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M's ~未名少女の無題物語~  作者: 心十音(ことね)
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 午前六時、目覚まし時計が甲高い音を鳴らして朝を知らせる。しかし、この時計はそろそろ定年らしく、どこか音の響きが悪かった。前から何となく気づいてはいたが、日に日に力が弱まっている。近いうちに電池を替えないと。

「定年なのは電池の方か」

 さて―――と、ぼくは早朝の清々しさを味わうべくカーテンを開け、窓も開けて、部屋中に朝日と澄み切った空気を取り込んだ。しかし初夏とはいえ、夏と書くだけあって、陽の光も朝の空気もなかなか暑く、思っていたより清々しさは味わえなかった。

 すると突然

「ピンポーン♪」

 聞き慣れない音が飛び込んできた。目覚まし時計とぼくの独り言しか、この部屋で発生しうる音源は存在しないと勝手に思い込んでいた上に、音の正体がインターホンだったので、ぼくはギョッと顔を歪ませる。

 こんな早朝に誰だろう。考えられるとしたら、郵便か―――いや、こんな早朝にわざわざ駆け込んでくる公務員とは聞いた事がない。

「あれ、郵便配達員って公務員じゃなかったっけ」

 ひとまず却下。次に挙がるのは隣人か―――いや、あの人は暫く帰って来ないと言っていた。あの人の性格上、暫くというのは少なくとも一か月以上を表し、その話を聞いたのは一週間足らず前の事だ。

「故に却下」

 そして次に挙がるのは―――いや、これはやめておこう。考えたくない。これだけはあって欲しくない。そもそもそんな人、存在しない(酷い言い方だ)。

「強制却下」

 あるいは―――   

「いや、どの人の場合でも、ぼくには有害としか思えないな……」

 それに、このまま居留守を使うと、後々もっと面倒な事が起こりそうだ。朝からこうして意を決する羽目にあうとは、流石引きこもりのぼくだ。恐る恐る重たい扉を開けて、暗闇の玄関に光を入れる。そして、その光を遮る影の正体は、

「おはよう!」

 ぼくが今まで考えていたいくつもの予想に、全く当てはまらない人物、寿無(ことなし) 百子(ももこ)が立っていた。

「え、何で……?」

 これはぼく自身に対する疑問、ただの自問だ。今まで考えていた訪問人の候補に百子ちゃんがいなかったんだ? 確か百子ちゃんとは、七時に会う約束だったが、もしかして聞き間違えたか? それとも、先程「午前六時」と言ったが、実は見間違えて午前七時であったか? ぐるぐると回らぬ思考を働かせていると、百子ちゃんが全ての疑問を回収するかのように、スパンとはっきり、端的に答えた。

「みーさん、早起き苦手だって聞いたから起こすついでに、朝ご飯作りに来たよ!」

 どうやらこれから、彼女のモーニングサービスが始まるらしかった。



 朝食は英語で『Breakfast』と書く。由来は、断食(Fast)を破る(Break)という事からきているらしい(ぼくの記憶が正しければ)。

 だが百子ちゃんは、

「朝起きて、一番速くに空腹状態を打ち破るからブレイクファスト!」

「胃腸破壊の必殺技みたいだな」

 その場合、速くではなく「早く」だろ。

 こうして、朝日をわざわざ入れずとも、部屋には太陽のように眩しい子がやって来た。百子ちゃんは部屋に入ったや否や、真っ先に

「みっくんの家、シンプルだね!」と、凄く当たり前な、ありきたりな感想を述べた。

「しかもオール電化? あれ、でもキッチンどこかな?」

「簡易コンロがあるから料理はそこで」

「もうみっくん、朝から冴えてるねー! 冗談でしょ」

 紛れもない真実を笑って流そうとしている百子ちゃんだが、ぼくからは無表情しか返ってこない。

「……え、冗談だよね?」

「……」

「ええっ!? 嘘でしょ!?」

「本当だよ」

 ぼくは真実しか言わない。その後も、電化製品は揃っていないのか訊かれ、日頃の食生活を教えて欲しいと訊かれ、それが果たして健康面で大丈夫なのか訊かれ、まともに生きてるのか訊かれ、これらにぼくは全て肯定を唱えた。

「うーん、ますます不安だよ……」

「何故?」

 どこにも問題なんて見当たらないではないか。それなのに百子ちゃんは、その場でペタリと座り込んで、あり得ないと言わんばかりの(実際に言っていたかも)表情で、ぼくが用意した緑茶を飲み干した。安心だ。賞味期限は切れていない。

「この場合、安全か」

「何か言った?」

「いや、ただの独り言」

 すると、百子ちゃんは正座から「んなー」と猫の如く前身を床につけて、正確にはその上に敷かれた絨毯につけて伸びをする。が、折角リラックスしたというのに、再び体をガバッと起こして、両手を絨毯に貼り付けた。

「えっ、ちょっと待ってみっくん。キッチンとか他のものに目移りして気づかなかったけど、この絨毯ってもしや、ポルトガル産の高級なやつでは!?」

「ん? あー……ポルトガル産だった気はする。干すのがなかなか面倒でね」

「すごーい! みっくん、実は帰国子女なの?」

「パスポートは持ってる」

 こちらは間違いなく期限切れだけど。まさか彼女に、そこまで関心を持ってもらえるとは思いもしなかった。もしかすると、将来外国と関係した仕事に就くのかもしれない。


 さて、絨毯の一件でモチベーションを取り戻したものの、百子ちゃんはまたしてもぼくの日常的行動に衝撃を受ける。とりあえず朝ご飯を作るよう指令されたので、言われるがままいつもの   昨日の朝と同じ卵と米を食卓に並べた。いつものように米を摘もうとしたら、隣からパチンと平手打ちを喰らった。じんわり痛い。ヒリヒリする手を宙で払っていると、百子ちゃんが膨れ面を浮かべながら、またしても質問攻めを開始する。

 ……米を食べながら受けていたので―――つまりは、そこそこの時間がかかったので、内容は割愛。すると今度は、質問から提案に切り替わった。

「主食から問題なんだけど……みっくん、炊飯器はある?」

「聞いた事ならある」

「あり得ない……」

 彼女の顔はすっかり青ざめている。質問を受ける側もなかなか苦労だが、質問をする側もなかなかの徒労だ。

「日本人なら、炊飯器くらい持ってるものだよ。というか、持っとかなきゃいけないよ!」

「そんな事、日本人の定義に記されていない」

「定義とかそういう問題じゃなくて、一般常識として米が主食の日本人は、炊飯器を持っているのが普通なんです! そりゃ昼間にお腹も空くよ……」

 なるほど、最後のは納得せざるを得ない。すると百子ちゃんは、鞄から携帯を取り出し、何かをブツブツ呟きながら画面を触り始めた。

 なるほど、これが今時の高校生がしている謎の集団行動だな。しかも単体でもやるから、これは集団という範囲を超えてくる。生憎そんな神器を持ち合わせていないので、ぼくはそれをぼんやり眺めているしかなかった。

「みっくん、あのね……」

「百子ちゃん。それは、ぼくじゃない」

 これを機に、彼女は携帯を見ながら誰かと話すのをやめると宣言した。



「さて、そろそろ行こうか」

 あれからぼくは、昨日と同じく彼女からの話を聞き、時に意見や反論を交え、恋人とは思えない……いや、恋人だからこそ行う会話ややり取りで一日を過ごした。

 自動車より自転車を利用する人が多い通学路で、授業内容の復習がてらコミュニケーション道路について話したり、ポイ捨て厳禁という看板があるのに、二メートル間隔でゴミ箱が建設されている件について、無駄なのではないか、そんな浪費的な策は辞めて、外国のように法律違反で罰金をかけたらいいのではないかなどと一意見を唱えてみたり、生徒会や担当の委員達が挨拶してきたのをそのままスルーして怒られたり(礼儀正しい百子ちゃんは、ちゃんと挨拶を返していた)、やっぱり授業は面白くなかったけれど、時々隣から渡される紙片の落書きを見て退屈さを紛らせたり、お弁当を少し貰ったり、だし巻き卵が美味しかったり、図書室で勉強を教えてもらったり、日差しでキラキラと輝く彼女のヘアピンを眺めていたり、「ちょっと、聞いてる!?」とまたしても怒られたり、また明日も会おうねと言われたり……


「ん?」

「だーかーらー明日もまた会おうねって! テスト勉強もまだまだ残ってるし、みっくんが餓え死にされちゃ困るし!」

「ぼくは、いつからそんな深刻な状態になっていたんだ?」

「とにかく明日の朝! またそっちに行くから! 寝坊しないようにね」

 じゃあまたねと手を振り、やや駆け足に去って行く百子ちゃん。

 いつの間にかぼくは、また明日も彼女に会うために生きる約束を交わしてしまっていた。彼女は、言い逃げも上手く使える子らしい。

「なかなか厄介だ」

 けど、悪い気はしない。ぼくは、彼女の後ろ姿が見えなくなったところで振り返り、珍しく一日空けていた自室へと戻る。扉を開けると、普段感じた事のない落ち着いた匂いがした。それもそうだ。今日は一日学校に居て、慣れない匂いを自身に染み込ませてきたのだから。

 その中にふと、彼女の香りが漂う。少し甘く、でもさっぱりとした清潔感のある香り。彼女の髪からふわりと鼻をくすぐってくる、どこか懐かしく、優しい香り。

 シャワーを浴びたら、その香りは落ちてしまったが、明日も会おうねという約束が、その香りに再び触れ合えるものなのだと考えれば、ぼくは案外安らかに眠れた。


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