第4話 ベスタの聖女
次にカイが目をさましたのは、温かいベッドの中だった。
見慣れない石造りの天井を見上げて何度か瞬きすると、ゆっくりと部屋の中を見回した。
「ここは?」
灰色の石造りの部屋の中には窓の前におかれた机と椅子、クローゼットとベッドの他には何も無かったが、深みのあるワインレッドの絨毯と同じ色のカーテンのお陰で寒々しい印象は無かった。
カーテンは今はひかれておらず、綺麗に磨きあげられたガラス窓の向こうに灰色の空が見えた。
ベッドから抜け出る際に体の節々に鈍い痛みが走ったが、幸いにも凍傷にはなっていないようだった。
白い寝巻きに着替えさせられた体には、パッと見たところ傷らしい傷はない。
一先ず着替えようと再度部屋の中を見回すと、もともと着ていた服と肩からかけていた鞄が窓際の机の上に置かれていた。
鞄の中身をあらためると、ロープや着火材、小振りのナイフ等はそのままだったがイヴァンのメダルが見当たらない。
ーどこがで落としたのかな?若しくは誰かが持っていった・・・?
念のためもう一度、鞄の中を探るがやはりない。
服のポケットだろうかと、丁寧に畳まれた服を手に取ると微かに石鹸の香りがした。
どうやら洗濯までしてくれているらしい。
誰とも知らぬ相手に感謝しながら、服のポケットも確認したがメダルは入っていなかった。
メダルの所在は気にはなったが、どうすることも出来ないので先に着替えることにした。メダルについては、自分をここに連れてきた人間に聞けばいい。
手早く着替え終わったところに、タイミング良く扉を叩く音がした。
返事をすると静かに扉が開き、祭服に身を包んだ初老の男が入ってきた。
男はカイの姿を見ると、ゆったりと微笑み口を開いた。
「おや、もう起きて大丈夫なのですか?どこか痛むところはありませんか?」
「いえ、大丈夫です。それよりも、ここは?」
本当は身体のあちこちが痛むが、我慢できない程ではない。それよりも、今自分が何処にいるかの方が気になった。
「ここは、ベスタ大聖堂。私は司祭を務めているダニエルと申します」
「ということは、ここはリヒテンベルグの街なんですか?」
ベスタ大聖堂のあるリヒテンベルグの街はカイの村から馬で3日はかかる街だ。夢の中でイヴァンは近くの街に送ると言っていたはずだが、随分と村から離れている。
どういうことだと、混乱するカイにダニエルと名乗った司祭は優しく語りかける。
「えぇ、そうです。あなたは昨夜街の入り口に倒れていたんですよ」
「司祭様が助けてくれたんですか?ありがとうございます!あ、えっと俺はカイって言います」
ダニエル司祭の言葉に、カイはまだ礼も自分の名前も告げていないことに気付き、慌てて頭を下げた。
「いいえ、あなたを見つけたのは私ではなく聖女様ですよ。もう少し発見が遅ければ凍死していたかもしれないあなたがこうして生きているのも、神の思し召しでしょう」
「聖女様が、俺を?」
ベスタ大聖堂の聖女と言えば、カイも以前噂を耳にしたことがあった。春の女神プリマヴェーラの声を聞き、癒しの力で人々の傷や病を治すと、以前村に立ち寄った旅人が語っていた。
その旅人も聖女に足の傷を治して貰ったとかで、その容姿もまるで春の女神の化身のように美しいと、目を輝かせながら聖女を褒め称えていたのを覚えている。
「聖女様なら、今は聖堂にいらっしゃると思いますよ」
聖堂まで連れていってくれると言うダニエル司祭について、部屋を出る。
どうやらカイのいた部屋は角部屋だったらしく、廊下に出るとすぐ右手に大きな螺旋階段があった。階段には背の高い大きな窓がついており、窓からは聖堂の入り口から伸びた石造りの大きな階段と広場、その先にリヒテンベルグの街並みが見える。
初めて見るリヒテンベルグの街の大きさに息を飲む。だが、それ以上に驚いたのは街に殆ど雪が積もっていないことだった。
「この街は、春の女神プリマヴェーラのご加護のお陰で大雪の影響が殆ど無いのですよ」
カイの隣に立ちダニエル神父が説明してくれる。
ー同じ国にあるのに、こんなにも違うものなのか。俺の村はあんなにもひどい状態だったのに・・・
「美しい街でしょう?体力が回復したら、あなたも街に出てみるといい」
「えぇ、そうですね・・・」
内心、複雑な思いを抱えながら、螺旋階段を下り始めたダニエル司祭の後に続く。
部屋や天井の高さからも感じていたが、ベスタ大聖堂は一階の高さがかなり高いらしい。二階分の長さの階段を降りたところでようやく下の階に着いた。
一階に着いたところで、カイはダニエル司祭にメダルのことを聞いてみた。
「はて、メダルですか?私は見ておりませんが・・・。もしかしたら、聖女様なら何かご存じかもしれませんね」
一階の廊下の中程まで進むと、右手に廊下が現れた。廊下の先には他の部屋よりも立派な両開きの扉がある。
その先が聖堂だと告げ、もと来た道を引き返していくダニエル司祭に礼を言うとカイは扉へと向かう。
真鍮のノブを回すと大きな扉がゆっくりと開いた。
ーこれが、ベスタ大聖堂!!
聖堂の中に足を踏み入れたカイは、その荘厳さに先ほど窓からリヒテンベルグの街を見たとき以上に驚いた。
太い柱の間を抜けて側廊から身廊に出て上を見上げると5階分はありそうな遥か上に天井があった。
緩くアーチを描く天井には一面に春の花が淡い色彩で描かれていた。
身廊の左右に整然と並ぶ柱の一本一本にも、様々な花や鳥、動物の装飾が施されており、それらがいくつもの燭台の灯りとステンドグラスから柔らかく射し込む光に照らされている様子はまさに圧巻だった。
カイが入ってきた扉は聖堂の左側の丁度真ん中にあったらしく、右を見ると重厚な造りの聖堂の入り口、左を見ると長椅子の列の向こうに大きな祭壇が見える。
祭壇に向かってカイはゆっくりと近づいた。床にひかれた赤色の絨毯は厚く、足音ひとつたたない。
祭壇の前には、跪いて頭を垂れる女性がいた。
半円形の祭室に設けられたステンドグラスから射し込む七色の光が、祭壇に祭られたプリマヴェーラの真っ白な像と女性の長い金色の髪を柔らかく照らしている。
厳かな静寂の中、女神像に向かって一心に祈りを捧げる姿にカイは声をかけることも出来ず、その場に立ち尽くした。