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不作のばかいもに贈る指摘感想論(推敲・遂行不十分)

作者: 不作のいも

(注)このエッセイは私以外の誰かを批判するものではない。

 これは「なろう」における指摘感想についての一個人が考えたことをまとめた持論だ。(そして反省文ともいう。)

 ちなみに指摘感想とは、このエッセイにおいて「作品に関して指摘をするような表現を含んでいる(その意図がある)感想文」の意味を含んでいる。

「なろう」において感想と作者の距離は近い。そしてほとんどの人がアマチュアだ。そんな「なろう」の中で、”良い感想を書きたい”と思った私がつらつらと持論を述べる。

(以下の言葉はこう表記されていることが多い。指摘感想=「感想」、指摘感想を書く人=「筆者」。ちなみに以下に出てくる「あなた」とは今このエッセイを書いている私のことだ)



 今までの私の、指摘感想を書くときのこころがけはこうだ。

「できるだけ、丁寧に一生懸命、指摘感想を書こう。これは自分が作者ならぜひ知りたいことだ。決して、揚げ足をとっているわけではない。私より後に読む人がもっといい小説だと感じられる手伝いになれば嬉しい。」

 ……。

 今、この文書を書いている私からすれば、「ダメだこいつ…はやくをどうにかしないと」と思うしかない心がけだ。こういう勘違いをしているからいい文が書けないんだ。


 まず「貴方(作者)の為を思って! この作品の向上のため!」と書くのは間違い。

 一見、献身的で健気で小説というジャンルを発展させる為の重要な行動とも思えるが、感想や指摘をもらっても作者や作品はほとんど成長しないものだ。(理由は後術)たとえ間違いであってもそうする!というのは構わないが、その思いはとても不毛なものであることを知った上でそうしないといけない。別に腐って言っているわけではない。


 あなたがどんなに作者と作品を愛していようとも、指摘感想は作者の為になることはない。

 それはどうしてか。どれだけ丁寧に指摘感想を書いても、「そう感じたのは世界であなただけ」であるからだ。

 あなたの読書経験、日本語にどう触れてきたか、あなたがどんな場面で生きてきたか、などが、小説を読むとき緻密に関わってくる。同じ人生を歩んできた人は一人としていないので、どう感じるかは一人ひとり、それぞれの感覚となる。その感覚を理解させようとすることは、作者に転生してもらい、あなたの人生を歩ませる以外には、できないことだ。感想が書く側が持っている作品に対しての情報量と、作者の情報量は違う。だから、あなたの感想は作者にとって「理解不能」なのである。

(だってそれは世界で一つだから、誰もまだ見たことがないものだから、当たり前だよね)

 緻密に書いた指摘感想もまた、言葉の使い方ひとつで、作者に大きな誤解を与えるし、まったく方向違いの理解をして納得されることもある。

 そもそも感想を書くときには、もうそれは作品をリスペクトして書いたひとつの私小説であるという意識をもったほうがいい。そしてこの感想という小説を読んで作者がどう思おうとあなたのあずかり知るところではない。だから、「~~と指摘されましたが、私の小説はーーなので、直すつもりはありません(架空の例)」と言われても、「そうですか」と思う以外の義務はない。これをさらに言い換えるなら、「作者の為に、もっと私が言葉を駆使して説明しなければならない!」と思う義務は、まったくない。あなたがどれだけ温情に満ちたひとでも、冷淡に「私の気持ちを理解できなければそれでいい。私は明らかにそこが悪い点だと思うが、そこからどうするかはもちろん作者の勝手だ」と思うべきだ。「あなたのためにせっかく丁寧に感想を書いたのに、どうしてわかってくれないの!?」と思ってしまうのは、見当違いのおサムい傲慢だ。

 だって、誰も、永遠に、あなたの感想など理解できるはずがない。


 結局、感想は作者に理解されないものである。小説を書く人なら以下の感覚がわかると思うが、感想がある意味ひとつの小説であるなら、その小説が筆者の思惑通りに理解され、ヒトの心情に効果を発揮するのはかなり奇跡的な確率だからだ。

(余談だが、そんな文章をかけるのが文豪と呼ばれる人々なのかもしれない)


 さて、感想は筆者の思い通りに理解されず狙った効果を発揮しないと述べたが、なぜ感想が作者の力を伸ばすキッカケになりえないのか。それは、作者が感想を理解しないので、何も吸収することはないからだ。

 作者の理解力が足りないとか、伸びようとする心がないとかいうことではない。理解が不可能だからだ。例えるなら、「今まで落とし穴がない世界にいる人に、あなたの目の前に落とし穴があるから気を付けたほうがよい」と言っていることに近い。作者の概念にないものの事を言われても、それがなんであるのかは当然わからない。作者は落とし穴に落ちて初めて「ああこういうことか」と理解し、そうして学んでゆくからだ。これは教師に言われた言葉を後になって思い出すことと同じだと思う。

 それゆえに、指摘に価値がないとか言っているわけではない。作者にとって、指摘は尊いものである(のちのちそうなる可能性がある)わけだ。だから、指摘を貰った作者は「一体何を言っているんだ」と思いつつ、なんだかよくわからないそれを大切に扱うべきだと思う。

(もちろん、何億年経ってもどうでもよいと思われる見当はずれで無価値な指摘もある)


 では、指摘感想は、現在において意味はないのか。そういうことでもない。どこが気になったのか、自分だったらどうするか考えて文章化することは小説を書く人にとって肥やしになるに違いない。




 指摘感想を書くときは自学の為のみに書きなさい。




(ちなみにこれは、「指摘感想」についての持論。だが、到底指摘と呼べないと見える「暴論感想」もちょっぴりこの中に入る)

(そして最後の言葉に補注をつけるならば、「ただし作者の多大な迷惑にならないものであること」

指摘感想の半分は大きなお節介でできているので)

(繰り返しますが、このエッセイにおける登場人物はすべて私。私以外の誰かを批判するものではない)


このエッセイなんだかよく分からない文章は、いもの指摘感想の犠牲になった作者さんに、お詫びと、反省文的なものとしてささげたい。すみません。



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― 新着の感想 ―
[一言] がははははは、今日もにわかをコテンパンに「指導」してやったぜ! などとセコイ先輩風を吹かせるようなユーザーにだけはなりたくないものですね。 けれども、自分ならどうやって書くか、どのように書…
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