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明日は、まだここにある  作者: 科上悠羽


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5/10

第5話 サビだけ戻ってきて、すぐ逃げた

 スナック春灯の昼は、夜より静かなはずなのに、静かにならない。

 静かにさせない生き物が、うちの隣にいるからだ。


「最終兵器ってさ、爆発する?」

「爆発しない」

「じゃあ安心」

「安心の基準が雑すぎる」


 ママがカウンターの下から引っ張り出した黒い箱――年代物のCDデッキは、見た目だけで「動くの?」と心配になる風格だった。

 ボタンは黄ばんでいて、スライドする蓋は少し重い。けれどママは慣れた手つきで配線を繋ぎ、スピーカーのつまみを回した。


「昔ね、これで常連の失恋を何度も救ったのよ」

「音楽で?」

「酒で」

「結局そっち!」


 真白が肩を揺らして笑い、勢い余ってカウンターに肘をついた。浴衣の袖がずるっと落ちる。落ちる範囲が、危険。

 わたしは反射で真白の袖を直した。


「砦」

「砦、守ってる」

「守るのは帯だけじゃない」


 ママが「はいはい、仲良し」と言いながら、わたしの手からケースを受け取った。

 わたしはその瞬間、手の中が急に冷たくなった気がした。

 再生できないCD。

 でも、ここなら。ここなら“読める”かもしれない。


「緊張してる?」真白が小声で聞く。

「してる」

「莉子、緊張すると顔が“ふつう”になるね」

「普段から普通だよ」

「普段は、普通の中に必死がいる」

「なにそれ」


 真白の言葉はたまに意味が分からない。でも、嫌じゃない。

 ママが盤面を取り出し、指先で軽く息を吹きかけた。


「表面、きれいね。でもね、見えない傷ってあるのよ」

「見えないのに傷って言えるの?」真白が言う。

「言える。だって、人生がそうでしょ」

「うわ、急に深い!」

「深いのが売りよ、うち」


 ママは盤面をデッキに入れ、カチッと蓋を閉めた。

 古い液晶がぼんやり光る。


「……読むかな」

 わたしの声は、自分でも驚くほど小さかった。


 ママが再生ボタンを押す。

 カチ、という古い音。

 デッキが息を吸うみたいに、短く機械音を鳴らす。


 わたしは耳の奥を、全力で開けた。

 イントロが来るなら、ここだ。

 パパのハンドルを叩く音が、重なるはずだ。


 しかし――。


 流れたのは、イントロじゃなかった。


 いきなり、サビだった。


♪――負けんなよ、って 誰かが言った――

♪――明日あしたは、まだ ここにある――


「――っ!」


 全身が熱くなった。

 来た。来た。

 これだ。

 この跳ね上がる感じ。走り出す前の一拍。背中の真ん中を、ぐっと押される圧。

 パパの車内。窓の外の夕焼け。信号待ちのサビ。変な親指。


 わたしの喉が勝手に動き、息が音になる寸前だった。

 ――歌える。ここなら、歌えるかも。


 なのに。


 サビは、二行で途切れた。


 「ガッ」と音がして、次の瞬間、別の曲の途中が流れた。

 さらに「ガッ」。また別の曲。

 まるで、温泉街の看板を高速で切り替えるみたいに、音が飛び、飛び、飛び――そして、無音。


 デッキの液晶が、冷たく点滅した。

 わたしの胸の中も、同じように点滅した。


「え、え、え、今の! 今の!」真白が椅子から立ち上がる。「サビ! サビだけ来た!」

「来た……」

 わたしは頷いた。頷けた。それだけでも、救いだった。


 ママが「やっぱりねえ」とため息をついた。

「読めるけど、安定しない。表面じゃなくて、中が弱ってる。温泉街、機械は壊すって言ったでしょ」

「言ってた……」

「最低すぎる真実」


 真白がママに詰め寄った。

「でもさ、サビは流れたよね? ってことは、“聴ける”ってことだよね?」

「聴ける。“条件が揃えば”ね」

「条件ってなに?」

「まず、盤面のクリーニング。次に、読み取りが強い機械。あと、運」

「運は嫌い!」

「人生、だいたい運よ」


 真白は「うう」と唸って、突然わたしの両肩を掴んだ。

「莉子、今の、泣きそうだった?」

「泣きそうじゃない」

「じゃあ、怒りそう?」

「……悔しい」

「よし。悔しいは燃料」

「燃料、万能すぎる」

「万能。だって、あたし、悔しいと走れる」

「走るな!」


 わたしは笑いそうになって、すぐに笑えなくなった。

 サビが流れた。たった二行。

 でも、その二行が、わたしの中の“欲しいもの”を確定させた。

 配信が止まっても、曲は消えない。

 消えないのに、触れられないのが、一番悔しい。


「……ママ」

 わたしはカウンターに手を置いた。

「この曲、町の人、けっこう知ってますよね」

「知ってるよ。お父さんたちの青春。娘に聴かせるタイプの曲」

 ママはわたしを見て、少しだけ声を柔らかくした。

「お嬢ちゃんの家も、そう?」

「……うちのパパが、聴かせてくれました」

 言ったら、胸の奥がきゅっとした。痛いけど、あたたかい。


 真白が、いつもの元気を少しだけ落として言った。

「いいな。そういうの」

「真白?」

「家族の曲、ってやつ。あたし、そういうのない」

 言い方は軽い。でも、目が軽くない。


 わたしは返事に困って、代わりにスマホを握った。配信の画面。再生できない表示。

 この一曲に、わたしはたしかに救われてきた。

 真白はそれを「羨ましい」と言う。

 羨ましい、の正体は、曲じゃなくて“守り方”なのかもしれない。


 ママがカウンターを指でトントンと叩いた。

「ねえ、お嬢ちゃんたち。もう一つ手がある」

「手?」真白が顔を上げる。

「CDが弱ってるなら、別のディスクを探す。つまり、“同じ曲が入ってる別のコンピ”」

「別のコンピ……」

「あるよ。文化会館の寄付品は、一箱じゃない。春灯にも、リクエスト帳の横に置いてある」

 ママは壁の棚を指した。そこには、古いCDケースが何枚も並んでいる。


「え、じゃあ最初からそっち——」

「最初から言うと、あなたたち、走るでしょ」

「走らないって言った!」

「走る顔してた」


 ママが棚から一枚、ケースを抜いた。ラベルには同じように手書き。

『春灯リクエスト コンピ ②』

 そして曲順の中に、わたしの探している“気配”がある。サビの二行が、確かにそこにいる。


「これ……!」

 わたしの声が上ずる。


 ママは「ただし」と言って、人差し指を立てた。

「これは常連の“宝物箱”でもある。勝手に持ち出したら、町の治安が終わる」

「治安って」

「終わる」

 真白が真顔で頷く。「終わる」


 ママはケースを閉じて、鍵付きの引き出しにしまった。

 わたしの心臓が「えっ」と言った。


「貸してくれないんですか……?」

「貸す。条件がある」

 ママはにっと笑った。スナックのママの笑い方だ。

「今夜、うちで“予選お疲れ会”しな。そこで一曲、歌う。お嬢ちゃんたち二人で」

「えっ」

「歌えないなら、代わりに皿洗い。常連の相手。おしゃべり。つまり、働く」

「労働だ」真白が言い、「労働よ」とママが返す。


 わたしは固まった。

 歌う? スナックで? 常連の前で?

 無理、という言葉が喉まで上がってきた。


 でも、同時に思った。

 この町の人たちは、あの曲を“娘に聴かせるタイプの曲”として持っている。

 なら、歌うことは、ただの恥じゃない。

 この曲の居場所に、正面から入るってことだ。


 真白がわたしの横で、こっそり囁いた。

「莉子。これ、チャンスだよ」

「……分かってる」

「歌うの怖い?」

「怖い」

「じゃあ、あたしが先に事故ってあげる」

「事故るな」

「事故る前提なの、やさしさ」

「やさしさの形が歪んでる!」


 ママが「事故は店の外でね」と言って笑う。

 その瞬間、店の奥の扉が開いて、キヨさんが入ってきた。昼間から顔が赤い。


「ママ〜、水……」

「水は出さない」

「じゃ、ウーロン」

「ウーロンは出す」


 キヨさんは椅子に座り、わたしたちを見るなり眉を上げた。

「お、昨日のお嬢ちゃんたち。曲、見つかったか」

 わたしは正直に答えた。

「サビだけ、聴けました。二行だけ」

「二行でも聴けたなら、もう勝ちだ」

「勝ち……?」

「その曲はな、聴けない時期があったんだ。昔も。権利だなんだで、いろいろあってな」

 キヨさんがぽつりと言う。


 わたしの背筋が伸びた。

「昔も、配信みたいに……?」

「配信じゃねえ。もっと前。テレビから消えた、とか、店でかけにくくなった、とか。そういうの」

 キヨさんは遠い目をした。

「でもな、消えねえんだよ。いい曲ってのは」


 真白が頷き、そして突然キヨさんに言った。

「ねえ、おじさん。常連って、何人いる?」

「なんだ急に。十人くらいだ」

「十人の中に、CD持ってる人、いる?」

「……いるかもな」

「やった!」

「やったじゃない」


 真白がわたしに向き直って、勝利宣言みたいに言った。

「莉子。今夜、歌う。常連から情報を抜く。CDを借りる。曲を完全再生する」

「計画が速い!」

「考えるの嫌いだから、計画は短い」

「短い計画ほど事故るんだよ……」


 真白は浴衣の袖をひらひらさせて、突然くるっと回った。

「じゃあ、衣装も完璧にしよ。解放しない方向で!」

「方向性が成長してる!」

「砦は守る!」

「守って!」


 ママがカウンター越しに手を差し出した。

「じゃ、決まり。今夜ね。お嬢ちゃん、曲を取り戻したいなら、町の中に入っておいで」

 その言葉は、スナックの営業トークみたいなのに、応援歌みたいに聞こえた。


 わたしは小さく息を吸って、頷いた。

「……はい。歌います」

 自分の声が、自分の耳に届く。

 まだ弱い。まだ普通。

 でも、二行のサビを聴いたあとだから、頷けた。


 真白がわたしの手首を掴んで、にやっと笑う。

「ね。探してる人は、歌える」

「……言ったな」

「言った。今夜、莉子の“普通”が、常連を殴る」

「殴らない! 押す! 背中を押す!」

「じゃあ、背中で殴る」

「やめて言い方!」


 わたしたちはスナックを出た。

 温泉街の空はまだ明るい。

 だけど、今夜のことを思うと、胸の中だけが先に夜になっていく。

 怖い。恥ずかしい。

 でも、あの曲が、もう二行だけじゃなくなるかもしれない。


 再生ボタンは、ここにはない。

 代わりにあるのは、人と、声と、スナックと、町の記憶。

 そして――真白という、危険で頼もしい燃料。


 今夜。春灯で。

 わたしは初めて、探している曲の居場所に足を踏み入れる。


(つづく)

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