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『感じることを、忘れてはだめよ』
それが母の口癖だった。
『この森には精霊たちがたくさんいるのよ。見えなくても……感じようとすることを、決して忘れてはいけません』
うん、と彼は素直にうなずいた。
“精霊”の姿は彼には見えない。それでも、いるのだと信じていたから。
母が、何度もそう言ったから。
うなずけば、優しい母は穏やかに微笑んだ。――白いベッドに横たわったまま。
日ごと痩せ衰える母を、少年はただ見つめていることしかできなかった。慣れない手でがんばって食事を作ってみても、すでに母の体はそれを受けつけないのだ。毎日何度も水を汲みに家の外へ出ても、その水さえ口にできなくなりつつある母。……彼にはどうしようもなかった。
ただ、かすれた声で繰り返される言葉に、うなずくことだけ。
そうすれば、少なくとも母がほっとしたように微笑んでくれることを知っていたから。
『精霊は……』
今にも消え入りそうな声で、母は呟いた。
『きっと……あなたを守ってくれる……』
――だったらなぜ、おかあさんのことは助けてくれないの。
それは恨みではなく、嘆きでもなく、疑問――
一部の精霊には癒しの力がある。そう教えてくれたのは、母でなかったか。
尋ねるたびに、返ってくるのは力ない笑みだ。
『必要がないから……ね……』
――どうして、必要ない、の。
おかあさんがいなくなったら、ぼくはひとりきりなのに。この森の中の家でひとりきり……
『ひとりじゃないのよ』
母は微笑っていた。まだ幼いとも言える息子のこの先も、心底安心しているかのように。
『精霊たちが、いつもあなたのそばにいるわ……』
――せいれい、と彼は呟く。
いるのだと信じてきた。姿はまったく見えなくても。いるのだと、他ならぬ母がそう言い続けた。
精霊の姿を、その目で見ることのできる母が。
『そばに、いるわ』
――なぜ、ぼくには見えないのだろう。
見えるのなら、話せるのなら―目の前の母のことを、精霊に願ったに違いないのに。
『忘れないでね』
――決して忘れない。
そばにいるというのなら、いつかきっとその姿を見る方法を知ってみせる。話す方法を知ってみせる。そして、
『忘れないで……アリム』
――そして問うのだ。
なぜ、おかあさんを助けてくれなかったの――と。
優しいその女性が永い眠りについたのは、その三日後――
少年アリムが、弱冠十二歳のときだった。






