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三題噺

思う存分中学校しよう!

作者: てこ/ひかり

「ちょっと!」


 台所で姉の怒鳴り声が聞こえる。


「ここに入れておいた、私のプリンと、それから中学校知らない!?」

「知らないわぁ。宏美ぃ、貴女食べたぁ?」


 今度はリビングから、母の間延びした声。私は慌てて否定して、知らんぷりを決め込んだ。


「じゃあ、パパ!? 全く……私、楽しみにしてたのよ!?」

 姉は大声を響かせながら、しばらく冷蔵庫を物色していた。怒り狂う姉の背中を見届けて、それからそっと自室の扉を閉め、私はベッドに潜り込んだ。暗闇の中、枕の下に隠しておいたキンキンに冷えた中学校を確認して、私はホッと安堵の息を漏らした。


 プリンは知らない。きっと父が、間違えて食べてしまったのだろう。だけど姉の中学校を拝借したのは、私だった。


 もう一度でいいから、中学時代に戻ってみたいと思っていたのだ。だけど、市販の中学校は高い。一ヶ月分だけでも、目玉が飛び出そうな値段がする。姉のように、社会人じゃない私には、まだ手が出ない代物だった。

 姉が毎晩のように、仕事帰りに中学校に入り浸っているのは知っていた。10歳も離れた姉は、「貴女にはまだ早いわよ」と笑って、私には中々貸してくれなかった。だけど、私にも帰りたい思い出くらいある。仲の良かったクラスメイト、お別れを言いそびれた花苗ちゃん、それに、密かに片想いしてた南くん……。


 私は深呼吸して、冷えた中学校の屋上におでこをあてがった。中学校が小さく振動音を上げ、私の記憶を吸い取っていく。それから私は、中学校をぎゅっと抱きしめて、ゆっくりと深い眠りへと落ちて行った……。



 ……そして気がつくと私は、中学校の校庭で目を覚ました。

 口の中で、ちょっぴり砂の味がした。見上げた空は青々と輝いていて、白い入道雲がこれでもかと大きく胸を張っている。陽炎の向こうに目を凝らすと、数名の男子生徒達が、サッカーボールを追いかけてはしゃぎ回っているのが見えた。


 帰って来たのだ。

 私の思い出の中の、中学校時代に。

 私は手のひらを眼前にかざし、まじまじと眺めた。正直、大学生になった今も、そこまで身長も体重も変わっていない。変わったことと言えば、髪を伸ばして、明るく染めたことくらいだろうか。だからさほど違和感なく、すんなりと中学の自分を受け入れられた。


 急に胸の奥から喜びが湧き上がって来て、私は思わず叫び出しそうになった。やった。成功だ。夢の中とはいえ、楽しかった中学時代に無事入ることができた。


「宏美ちゃん!?」

「宏美、久しぶり!」

「うわあぁあっ、宏美ちゃんだぁ〜!」


 教室の扉を開けると、今は懐かしき旧友の面々が、熱烈に私を迎え入れてくれた。私はその中に飛び込み、みんなと抱き合い、思わず頬を緩めた。


 ……もちろん、現実ではこうはいかない。

 彼女達は、あくまで私の夢の中、思い出の中の存在だ。みんな、私に都合よく存在しているし、だからこそ、涙を流さんばかりに歓迎してくれる訳だ。それがこの『中学校』が流行っている理由でもある。

 学校以外の『思い出補正シリーズ』には他にも、『家』だとか、『リゾート』なんてのもある。暖かく迎え入れてくれる居場所、友人、それから家族……傷つけ合うことが多い現代では、誰しもが癒しを求めていた。

 

 私はしばらく、再開した友人達とたわいもない話で盛り上がった。あぁもう、しょうもない話で盛り上がれるって、最高。最近はどこに行っても、就職先とか結婚とか、お金儲けの話とかとにかく()()()()()話ばっかりで、どうにも息が詰まりそうになっていた。こんな風に誰にも気兼ねなく、ひたすら好きなモノの話をする時間が、きっと私には必要だったのだ。


「宏美ちゃん」

 不意に後ろから声をかけられ、私は思わず背筋を伸ばした。

「おぉ……!」

 振り返ると、中学時代私が好きだった南くんが、私に爽やかな笑顔を向けていた。思い出補正のせいか、当時よりもうんと背が高く、顔も数十倍(失礼)カッコよく見えた。


「宏美ちゃん、久しぶりだね。あのさ、良かったら、今日一緒に帰らない?」

 南くんが、白い歯をキラキラと光らせた。全ては私の都合のいいようにできている。それから私達は手を繋ぎ、踊るようにして学校を後にして……

「しまった……」

 ……そこで目が覚めた。


 そうだった。中学校はあくまで校舎内での出来事だから、学校の外に出ると夢から覚めてしまうのだ。気がつくと、もう明け方近くだった。夢の中では楽しすぎて、一瞬のように感じられたのだが。まだ胸が昂まって、ドキドキしている。こんなに笑ったのはいつ以来だろう。こんなにいいものを、独り占めしている姉が、少し意地悪に思えて来た。少し生暖かくなった中学校を、私は冷蔵庫ではなく、自分の枕の下にそっと戻した。



「どうしたの宏美、最近ぼーっとしちゃってぇ」

「え? うぅん……なんでもない」


 家に帰るなり、母から声をかけられ、私は上の空で生返事をした。母が少し心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「大丈夫? 最近大学にも、あまり行ってないみたいじゃない……」

「平気よ。単位は取ってるし……3年になると、授業も減るの」


 私は母の視線を振り切り、自室へと逃げ込んだ。

 正直に言うと、最近は大学の講義もサボりがちになっていて、中学校のことしか考えていない。全てが自分に都合よく進む空想の世界に比べると、私以外の大勢がひしめく現実は、ちょっと世知辛い。誰もが私を暖かく迎え入れてくれるとは限らないし、何なら傷つくことの方が多い。一昔前、ゲームやらネットやらに夢中になっていた古代人達の気持ちが、少し分かる気もする。


 私はクーラーボックスで冷やしておいた中学校を取り出し、何もかも投げ捨てて、急いでその中へとダイブした。


「宏美ちゃん」

「宏美ちゃん、元気?」

「宏美ちゃん、今日も可愛いね」

「ずっとここにいていいからね、宏美ちゃん」


 教室に駆け込むなり、私はあっという間に友達に囲まれ、誰もが私の言って欲しい言葉を湯水のように注いでくれた。中学校にいる時、私は現実のどこで、誰といる時よりも上機嫌だった。いっそ本当に、この中にいようかなとも思う。

 別に、現実に不満があるわけでもないが、特に未練があるわけでもないのだ。それにこの中では、私は永遠に若いままだし。スパコンのサーバールームみたいに、常時中学校を冷やしてもらって、食事は母に運んでもらって……。

 大富豪の中には、もう一つの地球を丸々構築し、そこで24時間暮らしている人もいるのだと言う。彼(彼女)は、何もかも自分で操れる空間で、まるで神のような振る舞いをしているのだろうか。

 

 それから季節は夏から秋になった。

 私はまだ、大学よりも中学に夢中になっていた。 


 変化が起きたのは、9月も中頃になった辺りだろうか。

 大学でのテストを終えた私は(結果は見るまでもなく散々だったのだが、私はもう、考えないようにすることにした)、長期休暇に入り、思う存分中学校をしようと浮き足立っていた。スーパーで業務用のドライアイスを買い込んで、厳戒態勢で妄想に臨む。起動すると、いつも通り夢の中で校庭に降り立った。はやる気持ちを抑えきれず、急いで教室の扉を開ける。


「あれ……?」


 そこで私は、異変に気付きぽかんと口を開けた。

 いつもなら、暖かく迎えに来てくれる友人達が、今日はみんな机に向かって何やら必死に筆を走らせていた。


「あ、宏美ちゃん」

 私に気がついた南くんが、白い歯を光らせて声をかけてくれた。


「受験勉強してるんだ」

「受験勉強ぅ!?」

「うん。もうすぐ僕らも卒業だから、さすがにそろそろ勉強しなくちゃと思ってね」

 南くんが笑った。私は納得がいかず、頭を振った。


「どうして……別にいいじゃない、勉強なんて。そんなことよりもっと遊んだり、楽しいことしましょうよ」

「そんな訳にもいかないよ。僕は将来、パイロットになるつもりだからね」

「パイロット?」

「うん。だから今から始めないと。時間はいくらあっても足りないよ」

「そんな……」


 どうしてだろう? 彼らは現実に生きている訳ではない。パイロットになんか、なれるはずもない。全ては私のためにあるような存在なのに、どうしてそんなことを言いだすんだろう? 私はちょっと腹立たしくなった。


「ほら。宏美ちゃんの分もちゃんとあるよ」

「え?」

 南くんが、私の席を指差した。近づくと、机の上にはたくさんの動物の本やら、獣医学の本が積み重なっていた。私は目を丸くした。


「宏美ちゃん、将来は獣医になりたいって言ってたよね」

「あぁ……」

 思い出した。確かに中学校の頃は、そんな夢を持っていたかもしれない。今は獣医学とは全然関係ない、英文学系の学部に通っているが。


「もう一回、一緒に頑張ってみようよ。僕、応援するからさ」


 南くんが屈託のない笑顔を私に向けた。

 私は、思い出のあまりの()()()に耐えられなくなって、逃げるように教室を後にした。違う。私が見ていたいのは、そんな夢じゃない。そんなんじゃなくて、私の夢は……あれ? 私が見たいのは、本当は、どんな夢だったっけ?


「やっぱりね」


 ……そこで私は目を覚ました。気がつくと、怒ったような姉の顔が、私の目の前にあった。

「あ……」

「だから言ったのに。これ、アンタには早いって! 気をつけなさいよ、甘い夢を見せられて、一生戻ってこれなくなる人だっているんだからね!」

「ごめん……」


 姉はそれ以上怒らなかった。フン、と力強く鼻息を鳴らし、私から中学校を奪って部屋を出て行った。一人後に残された私は、しばらく呆然と薄暗い天井を見つめていた。



 それからというもの、私はさっぱり中学校をやめた。姉の言う通り、思い出に浸るのはもうちょっと先でも構わないだろう。それに思い出は、遠くから見るから美しいのであって、あまり近づきすぎると余計なものまで見えてしまう。


 それにしても最後……最後になぜ、南くんはあんなことを言い出したのだろうか? 一生戻れなくなる……もしかしたら毎晩空想に入り浸る私を心配して、あえてああ言ってくれたのかもしれない。私の考えすぎだろうか。今度連絡を取って、聞いてみようかもと思った。きっと現実の本人は、訳が分からないに違いない。困惑する南くんの顔を想像して、私は少し、元気になった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >「ここに入れておいた、私のプリンと、それから中学校知らない!?」  お見事な掴みです。なんのこっちゃ?と興味をひかれました 人の心の弱いところと、思い出の美しさを見事に使われていますね。…
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