静絵ノ笑み
「もう、早く言ってよ!恥かいたじゃない!」
「いや、静絵さんが聞く耳を持たなかったんだよ…。」
静絵さんは酒を飲んで、すっかり出来上がってしまっていた。
この酔っぱらいの名前は谷川静絵さん。俺の母の妹で叔母にあたる人物だ。彼女はこの辺りにいくつか存在する不動産を管理しており、このアパートもその一つである。
静絵さんには取り敢えず、倒れていたアカリを近かったこの家に連れて来て介抱していた。とだけ説明した。
すると、折角だからご飯を食べて行けと言われたので、今は3人で食卓を囲んでいる。
ちなみにご飯を作ったのは、俺だ。
静絵さんの買い物袋の一つは全てお酒だったので、大した物は出来なかったが、冷蔵庫の有り合わせでオムライスを作った。
多分作るのが面倒だったから俺に作らせようと思ったのだろう。
異界人であるアカリの口に合うかは分からなかったが、「こんなに美味しいモノがこの世界にはあったんですね…!」という言葉を聞いて、多分めちゃくちゃ鼻が延びた。
しかし、静絵さんに「こんなもの、誰でも作れるわよ」と言われて、ポッキリと折られた。
っていうか作ってないあんたが言うんじゃねえよ!
まあ、それはともかく、静絵さんにはアカリの素性はバレずに済んだ訳だ。
「だって、久しぶりに託満が家に来てると思ったら、二人が目を潤ませながら手と手を握り合ってるんだもの。そりゃ私も下世話な想像するわよ。」
言われて、俺は赤面する。
アカリの方を見ると、彼女も顔を真っ赤に染め上げていた。
「もう良いだろ、その話は!」
不貞腐れてながら、オムライスの残りを口の中にかき込む。
やはり静絵さんは苦手だ。
「ごちそうさん!」
「まあ、そんなに怒らないで、ねっ?託満の料理本当に久しぶり…。やっぱり美味しいわ。」
あなた曰く、誰でも作れるけどね!!
心で悪態を吐くが、褒められて悪い気はしない。単純な俺の心に辟易しながらも、照れ隠しに話題を変える。とは言っても最初から頼む気ではあったことだが。
「…静絵さん。今日1日だけ、アカリさんを泊めてやってくれないか?
彼女の家はすごく遠いらしくて、今からじゃ時間が遅くなるし…。まだ体調が万全じゃないかもしれない。」
異世界から来たのなら、住む場所があるはずがない。
それにアカリ自信や彼女の服は所々汚れており、多分風呂にも入れてないだろう。
いや、別に臭ったりしないよ、むしろ良い香りだ。と誰にともなく言い訳をする俺。
「え、いや、それは…。」
静絵さんはアカリを見て、言葉に詰まる。
何か不都合でもあるのだろうか?
「すいません…、迷惑ですよね…。」
「あ、あー、そうじゃないのよ。ただね…。」
ちらりと俺の方に視線を向け、俺の耳元に手を当てる。
(この家って壁薄いじゃない?)
(あ、ああ、昔は騒いで良く怒られてたな。)
(それで最近隣に新婚夫婦が入居したんだけど、夜になるとそれはもう、頑張ってるわけよ…。)
何が言いたいか理解した。したくはないけど…。
要約すると、家は教育的によろしくないから、余り泊めたくはないらしい。
とてもさっきまで教育的によろしくない発言をしてたとは思えないが。
それじゃあどうしようかなと、考えていた矢先に、何を思ったかいきなり不穏な事を言い出した。
「別に、託満の家に泊めれば良いんじゃないの?一人暮らしだし、使ってない部屋あるでしょ?」
「おい!発言が矛盾してないか!?」
一人暮らしの男の家に女の子を泊めるなんて、教育的というかモラル的にもどうなんだ!?焦る俺に静絵さんは続けた。
「別に良いじゃない、どうせ何もしないでしょ?」
「そりゃしないけど、アカリさんも嫌だろそんなの。」
藁にもすがるような気持ちで、アカリを見る。
彼女も女の子だ。男の家に泊まるのには抵抗があるに違いない。
「嫌だなんてそんな…。あなたが嫌でないなら私はお願いしたいくらいです。」
そんな風に言われたら断れる訳がない。
さっき事情の説明をしてもらうときの、「俺は少なくとも、お前を信じたいと思ってる。お前は俺を信じられないのか」という自分の言葉を思い出した。
先刻は何の反応もなかったが、もしかしたらこれはその意趣返しなのかも知れない。
彼女の表情はふわりとした笑顔で、思考は全く読み取れない。
そんな風に思ってしまうのは、俺の心が汚れているからだと信じたい。
静絵さんを見ると、ニヤニヤと口に手を当てながら笑っていた。
アカリの発言に俺が断れない事を悟ったからであろう。
「分かったよ…、嫌なはずがないだろ。」
俺は観念して、受け入れる事にした。
そうだよ、大体女の子が家に泊まったとしても、疚しい気持ちがないのだから、何も問題はない。そう!何も問題はなーい!!!
自分にいいきかせるように、心で呪文のように唱える。
いや、違うな。意識するから駄目なんだ、無心だ無心。
そう、気分はお坊さんのように…そうだよお経だよ。えーと南ー無…。
「あの…、彼はどうしたんでしょうか?」
いきなり黙ってブツブツと言い出した託満をアカリは心配そうに見つめながら、静絵に尋ねた。
「男の子にはいろいろあるのよ…。」
「は、はあ……。」
アカリは良く分からないといった感じの曖昧な返事をする。
「まあ、分からないならその方が良いわよ。」
しかし、静絵は余り気に留めてない様子で自分の部屋に向かい、紙袋を持って戻って来た。
「着替え無いでしょ?この中に一通り入っているから、家に着いたら風呂に入って、今着ている物は洗濯したら良いわ。」
「何から何までありがとうございます…。」
「良いのよ。」
アカリに柔らかな笑顔を向ける。そして、託満に聞こえないように、小さな声で言った。
「…あの子、本当に久しぶりにこの家に来たのよ。電話で連絡を取ることはあったけど、ここに来たのは三年ぶりぐらいかしらね…。思春期だからと思って、放っておいたけど…。多分私に気を使っていたのよね…。」
「優しいですからね。」
「ふふ…そうね…だから大丈夫よ。…でもまあ一応の為に良いモノを入れておいたから。」
最後の台詞の時の顔は、優しいお姉さんからまた酔っぱらいの笑みに戻っていた。
「託満、呆けてないでそろそろ帰りなさい。もう9時過ぎよ。」
九字の呪文を十二回程唱えた頃に現実に引き戻される。
「着替え渡しといたから、家帰ったら風呂沸かしてあげなさい。あと洗濯は…洗濯機でできるか分からないから、風呂場で洗ってもらって…。」
「はいはい…分かったから…。」
「そう?なら早く帰りなさい。これ以上遅くなると不味いし。」
「皿洗いとかは…。」
「私がやっておくわ。オムライス美味しかったわよ、本当に。…また作りに来てね。」
「…気が向いたら。」
「ほらほらアカリちゃんも早く。」
アカリの背を押し、玄関へと追いやる。なんだか早く家に帰そうとしているようだ。
不思議に思っていると、壁の向こうから女の人の嬌声が聞こえてきた。
(確かにこれじゃあ人を泊められないな…。)
早く帰したい理由をなんとなく悟り、そそくさと玄関に向かう。これ以上ここにいたら、先刻のお経が全くの無駄になってしまいそうだ。
流石に玄関まで少し離れているので、声は聞こえて来ない。
静絵さんは靴箱の上に腰掛け、アカリは靴を履き玄関で待っていた。
「それじゃ、気を付けてね。」
「ああ、ありがとう。…静絵さんも大変だね。」
先刻の嬌声を思い出しながら告げる。
静絵さんも悟ったようで、嘆息しながら嘆く。
「本当に辛いのよ、酷いときには深夜2時くらいまで、ずっと聞こえるし…。注意しようにもデリケートな問題だし…、逆に欠陥住宅だって突っ込まれても嫌だし…。」
「はは…。」
どう返せば良いか分からず失笑する。静絵さん、目が病んでるし。
「何から何まで本当にありがとうございました。」
「良いのよ、こちらこそありがとうね。」
アカリのお辞儀に、静絵さんは手をヒラヒラさせ応えている。
「それじゃあ帰るよ。じゃあね。」
「ありがとうございました。さようなら。」
アカリは再び頭を下げ、そして俺は小さく手を振り別れの挨拶を告げる。
「うん、さよなら…またね。」
静絵さんも手を小さく振りながら応える。
俺は返事をしなかったが、また料理を作りに来ようと思った。