1-3
マルクが夢を諦めたその夜、昨夜と同じようにマルクとノイルは向かい合っていた。
「父さん、僕父さんみたいな狩人になるよ。」
「そうか…そうか、分かった。」
ノイルはマルクの言葉に何処か寂しそうで何処か安堵したような顔を見せた。
「なら明日!明日父さんが森の中でどんなことをしてるのか見せてやるから、一緒に森に入ろう!明日は早いぞ、早く寝るんだマルク!」
いつものニカッとした笑顔でノイルがマルクを抱きかかえて寝室に連れて行く。ふんふんと吹き出すノイルの鼻息が首筋に当たってマルクはこそばゆかったが、父のいつもの笑顔に思わず嬉しくなった。
「こら、ノイル!まだマルクは熱が下がったばっかりなのよ!またぶり返したらどうするつもり?しばらくは安静です!それにご飯もまだでしょ!」
夕飯を作っていたマリアがお玉を持って呆れ顔をノイルに向けていた。
「大丈夫だよ、マリア!マルクは俺に似て丈夫だから!今回の熱もたまたま調子が悪かっただけさ!なっ、マルク?」
「うん、僕はもう大丈夫!明日から狩人として働けるぐらいさ!」
子供が今日の昼まで寝ていたことを忘れて調子に乗る父親と自分はもう元気になったと思い込んで調子に乗る息子の図がそこにあった。そんな2人に家庭を守る正義の魔法使いが近づいていく。この家族の平和を乱す者には決まって魔法使いの得意技、雷の魔法が落ちるのだ。
コンッ!コンッ!
子気味良い音が二つ。
「アイタッ!」
「痛いっ!」
マリアの持つ魔法のお玉による雷魔法は効果抜群だ。
「いい加減にしなさい。聞き分けの悪い人はご飯抜きよ!ノイル、ほらマルクを座らせて!ノーラ、貴方もいつまでも笑ってない!マルクはいい子で座ってる!」
ノイルはガハハと笑い、ノーラはニコニコしながら皿を並べ始めた。マルクは言われた通りニコニコしながら座った。マリアはその様子を見て満足気に料理へ戻った。
マルクが魔法使いの夢を諦めてから2日経った。マリアから熱も下がってしばらく問題なかったからと狩りの見学のお許しも出た。マルクとノイルは日も明けない内から森に行く準備をしている。ノイルは弓、ナイフ、ロープなどを用意し麻袋に入れたり腰に身につけたりしていた。マルクは母に手伝われ父親とお揃いの鹿の皮でできた服を着ていた。腰のベルトには2つの小袋が付いている。一つは傷薬が、もう一つには木の実が入っている。
「マルク、いい?森に入ったらお父さんの言うことをよく聞くこと。周りの人から絶対に離れないこと。もし万が一危ない目にあったら、大声で助けを呼ぶこと。分かった?」
「お父さんの言うことを聞く。人から離れない。大声で助けを呼ぶこと。分かった!」
「それからお腹が減ったら小袋に入れた木の実を食べなさい。硬いけどよく噛んで食べるのよ?そうすれば少しはお腹が満たされるわ。食べ過ぎには注意よ?いっぺんに食べてしまうとお腹が破裂してしまうわよ?分かった?」
「木の実を食べ過ぎない。分かった!」
「それから、」
マリアが更に続けようしたところ、ノイルからストップがかかった。
「あぁ、マリア?そろそろその辺にしとかないか?出発の時間なんだが…」
マリアはハッとして最後にマルクの額にキスをした。
「マルク、貴方に森の神ウォルドの祝福がありますよように」
「ノイル、マルクのことお願いね。森の神ウォルドの祝福がありますように。」
ノイルには頬にキスした。
「あぁ、行ってくる。マルク、さぁ行こう」
「母さん、行ってきます!」
マルクとノイルは村の狩り仲間との集合場所である村の北側にある門に向かう。
「父さん、さっきの母さんが言ってたのって何?」
「あぁ、あれか。あれは神の祝福ってやつだ。って言っても教会の神官様がやるような正式なものでもないし、正しい呪文でもない。そもそも父さんや母さんがやっても効果は無いからな。まぁ、おまじないみたいなもんだ。」
「じゃあウォルドっていうのは何?」
「ウォルドってのは村に伝わる森の神様の名前だ。まぁ、つまりは"森の神様、森で狩りをしますので沢山獲物をください"ってことだ。」
「そうなんだ。ならちゃんとした呪文を覚えれば魔法みたいなことが出来るの?」
「そうだな、正しいお祈りというか呪文で願えば効果があることはあるな。それでも効果は無いよりあったほうがマシっていう程度だがな。」
マルクは不思議に思う。ノーラの話では神の祝福は魔法の様に見えるはずだ。姉は嘘をついたのだろうか。
「全然魔法っぽくないだろ?」
ノイルは息子の心の疑問を言い当てた。
「本物の神の祝福は本当に魔法みたいなんだよ。これは父さんも母さんも見たことがあるから間違いない。まぁ見たことあるのは洗礼式と成人式、婚姻式の3回のみだがな。」
ノイルは何か思い出した様にガハハと笑った。マルクは知っている。こういう時の父は決まって母マリアのことを思い出しているのだ。マルクは何も言わない。下手なことを言うとノイルのノロケ話が始まってしまう。確かに自分の母親は村の母親衆の中では一際美人である。だからと言ってまだ恋も知らぬ6歳のマルクには恋の話、ましてや両親のノロケ話など面白いわけがない。マルクは蜂の巣が入った今にも弾けそうな袋を突く様な真似はしない。しかしそういった袋と言うのは常々どうなるのか決まっているのだ。そう、外から突かなくても勝手に破裂するということが。
「そうそう、婚姻式と言えばその時の母さんの美しさときたら神の祝福とどちらが神々しいか周りの奴らがヒソヒソと話していてな。父さん思わず"うちの嫁の方が美しいに決まっている!マリアの美しさは美の神ですら平伏すに決まっている"なんて大声で言っちまってな。そのときの母さんの顔ったら真っ赤になってな、これがまた可愛いのなんのって…」
「父さん!」
マルクはノイルのトリップに制止をかける。このままでは延々と"うちの嫁はこれだけ美しい"自慢を聞かなくてはならない。
「本物の祝福って母さんがやってたのと何が違うの?」
「ん?違いか。父さんも詳しく知っているわけではないんだが、まずはやっぱり祝福を贈る人が違うことだろうな。本物の祝福は神官様がする物なんだが、神官様ってのは神様について学校で勉強して神様を祀る教会や神殿で神様のためにって生活をしているからな。神の祝福に必要な呪文や捧げ物をきちんと知っているんだろうな。後は神様からどのくらい愛されているかどうかが重要らしい。神様から特別に愛されていると適当な呪文や捧げ物なしでもしっかり効果が出るらしい。」
「神様って平等に僕らを愛してくれないの?」
マルクは詳しくは知らないと言っておきながらしっかり説明してくれる父に驚いた。
(そういえば父さん、僕のために色々調べてくれたんだっけ…)
ノイルの神の祝福講座が続く。
「マルク、お前は家族と村の人を同じだけ愛せるか?愛せないだろう?どれだけみんなが大事でも必ずその中でも特に大事な人ってのが現れるもんだ。そういう人が神様にもいるってことだな。因みに物語に出てくる勇者様や聖女様がそうらしいぞ。あぁ、話が逸れたな。どこまで話したっけ?マリアの婚姻式での可愛さだったか?面倒だ、初めから話し直そう。婚姻式でな、母さんが可愛いのなんのって…」
ノイルの中ではいつの間にかマリアの自慢話が本筋になっていた様だ。自慢話がまた始まる。
「あっ!父さん!僕も神の祝福ってのやってみたいな!」
「そしたらな、周りでマリアと神の祝福のどちらが神々しいかなんて…なんだ、マルクもやってみたいのか?神様も忙しいからって村でも神事のときぐらいしかしないんだが…まぁ、マルクにとっては初めての狩りだもんな!きっと特別に祝福をくれるだろう!」
ノイルが少し考えて立ち止まる。
「村に伝わる簡易作法だが教えてやろう。 捧げ物は…木の実でもいいか。よし、まずは腰袋の木の実を一つ取って両手で包み込んでみろ。」
マルクは言われた通り木の実を一つ両手で包む。
「次に父さんの言う言葉を繰り返せ。目を閉じて心の中でちゃんと神様に挨拶しながらするんだぞ!」
マルクは目を閉じる。太陽の光が上がり始め、まだ寒い春朝の空気に冷やされた顔を暖めるのを感じる。
「我らは森の神ウォルドに連なる者なり。」
(森の神様、はじめまして。僕の名前はマルクです。)
「母なる神よ、御身が産みし子らを殺めることをお許しください。」
(これ、お母さんが持たせてくれた木の実です。美味しくてお腹もいっぱいなるので食べてください。)
「我らが母よ、我らの狩猟に大いなる祝福を与え給え」
(お父さんたちがいっぱい獲物を狩れる様に見守っててください。)
マルクが祝福の祈りを言い終え目を開けると太陽は完全に顔を出していた。朝日に暖められて手が暖かく感じた。中の木の実もマルクの体温に暖められてほのかに熱を帯びていた。
「どうだ?何か感じたか?」
「うぅん、特には。」
「そうか、まあそんなもんだ」
「この木の実はどうしたらいいの?」
「捧げ物って言っても食べ物の場合、実際に食べてもらうわけじゃないからな。後で食べちまえ!」
ノイルは笑いながらそろそろ行こうとマルクを抱えた。マルクは持っていた木の実を腰袋のに入れた。
村の北門を見るとすでに村の男衆がすでに揃っていた。
「ノイル!遅いぞ!」
男衆の1人が大声で叫ぶ。
「何をやっていた!全く今日はお前のところせがれが来ると言うことで早めに出かけることになったんだぞ!お前が遅れてどうする!」
ノイルは悪びれもせず笑っていた。
「ダンさん、ごめんなさい。途中でお父さんに祝福について教えてもらってたら遅くなってしまって。」
ガハハと笑って一向に謝らないノイルに代わってマルクが謝った。ダンは村の働き盛りの男衆の顔役であり、狩り仲間のリーダーでもある。狩人として弓を持つより、戦士として鎧や兜、大斧などを携えている方が余程似合いそうなほどガタイの良い男だ。
「マルク、気にするな。どうせノイルのことだ、話が途中で途切れて嫁自慢でもしていたんだろう。」
ダンは的確に指摘したが、話の脱線はマルクが直ぐに止めていたので実質自慢話はなかった。
「いえ、殆どは祝福について教えてもらった時間でした。」
「まあ、そういうことにしといてやる。」
ダンは全く信用していない様だ。
(父さん、日頃どんなこと言ってるんだろ。母さんには内緒にしておこう。)
夫が仕事仲間から信用されておらず、その原因が自分の自慢話などと聞いた日には雷魔法だけでは済まない様な気がして、マルクは家庭の平和のため秘密を墓場まで持って行こうと思った。
「マルク、ダンに謝る必要はないぞ。ダンが大声を張り上げるのはいつものことだ。気にする様なことじゃない。」
「いつも大声を出さなくてはならない理由はいつもお前だ。まったく、分かって言っているからタチが悪い。もういい!時間が押している!それでは森に入る!」
屈強な男たちと狩人見習いの青年たちが歩き出す。マルクはノイルに抱きかかえられたまま、森へ入っていった。