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沈んでいく。どんどん、深い闇の底に沈んでいく。手を伸ばす気も、もがく気もおきずただ沈んでいく。
きっとこれが私の終わりになるのだと思うと安堵すら感じる。
やっと、彼に報える。やっと彼の復讐を果たさせてあげることができる。私がいなくなれば、彼はまた嬉しそうに笑うことができるだろうか……
チラチラと懐かしい光景が迫ってくる。
『お前、何でそんなモンかじってんだ?』
野草をかじる私に声をかけたのは幼いキラキラした笑顔がまぶしい彼だった。
ーーこうすると魔力がいっぱいになるの……
私は他の人達みたいに眠って魔力を回復させるのが難しかった。だけど、何か食べるとちゃんと回復する。間に合わない時は野草や木の枝で他と違ってキラキラしているのをかじると普通よりもたくさん回復できた。多分魔力をたくさん蓄えている部分なのだと思う。
だからこの時も私は野草をかじっていた。
『こうしたら旨くなるんだぜ』
彼は得意そうに私がかじる野草に手をかざした。何かの魔法みたいで、固い感じだった野草は軟らかく食べやすそうになって、キラキラの感じがいつもより強くなった気がした。
私はためらいなくそれを口にする。
ーー苦い……あ、でもいつもより魔力いっぱいな感じ……
苦さに顔をしかめるけれど、大抵のキラキラした物は苦いから、魔力って苦いのだと認識していた。
『あれ? 苦い、そんなはずないんだけど……うわっ、なんでだ? なら、こっちはどうだ?』
私を見て焦ったように彼も私と同じ野草をかじり顔をしかめた。
今度はキラキラしてない同じ野草に彼は手をかざしてかじる。そして頷いてから私にそれを渡してきた。
キラキラしてなかったはずの野草はちょっとだけキラキラしていた。
私は言われた通りにそれを口にする。
ーーすごく美味しい。でも、魔力ちょっとだけ……
魔力が苦いのは間違いだったのだろうか? こっちは魔力は少ないけどとても優しく甘さすら感じられた。
それから2人でしばらく苦いとか美味しいとか色んな野草や枝を見つけては彼が魔法で食べられるようにして言い合った。
2人で出した結論は私がキラキラしているように見える物は彼にはちょっと違うと思うくらいだということと、魔力がたくさん含まれてる物は苦いということ。
『それにしても、食べて魔力が戻るって変なヤツだな、お前』
ーー普通は眠ると回復するんだよね? そっちの方がふしぎだよ……
彼は何かいいことを思い付いたようにニッと笑った。
『俺の名前はアトル。今度会えたらもっと旨いもん食わせてやるよ!』
彼は得意そうな顔になって、なっ? と笑った。私はそれが眩しくて、そして心がぽかぽかした。
そんな彼が急速に遠ざかる。嫌だ、あのままずっとあの場所にいたい。永遠にこの記憶の中だけにいたい。手を伸ばしてもがいても、再び私は沈んでいく。
私は乱暴に髪を引っ張られて引き摺られた。
痛いとも嫌だ、とも声が発せられない。涙すらも出ないのだ。だって私は頭領に対してそれらをすることを禁じられている。
隷属させられている奴隷だから。
『治せ!』
命じられれば嫌でも私は従うしかない。顔をあげず頭領の斬りつけられて今にも離れてしまいそうな腕を治癒させる。治すと同時にその腕で殴り付けられた。
『遅ぇ!』
私は成す術なく地に倒れる。起き上がりたくない。
耳を塞いで唇を強く噛む。血の味が滲んできても私はそれを止められない。
頭領の腕を治したら何が起こるのかそんなの分からない訳じゃない。はじまるのだ、頭領達によるこの村への暴虐が。
村中に火を放ち、逃げ惑う人々を次々に笑いながら蹂躙していき、全てを奪って全てを壊してしまうのだ。
泣きたいのに泣けない、叫びたいのに叫べない。逃げたいのに逃げられない。従いたくないのに逆らえない。
私が頭領の腕を治さなければこんなふうにならなかっただろうか……
震える私の思考が一点を見て止まる。なぜ、ここに? 疑問がわく。けれど、よく考えれば分かる。あの場所からこの村は1番近い。
彼が……野草を魔法で不思議に変えた彼が恐怖と絶望を顔に張り付けて少し先にあった石材置き場に身を潜めていた。その目は絶望に染められながら私を見ていた。いや、私の後ろで行われている惨劇を見ていたのかもしれない。
助けなきゃ。それしか考えてなかった。頭領の気が逸れていれば私も少しは自分の意思で魔法を使える。だから、彼に見つかりにくくなる魔法、防御の魔法、運が良くなる魔法……思い付く限りをかけた。彼は魔法をかけられたことにも気付かないようで、私の後ろで繰り広げられていく暴虐によってどんどん目が虚ろになっていく。
私はそれが悲しかった。前に会った時はあんなにキラキラした顔をしていたのに……
彼の心が壊れないように、また笑える日がきてくれるといいと、幸せになってほしいと願っていた。
『来い!』
髪を捕まれ再び引き摺られる。
『こいつらを治せ!』
頭領の前には3人の瀕死状態の村人がいた。きっと、頭領の腕を斬った人達。
頭領はこの人達を治癒させて何をする気なのだろう? 震えて頭領を見た。顔には残虐な笑みが浮かんでいる。
『何してる! 早くしやがれ!』
頭領に背を蹴られて彼等の前へ出された。命じられれば疑問を持っても逆らえない。私は言われるまま彼等を治癒させた。
途端に頭領に後ろに投げられる。
頭領は治った彼等を再び笑いながら斬りつけた。そして、私をまた引き摺って彼等の前へとやる。
『治せ』
重傷の彼等の顔に恐怖が張り付き、私から遠ざかろうとする。それを頭領の子分が蹴りあげる。
『早くしろ!』
体が震えて逆らおうとするのに、私は命令を実行する。そうすれば再び頭領達は……
何度同じことをさせられたのか、限界で私が倒れた。
『ちっ、コイツがいねぇと不便だ。これで終いだな』
そうして、1つの地獄が終わった。
沈む。闇の底にむかって沈んでいく。
本当の地獄が去ると時が進んだ。頭領達はそれから随分経ってから盗賊討伐隊によって捕らえられ、公開処刑された。
その間の私は常にぼんやりとしていて何をしていたのかほとんどもう思い出せない。
ただ私は、彼と楽しく話せたあの日と彼の絶望を見た日を毎日繰返し夢にみていた気がする。
私は奴隷から解放され、腕から隷紋も消されて教会に身を寄せた。
皆とても優しく、温かかった。かつて私が奪われるきっかけを作った人達も温かかったはずだ。
罪は償いきれないほど降り積もっているのに、私は誰からも罰せられない。
私も処刑されるべきなのに。
だから今度は助ける為だけに魔法を使い、治癒を行った。
そんなことだけで救われるほどたやすい罪ではないけれど、それしか私がしてしまったことに報えない。
教会に頼んで、魔物討伐の最前線にいくことになる『赤の団』への参加の許可をもらった。
こんな私が救える人がいるのなら救いたかったから……そう、思っていた。彼に再会するまで。
彼に再会した時、私はこれで終われるのだと安堵と共に感じてしまった。
彼は私を恨んでいるに違いなかった。彼の大切な村を、家族を友人達を壊滅させてしまった1人なのだから、彼が私を許さないのも、復讐したいのも当然で、私はそれをただ受け入れて消えるのが正しい在り方だと思った。
それが彼のための最善だし、私が受けるべき罰になるはずだ、と。
彼の目にはあの時見た絶望はなかった。あったのは驚きだった。
私が惨たらしく逝けばきっと彼は復讐を完遂できる。私はそれを信じていた。
けれど、彼は私を怒鳴り付け拒絶はするのに決して傷付けるようなことはしてこない。
代わりに私の食事には彼が魔法で作った魔力の高い食材が必ず使われていた。
魔力を完全に回復させなければいつか魔力枯渇を起こして、彼の復讐は果たせるはずなのに……
それなら私が野営地から出て最前線に行く人達に付いていき、そこから帰らなければいいのではと思いたち、喋ることができないので隊長にそう手紙を渡せば、後日隊長に呼ばれて、私を野営地から出すのは損になると言われた。
隊長が苦笑いしながら、彼が反対だと意見してきたとも教えてくれた。
どういうことなのか全く分からなかった。
私に魔力の高い料理を出さなければ、討伐に参加していれば、彼の望みは叶うのに。きっと彼も気付いてるはずなのに。
私は彼から大事な者を奪った人達側にいたのに……
復讐されなければいけないのに……
そうしてもうすぐ闇の底に着こうかというとき、優しい温もりに包まれて、私は上へと引き上げられていった……