国王選定後 夢の始まり
「やっぱりここは落ち着くなぁ〜。」
ぐーっと、大きく背伸びをして、深呼吸する。
甘い花の香りが鼻腔を通り抜ける。
春の暖かな風が頬に触れ、少しくすぐったい。
小高い丘から見える景色には辺り一面に雪のように真っ白な花が咲いている。
「やっとここまでこれた。ずいぶん待たせちゃったね。」
ぽつりぽつりと呟く声に返事は無い。
微かに聞こえる遠くで鳴いている鳥の声と、風が草木を揺らす音しか聞こえない。
首にかけている銀色の小さなネックレスを外し、
手のひらにのせる。星をモチーフにしたネックレスで、所々に小さな傷がある。しばらくの間、プラプラとネックレスを指にぶら下げて眺めていた。
心地よい静けさの中、背後から聴き慣れた声がかけられる。
「陛下、やはりこちらにいらっしゃいましたか。」
くるりと振り向くと、黒い礼服に身を包んだ初老の男性が立っている。精悍な顔立ちで目つきこそ鋭いが、にこにこと笑うその姿は、孫を迎えに来た優しいおじいちゃんにしか見えない。
手に持っていたネックレスを首にかけ直し、声をかけた。
「やぁ、エド爺。今日は良い天気だね」
「そうですね、とても良い天気です。陛下の日頃の行いの賜物でしょうな。」
エドワードはこちらを見て、微笑みながら返事を返す。
「ねえ、エド爺。その陛下ってやめてほしいんだけど。なんか違和感がすごい。」
耳に馴染みのない『陛下』という単語。
今日からは多くの人にその呼称で呼ばれることは理解しているが、エドワードに呼ばれるのはダメみたいだ。違和感が仕事をしすぎだ。
「いえ。だめですよ。陛下は陛下ですから。」
エドワードは「ダメなものはダメです!」と一貫した態度だ。呼び方は変えないつもりらしい。
「えー。なんでなの!前みたいに名前で呼んでくれればいいのに!エド爺ケチだなぁ」
「なんとでもおっしゃってください。相変わらず、わからずやで困りますな!大体、陛下はいつもいつも私のお教えしたことを守ってくださらないんですから!今日だって私に何も言わずに自室からいなくなってましたよね。他にも、3日前の帝王学の講義の際にも教本に落書きをーーーーー」
(あー、エド爺のお説教スイッチ入っちゃったよ、、)
エドワードが表情を一変させ、難しい顔で長々と説教を始めたので、ひたすら聞き流すことに決めた。
こうして話を聞いていると、かつて『鬼』だの『悪魔』だの言われていた頃のエドワードはなんだったのかと、感慨深いものがある。なんだか笑えてきた。
「何をニヤニヤしているんですか、陛下。今は、私がお話ししているでしょうが。」
お説教の時間に水をさされたエドワードは、不服そうな顔でこちらを見てくる。
「いやぁ、ごめんごめん。エド爺も変わったんだな、と思ってさ。昔はもっと...張り詰めてる感じだったから。」
エドワードは、ほんの一瞬困ったような顔をした。
「今のエド爺の方が好きだな。」
本当は、誰よりも心優しいエドワードが、その昔『鬼』と呼ばれてまで守りたかったもの。そのほとんどが今日までその手から溢れ落ちていったのだろう。
「....私も、そう思います。」
エドワードは、にっこりと笑いこちらを見た。
「それにしても、とても綺麗に咲きましたな。」
エドワードが視線を辺り一面に咲き誇る白い花へ移して呟く。その目に映る花は、水に浮かんでいるかのように揺らめいて見えた。
「エドワード=ベルベット。」
エドワードがこちらに向き直り、視線が交差する。
「このサンライン国は良い国になる。いや、必ずして見せる。もう二度と、不条理で不平等な悲しみがこの国を覆うことは無い。エド爺が今日まで積み上げてきたその全てが、無駄じゃなかったと思わせて見せる。だから、信じてついてきて欲しい。」
エドワードは片膝をつき、恭しく跪いた。
「陛下。私は陛下を信じております。
今は無き、ベルベットの名に誓って。」
数秒の沈黙の後、エドワードは立ち上がり服の内側にしまっていた懐中時計を確認した。
「あと数刻で式のお時間になります。今日は陛下にとって、サンライン王国にとって記念すべき1日になります。」
「うん、大丈夫だよ。」
「それでは参りましょう。」
そう言うと、エドワードはくるりと背を向け、いつの間にか丘の下に待機させていた竜車に向かって歩き出した。
エドワードの背を追いかけようと思ったその矢先、
今日一番の突風が背中を押した。
『ーー頑張って。』
風に舞う花びらの隙間から、懐かしい君の声が聞こえた気がした。
君と一緒に聴きたかった音楽はもう聴けないけど。
君と一緒に見たかった景色はもう見れないけど。
君と一緒に行きたかった場所にはもう行けないけど。
君と一緒に過ごした季節はもう巡ってこないけど。
それでも、君との夢は必ず叶える。
この丘に咲き誇る『ペンタス』の花に誓って。
今日の戴冠式が終われば、
サンライン王国18代目国王になる。