私には嘘をついた人が赤く見えてしまう
王国には『真っ赤な嘘』という言葉がある。
語源は派手な見た目で虫を誘い込んで捕食する食虫植物の花が赤いからだとか、大昔に騙し討ちで戦争に勝利した将軍が赤いマントを愛用していたからとか、諸説ある。
そして私は、この言葉を本当に体現したかのような能力を持っている――
私には嘘をついた人が赤く見えてしまう。
他人が嘘をつくと、私の目にはその人が赤く染まって映るのだ。
嘘の度合いが大きいほど、その赤色は濃さを増す。
自分の力をはっきりと認識したのは物心ついたばかりの頃、メイドとゲームをしていた時のことだ。
メイドがどちらの手にコインを握ったかを当てるという単純なゲームなのだが、
「こっちー!」
「正解です! すごいですね……これで10連続的中ですよ」
「だって、あかくみえるんだもん」
「赤く……?」
タネ明かしはこうだ。
私はメイドに「握ってるのはこっち?」と尋ねる。
メイドは「こっちです」と答える。
これでメイドが赤くなればこっちじゃないし、赤くならなければこっちが正解という具合だ。
こんな風に質問をすることで正解を見抜いていた。
メイドがこれを父に報告すると、父は私といくらかの会話をした。
私は「あかくみえる」「みえない」などと答える。
やがて私の能力は本物だと悟ったようだ。
お医者様にも連れて行ってもらった。
長時間に渡るテストの結果、私はやはり嘘をついた人が赤く見える体質だというのが判明した。
原因は分からない。
お医者様がいうには世の中には「共感覚」と呼ばれるものがあるという。
数字に色がついて見えるとか、音楽を聴くと図形が思い浮かぶとか、そういう感覚のことだ。
私は生まれつき人の嘘を見抜いてしまうほどの鋭い神経が備わっていて、さらには嘘を感知した時にその人が赤く見える“共感覚”を宿しているのでは、とのことだ。
私は子供心に「こんな能力がある自分はすごい!」と思ったが、父の反応は違った。
「いいかい、フィーネ。この能力を見せびらかすようなことはしちゃいけないよ」
「え、どうして……?」
「世の中にはたくさんの嘘があるんだ。それを見抜いてしまうということは、恐ろしいことでもある。お前のためでもあるんだ」
この時の父は赤くならなかった。
心の底から私のことを思っての助言だと分かった。
そして私はこの父の言葉を思い知ることになる。
***
14歳になり、私は社交界にデビューした。
栗色の髪をなびかせ、淡黄色のドレスを纏い、クレイス子爵家の令嬢として夜会に出向く。
私はすぐに自分の能力を呪った。
社交界は私にとって“赤い世界”だった。
話す人、会う人、見る人、全ての人が赤く染まっている。
会場を眺めているだけでも、
「今日も君は美しいね」
「あなたのファッションセンスが羨ましいわぁ。とても敵わないもの」
「僕にとっての一番はもちろんあなたさ」
見渡す限りの赤、赤、赤……。
どれもこれも嘘。
本当のことを喋ってる人が一人もいない。
社交界はまさに嘘まみれだった。
父の言ったことが分かった気がする。
もし私が「私には嘘が分かります」なんておおっぴらにしたら居場所はなくなる。
それどころか命だって危うい。
だって、ある高貴な方の表ざたになったらまずい嘘ですら暴いてしまう可能性があるんだもの。
赤い人だらけの社交界に、私はまるで馴染めず、会場でぽつんと一人立ち尽くす日々が続いた。
ある時、ミデル・ブレイグという伯爵家令息が近づいてきた。
金髪碧眼のハンサム、白い歯でにこやかに笑み、見るからに高級と分かるスーツに身を包んでいる。
普通の女性なら、こんな人に話しかけられたら少なからずときめいてしまうだろう。
だけど――
「君ほど美しい女性に会ったのは初めてだよ」
「胸の高鳴りが私の中での最高記録を更新してしまった」
「もしここに暴漢が現れたら、私は命懸けで君を守るよ」
特に真っ赤に染まる男だった。
「私は今、ある事業の立ち上げを計画していてね。もし協力してくれれば君にも相応の配当を渡せると思うけど、どうかな?」
何もかもが嘘。それも度合いの高い嘘。本性がどんな人間か、考えるだけでもおぞましい。
よくもまあここまで嘘を垂れ流せるものだと思う。
私がつれない返事をしていると、向こうも機嫌を損ねたのか露骨に眉間にしわを寄せた。
「……もう結構だ! とんだ時間の無駄だった!」
この時だけは赤く見えなかった。私は危うく失笑しそうになった。
とはいえ、こんな調子では社交界に馴染めるはずもない。
相手にガッカリするか、相手をガッカリさせるばかり。月日はどんどん過ぎていく。
家族のお荷物にもなりたくないし、どこかに奉公にでも出ようか――そんなことを考え始める。
だけど、ある夜のことだった。
私が夜会会場でたたずんでいると、相変わらず赤い人間だらけの中、一人だけ、全く赤くない人がいた。
さらりとした金髪、切れ長で琥珀色の瞳、白いスーツを纏い、涼しさを通り越して冷たささえ感じさせる青年だった。
モテそうな雰囲気をしている。だけど、社交がはかどっている感じではない。
誰かと話すと、その相手は顔をしかめて立ち去ってしまう。そんなことを繰り返していた。
私は興味を持ち、青年に話しかけてしまった。
「初めまして……フィーネ・クレイスと申します」
「ん、初めまして」
少しお話をした。
青年の名前はラクト・ウェールズ。伯爵家の方だった。
話してみると、すぐに分かった。
「僕に興味が? 変わった人だね」
「僕なんかに話しかけるところを見ると、君も相手探しに苦労してると見える」
「君? まあまあ可愛いと思うよ」
全く赤くならない。
つまり、全ての言葉に嘘がない。
こんな人と出会うのは初めてだった。
しばらくして、ラクト様はこんなことを言った。
「僕と会話をすると、大抵の人は気を悪くしてどこかに行ってしまう。だけど君はずいぶん楽しそうだね。どうして?」
「ええと、赤くないので……」
「?」
「いえいえいえ! 何でもありません!」
ラクト様の性格が分かってきた。
この人は思ったことをズバズバ言ってしまうタイプだ。だから嘘がない。裏がない。
自分の力に疲れ果てていた私にとっては実に心安らかな時間となった。
結局私は夜会が終わる時までラクト様とおしゃべりしてしまった。
「結局最後まで君と一緒にいちゃったな。もっと他の人とも喋るべきだったかも」
「長時間お付き合いして下さってありがとうございます」
「こんなこと言われたのに怒らないの?」
「ええ、怒りません」
「……ホント、変わった子だな」
ラクト様は肩をすくめ、呆れた様子だった。
私は最後に質問を投げかけてみる。
「私とのおしゃべり、楽しかったですか?」
「……楽しかったよ。また会おう」
ラクト様はやはり赤く染まらなかった。嬉しかった。
***
私とラクト様はそれからもちょくちょく夜会で顔を合わせた。
ラクト様の言葉は、やはり他の貴族に比べると、無遠慮なところがあるのだけど私にとってはそれが心地よかった。
「今日もずっと君と喋ってしまったね」
「ご迷惑でしたか?」
「いいや。最初の頃は君のことを変わった令嬢だと思っていたけど、最近は君といるこの時間が何よりの楽しみになっているよ」
「ありがとうございます!」
ラクト様はやはり赤くならない。
本音を喋ってくれている。
そして、私も――本当のことを喋りたくなった。
身内しか知らない私の秘密を打ち明けたい――そう思った。
夜会が終わった後、明かりはあるけれど誰もいない一角にラクト様を招く。
「僕に伝えたいことって?」
「はい……。実は私――」
私は自分の力のことをラクト様に伝えた。
その力によって苦しんできたこと、ラクト様は全く赤くならず、それで惹かれたということも。
「なるほど……。それは苦しかっただろうね」
「はい……」
ラクト様は私をちらりと見る。
「ただ……これだけは言っておこうと思う」
「なんでしょう?」
「僕は――嘘は決して悪いことではないと思ってる」
「え……?」
意外な言葉だった。
嘘をつかない人から“嘘は悪いことではない”なんて意見が出てくるなんて。
「例えば、お世辞にも顔がいいとは言えない人にそのまま『ひどい顔だね』と言う人と、『可愛らしいね』と言う人。正直なのは前者だけど、後者は相手を思いやった優しい嘘だと思う」
「それは……そうですね」
「他にも、遅刻をしたとして正直に『寝坊した』と言う人。嘘で『道端で人を助けていた』と言う人。正直に言う方が正しいように思えるけど、理由が人助けなら遅刻された側も納得してかえって場が収まるということもあるだろう。どちらが正しいかとは一概には言えない」
これもその通りだと思う。
「だから――全ての嘘が悪いとは限らない。つまり赤く染まってる人が悪い人間とは限らない。そう思えば、少しは楽に生きられるんじゃないかな」
ラクト様は微笑みかけてくれた。
心から私を励ましてくれているのが私には分かる。
「……はい!」
「というか、僕もそろそろお世辞の一つも言えるようにしないとまずいしね……。君で練習してもいい?」
「もちろんいいですよ!」
「じゃあ……君は世界一美しい」
「あっ、ラクト様が赤くなりました! 完全なお世辞ですね!」
「いやぁ……ごめん」ラクト様が頬をかく。
「ふふっ、その謝罪は本心ですね」
ラクト様の「嘘は悪いことではない」という言葉は私の心を軽くしてくれた。
以前は赤く染まる人を見ると「ああ、嘘つきなんだ」「本心じゃないんだ」とすぐ蔑視していたけど、「もしかしたら私のためを思っている嘘かも」「丸く収めるための嘘かも」と思うと気持ちも温まる。
そもそも私が能力を隠していることだって“嘘”になるものね。
この世は嘘だらけだ。だけどそれは悪いことではない。社会が成り立つためには仕方のないこと。
私はほんの少しその仕組みをより深く覗けるだけ。
どうやら私はちゃんと社交界を渡っていけそう。ラクト様、ありがとう。
***
しばらくして、若い貴族が集まる夜会でのことだった。
私がラクト様と立食を楽しんでいると、会場の一角がやけに盛り上がっていた。
見ると、私史上最も真っ赤な貴族であるミデルがいくつかのワインボトルを机に並べて、若い男女に語りかけている。
「このワインは最高級品質でね。本来であれば王家や公爵クラスでないと飲むことすら叶わない。だけど私には特殊なツテがあるから……」
夜会でワインの販売会を始めているようだ。
さらに試飲までさせている。
「……美味しい!」
「素晴らしい味だ……」
「買おうかな……」
何やら好評らしい。
だけど私には分かってしまう。ミデルはワインよりも真っ赤に染まっている。
ボトルにこそ最高級ワインのラベルが貼られているけど、ワインの中身はおそらく安物。それも粗悪な。だけど経験の浅い貴族たちにそんな味の違いなど分かるはずがない。
ミデルのトークを心から信じて、ワインに夢中になっている。
このままでは、ミデルは粗悪な安ワインを高級ワインとして売りさばくだろう。
売ってしまえばこっちのもの。後から「騙された!」なんて言えば、むしろ恥を晒すことになる。きっとミデルはそこまで計算している。
私が顔をしかめていると、ラクト様が――
「どうしたの、フィーネ」
「いえ……何でもありません」
「それが嘘だということぐらい今の僕でも分かるよ」
こう言われてしまったら隠しようがない。
私はミデルが悪質な商売をしていることを告げた。
「でも、どうしようもありません。私には彼の嘘が分かっても、それを暴き立てる手段がないんです……」
すると――
「分かった、僕が行こう」
「え」
「嘘は悪いことじゃない。とは言ったけど、やっぱり悪い嘘は放っておけないからね」
ラクト様はまっすぐ歩いていく。
そのままミデルに話しかけた。
「賑やかだと思ったら、ワインの販売会をしているのか」
「君もどうだい? 一杯」
差し出されたグラスに入った赤ワインをラクト様は飲み干す。
そして――
「……不味い」
「な!?」
ラクト様はいきなり場をぶち壊した。
「舌触りは悪いし、雑味は多いし、後味も最悪だ。よくもまあこんな粗悪なワインを売れたもんだ」
「な、なんだとォ!?」
ラクト様は嘘を言っていない。
本当にこう思ってる。
だからこそ、ミデルも顔を引きつらせる。
「こ、これは本物だ! 粗悪品なんかじゃない!」
「そんな汗だくで言われても説得力がないな」
「ぐ……!」
今のミデルは私が見るまでもなく“嘘をついている顔”だ。
「無礼な奴だ」「味の分からない奴だ」などと返せればよかったが、ラクト様の堂々とした批判を受け止め切ることができなかった。
「どれほど上手く嘘をつこうと、この世にはその嘘を見破る人もいる。よく覚えておくことだ」
すると、あれだけ楽しそうに高級ワインに群がっていた若者たちも――
「なんだよ、嘘か……」
「ひどい! 信じていたのに!」
「危うく騙されるところだった」
「お、おい……みんな待て! 待ってくれ! あああ……!」
ミデルは膝から崩れ落ちる。
この件は瞬く間に広まってしまい、ミデルはこういった荒稼ぎを幾度となくやっていたことが暴かれる。
以前、私に対して事業がどうのと持ち掛けたのも詐欺の一環だろう。
むろん、家の恥さらしと貴族の椅子から放り出され、身を持ち崩すこととなる。
真っ赤な嘘まみれの貴公子はこんな言葉を残したとされている。
『嘘だ……! この私がこんな目にあうなんて、これは嘘だぁぁぁ……!』
――ミデルを退治したラクト様は私の元に戻ってきた。
「お見事でした」
「ありがとう」
「それと驚きました。ラクト様があんなにワインに造詣が深いだなんて……」
「ワインに? いいや? 殆ど詳しくないよ」
これも本当のことだった。ラクト様はワインの素人だ。
「え、でも……あんなに的確に味を当ててましたけど……。あなたの批評に嘘はありませんでした」
「あれは君を信じたからだよ」
「え……」
「君の目で彼が大噓つきだというのは分かっていた。だから彼のワインは粗悪なワインだと決めつけて飲んだ。そうしたら本当にあんな風に感じてしまった。ようするに、あれを高級ワインと信じていた若者たちと次元は一緒さ」
そうか、そうだったんだ。
ラクト様は私を信じて、あの粗悪ワインを飲んだ。
そうしたら、本当に粗悪な味に感じてしまった。
その感想をそのまま述べたら、ミデルは狼狽して自滅した。
もし少しでも嘘のある批評だったら、ミデルをあそこまで焦られることはできなかったかもしれない。
「彼をやっつけることができたのは、フィーネのおかげさ」
「……はい!」
ラクト様は息を整える。
「いい機会かもしれないな」
「え……」
「僕はまだまだ嘘をつけない……。だから君への気持ちを正直に伝えようと思う」
「……ッ!」
「僕は君が好きだ。どうか、男女のお付き合いをしてもらえないだろうか?」
何一つ嘘偽りのない告白だった。
私はうなずいて答える。
「はい……。私も……ラクト様が好きです!」
この世は真っ赤な嘘にまみれている。
時にはその嘘を受け入れ、時にはその嘘と戦う。
そんな難しい世界で、私はこの人となら強く生きていけると感じた。
私がそう思っていると――
「あれ? ラクト様……嘘はついていないのに、ずいぶん顔が赤くなっていますね」
ラクト様は目を逸らした。
「……ワインで酔ったから、ということにしておいてくれ」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。