これ、私の考えすぎですかね。そのいち。
どうも、エッセイを書くのが楽しすぎる “いぷしろん” と申す。以後お見知りおきを。
さて、私は今年の二月ごろに読専から書き手にとジョブチェンジした。とはいっても投稿を始めたのは今月に入ってからで、PVはどれも100ほど。「なろう」の厳しさを実感しているところだ。
本題に入ろう。
私の執筆速度は恐らく遅い。
現代恋愛の短編を書くときは一時間に700~800文字程度しか完成させることができない。……エッセイだと話は別だ。その二倍は確実に書ける。
私の執筆速度が遅い理由は自分でもわかっている。色々と考えすぎてしまうのだ。そこで多大な時間を取られる。
今回は皆様に「私が考えすぎているか否か」を一緒に考えてほしい。
〈一人称〉
一人称視点を使うことが多い私が書き始めて最初に悩むのは、やはり登場人物の一人称だ。
まずは視点の人物。年齢的に男なら「俺」か「僕」。女なら「私」か「わたし」で迷うことが多い。“は? 感覚で決めろよ” と思われるかもしれないが、私はそうもいかない。どうしても色々と考えてしまう。
……そもそも皆様の一人称は常に同じだろうか。いや、違うはずだ。学校、家、職場、、なろう、飲み屋、友人といるとき、そのときどきによって一人称を変えているはずなのだ。女性の方でも「私」が「あたし」っぽい発音になったりということがあるだろう。
だが、小説ではそうもいかない。逐一変えてしまうとややこしくなるからだ。そこでやっと私は考える。「俺」と「僕」どちらがふさわしいのかをだ。最初はとりあえず、楽に打てる「俺」としてみるのだ。そうするとヒロインとの掛け合いや、他の登場人物との兼ね合いから違和感が生まれたり生まれなかったりする。その違和感で「僕」に変えることもあれば、自分の中の解釈と異なってしまい変えずになんとか違和感を消し去れないか試行錯誤することもある。
それで時間を取られた覚えがあるのは、私が「なろう」に投稿したうちの三作目だ。この作品、四回ほど一人称を変更した記憶がある。それにともなって細かい言い回しも変えたりして、かなり時間を取られた。
また、視点以外の人物も悩みどころだ。「なろう」に投稿していない、私のフォルダに眠っている作品の話なので詳しくは語らないが、登場人物が多くなってくると口調や語尾だけでは話し手を無意識的に特定するのが難しくなってくる。そこで、登場人物の一人称を全員異なるものにしたという話がある。もちろん、それはそれでややこしくなったのは言うまでもない。
――これ、私の考えすぎですかね。
一人称は適当でいいのでしょうか。
〈名前〉
次は名前。私は作中の一人称の語りで自己紹介はさせず、会話等で視点の人物の名前を出していくようにしているのだが、これには理由がある。何を隠そう、ただの後回しである。私は名前を考えるのに時間がかかるので、後回しにして、他のところを書いている間に頭の片隅で考えているのだ。
私は登場人物の名前を意味のあるもの――例えば “出〇杉 英才” のような――にしたりはしないが、毎回自分の思うきれいな名前になるようにしている。今まで投稿した中で私の自信がある名前は “日向 小冬” や “倉木 咲空” とかだろうか。現実にはいそうでいない。そんな名前を目指している。
そんな私の名前の決め方は完全独力自己流だ。まずは入れたい漢字を一文字決める。……平仮名は見づらくなるから基本的に使わない。先ほどの名前で言うなれば、前者なら「日」、後者なら「空」がそれに当たる。そこからはフィーリングや、知り合いの名前の読み方を変えたり、あるいはよくある名前を一文字変えたりして決める。
ここで問題になってくるのが「きれいな名前」という部分だ。例えば読みが四文字の上や下の名前。現実にもいるだろう。私は三文字なのでひそかに “かっこいいなぁ” と思ったりもしているのだが、小説になるとそれは異なると考えている。これはあくまで個人的な意見として聞いてほしいが、四文字だとなんとなくテンポを崩されるのだ。特に「先輩」、「先生」、「ちゃん」などといった敬称を付けるときにそれは顕著になると思う。もちろん、中には四文字でも読みやすい名前はあるが、私は基本的に使わないようにしている。
(実は “北西” という名字の男の子が出てくる作品を投稿しているのですが、あまりに思いつかなかったがゆえの措置です。別にポリシーというわけでもありませんので)
なお、「きれいな名前」というのは私の感覚の問題なので、皆様とは違っている可能性も大いにあることを明記しておこう。
また、兄弟姉妹の名前にはできるだけ共通点を入れるようにしている。“律樹” と “由楽” なら音楽繋がりだし、“透流” と “歩武” はわかりづらいが、最初の一文字だけでもそう読める。違う名前を創造するのも大変なのだ。
――これ、私の考えすぎですかね。
名前なんてサイトを見るなりして量産型にするべきでしょうか。
〈(過度な)ご都合主義〉
やっと今回の本題がやってきた。恋愛、ファンタジー部門で大手を振って歩いているご都合主義さんである。……先に言っておくと、私が「ご都合主義」を嫌いということは全くない。むしろ好き。
まずは、私が何をもって「ご都合主義」と見なしているか話しておこう。ひとつ目が、常識的に考えてありえない展開。二つ目が、因果関係の説明不足。三つ目が、主人公側にいいことのみが起こり、悪いことは一切起こらない展開(追放系も含む)。……ということになるのだが、これは言語化が難しかったので “無理があるだろ!” という設定だと思ってもらって構わない。
もう一度言っておくと、私はこのエッセイでボヤ騒ぎを起こしたいわけではない。私自身も「ご都合主義」は好んでいるし、そもそも、そういう展開でないと大部分のラブコメは成り立たなくなるだろう。ネタが出せないわけなのだから。自分では体験できない物語、考えもつかなかった世界、そういうものを「なろう読者」が望んでいるのは知っている。
――知っているが、私がいざ書くとなるとどうにも気持ち悪い。なぜか常に同じクラスのヒロイン、設定としては使われない天才な彼、ある日から突然いろいろなことが起こり始める物語、出会ってすぐに告白するひとたち、エトセトラエトセトラ。ほぼラブコメのことだが、いざ自分が “こういうのを書いて成り上がったるで” と思っても手が動かない。
そこにある感情は何か。
現役高校生が何やってんだという羞恥?
文系もできる理系を自称する矜持?
精神が侵された逆張りキッズ感?
どうせ埋もれるんだという諦念?
違う。いや、少しはあるかもしれないが違う。
私にあるのは『違和感』だ。“私が書きたいのはそもそもこれなのか” という違和感。本能が拒否する……と言うと大げさだが、「ご都合主義」は私が求めているものと違うのだ。
私が執筆を始めたのは、自給自足で糖分を摂取するため。私の好きな砂糖の銘柄は「ご都合主義」ではないのだ! 私が欲しいのはビターチックな砂糖。すぐに溶けずに口の中にとどまり、長い余韻をもたらしてくれる。そんな砂糖が私の好みなのだ! それは量産型を食べてるだけでは得られない成分! だから私の手がとまったのだ!
……と言ったところで本題の本題だ。今しばらくお付き合い願いたい。
では私が「ご都合主義」ではなくラブコメを執筆したのかというとそういうことではない。というか、ラブコメである時点で「ご都合主義」という面もあるのでそれは無理だ。
私が意識したのは、因果関係をしっかりと書くこと、視点人物の心情を読者に理解してもらうこと、過度の「ご都合主義」を避けること、この三点だ。
因果関係をしっかりと書くこと。私の作品を例に取ってみよう。先に言っておくと、その作品の根幹にあるのは「ご都合主義」だ。でもこれは最初の土台がないと展開が作れないので許してほしい。
さて、その作品には天才の男の子が登場する。この “天才” の部分が「ご都合主義」になっていて、それ以外にはないと思っている。それでその天才の男の子はテレビに出ているのだが、これにはちゃんと理由がある――といった感じだ。実際には、天才というところから因果に基づいた設定が生えていき、その結果 “じゃあテレビに出てるだろ” みたいな思考回路のもとできた設定だ。
次に、視点人物の心情を読者に理解してもらうこと。これは、何も直接書いていると言っているわけではない。それとなくわかるように、“わかる人” にだけわかってもらえればいい、そんな思考で書いている。一人称視点で小説を展開しているのであれば、その利点は生かした方がいい。
そんなことを考えて、初めて私の小説のプロットは完成する。そして、そこから地獄のキャラ構成等が始まるのだ。
――これ、私の考えすぎですかね。
細かい内容なんて誰も気にしてないでしょうか。
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相変わらず後書きに書かない後書き
実はまだまだ書きたいことがあります。私は本当に考えすぎるのです。
しかしながら本作はエッセイとしては長くなり過ぎました。
したがって、いずれ『そのに』を投火……じゃない投下しようと思います。
内容は「伏線」、「ルビ・傍点」、「ダッシュ・三点リーダー」などになる予定です。
もしかしたら『そのさん』までいくかもしれません。
これも――私の考えすぎですかね?