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8:生き残るための術

※残酷な描写あり。

 熊五郎に就職先の斡旋を約束されて承諾した私は、再びあの場所へと足を向けていた。最初に訪れた雪の森の中、そしてあの小動物に攻撃された木の洞の部分だ。

 熊五郎曰く、あちらの世界からの知識や技術が詰まった荷物を、あの場に置いておくのはまずいとのこと。

 それで舞い戻ってきたわけなのだけれど、目の前にある光景に絶句して固まった。

 

「……熊五郎。よくあの包囲網を抜けてこられたね」

「ワープホールを使えば簡単なことだ。まあ流石にぬいぐるみの姿では抵抗出きないから、荷物までは持ってこれなかったんだが」


 たしかに熊五郎があの小動物から赤い光線を受けたなら、焼け焦げて炭になっていただろう。熊五郎改め、炭五郎と呼んでいた可能性もある。

 熊五郎はそんな私の失礼な考えに気がつくこともなく、木の上にある赤い瞳を見つめて低く唸った。


「さて、どうしたものかな」


 徒党を組んでこちらを睨みつける小動物、もといタンクルルという名前のリス鳥。それらが数百匹は樹の枝の上に密集し、赤い光線を網の目のように周囲に張り巡らせている。まるでレーダーのような精密に組まれた編み模様を見ていると、あるものをなんとなく思い出す。

 もしもあの場に飛び出して行ったら、……サーロインステーキのような綺麗な焼き目が出来上がるんじゃないだろうか。


「どうやってこんなの突破するの?」

「荷物がある場所へ直接ワープホールを繋げてもいいんだが、奴等は鼻が利く。もし中に入れても、桃子の匂いが察知されて食い殺されるだろうな」


 あんな小さな動物でも集まれば軍隊と変わりない。個々としては大した力もないかも知れないが、数による暴力を受ければ今度こそ私は死んでしまうかもしれない。

 肉団子のように折り重なって襲いかかってきたあの場面を思い出し、恐怖にぷるんと体を揺らした。


「うーん。困ったね」

「仕方ない。暫らく様子を見て……」


 しかし熊五郎の言葉は最後まで続かず途切れてしまう。ほんの僅かの間にタンクルルの綺麗な網の目を打った紅い光線は、周囲の木々に焼き目をつけながら交差し、こちらに向かってきていた。


「……鼻がいいんだっけ?」

「……ああ。桃子の世界で言えば犬の嗅覚程度には」


 それって十分ありすぎるじゃん! 人間の1億倍ともいえる嗅覚を持つ犬と同等程度の能力を持つタンクルル。対するはただのスライムと布出てきたぬいぐるみ。

 ……全然、勝ち目が無さ過ぎる。


「に、逃げようよ! 熊五郎!」

「いや待て。何か様子がおかしい」


 そういって熊五郎は突然、上空へとひらりと舞い上がる。

 バスケットボールをちょっと潰したくらいのサイズしかない私の背丈では、それほど遠くまで見渡すことはできない。取り敢えず熊五郎の見ている森の奥を見ようと、腕を伸ばして木に飛び移った。


「一体何なの?」

「厄介なのが出てきた……」


 熊五郎の見つめる先、森の奥からズシンと地が揺れるほどの衝撃が響いてきた。それが動く度に体は意志と関係なくぽよんぽよんとリズミカルに弾み、視界も揺れる。


「なに?! なんなのこの地響き!」

「まさかこんな時期にノックスが出てくるとは……」


 そうして地響きの後に現れた体躯。その大きさと比例した体重によって、森を破壊しながら歩いてきたのはマントヒヒに似た真っ黒な生物だった。青い鼻筋に頬にゼブラの模様。顎に黄色の髭が付いた大柄な魔物。

 私から見ればもはや岩が歩いているとしか思えない。

 魔物は大量のよだれを垂らしながら周囲の枝を叩き壊し、タンクルルを見定めた途端、紅い包囲網をその豪腕の一振りで叩き壊した。

 ブオンッと響く音の後、焼け焦げる腕にもかまわずにタンクルルを数十匹わし掴みにし、魔物は大きく口を開けた。


「ちょ、っと待ってよ……」


 虎バサミのような鋭利な牙が生えそろえた口の中。真っ青に染まったそこに、生きたままのタンクルルが放り込まれていく。

 魔物が口を噛み締めるごとに彼らの羽や尻尾がぼろりと地に落ちる。断末魔を上げる隙もなく食われていくタンクルル。体液なのか緑色した液体が魔物の口元を汚していくのを、私は涙目になって見つめることしかできなかった。


 ────正直ここに来るまで、私は魔界というものを舐めていた。


 綺麗な景色を見て、熊五郎から間接的に魔界のシステムを聞いて、ここは結構安全なところなんだなと楽観視していたのだから。


 けれど目の前にある光景を見て、その甘い認識は完全に打ち砕かれる。

 暴力的な光景と恐怖の中で、本能的に感じるのは生命の危機と防衛本能。

 ────これはヤバイ。逃げないとマジで死ぬ。

 

「桃子。いま狭間を空けるからそこへ飛び込め」

「あ、……う。く、熊、五郎は、どう」


 緊張でうまく呂律が回らない。

 熊五郎が逃げろといっているのが解るのに、体が動かないのだ。

 怖い。なんだこれ。まったく震えが止まらない。


「落ち着け。いますぐ空間を……────桃子!!」

  

 熊五郎の叫びを聞いた直後、突然体が宙に浮き、後方へと弾き飛ばされた。この世界にきて初めての激痛。それに呻く暇もなく、魔物の一閃によって更に後方へと弾き飛ばされる。

 体が意思に反して宙に浮いて、何処かに叩きつけられる。

 朦朧とする視界の中で抵抗する間もなく、魔物の手によって地面から引き上げられていた。隆起した腕は真っ暗で光沢一つなく、雪の中にあって気味が悪いほどに異質だった。その魔物の鋭利な黒い爪が自分の体にズブリと埋まっていく。


 ────ヤバイ、掴まった。


 そう思うよりも早く、魔物の真っ青な口の中へと放り込まれていた。口の中に放りこまれた途端、強烈なまでの生臭さと生ぬるい暖かさに呻く。

 そしてごつごつとした感触の後に、体に深く牙が刺さっていくのが解った。 

 自分の体が魔物の鋭利な歯に噛み砕かれ、舌で味わうように中身を吸われている。その事実に発狂しそうになる。


「ひっ! ぎいい……ッ!!!」

「桃子!!」


 熊五郎の声が遠くに聞こえる。僅かに残っている生存本能で嚥下されていく直前に、魔物の食道から歯茎の隙間へ必死に手を伸ばした。一緒になって咬み砕かれたタンクルルの残骸が嚥下されていくのを眺めながら、涙と振るえと強烈な痛みに耐える。吐きそうだ。気持ち悪い。


「桃子! 桃子! 魔物の体液を吸え!!」


 体液。熊五郎の意図が解らずに痛みに呻く。

 体液ってなんだ。この魔物の涎を呑めとでもいうのか。


「諦めるな桃子! 口腕を伸ばして生物の体に突き刺すんだ。そうすれば君は生き残れる!」


 生き残る。こんなぼろぼろの状態で? スライムの体はどんな衝撃を受けても傷付かなかったのに、この魔物の口の中に放り込まれた瞬間、嘘みたいに簡単に溶けていった。

 体は半分も欠けた状態で、それでも生きているのが信じられない。

 この手を離せば、いますぐに私は魔物の腹の中に入り息絶えるだろう。生きながら蕩けて消える。それは嫌だった。

 まだ異世界で何も試していないのに。

 まだ何も、生きていく楽しみを見つけていないのに。


「桃子ッ!!!!」


 熊五郎の怒りに似た叫びに促されるように、私は口腕を突き出す。伸縮自在に伸びるクリアピンクの両手。それを伸ばし、私は躊躇いも無く魔物の喉へと突き刺した。


 その瞬間、私の体の中に魔物の体液────血液や唾液や細胞の持つ水分が急速に流れ込む。緑色の粘液のような、到底血液とも思えないその液体がスライムという透明な体に吸い込まれていく。

 それは本来持つピンク色と混じり、毒々しいまでの色を放っていた。


「うっ、ええ……えぐっ……」


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 それなのに、体は勝手に歓喜に蠢く。胎内に蓄積されていく血液は私の痛みをすぐさま消し、強烈なまでの興奮を運ぶ。

 それは純粋なまでの”食欲”という本能。

 吸い上げる手を止められず理性を覆いつくし、本能が更に”生き物”の命を絞り上げていく。


 止めたい。けれど止まらない。

 いや止めることなど無意味だ。食い尽くしてしまえばいい。


 思考がどんどん切り替わる。

 恐怖から歓喜へ。痛みから快楽へ。

 魔物が痛みに暴れ、咆哮を上げているのにも構わずに。


 そうして体液を全て吸い尽くしたとき、私は奪った分だけ膨れた体で魔物の首を内側からへし折り、喉を突き破って緑色の液体を浴びながら外へ出た。


 そのときにはすでに、人間として残っていた何かが壊れていた。

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