可逆性ロマンティカ
天津タイガは困惑していた。
自分の感情が、心臓の鼓動が、不可解な挙動で混乱させる。
まるで自分の身体が自分ではないような。頭で考えている事と逆の行動を起こし、ドクドクと脈打つ左胸をギュッと押さえた。
その日はいつもと同じ朝だった。まだうっすらと肌寒いくらいの気温と暖かい日差しのコントラストが気持ちの良い一日の始まりを告げていた。
「おはよー」
「はよーっす」
いつもの様に教室の友達と挨拶をして席に着くと忘れ物に気づく。
「っすー…やべー。弁当忘れた」
「ははは、今日は学食やね」
となりの席の友人がカラカラと笑う。タイガはカラッとした明るい性格もあり、教室では友人に恵まれ、普段は一緒に弁当を食べることが多かった。
無いと思うと腹が減るのは不思議だ。普段早弁などすることはないが、異様に空腹を感じたタイガは昼休みのチャイムと共に教室を出て学食へ向かった。
たまに学食に来ると頼むのは決まって日替わりランチだったタイガは、今日の空腹具合では少し物足りないなと思いパンの購買へ立ち寄ることにした。
早めに来たこともありまだ人はまばらでゆっくりと選ぶことができそうだ。
パンを吟味していると不意に背後からドンッと人にぶつかられた。
「おっと…」
「…すまん、大丈夫か?」
そこにはタイガより頭一つ分大きな男が立っていた。短く切りそろえた髪、堀の深い顔、決して小柄な訳ではないタイガが簡単によろけてしまうほどの体格の良さに息を飲む。
ついパンを買うことも忘れてぼうっとしてしまっていると男は大きめのコッペパンを掴みレジへ向かっていった。
「タイガ、パン買ったん?」
「うわっ!い、いたのかよ」
教室で話していた友人もパンを買いに来たのだろう、立ちすくむタイガを不思議そうに見つめていた。
「あぁ、町田ハルト先輩ね。でっかいよね。バスケ部のセンターなんだって」
「町田、ハルト…」
タイガは何故自分がハルトを目で追っているのかもよくわからなかったが、背中に当たった胸板の厚さの感覚とほんのりと鼻腔に残ったシーブリーズの匂いがずっと頭の後ろの方にこびりついたまま離れなくなった。
先程まで空腹でイライラしていたハズなのに食べ始めると進まなくなった箸を右手で弄びながら、なんとなく目線でハルトを探してみる。
「(いた)」
同じバスケ部と思われる人達と学食の大盛りメニューとコッペパンを食べるハルトがそこにいた。高身長軍団であるバスケ部の中でも一際存在感のある体格の良さと不思議な安心感の様なものがある男だった。
「タイガ、聞いてるのか?」
「あぁ、ごめん。考え事してて…何だっけ?」
わざわざ弁当を学食に持ってきてまで一緒に食べてくれた友人が呆れたようにため息をついてもう一度話してくれる。
「明日、球技大会だろ?タイガはサッカーだっけ?」
「あー、そうだった。今日の放課後クラスで練習するんだっけ」
タイガの通う学校は通例的に春に球技大会をして親睦を深めようという催しがある。
幼い頃からサッカーをしてチームスポーツに慣れ親しんできたタイガからすれば、一緒に汗を流せばすぐ仲良くなれると思っているタイプなので理にかなっている様に思えた。
実際自主的にクラスで集まってする練習はまだ人間関係が出来上がっていない中でも楽しく平和に行うことができたし、クラスの一体感を強めることに一役買っていた。
しかし、残念ながらタイガのクラスは2回戦で敗退となった。
「相手半分以上サッカー部じゃねぇか!そりゃ勝てねぇよ」
「球技大会に本気出しすぎなんだよな~。レクリエーションって忘れてんじゃねぇの?」
こうしてクラスの面々と文句を言い合うのもまたクラスの中を深めることになるのだろう。しかしそれと勝負の勝ち負けはまた別物で、理不尽に負けたイライラを鎮めきらないまま、まだクラスの競技の終わっていない体育館へ足を運んだ。
「げ~、こっちももう負けてんじゃん。うちのクラス弱え~」
「バスケは3年のチームがヤバいらしいよ。勝てっこないってさ」
そう言ってまだ試合をしているコートを見ると丁度決勝戦を行う所だったらしい。何気なく選手を眺めていると一際大きく存在感のある男がいた。
「町田ハルト…」
つい口をついて零れた。たった一度会っただけで名前を覚させられてしまったのが何故か男としての格を見せつけられたような気がして少し悔しかった。
試合は一進一退の接戦だった。ハルトのチームは初心者ばかりのワンマンチームだったが、相手はどうやら3人は経験者のようだ。
それでも一度ハルトにパスが回ってしまえばその体格を生かしたパワープレイは止めようがなかった。リバウンドもほとんどハルトが拾っていたし、一度ゴール下に注目を集めて外にいるフリーのチームメイトにパスを出しシュートを打たせてあげているところも、優しさとテクニックの両方が感じられるまさに圧巻のプレーだった。
試合は終盤、残りワンプレーの一点差というところでハルトにボールが渡った。彼がシュートを入れれば逆転、ハズれれば負けという場面で経験者3人がハルトについた。トリプルチームというやつだろう。パスをされて初心者にシュートを打たれるよりもハルトがシュートをするほうが入る可能性が高いと踏んだようだ。
定石通りならパスを出す場面、時間は残り10秒もない。ボールを両手で掲げパスを出す相手を探すハルトを見てタイガは思わず叫んでいた。
「行け!頑張れ!」
それを聞いて少し驚いたような顔をしたハルトとタイガは目が合った。ハルトはタイガを見て不敵に笑うとマークを振り切ってパスを貰いに来た味方にパスを出すフリをした瞬間、今日一番のキレでドライブした。
経験者3人を文字通り置き去りにしてゴールに向かってその体躯を目一杯伸ばした。
今日初めてのダンクシュートがゴールを揺らし、その瞬間試合が終了した。体育館は歓声と黄色い悲鳴に包まれた。
チームメイトにもみくちゃにされるハルトを見るタイガの胸が高鳴った。
「すげぇ…」
「すげぇダンクだったな!おいタイガ!顔が赤いぞ?そんなに興奮したのかよ」
友人に指摘されて初めて自分の顔が熱くなっていることに気が付いた。もうサッカーをしていた時のクールダウンは済んでいるし、今日はそんなに暑くない。
ということは自分はハルトを見て熱くなったのだ。この時タイガの中で小さな疑念が生まれた。
「(俺、なんでこんなにハルトの事を見てるんだろう)」
きっとバスケの熱に当てられただけだ。そう首を振って教室に戻っていくタイガの後姿をハルトが目の端で追っていた。
放課後、タイガは教室で目覚めた。時刻は夕方、教室には誰も残っておらず球技大会の疲れで転寝してしまっていたタイガだけがそこにいた。
「誰も起こしてくれなかったのかよ…げ、雨降ってるし」
外を見れば大粒の雨が窓ガラスを濡らしていた。今日の天気予報を見ていなかったタイガは傘など持ってきていない。下駄箱まで降りて空を見上げたが止む気配は一向になかった。
「傘、使うか?」
「えっ?」
急に話しかけられて後ろを振り向くとあの町田ハルトが無表情に傘を差し出していた。タイガとしては一方的に知っているだけで話したこともない相手だ。さすがのタイガも困惑した。
「今日、応援してくれただろ?ありがとうな、力出たよ」
「あ、お、憶えて…たんすか」
物怖じする性格ではないはずなのにおどおどとしてしまう自分に内心焦りながら初めて直視するハルトの顔を見た。
試合中の様に真剣な表情ではなく、優しく眉をさげて笑う顔はお世辞ではなくカッコよかった。これならあの試合の後の女子の悲鳴もよくわかる。
「敬語はいいよ、そういうのは部活で飽き飽きしてるんだ。傘、使ってくれないか?俺、家近いし。駅のちょっと行った所」
「あ、えっと、流石に悪いよ。俺も駅まで行ければ電車で帰れるし…」
断ってもハルトは傘を突き出した手を引いてくれない。有無を言わせない圧を感じてタイガが折衷案を出した。
「じゃ、じゃあ…」
ハルトの傘は大きい。本人の体格がいいからそれくらいのサイズがいるのだろう。
しかし、男二人分ともなればそのサイズも心もとない。ハルトもタイガも肩を少しはみ出して濡らしてしまっていた。
「(俺、どうしてこんな提案をしてしまったんだ…!?)」
言葉少なげに相合傘をするハルトとタイガだったが、その提案をしたのは何を血迷ったのかタイガだったのだ。
その提案を受けたハルトも流石に少し気まずいのか目を逸らしがちだ。
唯一ラッキーだったのは人通りがほとんどない事だろうか。もしクラスの友人にでも見つかったら大変だとタイガは気が気じゃなかった。
「天津タイガって言うのか。今日はサッカーを?」
「う、うん。相手がサッカー部ばっかりで2回戦で負けちゃったけど…町田さんは優勝して凄かった」
「ハルトでいい。バスケ部に町田がもう一人いるんだ、だからみんな下の名前で呼んでる」
「じゃあ、俺もタイガで…みんなそう呼んでるんで」
そう話していると向かいから雨合羽を着た人の自転車がやって来た。よく前が見えていないらしく、危なっかしくふらふらと運転している。
「おっと、危ないな」
そういうとハルトがタイガの肩を抱き寄せた。その厚い胸板にグッと抱きしめられタイガは心臓が止まりそうになった。
ふわりと香るシーブリーズの匂い、今もし顔を上げればあの顔がある。見ちゃだめだ、そうタイガの中の何かが警告を鳴らした。
この先へ進んだら戻れなくなる、その確証がタイガにはあった。
「も!もう駅なんで!ありがとうございました!」
「あ!おい!危ないぞ…」
タイガは振り返らずに駅まで走った。今自分はどんな顔をしているのだろう。その顔を見たらハルトはどんな顔をするんだろう。
その日の夜、タイガは悶々とした時間を過ごした。
自分はノーマルのハズだ、これは何かの間違いなんだ。そう自分を説得すればするほどそれを否定するように鼓動が高鳴り、ハルトの顔を思い出す。
明日が休みでよかった。そう思いながら何度目かのトイレに部屋を出た。洗面所に行って手を洗う時にふと鏡で見た自分の顔が口に出すのも恥ずかしいくらいに自分の本音を物語っていて頭を抱えた。
休み明け、ようやく持ち直した精神で学校に向かったが教室についてからはやはり本調子ではなく、休憩時間に心配した友人に声をかけられた。
「タイガ!今日元気ないぞ。どうしたんだ?」
「あんまり考えさせなようにしてくれ…」
気を抜けばハルトの事を考えてしまうタイガはなるべく忘れたままでいることで精神的健康を図っていた。
もっともあまりうまくはいってないようだったが。
「タイガ、なんか先輩が用があるって呼んでるよ?」
「先輩?誰だ?」
タイガに呼び出される覚えがある先輩はいなかったが、まさかと思った予想は的中することになる。
「ハルト…」
「あぁ、タイガ。先週は結局濡れて帰っただろう?急に走り出したし心配だったんだ。どうしたんだ?」
その本人が悩みの種だとは微塵も思っていないだろうハルトがその高い身長からタイガを見下ろしていた。元々パーソナルエリアが狭いタイプなのだろう。心配そうにタイガを見るハルトの顔がタイガには近すぎた。
「ちょ、大丈夫だから…ハルトは距離感が近いよ」
「ん?そうか?タイガはそういうことを気にするんだな。案外かわいい奴なんだな」
そういうとハルトは大きな手でタイガの頭をガシガシと撫でた。タイガが茫然としていると満足したようだ。
「特に何もないならよかった。じゃあまたな」
硬直してしまったタイガをよそに教室へ帰っていくハルトを見送った後、タイガは自分の席に戻り倒れ伏した。
「どうした?大丈夫か?」
友人の声にも耳を貸さずにそのまま授業が始まるまで全く顔を上げなかった。
「(俺が…!?かわいい!?そんなわけ…なんなんだこの気持ちは…!い、嫌だ!そんな!俺は…!俺は…!)」
それから事あるごとに会いに来るようになったハルトをタイガはなるべく避ける様になった。自覚し始めてしまった自分の気持ちから逃げる様にハルトからも逃げ続けたのだった。
不思議なのはハルトの方で、明らかにタイガから避けられながらもちょこちょこと休憩時間に顔を出したり、下校時間には一緒に帰ろうとしたりと、めげずにコンタクトを取り続けたのだった。
ある日下校のタイミングが完璧に重なり、下駄箱で出くわした時にハルトはニコリと笑い一緒に帰ろうと誘ってきた。
流石に断り切れずいつか歩いた下校ルートを二人で歩きながらタイガはついに思い切って話を切り出した。
「あ、あのさ。ハルトはなんで俺とそんなにいようとするんだよ。…俺が避けてるのも気づいてるだろ?」
タイガが遠慮がちにそういうとハルトは照れくさそうに顎をかいた。
「いや、なんというか…体育館で目が会った時さ、なんか凄く嬉しかったんだよ。んで、こいつと仲良くなりてぇ!って思っちまったんだよな。なんか運命じみたものを感じたっていうかさ…」
そういうハルトの顔は赤くなっていた。タイガの思う気持ちとハルトの思う気持ちが同じ種類の物なのかはわからないが、ハルトもまた自分に特別な気持ちを抱いていると知り、タイガはどうしようもなく嬉しくなってしまった。
「ハルト…避けて悪かったよ。俺もハルトに対してなんか不思議な気持ちを感じてるんだ…でもその気持ちがなんなのかよくわかってなくて…だから…」
「あぁ…そうだったのか…いいよ、言わなくていい」
そう言うとハルトはスッと立ち止まりタイガを見つめた。おそらくハルトも気が付いたのだろう。タイガのその感情が恋愛感情に属するものなのだろうと。
そういう気持ちで想われても自分も嫌ではない事を。
「嫌、ではないんだよな?」
「う、うん。嫌じゃない。ハルトの事」
「俺もだ、そう想われても、嫌じゃない」
ハルトが両の手を差し出してきて、その手の上にタイガが震えながら手を置いた。
「この気持ちがなんなのか、説明はできないが。嫌じゃないなら、もう少し仲良くしてみないか?」
「わかった…仲良くしよう。ハルト」
こうして二人は手を握り合った。友人でもない、恋人でもない二人の関係の始まりだった。
なぜ僕はこれを執筆したんでしょうか。自分でもわかりません。書き終えた瞬間台パンしました。




