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明日は、まだここにある  作者: 科上悠羽


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3/10

第3話 予選会場は社会でできている

 温泉街の坂道は、人の心を試してくる。

 緩やかに見せかけて、しっかりきつい。景色がいいから誤魔化されるけど、誤魔化されるのは一分だけで、二分目から脚が文句を言い始める。


「ねえ莉子、いい坂!」

「いい坂って何」

「走りたくなる坂!」

「走るなって!」

「早歩きはいいって言った」

「早歩きの定義が崩壊してる!」


 真白は早歩きという名の小走りで坂を上り、わたしは息を整えながら追いかける。

 旅の目的は「一曲を取り戻す」。なのに、今わたしたちは「文化会館に入るための条件をクリアする」ために、坂を登っている。目的が増えると、人は疲れる。社会人二年目の学び。


 坂の上に、古い二階建ての建物が見えた。白い外壁に『○○町 文化会館』の文字。玄関前にはのぼりが立っていて、やたら元気な筆文字でこう書いてある。


『春のカラオケ大会 予選会! 参加者募集中!』


「これだね!」真白が看板の前で跳ねた。

「これ……なの?」わたしは息を吐く。「文化会館に入れる条件が、歌?」

「歌だよ。ほら、スナックのキヨさん言ってたじゃん。景品にCDとか」

「予選ってことは、本戦があるのかな」

「本戦は知らないけど、予選に出たら中に入れる。つまり勝ち」

「論理が雑!」


 文化会館の受付には、町内会っぽい腕章をつけた人たちがいた。紙の名札。「実行委員」。

 わたしが近づくと、ふくよかな女性がにこっと笑って言った。


「はい、予選の参加ですか?」

「……えっと、参加したいというか、文化会館の中に用事があって……」

「用事? 見学だけなら今日は難しいんですよ。会場準備があって」

 やっぱり。条件って、そういうことだ。


 真白がわたしの横から顔を出した。

「参加します! あたしたち!」

「え」

「参加者、足りてない感じしました! 助ける!」

「助けるとかじゃなくて——」


 実行委員の女性は「助かるわあ」と目を細めた。

「今、飛び入り歓迎なんです。二人組で参加もできるし、ソロでもいいですよ。エントリーシートはこちら」

 差し出された紙には、氏名、住所、連絡先、曲名、キー、コメント欄。

 曲名。曲名……。


 わたしは固まった。

 探している曲の“実名”は出したくない。ここは作中のルール。けれど、予選に出るなら曲名を書けと言われる。


「……曲、決めてないです」

 わたしが口にすると、真白が即答した。

「決めてるよ。莉子の探してるやつ」

「だから曲名が——」

「じゃ、別の曲にすればよくない?」

「別の曲で出たら意味ないじゃん」

「意味ある。文化会館に入れる」

「入るのが目的じゃなくて、曲が目的!」


 わたしの声が少しだけ強くなる。

 真白はぱちっと瞬きをして、すぐに笑った。


「そっか。じゃあ、あれだ」

「あれ?」

「“それっぽい応援歌”を歌って、会場の人に聞く。『今の曲、何系?』って。で、名簿とか景品とか、情報を引き出す」

「……真白、たまに賢い」

「たまにじゃない。基本賢い。考えるのが嫌いなだけ」

「それ、言い訳として強いな……」


 実行委員の女性が「曲名は後ででもいいですよ」と言ってくれた。救い。

「では、参加枠にお名前だけ。お二人とも?」

 真白が胸を張る。

「はい! 真白です!」

 女性がペンを走らせ、「もう一人は?」とわたしを見る。


 わたしは一瞬、逃げたくなった。

 集合写真の端。モブ。スポットライト嫌い。

 でも、ここで逃げたら、あの曲に辿り着けない。


「……莉子です」

「はい、莉子さん。緊張しなくて大丈夫。みんな同じですから」

 その言葉が、やけに優しかった。

 応援歌みたいに。


     *


 控室は、舞台裏の匂いがした。古いカーテンの埃っぽさと、緊張と、誰かの整髪料。

 壁には「順番表」が貼られていて、十数組の名前が並んでいる。町内の人。常連の人。たぶん、観光客も混ざっている。


「莉子、順番、けっこう早いね」

「なんでそんなにのんきなの」

「だって、歌うの好きでしょ?」

「好きなのは“聴く”方!」

「歌うのは、聴くのの延長じゃん」

「延長が遠い!」


 真白は控室の隅に置かれた姿見の前に立ち、浴衣の襟元を整え始めた。

 嫌な予感がする。

 しかも真白の「整える」は、だいたい「解放への準備」だ。


「真白、なにしてる」

「戦闘準備」

「戦闘って言うな」

「暑いから、少し軽くする」

「軽くって、どの方向に」

「解放方向」

「やめて!」


 わたしは真白の腕を掴んだ。

 真白は真顔で言う。

「でも浴衣って、布が多い。歌うと汗かく。汗は良くない。つまり布は悪」

「今、社会にケンカ売った?」

「売ってない。合理的」

「合理的に怒られる未来しか見えない!」


 そこへ、控室の扉が開いて、実行委員の男性が顔を出した。

「次の方、準備お願いしますねー」

 視線が真白に止まる。真白の襟元に止まる。

 わたしは反射で一歩前に出て、男の人の視界を遮った。意味はない。でも精神的な盾は必要だ。


「すみません、すぐ行きます!」

 男性が去る。

 わたしは真白に低い声で言った。


「頼む。今日は“ギリギリ”をやる日じゃない。今日は“情報”を取る日」

「情報、取る。わかった」

「じゃあ解放は」

「しない。たぶん」

「たぶん、をやめろ」


 真白はにこっと笑い、急にわたしの頬を両手で挟んだ。

「大丈夫だよ、莉子。あたし、莉子の価値観、尊重する」

「尊重する人は、たぶんをつけない」

「尊重するけど、身体は自由が好き」

「身体の話をしない!」


 わたしは深呼吸して、舞台へ向かった。

 足が少し震えている。

 でも、不思議と、耳の奥ではイントロが鳴っていた。

 探している一曲じゃない。けれど、応援歌の気配。背中を押す、あの感じ。


     *


 会場は、思ったより広かった。客席には地元の人たちが座り、舞台上にはカラオケ機材とモニター。

 司会のおばさんが元気に名前を呼ぶ。


「次は、真白さんと莉子さんのお二人組でーす!」

 拍手が起きる。

 拍手って、やさしいけど、逃げ道を塞ぐ音でもある。


「どうする? 曲」

 わたしが小声で言うと、真白がマイクを握って即答した。

「応援歌!」

「広い!」

「じゃあ、“あの二人組っぽい”応援歌!」

「それも広い!」


 カラオケ端末の曲検索画面。

 真白は文字入力が苦手そうに見えて、こういう時だけ異様に勘がいい。

 “負けんなよ” “背中” “明日” “笑え”

 そんな単語を入れては候補を眺め、最終的に一曲を選んだ。


「これ。雰囲気、近い」

 曲名は、ここでは伏せる。作中ルール。

 ただ、イントロが流れた瞬間、会場の空気が少しだけ明るくなった。

 この町にも、こういう曲がしみ込んでいるんだ。


 真白が歌い出す。

 驚いた。上手い。技術というより、勢いで押し切る上手さ。

 声がまっすぐで、迷いがない。

 たぶん真白は、考えるのが嫌いな分、歌うときだけは“今”に全振りできる。


 そして、サビ。

 真白は一歩前に出て、会場に向かって手を伸ばした。

 観客の何人かが笑って頷く。

 応援歌って、こういうものだ。


 わたしの番。

 画面に歌詞が流れる。

 わたしは、息を吸って、声を出した。


 震えた。でも出た。

 モブの声でも、出る。

 その瞬間、胸の奥に「パパの車内」が一瞬だけ重なった。信号待ちのサビ、ハンドルを叩く手、変な親指。

 涙は出ない。沈まない。

 ただ、少しだけ、まっすぐになった。


 歌い終えると、拍手が起きた。

 司会のおばさんが「いいねえ! 若いっていいねえ!」と笑う。

 わたしは深々と頭を下げた。


 そして——その時。


 客席の後ろの方から、低い声が飛んできた。

「おお、その系統ならよ……“あの曲”が本命だろ」

 ざわ、と空気が動いた。


 わたしは振り向いた。

 そこにいたのは、スナックで見た背中の丸いおじさん——キヨさん……ではない。別のおじさん。顔は違う。でも同じ“町の顔”をしている。


 真白がマイク越しに聞き返す。

「え、なに? あの曲ってどれ?」

 司会のおばさんが笑いながら言う。

「お父さんたち世代の鉄板があるのよ。ほら、景品にもなってる、あれ」

 景品。

 その言葉に、わたしの心臓が跳ねた。


 司会のおばさんが舞台袖を指す。

「予選の参加賞、あとで渡すからね。そこにね、昔のCDが混ざってるの。寄付で集まったやつ」

 わたしの喉が鳴る。

 配信から消えた曲が、そこにある可能性。

 目の前に、再生ボタンの代わりが、置かれているかもしれない。


 真白が、勝ち誇った顔でわたしを見る。

「ね? 情報、取れた」

「……取れた」

「だから、解放はいらない」

「うん、いらない」

「でも、ちょっとだけなら」

「だめ!」

「うそ。冗談」


 真白は笑った。

 その笑顔は危ない。危ないけど、今日は、ちゃんと味方だった。


 舞台を降りるわたしの胸の中で、見えないイントロが鳴っている。

 まだ本物じゃない。

 でも、確実に近づいている。


 そしてわたしは気づく。

 応援歌は、誰かの背中を押すだけじゃない。

 押される側が、次の誰かを押せるようにしてくれる。

 ——パパが、わたしにしたみたいに。


 控室へ戻る途中、真白がぽつりと言った。

「莉子さ。歌、出たじゃん」

「出たね……」

「それ、すごい」

「すごくない。普通」

「普通って、すごいよ」

 真白はさらっと言って、わたしの手首を掴んだ。

「ほら。参加賞、もらいに行こ。そこに“本命”があるかもしれない」


 わたしは頷いて、足を速めた。

 早歩き。定義が壊れないやつ。

 温泉街の文化会館で、わたしは初めて、自分の声で一歩進んだ。


(つづく)

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