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禍津~カミ二ソムキシモノ~

…神とは、一体なんだろうか?



神とは元来、人が持つ「恐怖」によって生まれた代物だ。


人が人である以上、抗うことのできない恐怖…天災や飢餓、或いは誌そのもの。そういったものを恐れ、それらに対するやり場の無い気持ちに無理矢理作った掃き溜めというのが…今で言う、神という存在だった訳だ。


神に祈れば、救われる。

神に供物を捧げれば、自分は悪いことに見舞われずに済む。神を信じ、神に尽していれば…その行いを見ていた神が、その者に確かな幸せを与えてくれる。


…始まりは、結局はそんな自分本位な現実逃避から始まったものだった。

いかに神と呼ばれる存在であろうとも、それがどんなに強く、気高く、美しい存在なのだとしても…それを作ったのは人の、哀れでどうしようも無い弱さだったのた。


でも、そのお陰で世界は救われた。


神を信じることによって、人の心には何かしらの「制限」がかかる。

神が見ているからとか、神の教えに背くことになるらとか…とにかくそんな所だ。そしてその制限が、知らず知らずの内に人に見えない「法」を作った。そしてそれに従うことによって…人が「悪」へと堕ちるまでの道のりを見事に遠ざけてくれていたのだ。


盗難、暴行、殺戮…そういった人の「悪」は、神という幻の如き存在によって辛くも抑えられていたのだ。

そう、神がいなければ、きっと世界は…



…夜風が、冷たく頬を撫でる。


外の空気…こうして吸うのは、一体いつぶりだろうか。

そういえば、もう日の光も長く浴びていないな。基本研究は徹夜だし、いくら日が昇った所で…あの分厚い暗幕のせいで、天からの恵みは容易く断たれてしまう。


そしてそれ故に…ボクがこうして帰路に着くのも、随分と久しぶりなことであった。


「…さむ……っ」


もう春だというのに…その少しばかり季節外れにも感じる寒さに一瞬だけ身を震わせ、両肩を掌で抑える。


…冷たくて、暖かい。

いつ触っても、不思議な感覚だ。いい加減慣れてくれないと困るのだが…でもまぁ、これもボクに課せられた一つの罰なのかも知れない。


…神に逆らった、忘れもしないあの日の。



星が静かに瞬く夜空の下で、カツ、カツ…と響く足音。


でも、聞こえてくるのは…本当にその音だけだった。

笑い声や騒音は愚か、物音の一つも聞こえて来ない。私が歩いているこの場所がどこなのか、少し不思議な感覚に見舞われてしまう。


ボクが今歩いているのは、西東京の旧八王子市街…新都とそうでない場所を隔てる境界を有する、少しばかり寂れた街だ。


だが、それでもここにはそこそこ多くの人間が住まっている。何せ新都には、殆ど居住施設らしい居住施設が無いのだ。

そんな新都で働こうというのもは、必然的に新都の近くに居を構える。そしてそのことを分かっているこの街のお偉方は…そこを利用し、この街を住宅地とマンションに溢れる巨大な居住都市へと育て上げた訳だ。


幸い、ここにはかつての厄災の被害は及んでいなかった。

都心を中心とした、約100000平方キロメートルにも及ぶ超広範囲爆発、通称「東の終焉」。その正体が一体何なのか、何故起こったのか、そもそもそれが人為的なものなのか自然的なものなのか…何もかもが謎に包まれ、世界中の人々からは畏怖の眼差しを、科学者からは羨望の眼差しを欲しいままにする、まさしく「厄災」。


そんなものの爪痕の上に建てられたあの街は…一体、世界にとってどんな意味を見出すのだろうか。



「…まぁ、そんなこと……

ボクの領分じゃない、か。」


そんな爪痕のすれすれを歩きながら、少女は夜空に向かってぽつりと呟く。


そう…そんなことは、ボクの考えるべきことでは無い。

ボクが今考えるべきは、自分自身のこれからだ。誰かのこれからでも世界のこれからでも無く、紛れもない自分の未来。このまま後先考えずに自分の好きなことを探求していくのもまた一興だが…そうもいかないのが、この世界のルールだ。


金が無くては、生きていけない。そしてそれに準じるように、住む場所や食料、頼れる人や組織など…現代において人が生きる為には、あまりにも多くの依代が必要だ。


それだけやらねば生きてはいけない…ただ力があるだけでも、ただ知能に優れているだけでも駄目。

故にボクにとって…この世界は、随分と生きにくい場所なのだ。



…この世界に、夢なんて無い。


神がいて、霊術という奇跡があって…それでも尚、この世界にはまだ夢が無い。


…いや、ボクらのような人種にとってはむしろ旧世紀のままの方がマシだったのかも知れない。

神格者という存在が公にされ、その圧倒的な力を伸ばす為だけに作られたあの四角いコンクリートの街。あそこがこの国の中心である時点で、もうボクら「凡人」の扱いなんて決まったようなものだ。


神格者が、全て…

口にはせずとも、言葉にはせずとも…国が、国民が、今どういう方針をとっているかなんて少し考えれば明らかだ。


生まれついた強者は優遇され、才能を持たずして生まれた弱者は…皆、緩やかな圧迫感に押しつぶされないように必死になって藻掻いている。ひっそりと、誰にも知られないようにして。

平和の国を唄いながら、今更になって人種差別とは…こう考えると、随分と落ちたものだ、この日本も。



だからボクは、この世界に夢を求めない。


知りたいことはある。試したいこともある。学びたいこともあるし、それにやりたいことだって…こう言ってはなんだが、山程あるのだ。


…でも、それは夢では無い。

目標で、希望で、欲望でもあるが…しかしそれは、夢では無いのだ。少なくとも、私の中では。



だから、この時ボクが見た光景は…


「………?」


「…っ……ぁ………」


きっと、そんな夢の無い少女だった私に伸ばされた…神からの意思だったのかも知れない。


「…おい、お前……

一体どうしてこんな…」


「……………

…す…けて………」


夢の無い、夢を見ない私の前に展開される…紛れもない、夢の世界。

それは美しき胡蝶の夢か、それとも茹だるような悪夢なのか…その時のボクは、まだ知らない。知る由も、無い。


だから、その時のボクを動かしたのは…心を失くしたボクに残された、ほんの少しの善意だった。


「…た……すけ……」


「……あぁー、分かった分かった。」


伸ばされた手を…目の前の少女が意識の狭間で伸ばしたその手を、ぎゅっと握る。


…冷たい。

それに何だ、このボロボロの掌は。あちこち掠り傷だらけで、埃や泥で情けなく汚れて…


そんな時、ふいに消えかけていた街灯に灯りが灯る。

青白くて、頼りなく点滅するその光。でもそれは…今のボクに情報を伝える分には、十分すぎる灯りであった。


「…………

…助けてやるよ。お前のこと。」


打ち捨てられた人形のように、地面に倒れ伏す一人の少女。

その周りには…紅く輝く、鮮血の海が広がっていた。



それが何を意味するのか、それがどんなに危険な場所へと導くものなのか…私には、分かっていた。もう知っていた。


でも、それでも私は…

彼女の手を、取った。


コンクリートの地面に転がった、見るも無残な少女の姿。私より幾分か年下だろうその小さな体には…痛みの辛さを生々しく語る傷跡が、華奢なその体にいくつも擦り付けられていた。


こんな少女が、普通な訳が無い。

こんな姿で、こんなにボロボロになって…これで普通の生活を送っているだけのただの女の子だって言うなら、世界もまだまだ面白みがありそうじゃないか。


でも、世界はいつだってつまらない。悲惨で、冷酷で、無情で…それが世界だ。



だから私は、知っている。


「…おい、貴様。」


こんなことをするのは…

人を傷つけ、痛みを与え、苦しみに悶させて…そんなことをするものなんて、この世に一つしか無い。


「そいつから、手を離せ。」


だから、きっと彼女も…

今、私の目の前に立ちはだかり、街灯と星明りで冷たく照らされたあの女も…


「離さぬのなら、貴様ごと…」


ぎゅっと、握った左の掌に力が篭もる。


冷たくて、ボロボロで、痛々しくて…それでも、その中には確かにあった。


今の私を動かすに値する…確かな、力が。



「…あーあ、本当に面倒くさい……


……じゃ、一つ質問。」


「何だ?」


「お前は…悪か?」


「…………


…正義だ。正義を成し、正義に準じる…それが私だ。」


「………そっか……


なら、安心だ。」


「…そうか。

さぁ、さっさとそいつから手を…」



「離すもんかよ、ばーか。」


「……………


…………は!?」


「いいか、ボクがこの世で一番許せないのは…人の中にある、悪意なのさ。

そして何より…そいつを下らない嘘で塗り固めて、堂々と正当化してるような奴が……


……同じ人間として、この世で一番嫌いなんだよ!」


…私にとっては、潰すべき悪なのだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「…なるほどねぇ。」


ほのかに香る砂埃の匂いが…私の心を、ほんのりと哀愁の色で染める。


「まぁ、私が見たのはそんなとこ。


…で?あいつら一体何者だった訳?あんたらならもう知ってんでしょ?」


色付き出した茜の空が彩るのは、悲惨な光景を残す事件の現場。

辺りには厳重に侵入禁止のテープが巻かれ、その周りや中で大勢の大人達が入り乱れている。


そんな景色を横目にしながら…私は今、ちょっとした事情聴取を受けている。

豪華にあしらわれた学校の柵に背を預け、腕を組んで脚を組んで…その姿は、自分で言うのも嫌になる程「事情聴取」という堅苦しい言葉からはかけ離れた態度で。


そしてそんな私の前に立つのは…少しばかり背丈の高い、一人の男だった。


「いやぁ…それがさっぱりでさぁ。

こっちも困ってる所なんだよねぇ。何せあんな奴ら…事件を起こすの、これが初めてだからさぁ。」


茶髪、というにはいささか赤が過ぎる癖っ毛に、飄々としてお気楽そうな表情。合わせて放たれたいかにもやる気の無さそうな声と頭を掻くその姿から…彼が一体どういう人物なのか、分からずともおおよそ予想はつく。


そしてこの場合…彼とは初対面では無い私としては、この姿は至極見慣れた光景なのであって。


「…はぁ。

あんた…昔から、ホンっとに変わってないわねぇ。」


そんな呆れる程に変わらぬその姿に…私は思わず、ため息を一つ。

やれやれ、こんな奴の為に私がわざわざ幸せを逃してやってしまうとは…あぁ、世界って奴はなんて理不尽なんだ。


「あっはっはっは!

…それは、褒め言葉として受け取っておこうかな?」


そしてそんな私を見てもその態度を改めない辺り…彼は多分、どこまでいってもあのままなんだろう。


私が彼と初めて出会った…あの日から、ずっと。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「つまり…

えっと、どういうことですの?」


「…じゃーかーらー!

何度も説明しておるじゃろうが!」


夕暮れの事件現場をバックに背負い、両手をバタバタさせながら唸り声を上げる一人の獣耳少女。

その姿に呆れた表情を向けたまま…未だ状況が理解できず、途方にくれる一人の金髪少女。


そして…


「…だから、その説明が分からないからこうして何度も問いただしているんですよ。

いい加減自覚してください、そしてもっと分かりやすく説明してください。」


そんな二人を前にして、氷のような無表情の中に格好たる負の感情を乗せて…ただ立ち尽くす、黒髪少女。



いかにも相容れなさそうな彼女達がこうして集まっているのには、勿論ちゃんとした理由がある。


「…で?

いい加減、もっと分かりやすく説明できるようになりそうですの?」


「むぅ…そうは言われてものぉ……


わしだって何が何だか…

こう言ってはなんじゃが、さっぱり分からなかったんじゃよ。」


そう言って二人が視線を向ける先は…


あの、綺麗に整えられていたコンクリートの地面の上に突如として出来上がった…無残な破壊の痕と、そこに残るほんの少しの…


…ほんの少しの、赤い血の痕であった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「…ふーむ……


じゃあつまり…あの場には、まだ他に人がいたと?」


夕日の光が、ゆっくりとその紅を増してゆく。

ここに立たされて、一体どれだけ経ったことか。そしてその間、私がどれたけ…


「だから、さっきからそう言ってんでしょ?


…いい加減、信じてくれない?」


…無意味な会話を、続けてきたことか。



「いやぁー、と言われてもねぇ…

別に僕だって、君を信用してないって訳じゃないのさ。君がわざわざ嘘をつく理由も無いだろうしね。」


私の前で情けなさそうに頭を掻き、苦労の色をその顔の前面で押し出す彼。

あれほど面倒くさそうな顔ができる奴も…恐らく、世界中をいくら探し回った所でそうそうおるまい。


「はぁ…

…ねぇ、もういいでしょ?そろそろ疲れたんだけど…」



「あーあーー!!

ちょっと待った、タンマー!!」


…だから私は、この時の彼の反応に正直驚いていた。


彼は、基本面倒くさがりだ。それも多分、筋金入りの。

ただし、私のような普通の面倒くさがりとは違う。彼は基本、どんなことにも楽観的で希望的、そしてその立ち位置は傍観者側であった。


そしてそれは、どんなイレギュラーがあろうと変わることは無い。私のような「ちょっと大変でも、総合的な面倒事が減ればそれでいいかな」といって最低限の行動ができるタイプでは無く、「例えこれからどんな面倒事が起ころうとも、それを止める行為そのものが面倒くさい」みたいな…所謂、完全無欠の面倒くさがりなのだ、彼は。


そんな彼がやけに必死にこっちを引き止めてくるものだから…私は進めていた早足を止め、思わず後ろを振り返る。


「…何?」


「……いや、一つ確認なんだけど…」


そこに立っていたのは…さっきまでの、能天気な朴念仁では無かった。


貼り付けていた薄ら笑いを顔から引き剥がし、剥き出しにした真面目な表情。そのどこか不安を煽らせる彼の姿に…私の鼓動も、ほんの少しだけ早くなる。


彼があんな表情をするのは…一体、いつぶりだろうか。

少なくとも私は…あんな彼の表情を、これまで一度しか見たことが無い。そこまで私との付き合いの長く無い彼だが、それでも数年近くの期間を知り合いとして過ごしてきた人物だ。そんな人の慣れない顔を見るのは…やはり、複雑な気分だ。


…そして何より、かつてこの顔を見た時の状況が…あまりにも、切迫したものだったから。



だから私は今、かなり動揺している。


「その、さっき言ってた誰かっていうのなんだけど…」


遠くで振り返った私に対して、少し言葉を詰まらせる彼。首を傾げ、一瞬だけ悩む動作…も、すぐに私の方へと向き直り、尋ねる。


「…小さな、女の子じゃなかったかい?」


小さな、女の子。


その言葉を口にする彼の姿が…どうしようもなく、私の心の奥にある不安を掻き立ててゆく。


一体…

今、この新都で何が起こっているんだ?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「霊呪 紅星の牙っ!」


夜の空気に紅く輝く、ひと振りの刃。


まるで鮮血の如く輝き、青褪めた夜空を赤く染め上げてゆくその光は…私の背筋に、強烈な殺気と恐怖を感じさせる。


私の目の前には、一人の女。

肌の曲線を艶かしく顕にする、真っ黒なスーツ。所々に物騒な装備や仕掛けらしきものが施されたその姿は…到底、普通の人間が着るべき服だとは思えない。…少なくともボクは着たくないな、あれ。


そんな彼女がその手に持つのは…真っ赤に輝く、一本のナイフ。いや、あの形から察するに…ダガーと言った方が正しいか。

よくある包丁やナイフとは全く違う、独特で狂気的な形。しかしその中に確かな実用性と…殺傷性を兼ね備えている。切るにしろ突くにしろ、あんな形をしたナイフで傷つけられたらタダじゃ済まないだろう。


そして何より…

その輝きによって映し出された、彼女の表情。それこそが今の私を震えさせる一番の要因だった。


「…おやおや、物騒な格好の割には……結構、可愛い顔してるじゃない?」


「……貴様…


この状況、本当に理解しているのか?」


あぁ、理解してるさ。

彼女の顔…左眼の上から無残に付けられたその傷跡から、彼女がどれだけ過酷な状況を生き抜いてきたのか…それを、他人事ながらになんとなく察する。


彼女は多分…私のような一般人には想像もできない程、散々な人生を送ってきたのだろう。でなければあんな傷…左眼を見事に潰すような大きな傷を負うなんてこと、何かしらの殺意の元でなければできないはずだ。


それが自分で選んだものなのか、或いはその道を生きるという選択肢しか残されていなかったのか…何にせよ、彼女は私とは違う。生きてきた環境も、戦いに対する心構えも、まるで違うのだ。


「…最期に、もう一度だけ通告しよう。


……そいつから、手を離せ。」


そう、彼女は多分…躊躇いなく、人を殺せる。

そして恐らく、殺してきた。何人も、何人も…数えるのも億劫になるほど、彼女は沢山の人間を殺してきたのだろう。


そして当然…それは私にとっても例外では無い。


「……………」


多分、これが最後だ。


ここで首を横に振れば、私にはあの真紅の刃が躊躇無く迫ってくることになるだろう。そしてそれは、恐らくは容易く突破できるものでは無い。

神の力…善に使えば祝福となり、悪に使えば災厄にもなる…それが今、私の目の前で振りかざされている力、霊術だ。



…そして、だからこそ私は……


「………………


…残念だけど、お断りだね。

生憎、一度決めたことは曲げないタチなのさ。それが例え、命を賭すことであったとしても…ね?」


ここで、引き返す訳にはいかない。


見てみぬふりは、私には似合わな過ぎる。

逃げるという行為は、時には正しい判断だ。逃げて、逃げて、逃げて…例えそれでどれだけ大きなものを失ったとしても、その先にあるものがもっと大きなものであるのなら…その逃げは、正しい逃げなのだ。


今回の場合…私が逃げた先にあるのは、私の命そのもの。

神格者というのは何度か見たことがあるが…恐らく、彼女はその中でもかなりの実力者だ。加えて戦い方も見るからにして肉体派っぽいし…そんな奴を相手にして、命の保証があるかといえば、多分無い。



…じゃあ、ここで私が命を賭して守るべきものは何だ?


「…そうか。

一応言っておくが、残念だよ、私は。」


意地か?プライドか?それとも…足元で無力に倒れ付す、この女の子の命か?


近付いてくる、足音。

ひたひたと地面を叩き、一歩、また一歩と…私に向かって、死の宣告を迫ってくる。


…違う。

断じて、否だ。私にはそんなこと…どうでもいいとまでは言わなくとも、最悪救えなくとも仕方ないと思う。人の命をこうも軽く扱えてしまうとは…やれやれ、認めたくは無いが、私もこれで一応は科学者の端くれという訳だな。


紅い死が、ゆっくりと夜空に踊る。

それがあまりに綺麗だから…私は思わず、少しだけ見惚れてしまった。それがこれから私を殺すのだと思えば…なるほど、中々悪くないじゃあないか。


…でも、まだだ。

私が今、一番に守るべきもの。それはずっと昔から…全てを失い、ゼロを迎えたあの日から、ずっと決まっていたこと。



それは…たった、一つ。


「さぁ、来なよ悪者さん?


お前を見てしまった以上…この子の手を、握ってしまった以上……


……私は、ここから引く訳にはいかないんだよ。」


あの日、心に植え付けられた…たった一つの、後悔だった。

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