始動~スクールライフ~
…退屈だ。
溢れんばかりの人混みの中、夜の帳が降りかかった灰色の空に向けてそんな愚痴を心の中で溢しながら…ため息を、一つ。
辺りには既に色とりどりのネオンの光が灯り始め、雲のベールに隠された星空に代わってギラギラと輝き始めている。
聞こえて来るのは、自分の足音と辺りを埋め尽くす雑踏の音と…遠く鳴り響く、吐き捨てるような罵倒の声。
鼻を掠めた煙たい臭いに、思わず咳を一つ。それに続いて体の外側を駆け抜ける生温い風と、妙に古臭いエンジンの音。そしてそれを追いかけるように走る、いくつかの忙しない足音。
…全く持って、一体誰かこんな世界を作ってしまったのだろうか?
息苦しくて、騒がしくて、忙しなくて…楽しいことも間々あるけれど、それにしたってこんな薄汚れた空の下じゃあ…とても、楽しめる気分にはなれそうに無い。
「……はぁ…」
再び溢れたため息を最後に、私の足はその速度を上げる。
…こんな所にこれ以上突っ立っていても、心が曇ってしまうだけだ。さっさと家に帰って、何か楽しいことでも…あ、この間録画したアニメって、確かまだ見てなかったような…
…なんて、そんな誘惑の誘いに浸ってでいられる時間すらも…この世界は、与えてくれないらしい。
唐突に肩を走る、何かがぶつかるような感覚。
しかしその感覚には、私の中には確かな覚えが…というより、慣れがあって。
「…んだぁ!?
テメェ今ぶつかったよなぁ、あん!!」
…やれやれ、こんな時まで私の邪魔をするとは…全く、ご苦労なことだ。
何と言うかこう…お前達にはもっと他に、やるべきことがあるだろう。
私にこうして接触してきたということは…多分彼とて、将来有望な卵の一人。それがこんなつまらないことにうつつを抜かすとは…一体どうなっているのやら、この世界は。
「おうおう!テメェぶつかっといてごめんも無しってかァ、アン!?」
「おいゴルァ、テメェうちの兄貴に手ぇ出しやがって…タダで済むと思ってんのか、アァン!?」
…訂正、「彼ら」になった。
いやはや、ただでさえ救いようの無いようなクズが、よりにもよって二人ですか。
あぁ、これ、今回も多分穏便にはいかないんだろうなぁ…
「…無視すんなやゴルァ!!
俺を誰だと思ってやがんだぁ、アン!?」
あぁ、段々周りの目も集まってきて…気付けば私達の辺りにはちょっとしたスペースが切り拓かれ、その外周から暇を持て余した野次馬達の黄色い声が上がり始める。
…こりゃ、今回は結構な大事になりそうだなぁ。
やれやれ、果たして私は…今回も無事に、かつ被害を被らずに家まで帰れるのだろうか…?
「…おい、知らねぇとは言わせねぇぞ?いぃか、今テメェの目の前に立ってんのは…「暴走神」ハーレの使い手ぇ、五熊昭二様その人なんだぜぇー!!」
おお、なんか辺りからの歓声の勢いがめちゃめちゃ上がったな。
…てことは彼、もしかしてここらじゃそこそこの有名人…?少なくとも私は聞いたこと無いけど。
…しかし、暴走でハーレって…安直なのもここまで極まると中々笑えてくるな、ぷぷぷ。
「…んだぁ!?テメェ何笑ってんだゴルァ!!」
「叩き潰されてぇのか、アン!?」
やっべ、顔に出てました!?
…こりゃいよいよ、このまま特に目立たないままこっそりと帰る…って筋は完全に潰されましたなぁ。主に私のせいで。
でも、だってさぁ…
暴走で、ハーレ…ハーレぇ…古臭っ…いつの時代だよぷぷぷ。
「テメっ…いい加減に…!」
「……あぁ、そうかい分かったよ…
オイ!オメェらは黙って見てろぉ!!」
「ヒィー!スイヤセン!!」
…あぁ、もう駄目だこりゃ。
いつの間にか増殖していた、やたらとガラの悪そうな男達で構成されたブラック革ジャン金髪集団。その中から一人の男が抜け出てきて…瞬間、辺りからの歓声がより一層大きくなる。
「…テメェ……よくもこの俺を笑いやがったな…!?」
…うわぁ、凄い顔してますよ、あなた。
こりゃ確かに、自分を慕ってくれてる部下には見せられた顔じゃあ無いですよねぇ。だからこうしてわざわざ前まで…何と潔い男なんだ、まぁそれでもクズなのは変わらないんだけども。
でもまぁ、私はしっかりとその顔…記憶の中のオモシロ変顔集に入れさせてもらいますね、ハイ。
「いぃか、よーく見とけよ…
これが今から、お前がボッコボコにブチのめされる相手ぇ…」
…………………
…はぁ……どうやらここまで、か。
目の前の男がそのやたらゴツい右手を上げ、何かを呼ぶように空を仰ぐ。
…あの姿勢に、一体どれだけ私の人生が邪魔されたことやら。まぁ、今回はそこそこ笑わせてもらいましたし?いつもよりは楽しめた…とは思うけれど。
瞬間、世界が歪む。
…男の掌が、光る。
その光は瞬く間に強さを増し、辺りに膨大な力の渦を生成する。その感覚を肌で感じながらも…しかし少女は、相も変わらずつまらなそうにため息を一つ。
……全く、この世界って奴は…
光が、視界を覆い尽くす。
同時に体を強烈な衝撃波にも似た風が吹き抜けて…普通ならきっと、こうして立っていることすらままならない状況なのかもしれない。
でも、私にとっては…
「…来たぁ!来たぜ来たぜ来たぜぇー!!」
「ヒューヒュー!アーニキー!!」
「やっちまえやっちまえぇーー!!」
こんなもの…ただの……
「さぁ、テメェの力ぁ…
「神殺し」とやらの力、この俺に見せてみやがれ!!
…さぁ来いっ!暴走神……!!
ハーーー…………………
……………………………っ!!!」
「…あ、兄貴ぃ?どうかしやした…か……」
「…………………
……い、嫌だぁ…
あんなの…あんな………の……ぉ…
…バタッ」
「…………へ!?
…あに…き……?兄貴!?し、しっかりしてくだせぇ!」
「兄貴………
…兄貴ぃーーー!!!」
…単なる、お遊びに過ぎないのだから。
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時は、神暦26年。
30年前、突如世界各地を襲った謎の大災害、通称「厄災」によって世界中の国の政権や経済が立て続けに崩壊。特にここ日本においては、東京の首都圏全土を巻き込んだ大規模厄災「東の終焉」により国の中枢を担っていた政治的機能は完全に壊滅。自国の復興で手一杯になっていた外国からは当然ろくな支援も受けられず…結果として、日本という国は首都と政治、そして人口の約35%をも失い、その絶望的な状況を立て直せぬままなし崩し的に崩壊…
…するかに、思われていた。
しかしそんな時、とある大学の研究チームが厄災の被災地となった東京の調査中に発見した、空気中に漂う未知の物質。世界各地が復興に勤しむ中、もはや復興の希望も気力も失ってしまった日本は、さながら藁にもすがるような思いでその物質の調査に望んだ。
それから分かったことは…主に二つ。
一つは、その物質が厄災の以前には全く検出されていなかったこと…つまり、ただの劣悪で理不尽な災害だとしか認識されていなかった厄災が、しかしこの日本に何らかの未知の物質を生み出し、各地にばら撒いていた…ということだ。
そしてもう一つは…
その物質に、未知の膨大なエネルギーが込められていた、ということだ。
それ以降はもう…日本の経済は、驚異的なまでのうなぎ登りを見せる。
新たな物質、それを調査すればする程に溢れ出て来る、数多くの新技術の数々。それは廃れかけていた日本に莫大な経済効果を与え、各地の復興にかかる膨大な資金と人材を補ってあまりある程の資金を、見事に調達して見せた。
そして、それらの技術は世界からも大きな注目を集め、その度に資金の援助もどんどん増えていき…結果、今後数年も保たずに壊滅すると世界の誰もが予想していた我らが日本は、国内だけでも38000000人以上の多大なる犠牲を出した災害をも糧にして驚きの逆転劇を見せたのである。
「…そして、そんな新たなる歴史を迎えるこの新たな日本の中で、その未知の物質「霊気」の存在をより詳しく解明する為の研究機関、及びその為の人材育成を目的として、この終焉を迎えた東京に打って変わる新たな首都として作られたのがー…」
「そう、今まさに我々が立っている「新都」なのです!」
「いやぁー!話には聞いていましたけど…凄いですねぇー!こんな高い建物が、こーんなにも沢山!」
「いえいえ、驚くのはまだ早いですよぉー!
では次に、皆さんお待ちかね「学園区」にお邪魔してみましょうか!では、どうぞー!」
「はーい!私達は今、この新都東京の中でも最も高い技術力が集まり、今世界中から大きな注目を集めている地域…新都第7区画、通称「学園区」にやってきていまーす!」
「はあぁ…いやぁ、仕事とはいえまさかこの学園区に入ることができる日が来るなんて…私としては、本当に夢のようですよぉー!」
「そう…なんですか?
…まぁ、それはさておき。ただでさえ入場するのに何らかの資格が必要な新都ですが、中でもここ学園区は「一般人の立ち入りは厳禁」とされているんです。
入れるのは、この区画の中にある学校の生徒か、その教員を含めた一部の関係者のみ。勿論、学校以外のお店や駅なんかもありますけど、それら全てを合わせても…この区画に入れる人数は、なんとたったの2500人!」
「凄いですよねぇー!
でもでも、そんな少ない人数しか入れない場所にも関わらず、中身は超超超豪華なんです!」
「そうそう、中でもあのケーキのお店が…
イタリア直産の素材を使ってて、作っているパティシエも超凄い人ばかりで…」
「………?
あの、そういうのはいいですから…」
「…うおぉーー!凄い、凄いぞセラー!」
…むぅ……
全くなんだ、朝っぱらからでかい声出して…
昨日のゴタゴタのせいで今日はテンション低いんだっての。それにその声がやたらと頭に響いて…やっべ、ちょっと頭痛が…
「何気なくテレビを付けてみたら…見よ、これを!偶然にも、奇遇にも今新都の、それも学園区の特集をやっておるぞー!!
いやぁ…偶然というのは、本当にあるもんじゃなぁ、うんうん!」
柔らかな朝日の差し込む、穏やかなリビングの一角。テーブルの上には色鮮やかな朝食が顔を連ね、陶器製のカップからは暖かな湯気が溢れていた。
そんな、一見すれば幸せそうに見える食卓。…だがしかし、それに反するように私のテンションは最悪の一辺倒で。
「…あぁーもう!分かったってば!
とりあえず黙る!そんでもってさっさと飯食べて!さっさと準備を終わらせる!分かった!?」
リビングのテーブルに拳を叩きつけ、威嚇…するも、その勢いで落ちそうになったサラダの乗った食器が落ちそうになり、慌てて反対の手を伸ばして押さえつける。
…やれやれ、どうしてこういつもビシッと締まらないのだろうか。
「…てか、あんたまーたテレビなんか見てる訳?いい加減時代遅れって言うか…」
その照れ隠しも兼ねて、とりあえず一言ぼやく。
その言葉の相手…椅子に座って食パンに齧り付く私を横目に、ソファーに堂々と腰掛けてテレビを見つめつつ、手に持った食べかけの食パンに幸せそうに齧り付く、一人の少女。
謎の着物風和服を身に纏い、その真っ白でふわふわした髪の毛の中にそびえ立つ、二つの霊峰…基、獣耳。そんな一見常識離れした少女の、あの妙に幸せそうな表情を見る度に…何故だか私は、いつもは許せないと思っていることも不思議と許せてしまうのだ。
…だって、可愛いですし、ハイ。
「む!それは聞き捨てならんぞセラ!
いいか!テレビというのはなぁ!素早く手軽に最新の情報を手に入れる為の、楽しくて素晴らしい手段なのだ!
…確かにまぁ、最近はどうも面白い番組が減ったりはしておるが…」
「ふーん、そなんだ…
…あ、今日夕方雨降るかもってさ。」
そんな可愛い抗議に全力で頬を緩めながらも、とりあえず食事を終えた私が目を向けるのは…宙に浮かぶ、一枚の光の板。そこに映し出される数々の文字や図形が、私の退屈で幸せな朝を便利な情報達と共にカラフルに彩ってくれる。
「あーー!!おのれセラ、まーたそんなものに頼りおってからにぃー!この裏切り者がぁー!!」
「…へいへい、さいですかーっと。」
…そんな朝の慌ただしい食事タイムもようやく一段落し、今度は着替えを含めた準備タイムが幕を開ける。やれやれ、平日の朝というのはどうしてこうも忙しいのやら…
リビングを離れ、再び舞い戻るは愛しのベッドルーム。再起して襲い掛かって来る眠気を遠ざける為、少しばかり力を込めてクローゼットを開け放つ…と、その中から現れる、一際大掛かりな装備を施された一着の服。
「…あ、そういえば……
まだ着たことなかったんだっけか、これ。」
その服に掛かっていた袋を乱雑に剥がし、中から現れるのは…薄い茶色を基調とした、いかにもお高そうな生地で編まれたブレザーだ。そこにセットで掛けられた赤色のスカートも合わさって、その姿はまさに…学校の制服、そのものであった。
まぁ、実際そうなんですけど。
そんな制服にため息を吹きかけつつ、脱ぎ捨てた寝間着をこれまた適当にベッドの上へと投げ捨て…何気なく、部屋の片隅に立て掛けられた鏡の前に立ってみる。
…何だかこう、普通だ。
纏っていた服という名のベールが剥がれ、年頃の少女のあられもない姿が鏡の中に…あるはずなのに、どうにもそういう雰囲気が無い…気がする。別にスタイルが悪い訳でも無いし、下着の趣味も…無難な方だとは、思うのだが。
…胸のせいか?
いやでも、私とてまな板肯定派だし…だとしたら、それだけでここまで色気が無くなることも無いと思うのだけれど…
……けれどまぁ、そんな悩みも制服を袖に通すまでのことで。
鏡に映る、さっきまでとは全く違う雰囲気を纏った少女…女子高生の姿。その姿に感動して、思わずその場でくるりと一回転。その瞬間に合わせてひらひらと踊る赤いスカートが…どことなく、可愛らしい雰囲気を漂わせてくれて。
いやぁ、しかし…やっぱ制服って凄いですわ、ハイ。
一見どこか古臭くて、流行に乗れているとはとても言えないけれど…それでもやっぱり、こういう古いタイプの制服はどうしたって可愛いものだ。
…強いて言えば、この袖……
萌え袖と言えばある程度まで言い訳はつくが、にしたってもっとこう…せめて指先くらいは出てたっていいじゃない。てかそもそも、どうしてもうちょっと小さいサイズを選ばなかったかなぁ、私。
…なんてことを虚しくぼやきながらも、とりあえず私の着替えは完了。散らかったままの寝室に別れを告げ、そろそろ出発の時間かなぁ、なんて考えながら部屋の外に出てみる…と、
「…あ、あの制服!
ちょっと声をかけてみましょうか!すみませーん、そこのあなたー!」
「お!見ろセラ!あの制服って確か…」
そんな私の耳を掠める、テレビの中のわざとらしい声と可愛らしい口調で放たれた獣耳少女の声。そんな声に気を惹かれ、その声の主…未だリビングにて全力のくつろぎタイムを満喫している少女と、その前に映し出されていたテレビの画面へと目を向ける。
すると、そこに映っていたのは…明らかに見覚えのある服装をした、一人の女性の姿で。
「あぁ、私と同じ…
…まぁ、一応はエリートの集まりだからね、うちの学校。」
「おぉ、さっすが我が主!もう立派に貫禄がついてきたのぉ…
…でもまさか、セラが自分のことをエリートなだどと称える日が来ようとは…この楓、感動いたしましてございまするぅ…」
「…んなっ!そういう訳じゃ……!
………はぁ、でもまぁ、そうなのかも…ね。」
…この制服。
襟元に結ばれた赤いチェック柄のリボンの端を握り締め、顔を顰める。
自分のことを優秀だなどと宣う自信は、私には毛頭無い。
確かに、私は周りに比べたら少しばかり優秀すぎる実力の持ち主ではあった。それは自覚していたし、私としてもその力と才に劣らないような立ち居振る舞いを心掛けている…つもりだ。少なくとも、自身の心の中では。
でも、今回ばかりは訳が違う。
この制服には、私をそこまで緊張させる程の重大な意味があるのだ。それこそ、多分常人には想像もつかないような努力や覚悟…そして何よりも、この制服を身につけた時点で「私は特別だ」ということを、知らないうちにも周りに知らしめてしまうのだ。
街を歩くだけでも、私には周りから様々な視線が送られることだろう。
それが羨望の眼差しなのか、嫌悪の眼差しなのか、或いは雪辱の眼差しなのか…私のような無感情な女には、きっと何一つ分かりはしないけれど。
…しかし私は、それすらも武器にするためにと、この制服に袖を通すことを決めたのだ。試験は愚か、推薦の時点で学校への進学が決まっていた私の横で、叶わなかった努力に嘆き、悲しみに暮れて啜り泣く…あの、いくつもの涙を目にしても尚、その決意を歪める気は私には無い。
「あの!その制服って…
「宮代台」のもの…ですよね?」
「えぇ、そうですけれど…
私は、私立宮代台高校神格実技科、二年C組…正木刹那です。」
…宮代台高校。
それは、エリート学校揃いの学園区の中でも一二を争う超エリート校にして、その中でも今最も注目を集めている神格科…それも専門の実技科なんて名前まで付いた超超エリートなクラスを備えた、現在の日本における最高峰の施設と学力を備えた高校なのだ。
そして私も、今日からその一員…という訳なのだが。
「え!えぇーー!!実技科って…それも正木さんって、確か…宮代台の中でも三年生をも追い抜く程の成績優秀者、でしたよね!?それもそれも、そのバッジは…!」
「…あぁ、これですか?
これはですね…」
…あぁ、何だかそう考えていると…どうにも、そわそわして落ち着かない。
あぁもう、今日は入学式だぞ!私が初めて高校という華の舞台に足を踏み入れる記念の日にして、圧倒的エリート学校の中で展開される夢の青春生活…それを謳歌する為の、大切な第一歩なのだ。
…しかし、それがこんなに緊張するものだとは…全く、人生というのは想像のつかないことだらけだ。
そんなことより、今はとにかく行動だ、行動。こんな所でいつまでもぼーっと突っ立っていたって何も始まらないぞ、私。
緊張に凝り固まった頬を両の掌でぺしぺしと叩き、そんな応急策で心持ちだけでも入れ替えようと努力。そしてそのまま、力み満載の足取りにてリビングのソファーまで足を運び、そこで微睡む緊張感皆無の少女…基、楓の手を強引に掴み、引っ張る。
「ほーら!いつまでもそんなつまんないもん見てないで…行くよ、早く!」
「んなっ!ちょっと待て!まだ時間には早いんじゃ…って、おい!聞いておるのか!セラぁー!!」
…あぁ、この柔らかくて暖かい温もり…落ち着く、すごーく落ち着くっ!
そんなぷにぷにな掌を未だ強引に掴んだまま、私はその獣耳少女をズルズルと引っ張りながら玄関へと向かう。…そしてその足取りからは、不思議とさっきまでの力みが少しばかり消えているような気がして。
「あうぅ…せ、セラぁ…
聞いておるのかぁ…?」
「聞いてますけどー…
……………って……はっ!!?」
そんな私の隣で、未だその体を床に擦り付けながら若干涙ぐんだ瞳をこちらに向ける楓。そしてその表情の変化に気が付いた時…
私の中に、電撃が走る。
…え!?嘘、あのちょっと…可愛い過ぎやしませんか!?潤んだ瞳、引き攣った頬、そして私の耳を微かに揺らす…その、ぐすりという鼻を啜る音…!
あの、これ…どうしろと…私、これもう…我慢が…効かな……い…っ!
「…ちょっとごめん。」
「へ?一体何を…って、うわぁ!?」
心にリミッターをかけられぬまま、本能に負けた私の腕は真っ直ぐに楓の体を包み込み…その温もりを、私の全身をもって受け止める。
あぁ、感じる…
彼女の匂い、温もり、柔らかさ…その全てが、私にとっては至高の宝物で、私の中にある興奮をとてつもない速度で跳ね上げていって…
ふと、顔を上げる。
目が、合う。瞳と瞳が呼応して、感情の高ぶりは最高峰へとシフトしてゆく。
あぁ、なんならいっそこのまま…このままぁ……!
「…ねぇ、ちょっと……
目、瞑って…」
「な…なな…なぁ………
…なななななななななな何をする気じゃセラぁーーー!!!」
禁断の領域へと足を踏み入れる…その前に、私の体を走る鈍痛と衝撃。
…あれ?
私、今の流れ的に彼女の唇に触れていたはずなんですけど…それがなんで、こんなにも高く宙を舞って…
「っで!!」
…………
…はぁ、結局またこういう結末ですか。
まぁ、もう慣れっこなんですけどね、自分で言うのも何だけど。
さっきみたいにいい感じにアプローチした所で、結局はこうして腹に蹴りを入れられて華麗に吹っ飛んで…こうして地面に背中を打ち付けられ、事の失敗を悟る。
こんな一連の流れすらも、もう私にとっては習慣の一つにすらなっているんですけどもね、ハイ。
「…はぁ、全くもぉ…
どうして!セラは!いつまでたってもそのひん曲がった性癖が治らんのだぁ!」
性癖…楓が地団駄を踏みながら怒鳴り散らしたその言葉には、実の所一切の間違いは存在していない。
…そう、つまり私は…普通の人間とは違う「少女好き」な性癖を持った少女なのだ。
敢えて言おう、私は女の子が好きだ。
基本的には私と同じかそれ以下の年齢が好みだが、可愛くて幼げがありさえすれば別に何歳だろうと多分OK。
できるだけ小さくて、可愛い女の子。普通、私くらいの年頃の女子ならば「可愛い」という言葉一つで収まるであろう所が、私にはどうしたってその程度じゃあ収まらない。
触れて、感じて、そして挙句にはその果てまで…そんな曲がった情欲を、私は心の底から欲しているのです、ハイ。
…で、こんな性癖のせいで散々苦労をかけられている楓からすれば、こうして顔を真っ赤にして怒鳴り散らすのも当然と言える訳だ。しかもよりにもよって今日という大事な日に…あぁ、私という奴は何と愚かな…トホホ。
「よいか!今一度確認するぞ!
…一つ!わしに歪んだ感情や欲情を抱かない!」
「…ヘイ。」
「…二つ!
その…私に抱きつくまではよい。よいが…それ以上の行為には、絶対に及ばない!いいな!?」
「…ヘイヘイ。」
「三つ…ってコラぁー!聞いておるのかセラぁー!」
…あぁ、何故だろう。
こんな状況、普通なら慌てたり困惑したりするものなのだろうが…今の私にとっては、このやり取りが固まった心と体を解きほぐしてくれるきっかけになっていた。こんな傍迷惑なやり方で気を落ち着けるというのも、中々酷い話だとは思うけど…やっぱり、こういういつも通りのことをするのが一番落ち着く。
…だって、こういういつも通りの幸せに浸っていられるのが…今の私にとって、最も大切なことなのだから。
「…で?」
「……ヘイ?」
「あ、あの…そのぉ……
…もう、大丈夫なのか?」
あの騒動から一段落ついて、ようやく落ち着いた私達。若干ふてくされ気味に乱れた制服を整える私に向けて、楓は一言そう呟いた。
…やっぱり、分かってた…よね。
「大丈夫…か。
…うん、多分大丈夫。心配かけて…ごめん。」
心配、かけてしまったな。
これはまた、彼女に借りを作ってしまったらしい。…やれやれ、私という奴は本当に…
「…あぁ、そのぉ……
……よいよい!そういうのは!
強いて言えばまぁ…今後は二度と、こんなことするでないぞ!分かったか!?」
「………ふふっ…
…ヘイヘイ、分かりましたよー。」
「んなっ!反省する気ゼロじゃろ、セラぁー!」
…こんなやり取りを経て、私達の一日は始まった。
人生で最も大変で、面倒で…記憶に残る、一日が。