第6話 理由
一頻り胃の中を吐き出した後、カイはエリザに支えられるようにして部屋へ戻った。
吐瀉物で汚れた服から寝間着に着替え、今はベッドの中にいる。
「カイ、落ち着いた?」
心配そうに顔を覗き込むエリザが手渡してくれたコップの水を受け取り、一気に飲み干す。
「ありがとう、少し楽になったよ」
空になったコップを返しながら告げると、エリザは安心したように、ほっと一息ついた。
「それにしても、驚いたわ。何か嫌いなものが入ってた?」
小首を傾げて尋ねるエリザに、カイは何と答えたものかと口をつぐみ視線を彷徨わせていると、ダニエル司祭が開けっ放しにしていた扉から部屋に入ってきた。
その手には、温かい湯気が立つスープの載ったお盆がある。
「カイくん、落ち着いたようでしたら、何かお腹に入れた方がいいい。この皿には子牛の肉は入っていませんから、あなたも食べられるでしょう」
「どうして、僕が肉が食べられないってわかったんですか!?」
ダニエル司祭の言葉に、カイは驚きの声を上げる。すぐ側で聞いていたエリザも、目を見開いて二人の様子を伺う。
「子牛の話が出たときのあなたの表情が気になりましてね。昔、あなたと同じように子牛の肉が入ったシチューを食べた少年が嘔吐したことがあったんですよ。だから、もしやと思いまして・・・」
「ありがとうございます。それなら、多分大丈夫だと思います」
ダニエル司祭に礼を述べ、カイは受け取ったスープに手をつける。
恐る恐るスープを口に入れるが、先程のように吐き気が襲ってくることはなかった。
ーよく見てるんだな・・・。それにしても、その少年って・・・。その子も俺みたいな目にあったんだろうか・・・
「そんな少年がいたなんて、私知りませんでした」
「聖女様が知らないのも無理はありません。もうかれこれ30年も前の話ですから」
名も知らぬ少年を思い、複雑な表情を浮かべながら食事をするカイの横で二人は会話を続ける。
「どんな少年だったんですか?」
「30年前にこの辺り一帯で大規模な飢饉が発生したんですが、その当時は今のように飢饉への備えが十分ではなかった為、近隣の小さな村では餓死する人間がたくさんいたんです。ベスタ大聖堂では、軍と協力してそういった人々の保護を行っておりました。その少年の住んでいた村は特に被害が酷かったようで、軍が村人の救助に向かった際には、生きている人間はその子だけだったそうです」
「まぁ、そんなことがあったんですか・・・。さぞ辛い思いをその子はしたんでしょうね・・・」
それ以降、飢饉に備えた食料や物資の備蓄を増やすようになったという、ベスタ大聖堂の歴史をダニエル司祭が語っている間にカイはスープを食べ終えた。
「司祭様、結局なぜその子は子牛の肉が食べられなかったのですか?」
先程から飢饉や教会の歴史ばかりを語り、一向に少年に関しての詳しい話をしないダニエル司祭に、焦れたエリザが直接的な問いを投げ掛ける。
「それは・・・」
問われたダニエル司祭は、ちらりとカイの顔を見て困ったように口ごもる。
その様子は少年のことを話すことでカイの辛い記憶を呼び起こすことを危惧しているようだった。
ダニエル司祭の気遣いに感謝しながら、カイは代わりに答えた。
「その少年も、人間が人間の肉を食べるところを見てしまったんじゃないですか?」
カイの答えに、エリザはヒュッと息を飲み、信じられないものを見るような視線をカイに送ってくる。胸の前で組んだ両手の震えが、エリザのショックの大きさを物語っている。
ダニエル司祭は、やはりそうだったのかとポツリと呟いて悲しげに目を伏せる。
そんな二人に対して、カイは自分の身に起こったことを全て話した。話さずにはいられなかった。
今でもあの時何が起こったのか、正直よくわかっていない。
心の整理もつかぬまま感情的に話すカイの話は、端から聞いていれば支離滅裂だったが、それでも二人は黙ってカイの話に耳を傾けてくれた。