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女神の心臓  作者: 瑞原チヒロ
第一章 其れは森が見つめる光
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「………」

 完全に意識を手放した少年を見下ろし、青年は呟く。

「……お前たちが助けたいのは、この子か……?」

 彼のまわりには誰もいない――

 否、彼にはたしかに見えていた。自分をここまで導いた存在たちの姿が。

 風がふわりと、気を失った少年の体を包む。

 少し視線をあげると、近くの木陰からひょっこり姿を現したものもいた。ずんぐりむっくりとした小人。一人ではなく、わらわらと慌てた様子で瞼を閉じた少年のまわりに集まってくると、心配そうにその顔をのぞきこむ。

 少年の顔にはすでに生気がない。

(これから街に連れて行って間に合うか――)

 焦燥とともに彼は、とにかく少年の体を抱き上げる。

 少年が飲んだのは、“妖精あやかし”が触れた川の水。毒と一言に言っても植物から採れる毒や人工的に作りだす毒とはまったく勝手が違い、青年が携帯している毒消しなどでは効き目がない。

 街に数人いる、“精霊術士”と呼ばれる人間でなければ解毒できないのだ。

「連れて行く。いいな?」

 少年の身を案じて集まってきた存在に向かい、彼は告げる。反論は受け付ける気がなかった。他に方法がないのだ。たとえ間に合うか間に合わないか賭けることとなっても、他に方法は――

 けれど、

 いいえ――と風が囁いた。

 青年は眉をひそめた。

 風が優しく青年の頬に触れる。――ここまでありがとうとでも言いたげに。

 そして、目の前にいた小人のうちの一人が、決然とした表情で前に進み出てきた。

 風は迷うことなく、その小人に向かって吹いた。

 青年は目を見張った。彼らの意図を察して声を張り上げる。

「やめろ!!!」

 しかし風はとめられないもの。

 小人を風が取り巻く。固そうな髪の毛が舞い上がる。風は近づく。もっと、もっと近くへ――

 そして風と小人が完全に触れ合ったとき、

 あたり一帯が、光であふれた。


 あまりのまぶしさに青年は目を閉じた。しかし瞼をおろしてさえそのまばゆさは鮮明で、その光がすべて自分の腕の中に注がれていくのさえ、彼には分かった。

 腕の中。水に冷やされ冷たかった少年の体に、何かが吹き込まれていくのが分かる。

「………」

 青年は唇をかみしめた。

 ――森がいている。

 常若と呼ばれた森が。

 それでも森は最後まで―最後の光のかけらが溶ける一瞬までも、ただ何もせずに彼らを見下ろしていた。


       *****


 目を覚ますと、そこは小屋のベッドの上だった。

「………?」

 アリムは目をしばたいた。

 天井が見える。いつも通りの木の天井。

「―――?」

 このベッドで目覚めるのは当たり前のことで、なのに何だか違和感がある。どうしてだろうとしばらく考えて、彼はようやく“自分は川に行ったはずなのに”と思い出した。

 川で……そうだ、お母さんに似た人を見て……

 そして川の水に襲われて。知らない人に助けられて……

 ――何だか夢に思える。それとも本当に夢だったのだろうか。大きくため息をついて、それからひどくだるい上体を起こす。

 ――お前、川の水を飲んだな――

 ふと、脳裏に声がよみがえる。

(川の水が、毒になってた……?)

 そして自分は、その水を飲んでしまった。

 だからだるいのか。そしてだるいだけで済んでいるのは、きっと本当に助けられたからなのだ。

(あの……男の人に?)

 アリムは記憶の中の、亜麻色の髪と琥珀の瞳をさがして部屋の中を見回した。

 だれもいない……

 心から残念に思って息を吐き、それから虚空を見つめる。

 それは毎朝の、彼のくせ――習慣だった。ベッドから身を起こしたらまずすること。

 ――精霊を感じること――

 何もないはずの空中を見つめてみたり、あるいは目を閉じて空気を感じてみたり。そうすると、たしかに何かがいるような気がして安心するのだ。母がいなくなって以来、唯一のぬくもりがそこにある……そんな気がして。

 ――けれど。

 心がひやりとした。

 何かが足りなかった。

 いつも感じる毎朝の気配と、違う。何かが――足りない。

 ――何が?

 部屋を見渡してみても、何も変化がない。そのことがいっそう少年の心に影を落とす。

 そう、自分には見えない。分からないのだ。

(……でも……)

 感じる。

 今までそばにいた何かが、いなくなってしまったことを。

 それは母を喪ったときほどはっきりとした心の穴ではなく、ひどく漠然としたもの。

 けれど……彼は認めてしまった。その喪失を――


 アリムは泣いた。

 だれもいない部屋で、ひとりで泣いた。

 母を喪って以来、ずっと忘れていた涙は、とても頬に冷たかった。

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