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明日は、まだここにある  作者: 科上悠羽


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9/10

第9話 帰りの車内、イヤホンの貸与

 帰り支度は、旅の中でいちばん現実的だ。

 浴衣を畳む、タオルを詰める、買いすぎたお菓子をどうにかする。

 楽しかった時間を、四角いカバンに押し込める作業。

 それでも不思議と、今日は沈まなかった。


 あの曲は、昨夜ちゃんと鳴った。

 サビだけじゃなく、全部。

 だから旅の終わりは「失った」じゃなくて、「持って帰る」に変わった。


「ねえ莉子、まだ帰りたくない」

 真白が布団の上に倒れながら言う。

「帰らないと明日仕事でしょ」

「仕事、やだ」

「わたしもやだ」

「じゃ、逃げる?」

「逃げない。社会人二年目、逃げない」

「えらい」

「えらくない。諦めが早いだけ」


 女将さんにチェックアウトを告げ、玄関を出る。

 温泉街の空気が、最後みたいに胸に入ってくる。硫黄の匂い、川の音、提灯の名残。

 真白は駅までの坂道を、ちゃんと“早歩き”で下りた。定義を守ってる。成長だ。


「真白、今日は解放しないの?」

 わたしが冗談めかして言うと、真白は眉を上げた。

「解放したいけど、今日は違う」

「違う?」

「だって、持って帰る日だから」

「……なにそれ、ちょっといいこと言う」

「たまにいいこと言う。基本は破綻だけど」

「自分で言うな」


 駅のホームは混んでいた。

 連休の終わり、同じ顔がたくさんいる。キャリーケース、紙袋、眠そうな目。

 わたしと真白は並んで立って、電光掲示板を見上げた。


「ねえ莉子」

 真白がぽつりと言った。

「うん」

「曲、戻ってよかったね」

「うん。ほんとに」

「……でも、曲だけじゃなくてさ」

 真白は言いかけて、やめた。

 いつもの真白なら、そこで止まらない。止まれない。

 でも今の真白は、止まった。


 電車が来て、わたしたちは席に座った。

 窓側に真白。通路側にわたし。

 揺れが始まる。旅が終わっていく揺れ。

 車内の空気は、静かに“帰宅”の顔をしている。


 わたしはスマホを開いて、あの曲を探した。

 配信は、まだ戻っていない。

 「ご利用いただけません」の文字は、相変わらず冷たい。

 でも、冷たさに負けないものが、今はここにある。

 記憶。CDで聴いた音。歌った声。町の人の拍手。剛さんの「よくやった」と頭ぽん。


 わたしはイヤホンを取り出した。

 白い有線じゃない、小さなやつ。

 普段なら、わたしの“武器”。わたしの避難場所。誰にも触らせたくない領域。

 真白はいつも「貸して」と言って、わたしはいつも「衛生の問題が」と言って、いつも喧嘩みたいになる。


 でも今は――違った。


 わたしは真白の方を向いて、イヤホンを差し出した。


「……使う?」

「え」

 真白が目を丸くした。

 いつもの「貸して」が来ない。

 代わりに、驚きが来た。


「いいの?」

「いいよ」

「まじで?」

「まじで」

「え、でも、衛生の問題……」

「今は、いい」

 自分で言って、少し笑ってしまった。

 わたしの中で、何かが一段ゆるんだ。


 真白は恐る恐るイヤホンを受け取り、耳に当てた。

 その手つきが、珍しく丁寧だった。

 真白が、丁寧。

 剛さんの圧が効いてるのかもしれない。いや、たぶん、それだけじゃない。


「何聴くの?」

 真白が小声で言う。

「応援歌系。似た空気のやつ」

「本命は?」

「本命は……心の中」

「かっこいいこと言う」

「言ってない。現実」


 わたしはプレイリストを開き、あの曲に近い“背中押し系”の曲を流した。

 イントロが耳の中で鳴る。

 真白の顔が、少しずつ変わる。

 目が細くなって、口元が緩んで、肩の力が抜けていく。


「……これ、いいね」

「でしょ」

「背中押される感じ」

「そう。押される」

「押されるの、嫌いじゃない」

 真白はそう言って、窓の外を見た。

 流れる山。遠ざかる温泉街。

 その目が、ほんの少しだけしっとりしている。


 わたしは言った。

「真白が欲しかったの、曲じゃないって言ってたよね」

「言った」

「じゃあ、何?」

 わたしは怖かった。答えを聞くのが。

 真白が重い話をするのが怖いんじゃない。

 真白が“本気”になるのが、怖い。


 真白はイヤホンを片耳だけ外して、わたしを見た。

「莉子の“好き”の持ち方」

 やっぱりその答えだった。


「曲はさ、正直、誰でも聴けるじゃん」

「うん」

「でも、莉子は“好き”を守ってる。消えたら探す。恥ずかしくても歌う。人に頭下げる。そういうの、あたし、できない」

「できたじゃん。文化会館も、スナックも」

「あれは、莉子がいたから」

 真白は言って、すぐ笑った。

「ほら。主導権渡したくないのに、渡してる」

「主導権って」

「好きって言うと負ける気がする、って言ったでしょ」

「言ってた」

「でも、莉子に負けるのは、嫌じゃない。むしろ楽」


 わたしは返事に困って、手のひらを握った。

 普通のわたしの手。モブの手。

 でも今は、真白がそれを見ている気がした。

 羨ましいって言って、欲しいって言って、ちゃんと見ている。


「ねえ莉子」

 真白が片耳イヤホンで音楽を聴きながら言う。

「うん」

「これ、返すね。片耳、莉子の。片耳、あたしの」

「……え」

「一緒に聴こ。今だけ」

「今だけ?」

「今だけでもいい。今だけが、強いから」

 真白の言葉は、相変わらず破綻してるようで、刺さる。


 わたしは少し迷ってから、イヤホンのもう片方を耳に入れた。

 同じ曲が、同じタイミングで鳴る。

 真白と同じ音を、同じ瞬間に受け取る。

 それだけで、妙に落ち着く。


 窓の外の景色が、だんだん都会の色に変わっていく。

 日常が近づいてくる。

 でも、日常は敵じゃない。

 持って帰るものがあるから。


 真白が小さく言った。

「莉子、好き」

「また練習?」

「うん、練習。今日は負けてもいいやつ」

「……じゃあわたしも」

 わたしは同じくらい小さく言った。

「真白、好き」

「やった」

「やったじゃない」


 音楽が二人の間に流れる。

 共有するって、こういうことなんだと思った。

 好きなものを守るだけじゃなくて、渡せる形にする。

 真白が欲しがっているのは、たぶんそれだ。


 真白は片耳イヤホンのまま、窓に額を寄せて言った。

「ねえ莉子。次の連休も、行こ」

「また温泉?」

「温泉でもいいし、走れる場所でもいい」

「走るな」

「早歩き」

「定義守れ」

「守る。剛さんに追われるから」

「追われないようにしなさい」


 笑いが、喉の奥で小さく鳴った。

 応援歌のサビと同じ場所で。

 帰り道は、終わりじゃない。

 次の“好き”の始まりだ。


(つづく)

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