哀愁~デイズ・エンド~
…もう、日が暮れてしまったな。
夕焼けの名残りを寂しげに残す西の空を横目に、私はようやく下校の帰路に着く。
辺りはもう夜の静けさを漂わせ、明るかった頃には随分と華やかに見えたこの街も…もうすっかり、夜の静寂に包まれていて。そんな中にポツリ、ポツリと灯るネオンの灯りが、寂れた心にひしひしと哀愁の感覚を伝えてくる。
そんな寂しさを紛らわす為、咥えていたストローに向かって虚しく吸い付く私。
そこから流れ込んで来るのは…少し甘ったるくて、それでいてどこか安心する味。
その中身は…さっき学校の中にあった売店で購入した、500mlのコーヒー牛乳。生まれつき貧乏と隣り合わせだった私にとっては、さながら人生の苦楽を共にした相棒のような存在だ。
…そんな相棒にさえ、拭い切れないこの感情。まぁ、こういう物悲しい気分も嫌いじゃ無い…んだけどねぇ。
しっかし、流石は宮代台とだけあってあの売店も大きかったなぁ。
私が行ったのは一応小さい方のお店らしいけど、大きい方はそれこそちょっとしたスーパーみたいな大きさがあるらしい。…生徒が沢山いる大学とかならともかく、たった800人ちょっとしかいないような学校にあの規模…やれやれ、流石は宮代台だな。
「のー?
セラ、聞いておるのかー?」
で、そんな哀愁漂う帰り道の付添人は…私にとっての第二の相棒にして、癒やしの権化にして、癒やしの神。あまり話に乗っかってくれない私に不満の視線を向けつつも、しかしその中にも幼さと可愛さも忘れていない。
…黙り込んでいる私に向けた、ちょっとばかりの思い遣りも。
「…ん、聞いてるよー。」
そんな何気無い優しさに少し顔を赤らめながらも、それを紛らわすように視線を反らし、再びストローに齧り付く。そしてそこから奏でられる空虚な音から…相棒の内一人が今、私の前でその短い人生を終えたことを赤裸々に告げる。
……無くなった、か。
何だかますます虚しくなってきて、そしてその虚しさを発散すべきものも見当たらず…結果、私はこの周りをちょこちょこと可愛らしく歩き回っている彼女との会話に、ようやく本腰を入れることに決めた。
「…で?何の話だっけ?」
「んなっ!やっぱり聞いておらんかったでは無いか、セラぁ!」
「あっはっは、悪い悪い。」
…そりゃ、分からなくて当然だ。
何せ私は、学校からここまでただひたすらに黙って歩いてきたのだ。それに加えて、今の私の耳に装着されているものは…遮音性高めの、バリバリの旧式密閉型ヘッドフォン。そこから奏でられる曲の数々に意識を向けていたせいで、目に入るものや聞こえてきた音…それら全て、見事にシャットダウンされてしまっていたのだから。
だって現に今、自分がどこを歩いているのかイマイチ分からなくなってますし。…あれ、これって帰り道合ってるよな?迷ったり…してないよな?
そんな不安に駆られながらも、とりあえず装着していたヘッドフォンを外して首元に掛ける。
…その瞬間、耳を掠めた涼やかな夜風に軽く身震いしながらも、続いて耳元で流れ続けていたロック調の音楽をプツリと切る。…如何に旧式とはいえど、一応ヘッドフォンの本体からでも音楽の操作が可能な代物なのだよ、コイツは。
「…んで、何だったっけ?」
…と、下らない思考は終わりにして、手っ取り早く会話の内容を聞き出そうとする私。そんな、向こうからすれば自分勝手極まりない私に少しばかりの不満の色を見せながらも…やれやれ、と数秒顔を顰めた後、彼女はようやく不満でムスリと塞がれた口を小さく開く。
「……さっきの話じゃよ。
あの金髪女との、激闘と末に巻き起こった事の顛末について、じゃ。」
激闘、ねぇ…
あれが、果たして激闘と呼べるものだったのだろうか。結果としては、ただ向こうから仕掛けられる一方的な攻撃を、隙ができるまでただ避けるだけ…っていう何とも地味な感じになってたと思うんだけども。
「…激闘、ねぇ……
…はぁ。ねぇあんた、本当に見てた?」
「当然っ!見ておったに決まっておろう!!
…というかセラよ!何故あの時私を呼び出さなかった!?わしはあの時「一体いつお呼びがかかるのかなぁ」なんて考えながら、わしなりに心を踊らせていたというのにぃ!」
「……それは、そのぉ………
…悪かったと思ってます、ハイ。」
彼女がプンスカと怒鳴り散らしたその言葉に、私は思わず楓に向けていた顔を背け…華やかなタイルに彩られた地面を、無気力に見つめる。
…そうだ。何故あの時、私は一人だけで戦おうとしていたのだ?
一人だけでも十分戦える相手だったから?向こうの言うプライドとやらに、私がまんまと乗せられていたから?それとも私が…無意識に、彼女を人前に出させることを避けていたから?
…でも、何にしたってそれは間違いだった。
そんなこと、楓のあの悔しそうな顔を見れば一目瞭然だ。いくら私が勝とうと負けようと、彼女にあんな顔をさせてしまうなんて…もう、その時点で私は負けたようなものなのだ。
…あの天ヶ瀬慧生にでは無く、私という人間の弱さそのものに。
それによく見ると彼女、ちょっとこちらを気遣うように時々視線を合わせてくるし…あぁもう、そういう心遣いができる辺りも可愛いなぁもう。
……本当に、私には勿体無い子だ。
そんな私の疚しい気持ちに勘付いてか、楓はその幼げな横顔を少し赤らめる。でも、すぐにその恥ずかしさを振り払うように顔を左右に振り乱し…直後、真っ直ぐこちらに指先を向けて叫ぶ。
「…で!問題はその後じゃ!」
「……後?
後って…あぁ、あのこと……ね。」
後…その言葉を聞いただけでも、私としては少しばかり気が滅入ってしまうのだが…
何せ、彼女の言うその時が今日一番に大変で、面倒で…そして今の私の心に拭い切れない寂しさを生み出した、ちょっと悲しい出来事でもあったのだから。
「まぁ、あの時は…
色々、大変だったからねぇ…」
そんな言葉を始まりとして、私の帰路に埋め尽くされた退屈を凌ぐための長ったらしい状況説明が…ひっそりと、幕を開けた。
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「いやぁー!
でもホント、あの時はどうなることかと思ったよぉ!」
カーテンで締め切られた狭い空間に響き渡る、そんなやたらと大きくて元気な声。
その声は、無機質だった病室の景色にほんの少しの彩りを加え…薬の匂いと重い空気で満たされていた空気に、僅かばかりの余裕と賑わいを与える。
「…やれやれ、初日から派手にやってくれる……
全く、始末書やら何やらで責任押し付けられるのは一体誰だと思ってやがる。」
そしてその空間には…もう一人、人の姿があって。
カーテンで区切られた病室の一角。そのベッドの上で不満そうなオーラをむんむんと醸し出し、その表情を歪めに歪めている…一人の、男の姿。
掛け布団から出された右手にはぐるぐるに包帯が巻かれ、頭にも右目にかけて包帯による処置が施されており…その大掛かりな治療の状況が、彼の負っている怪我の痛々しさを皮肉に伝えていた。
「まぁまぁ、いいじゃんこのくらい!
…むしろ、いつもの新入生よりよっぽど元気があって、私としては嬉しい限りなんだけどなぁ…なんて?」
「…じゃ、何だ?
お前、俺の代わりにこの紙の山ぁ、全部片付けてくれるのってのか、あぁ?」
そう言って、その顔にさらなる不満の色を浮かべながら…ドンドンと、ベッドの傍らにある机の上に置かれた書類の山を、怪我の無い左手で叩く。
しかし、随分と多い…
こんな数を怪我を負った病人に押し付けるとは、一体何を考えているのだろうか、この書類の送り主は。
「あぁ…ごめん。
…あ、そだそだ!この書類って、沢山あるけど具体的には…っと、失礼しますよぉー。」
そんな彼に同情してか、少し申し訳無さそうに俯く彼女。
しかしそれも刹那、流れるように今度は机に置かれた書類の山に手を伸ばし、その中から適当に数枚の紙を掴み取って…ペラペラと、これまたその中身を適当に漁ってゆく。
「ええっと、なになに…
怪我の要因に、訓練所の破損確認、それからそれから…
って、うっひゃー!!これ全部書かなきゃいけないのぉ!?」
「当ったり前だ!だからこんなに怒ってんだよ!!
…全く、人の苦労も知らないで、あんのガキ共はぁ……」
その内容は、実に多種多様にして筆記要項も多く、そして何より…その枚数が、どう考えても尋常じゃ無い。少しくらいは書く必要の無い書類があるのでは…と淡い期待を寄せていた彼らとしては、この必要作業の多さには流石に堪えているらしくて。
「まぁまぁ、仕方無いよぉ。
…てか、一部は凌馬のせいでもあるんだし。ちゃんと反省、しなきゃだよぉ?」
「あぁ?あれは、まぁ…
…てか、そもそもあれは学校からの許可も直々に取ってるような…所謂毎年恒例の通過儀礼みたいなもんなんだよ。お前だって知ってるだろ。」
「…そこじゃ無くて、だよ。」
ふてくされる彼…凌馬を横目に、指を立てて反論する彼の御神。その愛らしさと少しばかりの色気から…どうしても、彼女が人では無いということの実感が薄くなってしまうの。
しかし彼女は人では無い。
断じて、人と同じ領域に入れていい存在では無いのだ。それだけは何があろうと揺らぐことの無い…一つの、事実なのだ。
「…っはぁ……
一応言っておくが、俺ぁ油断なんてこれっぽっちもしてなかったぜ。
霊術無し、神格無し…ここまでは、あくまで向こうとの条件を一致させる為の単なるハンデでしかねぇ。
だから、それを込みで俺を打ち負かしたあいつは…
……あいつぁ………」
そこまで言って、凌馬は言葉を失ったように黙り込んで…そっと、真っ白な布団に向かって俯く。
その何とも言えない表情から、彼女も何かを察したのだろう。そのヘラヘラとした顔にこれまで以上の笑顔を乗せて、それでいて彼への配慮も忘れないようにして…そんな作られた表情から、ポツリと呟く。
「…普通じゃ、無いんだろうね。
何者なんだろ、あの子?」
「さぁな、少なくとも…
…普通じゃ、ねぇんだろうさ。」
「うっわ、相っ変わらず書く場所多い…
ねぇ凌馬ってば!少しは手伝ってよぉー!!」
「うっせ、俺ぁ病人なんだっての。
せいぜい、筆跡がバレねぇ程度に頑張るんだな、ファイトー。」
「ぬぎぎぃ…
あぁそうかい!やってやろうじゃないの、こんのやろぉー!!」
あれから数分、訪れてしまった沈黙を破る為に始めたこの作業だった訳だが…どうにも、さっきからこんな楽しげな会話が絶えない。
ベッドの上から凌馬が皮肉に笑い、そんな彼に見守られながらも、その傍らで必死にペンを動かす風牙の姿…さっきまでのあの空気はどこへやら、流石は長らく共に過ごしてきた間柄なだけはある。
でも、そんな笑顔の空間に穴を開けたのは…一枚の、とある書類の内容だった。
「はい次ぃ!
えっと次は……
…固有霊術発動の予兆確認における、現場の状況説明について……」
固有霊術。
その言葉を聞いた瞬間、凌馬の顔色が一変して…その包帯が巻かれた額の上に、深い皺が刻まれる。
「…あぁ?固有霊術だぁ!?
一体、どういうこったぁ!?固有霊術って…まさか天ヶ瀬か!?だとしたら…やれやれ、一体何をしでかしやがったんだ、あいつらはぁ…!」
憤り、ベッドの上で虚しく握られた彼の拳に力が篭もる。
そしてそんな主の姿を察してか…それまで書類作業に追われていた風牙がその手を止め、ゆっくりと凌馬の方へと向き直り…その真っ直ぐな瞳を、混乱に揺れる凌馬の顔へと向ける。
「あの、えぇっと…
…いい、凌馬?これから私が話すこと…黙って、聞いててね?」
「…事の内容によっちゃ、遠慮なく声上げさせてもらうが…
………まぁ、いいだろうさ。」
視線は真っ直ぐ、しかしその手元はどこか忙しなくて…そんな常にもじもじと動く指先に何かを感じてか、凌馬は長い沈黙の果てに彼女の提案を受け入れてみせたのだった。
…でも、彼はまだ知らない。
「いいぜ、話してみろ。
事の真相…どうやって固有霊術を、あの光姫様が直々に放った「神の裁き」を止めたのか。
…その、全てをな。」
この先にある真実が、あまりにも単純であっけなくて…それ以上に、彼のこれまで生きてきた人生の中で、最も驚愕すべき事実であることを。
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「………ぁ…?」
…ここは、どこだ?
何も、分からない。
暗くて、何も聞こえない…虚無の世界。そんな中に一人放り出された私は、痛みも苦しみも無く…ただ残された意識だけが、虚無に覆われた闇の中を漂い続けていた。
……私は一体、何をしたのだろうか?
朦朧とする意識の中、必死に頭の中にある記憶を人紐解こうと藻掻く…も、結局は何も分からないまま。
…やれやれ、感覚も無ければ、記憶までも無いというのか…
…じゃあ私は……
一体、どうしてこんな所に…?
そんな疑問が過ぎった瞬間…無いはずの体を駆け抜ける、一つの感情。
それは心を揺さぶり、はっきりとした悪寒となって…闇の中にぽっかりと浮かんだ私の心を、あっという間に支配してゆく。
……怖い。
そう、思ったのだ。
こんな場所、もうこれ以上見たくない、感じたくない。早くここを出て…また、あの暖かな光と幸せな時間に浸っていたい。
そんなことを、思ったからだろうか。
「……るじ…」
ふと、声が聞こえた。
どこからともなく、でも確実に私の鼓膜を打ち震わすその声。そしてその声には…確かな、はっきりとした聞き覚えがあって。
「…や……め……を……!」
…あぁ、私は……
一体、何をやっていたのだろうか。
ようやく、失くしていた記憶が戻ってくる。その瞬間に世界にもぼんやりと光が差し…覚醒の時が、訪れた。
…でも……
私は、今のままで…あんなことをしてしまった私を、彼は…皆は、受け入れてくれるのだろうか。
…彼女は、許してくれるのだろうか。
……でも、そんなことは後だ。
例え、目覚めた先の未来で辛いことや苦しいことが起こったとしても…それは、私が今目覚めるのを躊躇う理由にはならない。
例えこの先「あの時、目覚めなければよかった…」と思う日が来たのだとしても…それは、今の私を躊躇わせる理由にはならない。
…だって、世界は…
私の愛した、あの世界には…
「…っ主!」
「……………っあぁ…
……酷い顔、してますわよ…
私の騎士ともあろうものが…もっと、しゃきっとしなさいな。…ね?
「…主……!
………あぁ、そうだな。済まなかった……
…本当に、情けないな…我は。」
私が愛した欠片達が、まだまだ沢山溢れているのだから。
「…止めた……ですって?」
窓辺に映る夕闇の空を横目に、その整った美貌の中に驚きの色を顕にする慧生。その手に握られた紅茶のカップが小刻みに震え、それに合わせてカップを覆う紅茶の海が慌ただしく波を立てる。
「…あぁ。
私の目に…狂いが無ければ、の話だが。」
そんな主人に気配りの目線を送りつつも、しかし深刻そうに腕を組む鎧姿の騎士。その純白の兜の中で小さく唸り声を上げ、真紅に光る瞳が重く伏せられる。
「…いえ、あなたを疑う訳ではありませんけれど…」
そんな姿を見せる自分の騎士に負い目を感じてか、慌てて気遣いの言葉を並べる慧生。その勢いで紅茶のカップがさらに激しく揺れ…溢れそうになる所を、慌てて空いていた左手で抑える。
「……それに、疑うべきはあなたでは無くて…
あの方…シドウさんの方では無くって?」
そんな可愛らしい一面を見せた後、それを誤魔化すようにコホンと咳払いを一つ。その美麗な顔に真面目さを取り戻し、顎に手を当てて少し考え込むようにしてから…一言、彼女はそう呟いた。
「あぁ、我もそう思って色々と調べてみたのだが…」
「…で、その結果は?」
「有益な情報は一切無し。和博殿から借り受けた情報網を全て使っても…これといって、あやつに関する大きな情報は無かった。」
「…………!
…無し…ですって!?
そんな…だってあの時、霊術も無しにあなたの攻撃を全て躱して…それに最後のあれは……!
…あんなことができる神格者に、何の実績も無いって言う訳ですの!?」
無かった…
その事実に表情を歪め、彼女は騎士に向かってその理不尽を言葉としてぶつける。…無論、それまで握っていたティーカップをキチンとテーブルに置いた上で、だが。
「…そういうことになる。
我としても非常に不本意なのだが…念の為、これを。」
そんな中、慧生が騎士から手渡された一枚の光の板。
そこにはいくつもの情報が文字や写真として並べられており…その情報の大海原を必死に睨み付けながらも、力む指先を無理矢理動かしてその画面を下へ下へとスクロールする。
そしてその中に刻まれていたのは…丁寧にまとめられた、一人の少女の情報だった。
「祠堂千咲…へぇ、セラさんって言うんですのね、知らなかったですわ。」
「主…それは、決闘を挑んだという以前に、クラスメイトとしてそもそもどうなのかと…」
「…う、うるさいですわね!初日なんだから、名前なんて分からなくて当然でしょう!?
……あー、コホン。
彼女は、私と同じ15歳。宮代台高校の新入生にして、同校の推薦入試における実技のテストで驚愕の新記録を出し、その結果から学校側からも高い注目を受ける…と。
しかしその肝心の当校の志望動機が…
…学費免除における、安価な学費に惹かれてのものらしい…って、なんですのこれ!?」
その、日本最高峰のエリート校に入るにはあまりにも馬鹿らしい志望動機を見て…驚愕のあまり、歪んでいた表情をさらに歪める慧生。その後、騎士の方にその視線を向けて確認の目配せを送ってみるも…帰ってくるのは、呆れたような無表情のみで。
「…残念ながら、本当らしい。
それに…そのすぐ下を見れば、それもはっきりわかるだろうさ。」
「下?
ええっと、なになに…
というのも彼女、生まれつき親と呼べる人物は愚か、親族や頼れる知り合いもいなかった為に…西東京の厄災孤児施設の中で育てられ、身寄りの無い暮らしを送ってきた…らしい……」
厄災孤児、それは神暦が始まってすぐに行われた、国家主導の政策の一つだ。
首都圏全土を襲った厄災により、親を失くした大量の孤児達。身寄りの無い彼らを何とかして助けようと、最初はボランティアとして政府という形を取る前の神格会が始めたことだったらしい。
進みゆく技術開発の中、そこから得られた潤沢な資金を使って辛うじて被害を逃れた西東京に大掛かりな養育施設を建設。そこに集められた多くの孤児達に教育と居場所を与え、その活動の結果として…日本中に溢れていた孤児達の命を、実に9割以上も救ったと言われている。
…最も、その孤児の数も今は減っており、近々その規模を縮小することを国も直々に発表していたりするのだが。
「…厄災、孤児……
今時珍しいですわね、そんな人。」
「あぁ、何せ彼らは…もう、厄災孤児では無いからな。形式上は厄災孤児と同じ施設に入れられてはいるが、その実態は他の孤児と何ら変わりはしない。
何せ厄災は…もう、30年も前の話なのだから。」
そんな暗い話題でさらにその雰囲気を重苦しくしながら…も、しかしすぐに立ち直って情報の整理を再開。騎士がデータという果てしない大海原の中から拾い上げた「祠堂千咲」という女の全てが…今、文字という情報となって顕にされる。
「で、それから…
…彼女の御神の名前は楓。その見た目は幼い少女のようで、耳や尻尾などいくつか狐や猫に似た部分はあるものの…一応、分類上は人型の御神に当たる存在。得意とする霊術属性は火で…御神としての格や能力の詳細については…特に無し、と。」
「…そういえば、あやつは自身の御神を戦いに出していなかったな。
一体どういう意図が…まさか、その御神に何か計り知れない力がある…というのか?」
「だとしたら、我が天ヶ瀬家が誇るデータベースに引っかからない訳が無いでしょう?
それにほら…ここ。
検査の結果、特に目立ったステータスは無し。低位の御神という訳でも無いが、あくまでも平均的な御神に過ぎないだろう…って、あなたが直々に書いてくれてるじゃありませんの。」
「だが…だとしたら、あれは一体……」
「…………
何だったの…かしら……?」
…そんなこんなで、結果は分からず終いのまま。
祠堂千咲という人物には、特に特別な点も、変わった点もありはしない。…神格者、という時点でもう十分に特別ではあるが、それは同じ神格者である慧生達にとっては「自分と同じ世界に立っている」というだけの…ただそれだけの条件のようなものなのだ。
「…あ、何かしらこれ……」
で、その後も結局何の情報を得られないまま、二人の間にはただ暗い空気と時間だけが過ぎてゆく。…と思っていたその時、そんな現状を打開し得るかも知れない主の声に騎士は思わず顔を上げる。
「……まだ、何か?
私がまとめた限りなら、もうこれ以上の情報は…」
「何でもいいじゃありませんの!もうこうなったら…例え私達にとって微妙な情報だったとしても、徹底的にあの女のことを調べ上げてやりますわ!
何たってこれは、あの女の…重要な弱みを握るチャンスでしてよ!そう、つまりこれはっ!これからの学校生活に関わる一大事!ですのよ!?分かってレヴォーク!?」
「…………
一応、主を救った恩人なのだぞ、彼女は。」
「…それは……
それはそれ、これはこれ…ですわよ!」
…しかし、現実なんていつもこんなものだ。
彼女の、あの楽しそうな笑顔…少し強張ってはいるものの、こんなに柔らかい雰囲気は随分と久方ぶりだ。しかしまさか、こんなくだらないことでこの暗い空気を断ち切ることができようとは…
…なんて、騎士の方は思っていたらしく。その自身の主たる者の変わらぬ心に呆れ果てて、首を左右に振る…も、その兜に隠された表情の中には、何やら楽しげな色が浮かんでいるような、そんな気がして。
そう、現実はいつだって…
「…何かしら何かしらぁー、っと。
ええっと、コホン。
尚、これは未確認の情報ではあるものの…養育施設におけるバイタルチェックの結果、彼女の性癖には…かなりの特殊性が……あり………」
「……端的にまとめるならば…彼女は幼い少女を相手にした場合にのみ、性的な感情、及び反応を覚えるということになる…
…だろう?
やれやれ、その情報…一体誰がまとめたのだと思っているのだ?」
………いつだって……
結局は、くだらないものなのだから。
「……………
……あぁ、あの女ぁ………!
…っぜっっったいに!許しませんわよぉーーーー!!!」
…でも、だからこそ世界は……
この世界からは、いつだって笑顔が絶えないのだ、きっと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ほぉー!さっすがは我が主!」
「…やめてよ、大したことなんて何もしてないんだからさ。」
…あぁ、もう夜になってしまった……
日の光が完全に消え去り、夜の闇に支配権を譲り渡した星空を眺めて…深く、ため息を一つ。
冷たい夜風が肌を撫で、髪を揺らし…冷めきっていた心を、さらに冷ます。視界に映る冷たい光と、華やかな装飾とは裏腹に賑わいを失くした駅のホーム…そんな哀愁漂う景色が、私の心をゆっくりと凍てつかせてゆく。
そういえば…ため息って、つくと幸せが逃げるとかなんとか聞いたことがあるな。だとしたら私、これから一体どんな不幸に襲われる羽目になるというのだろうか。
「はぁ……
ほんっと、散々だったなぁ…今日は。」
そんな考えがさらなるため息を産み、慌てて口を抑えてみる…も、時既に遅し。
…ていうか、もう癖になっちゃってるしなぁ、ため息つくの。だとすると、日頃からこんなにため息ばっかりついてるから…今日一日だけでも、あんなに大変な目に遭っちゃうのかねぇ。
「ん?そうか?
わしにはそうは見えないのだが…」
しかし、そんな考えから再びため息が派生することは無かった。それは多分、傍らからかけられたその声が…私の心に、ほんの少しの温もりを与えてくれたから。
そんな優しい声のする方向を見れば、横でジロジロと私の顔を見つめる和風装束猫耳少女…楓の姿があった。
ていうか、いくら人が少ないからって…その格好でいつまでも私の周りをうろちょろされると、どうにも目立つんだよねぇ。可愛いから許すけど。
「ん?じゃあどう見えてる訳?
あんたの言う、学園の危機を救った英雄様の顔?それとも…お嬢様の生ガーターに欲情してた、頭のおかしい女の顔?」
「そんなことは…
…って、んなっ!!わしが見ておらん間にそんなことしておったのかぁ!?」
「あぁ、あれはか中々良かった…
伸びてるベルトは見えるのに、肝心の中身が見えないあのもどかしさっ!!あれこそがパンチラの醍醐味だよなぁ…うんうん。」
そんな謎の悟りを開きながら、記憶の中に残された純白の景色に重いを馳せ…顔を赤らめながらも、納得の頷き。
それがあまりに潔い…というより、馬鹿正直なものだったので、楓も呆れ返ってため息を一つ。
「はぁ…
何だか知らんが、おなごのスカートは安易に捲るなと何度も言っておるじゃろうが!少しは自重せい、この変態がぁ!」
「捲っただなんて、人聞きの悪い…
私はねぇ、ちゃんと彼女からの命令を受けた上で!キチンと土下座までして!その命令のキレに思わず少しこうふ…いや、それはいいや。
…とにかく!私は正当な方法でだなぁ!」
そんなこんなで、駅のホームを木霊しながら謎のパンチラ談義は続く。
こんな会話で心が暖まってしまうのは…異常なこと、なのだろうか。
笑って、怒って…そんな楓を見て、私もまた笑ったり、ふざけてみたり。そんな何気無い日常が…もしかしたら、人生のバランスをいい感じにとってくれているのかもしれないな。…今日を除いて。
「…覗きに正当性も何も無いと思うのですけど。」
「いやだからぁ!あれは不可抗力だったんだって!
不可抗力…不可抗力ぐへ、ぐへへぇ…」
「そんなベタな言い訳、最近の少年漫画でだってもう通用しませんよ。
それにぐへへって…ふふっ。」
「…って!笑うなそこぉ!」
「そうじゃそうじゃ!いくら我が主が変態で悪趣味で気味の悪い奴だからって…だからって、貶していい理由にはならんぞ、多分!」
「多分ってなんだ!多分って!
それに楓!あんたもちょっとは……
………って、あれ?」
……でも、そこで私は初めて気付く。
この状況が…私が当たり前の日常だと思っていたこの会話が、少し異常なものだったことに。
この、二人だけの空間だったはずの場所に…別の第三者の存在が現れていたという、驚きの事実に。そしてその第三者が、驚くべき程自然に会話の中に溶け込んでいたことに。
その驚愕と同時に、私はその声の主を探そうと必死に首を振る…
も、捜していた対象は以外にも近くにいて。
私の真横…さっきまで楓がいた方向とはちょうど反対方向の、ホームに引かれた線のすぐ後ろ。そこに私達と同じ姿勢で立ち、私達と同じように自然に会話に参加し…
…その長い黒髪を夜風に揺らし、表情を変えないままに声だけで笑っている、一人の少女の姿。
…そして私は……
その姿に、少しばかり見覚えがあって。
「あんた…
…えっと……
月詠さん…だったっけ?」
そう、その姿は…あの時、私のすぐ後ろで先生に向かって意見していた…あの、霊視持ちの黒髪少女…
「…はい。あの時、あなたと一緒に先生直々に賞賛されました…月詠神奈です。
これからよろしく、祠堂さん?」
月詠、神奈…
清楚な名前と見た目とは裏腹に、その喋り口は…どこか皮肉めいていて、不思議で神秘的な少女。
…少なくとも、初対面の印象はそんな感じだったのだ。
これから先、彼女とどんな学校生活を送っていくのかは…無論、当時の私にはまだ知る由も無い。




