 神話級!」
そしてガチャから出てきたアイテムを取り出した。白カプセルで迷彩がらの帽子だった。
「アーミー帽子出たわ! これはきっと高級品ね!」
「いや、ダンジョンショップで500円ぐらいだったよ」
「な、なんかおかしくない!? このガチャ壊れてない!?」
「やっぱり代わる?」
「いやいや、よく考えたらアーミー帽子は食べ物じゃないわ! そうよ! いよいよ食べ物以外が出てきました! 気を取り直して神話級!」
美鈴は自分でもだんだん自信がなくなってきたのか、ガチャを回す手が震えていた。ゼエゼエと過呼吸の音がする。
ガチャコンッ
「って、何かよくわからんフック出てきた! これ何!?」
「バックパックに装備を引っ掛けるやつだね」
「まだいける! これからだ! ほら!」
美鈴はもうちょっと考えて回せばいいのに、ガチャコンッとガチャがまた回った。今度はミニサイズになっているにしても随分軽いカコッという音がした。
「ボールペン!?」
「一番外れって言われてるガチャアイテムだね。100円ぐらいかな。ストーンでガチャ運1の人が1/1000000ぐらいの確率で出すってネタになってたな」
「いやいやあんた何で出た!? 何で出てきちゃったの!?」
「ねえ、あと2回だよ。交代していいんじゃないかな。このままだと赤字だよ」
「私は諦めない! なぜならそこにガチャがあるから! そーい!!!」
勢いと共に美鈴がガチャを回した。今度は先ほど以上に軽い音がした。
「ふ、ふりかけ!」
「しかも卵味の小袋一個だけ……。美鈴はガチャを引かない方がいいと思う」
「……」
あまりの悲惨な結果にさすがの美鈴も背中が煤けていた。
普通ストーンガチャでも刀とか弓とかダンジョンで役立つものが一つは出てくると聞いていたのだが、見事にどれも使えない。いや食べられるから使えないは言い過ぎだけどさ。
「では最後!」「はいストップ! 俺と交代だから」「あと一回! あと一回だけ!」「1回したらもう引けないでしょ。じゃあ俺が引くよ」
さすがに止めた。
ガチャ運1は伊達じゃなかった。
「きっと美鈴はガチャの神様に嫌われてるんだよ」
「うぅ。祐太嫌い。嘘だけど」
「嘘で良かったよ」
最後の部分がなかったら速攻で、最後も譲っていた。
でもさすがに1回ぐらいは引かせてほしい。俺はガチャに手をかけた。そしてゆっくりガチャを回した。ガチャコンッという音がして、ガチャのカプセルが出てくる口から、コトンと重い音がした。
「何かな? って!? うそだろ!? いきなり金色だ!」
「ええ!?」
「ほら見てよ! すごい!」
「あ、でも、中身は飲み物っぽいよ。ぷぷ、祐太もあんま大した」「これポーションだ」「なんですとー!?」
美鈴が芸人みたいな反応をした。液体が光っているので間違いなくポーションだと思う。というか、これ南雲さんからもらったやつと似てる。俺はバックパックに入った南雲さんからもらったポーションを取り出した。
「一緒だ」
「うぅ、祐太が、私が引くはずだったアイテムを取った」
普通のガチャだとそうなる。
しかしダンジョンにあるガチャは違う。
ガチャ運によって明らかに違う人が引くと違うものが出てくるし、 どう考えても引いた人専用としか思えない装備も出てくる。だから美鈴の言い分は言いがかりである。
「はは、なんかごめん。でもこんないいものが出てくるなんてすごいよ。南雲さんからもらったポーション調べてみたら市場価値1千万円ぐらいするんだよ。これ、多分それと一緒のものだよ。最近ネットで調べたところだから間違いないね」
「う、嘘!? そんなにいいのストーンで出てくるの? 最高で100万円ぐらいじゃなかった?」
世間的ではダンジョンを否定する意味で、そんなふうに言う人も居る。特にうちの担任はダンジョンに否定的だったからそんなことを信じてた。そして実際に回したことがないものたちは、そんなものかと納得してしまう。
けど、実際のダンジョンアイテムは値段があって無いようなものである。同じ金色であっても、そしてたとえストーンガチャから出てくるアイテムでも、需要と供給の関係で価値がバグる。
ポーションは諸事情によりまだ安い方である。ストーンガチャにも平気で億単位を超えてくるようなアイテムも出てくるらしく、その辺は市場に供給される数次第で全く価値が変わる。そう言われていた。
「ポーションはガチャとは別の場所から市場供給してくれる探索者がいる。だからそんなものらしい。それでも需要はめちゃくちゃ高いから100万なんてありえないよ。何しろ飲めばすぐに怪我が治るんだ。おかげで値段はつり上がる傾向にある。だから1000万で間違いないよ」
「そうなんだ……。どうする? 1000万だよ1000万。確かダンジョンショップって売値の8割で買ってくれるんだよね?」
「うん。ネットオークションとかにかけるともっと値段は釣り上がるらしいけど」
「じゃあオークションいっちゃう?」
「いや、高額すぎてトラブルも多いらしいよ。特にポーションが欲しい人は多いからね。その理由も切実だから、元手がなくても落札しちゃうって。他にも探索者が市場にめったに流してくれない金カプセルから出てくるステータスアップアイテムは3000万以上で売れるらしいよ」
「そういえばそんな話、調べたら書いてたな。正直、あんまり信じてなかった。というか、色んな噂がありすぎて、どれを信じていいのやら」
「直接払うとか言って、死にかけの娘見せられて、ポーションを下さいって泣きつかれた探索者もいるらしい」
「か、可哀想だけど関わりたくないわー」
かわいそうだとは思う。でも、他人を助けていられるほど自分達にはまだ余裕はなかった。
「どうする祐太? 念のために2本持っておくか。売っちゃって残りのお金で装備を整えるか。800万もあればもっと装備を整えられるよ。いっそ二本とも売っちゃって、1600万で装備を整えるのもありかも」
その提案は魅力的だった。南雲さんからもらったものを売り払うのは気が引けるが、今日1日使っただけでポリカーボネートの盾はボロボロになっていた。殺す気でゴブリンが何度も斬りつけてきて、おまけに矢も何度も受け止めた。
ポリカーボネートの盾は2、3万で売っていたもので、そんなに長持ちするわけがなく、明日も使うとしたらかなり危険だ。
「1600万か。首飾りと同じクラスの装備がもう一つ買えるんならありだ」
今日、美鈴はなんだかんだで首飾りのおかげで、怪我をすることはなかった。ゴブリンとの戦闘に慣れてくればくるほど、首飾りのバリアを破られることもなくなり、何の怪我もしていない。
俺はといえば首飾りがないために腕を斬られたり結構怪我をしていた。それを10万円のポーションで2回ほど治療していた。一瞬で怪我が治るポーションのありがたさを改めて感じたが、
「とりあえず一本は売ろう。800万を元手に装備を整えたら1階層なら危なくはないだろう。その上で2階層に降りる階段を見つけるのは結構かかるみたいだし、ゴブリンを狩りながらガチャコインを集めてみない?」
「探索のついでにガチャコインを集めるのね。もうすぐレベル3になるだろうから無理じゃないよね。レベル3になれば1階層は楽勝だって噂だし」
「うん、言っとくけど次からは公平にガチャは回すからね」
「えー、全部回したい」
かなり不満顔をしてくる。しかし惚れた弱みがあるとはいえ、ここは譲れない。美鈴に全部引かせたらまた食べ物づくしになってしまう。
「ダメ」
「ぶう、わかりました。じゃあ海鮮丼とラーメン半分こずつして、レベル上げに行こっか」
さすがにガチャ運の違いをまざまざと見せつけた後である。美鈴は思ったほど駄々をこねなかった。まあ本当は効率的に全部俺が引きたいぐらいなんだけど、ガチャは探索者にとっての一番の楽しみである。
何よりガチャを回した人が専用装備を出すので、ガチャ運がいい人ばかりがガチャを引いていると、ガチャ運のない人は全く専用装備を整えられなくなる。だから効率では語れないものがあるのだ。
それにしても同じ器に入ったものを美鈴と半分こずつ……、
「ほ、本当に同じもの食べていいの?」
「え、いいよ? なんか問題ある?」
「きき、桐山さんの食べ残し……」
「美鈴だってば。祐太、海鮮丼の残りもらうね」
「そ、それは俺の食べ残しだぞ!!」
「え? 食べちゃだめだった?」
「い、いえ、どうぞ桐山様」
「美鈴だってば」
とてもおいしい夕食でした。