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彼女が倒れて完全に回復する前に、討伐団は目的の魔物を打ち倒した。
どうやら彼女が命をかけて治癒させた奴等は深手を負いながらも目的の魔物に大きなダメージを与えていたようで、その後に再編成され完全に打ち倒してきた。
そうなればこの野営地はたたむことになる。今は撤退準備と残党狩りで残ってる奴も少しずつ減ってきた。
俺もここから戻るための荷造りをしていると、気配を感じた。顔を上げれば彼女が荷物と一緒に所在無さげに立っていた。
「何しに来た」
聞いたところで彼女は喋れない。過去の出来事が彼女から言葉を失わせているのを知っていた。
なのに、彼女の口が何かを言おうとハクハクと動く。
「何が言いたいのか知らねぇが近付くなって言ってるよな」
苛立った声になるのは仕方がない。それでも立ち去りそうにない彼女から離れるべく荷物を背負って踵をかえした。
が、背負った荷物の端を掴まれて再び彼女を見る羽目になる。
「何なんだよ。俺はお前に用なんてない。離せ」
小刻みに震える彼女はうつむいたままだ。
ため息をついて肩を押して後ろに下がらせる。そうすると抵抗なく彼女の手から荷物は解放される。
「いいか、近付くな」
言い含めてみたが、彼女はフルフルと首を振る。
「あのな、俺に近付けばお互いに嫌なこと思い出すだろが。それに俺はお前の希望を叶えてやる義理はねぇんだよ」
俺の中で当然のことを言っただけだが、彼女は驚いた顔で俺を凝視する。
彼女とここで再会した時に、彼女の顔に浮かんだのは驚きで、そして次に見せたのは悲し気な安堵の表情だった。
それを見て彼女が何を考えているのか分かってしまった。
彼女はここで、俺の目の前で死ぬことで、俺に復讐を果たさせる気なのだと。
正直、叫びたくなった。
仇なのかもしれないし、復讐もしなければならなかったのかもしれない。
でも、それ以上に彼女は俺の命の恩人で、村が壊滅したのにも関わらずここまでさほどの苦労なく過ごせてきたのは目の前で死ぬことに安堵している年の変わらない彼女が、あの時かけてくれたありとあらゆる守護魔法のおかげなのだ。
俺が礼すら述べるべき相手は俺に復讐されることを望んでいた。
洒落にもならない。
あの時、村が襲撃を受けた日、俺は石材の間にかろうじて隠れはしたが、あまりのできごとにただ震えていた。恐怖で歯の根は噛み合っていなかったし、立ち上がることも呼吸すらまともにできていなかった。
彼女は殴られて無理矢理魔法を使わされていた。彼女の腕にある隷紋が光っていたから。
隷紋は逆らおうとする意思を持つと光って苦痛を与えるという話は後になって知ったことだったが。
偉そうな親玉がそのことにイラついてその度に容赦なく小さな彼女を殴るのをただ震えて見ていることしかできなかった。
なのに、彼女はそんな合間に俺に守護の魔法をかけたのだ。生き残ってから教会に行った時にそこの神父に『とても強く温かな祝福を受けていますね』と言われて初めて俺は祝福も与えられていたことを知った。
祝福は誰でも誰かに与えられはするけれど、それをするにはかける本人の一途で強い想いと高い魔力が必要とされ、一生に1度しか行えない。
だからどんなに金を積もうと、隷属させた者に命令しようとも得られるようなものじゃない。通常、伴侶や子どもに与えることがほとんどだ。あまり知りもしない他人に命をかけるような場面で与えるようなものじゃない。
彼女があの時、治癒させろと命じられていたのは俺の父親と叔父達で、彼女が治癒しなければあそこまで酷い目に合わされなかったと言えばその通りではある。
混乱もしていたから彼女を確かに憎んだこともあるし、復讐してやると考えていたこともある。
けれど俺はあれから酷い目に合ったことはなかった。家族や村を失ってしまったけれど、不幸だと思ってしまうような目に合わなかった。俺を引き取った家族には温かく迎え入れられ、友人にも多く恵まれたと思う。
村を襲撃した盗賊共は捕まって、相応に悲惨な最後を晒した。
なによりも、彼女の祝福が俺をずっと励まし、温かく包んでいてくれた。
彼女の祝福のおかげで彼女があの時かけてくれた守護魔法は今でも有効で、いつでも俺を守っているし、運だっていいし、都合が悪ければ身を隠すのだって簡単だ。理不尽な目に合わなかったのも彼女がずっと守っていてくれたからだ。
冷静になればなるほど彼女が加害者ではなく最大の被害者だと感じた。
ゴミクズのような扱いを受けながらも、必死で俺を守ってくれた。それなのに、俺は助けることも声を出すことすらできずに、ただ物影で情けなく震えていただけだ。俺だけ助けられて、その後だってぬくぬくと守られてきた。彼女はその間もずっと理不尽な目に合っていたはずなのに。
そんな俺が彼女を本当に恨み続けることなんてできるはずがなかった。
「俺はお前に復讐したいなんて思っていない。お前がどんなにそれを望もうと俺はそれを叶えない」
彼女の目を見てはっきりとつげると、彼女は怯えるように1歩後ろに下がり、首を横にフルフルと振るわせる。
そんな彼女に1歩近付く。
彼女はあの盗賊共から解放された時には完全に言葉を失っていて、自分から意思を伝える手段をほぼ持たず、気力すらも無くしていたそうだ。そして、保護した教会が名無しじゃ困ると彼女をナーズと呼ぶことにした。
だから彼女が呼ばれているナーズは本当の名前じゃない。
「……俺の名前はアトル。今度会えたらもっと旨いもん食わせてやるよ……ティア、俺はお前とそう約束した……覚えてるか?」
遠い昔、村が襲撃を受けるよりも前に、俺は腕に変な模様を付けた寂しそうにしているかわいい子とそう約束をした。ティアはあの時ぱぁっと花が咲くように微笑んでくれた。
彼女……ティアはヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
「お前、喋れなくなって周りに勝手に名付けられたんだろ? お前初めて会った時に俺に自分の名前言ったじゃねぇか。本当の名前、忘れたか?」
ティアは緩く首を横に振った。その頬はいつの間にか濡れていた。
「……ア……トル………お……ぼえ……てる……」
掠れた小さな声でティアは確かに喋った。
「声、出せたじゃねぇか」
俺はティアの頭を撫でていた。
誰かに恨まれてるとか、復讐されたいとか、そんなこと少しも考えてほしくないと思う。
「ティアが自分を許せなくても、俺はティアには幸せに生きてほしいと思う」
ティアの目からは次々に涙が溢れてきて止まらなくなってしまう。
涙を止めてほしいと思う反面、それだけ苦しんできたなら、みんな涙と流してしまえとも思う。
いつの間にか俺はティアの頭を引き寄せて抱きしめていた。細くて力加減を間違えると壊してしまいそうなほど脆く感じる。同時に、ずっと感じていた温かさが実体を伴って腕の中にあることに満ちたりてしまうような錯覚も持っていた。ティアが願うなら何でも叶えてやりたい……
手放したくない。ずっとそばにいてほしい。
自分がティアと再会したらそう思ってしまうのは分かっていた。
なのに、そのティアは俺に復讐されたがっていて、終わりを望んでいた。
その事実は苦しすぎた。
ティアの願いはできるならなんでも叶えてやりたかった。でも、ティアが本気で願うのはティアを消してしまうことだった。
近付けば近付くだけ傷付けてしまいそうで、自分も傷付きそうだった。
だから近付くな、とあれだけ言ったのに。
ティアは俺の腕に収まって、泣きながら俺の服にしがみついて離れそうにない。いや、離したくないのは俺の方なんだろうけど。
「ティア、俺のところにこい」
ティアがびくりと震えて俺の顔を見上げてきた。泣いていたせいで目元が赤くなっている。
「俺と生きろよ。ティアは、俺に生きろってそう願っただろ。なら、俺もティアに笑って生きてほしいと思う」
「……でも……わたし……は……」
掠れて途切れがちな声は揺れているみたいだった。
言葉にした途端に俺も急に何かが吹っ切れてしまった。
そうだ、ティアに笑っててほしいのは俺の近くでだ。死を覚悟したような笑みではなく、心から楽しいと、幸せだと笑っていてほしい。
それを俺ができないとは限らない。
「ま、いいか。俺はティアを今から拐う」
言ってから名案だと思ってしまう。生きながら終わりを願い続けるより、毎日を笑って生きていてほしい。
騒ぎにならないようにティアには後で世話になってた教会へ手紙を出してもらって、しばらくあちこちを転々と過ごして、ティアが落ち着いたら挨拶に戻れば問題もない……だろう。
頭の中で勝手に予定を立てていく。うまくいくだろう。何せ俺にはティアの祝福と運が良くなる守護魔法がかかっている。
「じゃ、なんか旨いもんでも探しに行くか」
吹っ切れてしまった俺は今までの態度とは真逆だとは思う。けれど、ティアが自分から俺のところに来るのなら、ティアが幸せになってもいいと分からせてやるのは俺だけができることのはずだ。
戸惑っているティアの荷物を持ち、反対の手でティアの手を掴む。
この荷物の多さからいってティアもこの野営地を離れるから最後に俺のところへ来たのだと思う。
単独でここから帰る予定の俺と違って、これから発つ中規模の集団と帰る予定ということか。なら、どさくさに紛れてティアがその集団にいなくてもあまり問題もないはずだ。誰かに体調を崩したから次で帰ると言っておけばいい。残ってる奴等には何も言わなければティアはその集団と帰ったと思うだろうし。
そこまで厳密に人を管理もしてないからバレることもない。
「逃げるなら今だ。ティア、俺に付いてくるか? 逃げるか? とりあえず俺は帰る奴の1人にティアが体調崩して次で帰るって言ってくる。俺が戻るまであの木陰で隠れてたら、俺はティアを拐っていく。それが嫌なら、俺が戻る前にティアは救護テントにでも行け。そうしたら俺はそのまま1人でここから帰るから。好きな方選べ」
木陰へティアを連れていき、頭を撫でると、俺はその場を離れた。
集団が出発するギリギリにティアのことを伝えて、見送ってから、ティアを置いてきた木陰へと戻る。
ティアは膝を抱えておとなしく座っていた。俺を見上げて不安で瞳を揺らした。
「残ってたってことは俺が拐ってもいいってことだな?」
ティアは覚悟を決めた顔で強く頷いた。
「じゃ、早速出発するか」
そう言って歩き始めればティアもトコトコと付いてきた。
*
あれから色んなところをティアを連れて旅をした。始めこそティアは俺の考えが分からないみたいに戸惑ってばかりだったが、それも少しずつほぐれていった。
食事は毎回これでもかと食わせた。ティアは食べないと魔力を回復できないし、魔力が回復しなければ体に栄養が回らない。ティアが細すぎるのはティアが魔力の完全回復を罪の意識から避けていたせいだった。
魔力の高そうな食材は有無をいわせずに食わせた。食うのを拒めば掴まえて口移しをしてでも与えた。真っ赤になるティアはめちゃくちゃに可愛かったが……誓ってそれ以上は手を出していない。
ティアが罪の意識や贖罪を願ってる時にそんなことして、それが許されるための行為だと解釈でもされたら洒落にならない。
耐えた俺を俺は誉める。
ティアをできるだけどろどろに甘やかした。むしろそれくらいしないとティアはすぐに顔を曇らせて過去に捕らわれてしまうから、余計なことを考えさせないように、前向きになってもらえるように頑張ったと思う。
ティアが罪の意識からでなく俺を意識してくれるように、態度だけじゃなく、言葉にもしてティアが大事だと、幸せに笑ってほしいと伝え続けた。
その甲斐はあったと思う。ティアは俺をちゃんと罪悪感ではない感情で見てくれるようになり、想いも通じ合うようになった。
そうなってからティアが世話になってた教会へ行き、結婚式をあげた。
皆から祝福されたティアは本当に幸せそうに笑ってくれた。俺もきっと同じ顔をしていたと思う。
もう、復讐されたいと願う女の子はここにはいなくなっていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
本編に組み込めなかった設定として、アトルを引き取った家族の子どもが『赤の団』の隊長をしています。隊長は突然家族になったアトルを本当の弟としてかわいがっていたので、後方部隊のただの料理人のアトルの意見にも耳を傾けますし、アトルが彼女のことを本当はどう思っているのかも気付いていてハラハラと見守っていたりもしました。
ちなみにアトルを引き取った家族は全員強く、ティアが捕まっていた盗賊団を捕縛したのは、アトルの養父にあたる人だったりします。




