6:幻想的な景色の中で
バーガンディは空間の隙間を縫いながら、今日も宛の無い探索に出かけていた。
宰相にああ言われてしまった手前、とりあえず10日ほどは城を開けて置いた方がいいだろうと、金色の目を諦めの色に染める。今回も確実に無駄足でしかないだろうが、また魔王を発見できずにのこのこと城へ帰り、癇癪をぶつけられるのはバーガンディとて御免被りたい。
「つっても異界に渡ったなら痕跡すらないはずだけど」
あくびをかみ殺しながら空間を縫う。暗闇森・混沌海・慟哭山。魔王の昔好きだった場所を巡回し、途中露店で買ったサンドワームのタルタルホットサンドをダルそうに噛み締める。
「見つかるはずないよなぁ。魔力の気配もなかったし。そもそも死んでるとも限らないってのに」
この魔界では他に敵なしとも謳われる魔王だが、異世界に行けばその力も質も変わる。
魔力のない場所に渡ってしまえば人間とほとんど変わらないし、天界などに行けば神気の影響によって紙切れ同然の弱さにもなる。
そういったことも踏まえ、バーガンディはもう魔王を探すのはヤメようと何度も宰相に進言したのだが、魔王様命の彼がそれを受け入れることはない。
千回も進言して千回癇癪を起こし、城の一室を破壊するような暴れん坊宰相は、バーガンディの額にまた風穴を開けようとするだろう。
「男のヒステリーなんて女性のそれより性質が悪いってのに。あーもう転職したい……」
正直今の給料では割に合わないと思いながら、バーガンディは狭間を練り歩いたのだった。
*
「ふおおお!!! スゲー!!!」
蒼い通路を抜け出た途端、目の前に広がった素晴しい景色に、感嘆の雄叫びを上げた。
大きな星型をした結晶群が淡い蒼色の光を発し、本来は薄暗いであろう洞窟内を透明感のある水色へと染めている。その結晶石の光に惹かれるようにして銀色の蝶が舞踊り、幻想的な風景を演出していた。
あちらであるような人工的なイルミネーションとは違う、温かみのある光はささくれ立ってした私の心を癒してくれる。時折光が体の中をすうっと通りのけて、壁に不思議な文様を作るのが面白い。
熊五郎は私の横で静かに相槌を打ち、満足そうに頷いていた。
「いつ来てもこの景色は素晴らしいな……」
感慨深さを感じる男前の声色だが、正直体が見合っていない。
色々と残念だなと思いながら私は熊五郎の側で、スライムというなんとも色気の無い形態で不思議な光景を見上げる。
まあ実際スライムの横に男前がいたらシュールな絵図らでしかないんだろうけど。
行くあてもなく、また魔界という事実に呆然としていた私に気を使ってくれたのか。熊五郎が連れて来てくれたのは、この結晶石群の洞窟だった。
その景色は素晴らしく、精神的な余裕と癒しを齎らしてくれている。
異世界に来たらこういう幻想的な光景を見たいとは思っていたが、こんなにも早く願望が叶えられるとは思っていなかった。
最先いいねー。でもなんか綺麗過ぎて魔界っぽくないよねー。
「本当に綺麗だよねえ。こんな場所知ってるなんて、熊五郎ってもしかしてこっちの世界にかなり詳しいとか?」
「……ん。ああ」
歯切れの悪い言葉に疑問に思いつつ、そっと様子を伺うと熊五郎の眉が八の字に下がっていた。何か言いにくいことでもあるんだろうか。
「あーと……ごめん。言いたくないなら無理に聞く気ないし」
「いや。別に大したことじゃないんだ」
熊五郎はこめかみをぐりぐりと揉み、ふっと息を付くとこちらを見つめる。真剣な表情みたいなんだけど、というか本人的にもそういうつもりなんだろうけれど。
熊五郎のヒラメ顔はこんな真面目な場面と程遠い。
……適当に選んでごめんね熊五郎。私自身、いま凄く後悔しているよ。
「桃子の言うとおり、俺は魔界に住んでいたことがある。だが途中で別の世界に移ってしまったから、現状には詳しくはない」
「世界を移ったって、そんなこと簡単にできるの!?」
「俺にとっては容易いことだ」
いや、全然容易くないから。私がこの十年間、どれほど異世界に行く方法を試して失敗してきたか…。けどまあ特殊能力持ってるっぽい熊五郎と、私で比較しても意味はないんだろうけど。ちょっと悔しくて羨ましい。
「もっともそんな力を持ってしても、異なる世界に定着できずに戻ってきてしまったがな」
「定着できなかったって……。熊五郎はこの世界が嫌だったの?」
もしかして私のようにこの世界から逃げ出してきたのだろうか。
けれど熊五郎の言動からはどうも結びつかずに口をへの字に曲げる。知りあって間もないけれど、割りと性格も真面目そうだし、視界を閉じて声だけ聞けば美声……いや、普通の男性っぽい感じもする。
「まあ、結果的には似たようなものだろうな。俺はこの世界での生活に嫌気が差して出てきたようなものだから」
「嫌気……」
熊五郎は溜息を付きながら宙で胡坐をかく。その動作はぬいぐるみという可愛い姿にも関わらず、どうもオッサン臭い。
「毎日毎日同じ事の繰り返し。長い時間の中で自分がなんのために存在しているのか、何のためにこんな場所に縛りつけられなくてはならないのか。そんなことを考えてたら、……どうもな」
まるで仕事に忙殺されたサラリーマンのような悩みだ。
でも辛そうな口調の熊五郎が気になって、私は口をつぐんだ。
……なんとなくだけど、熊五郎は私と違って元の世界に愛着をもっていたんじゃないだろうか。でなければ、戻ってきて真っ先にこんなに素敵な場所を思いつくことはない気がするし、本当に嫌いならその特殊能力を使ってここからさっさと逃げ出しているとも思う。
「まあ、こちらに戻ってきたことに後悔はない。いずれはそうするつもりだったしな。……しかし桃子も物好きなものだ。人間には生きにくい魔界の門を開くなど普通の人間なら有り得ない。君にはよほど辛いことがあったんだろうな……」
プルっと体を震わせる。否定したい。いやしなくてはいけないだろう。
ここに来たのは別に狙ったわけでもなく、ただの偶然だって。本当はどこでも良かったんだけど、たまたま引き当てちゃっただけなんですよと。けれどこんなシリアスな雰囲気を壊してまで告げる気にはなれない。
「う。……ま、まあ、そんな大それたことはないんだけどね」
「……そうか」
しんみりとした声で返されてうっと言葉につまる。ああすごく良心が痛い。
でも真剣に心配してくれているだろう熊五郎の前で、私のおバカで甘ったれ思想を暴露するのは気が引ける。
……だって絶対バカにされるの解りきってるもの。
何とも言えない微妙な空気を消し去りたくて、わざと明るい声を出した。
「…………あー! それでさ! 熊五郎はこれからどうするの? こっちで知り合いとかいるんでしょう?」
「ん。ああ、そうだな。だが戻るにせよこちらの状況を把握しなくてはならないし」
熊五郎は縫いつけられたフェルトの瞳を器用に伏せて、顎に手を当てて黙考している。私も結晶石の上でプルプルと体を揺らしながら、これからどうするか考えた。
こうして魔界に来たものの、現在の私はスライム────というかこの世界では食材という立場なわけで…。
当然攻撃力もなんもない私に、ここで生きていく術は備わっていない。
人間に戻ったら腐るという事実もさる事ながら、この魔界という世界で食材に人権が認められているのかもわからない。
というか、普通は食材に意思とか聞かないだろう。私だって食材──たとえばイクラの一粒一粒が基本的人権の尊重を望んだりしたら相当ビビる。
そして魔界で唯一の頼みの綱である熊五郎は自分の都合があるのだろうし、こっちに残してきた知り合いとか仕事とか、そういう……───しかし魔界での仕事って、一体なにをするんだろうか。
「───桃子」
「うわ! は、はい!!!」
「もしも……行く場所が決っていないのなら一緒に来るか? 就職先くらいなら探してやるぞ」
しゅうしょくさき。いますごくげんじつてきなことばがきこえたような。
「桃子はこちらに来て間もないし、知り合いもいないだろうしな。それではこの先魔界で生きていけないだろう?」
熊五郎が手助けをしてくれている、というのは解っているけど。正直もの凄く複雑すぎる。というか私は異世界にロマンスやらファンタジーやら冒険やら恋愛やら、そういう系統のものを求めてきたわけで……。
決して、魔界に就職先を探しに来たわけではないのですが。
「……よ、よろしくお願いします」
しかし厚意を向けられると無下に断れない。
どこまでも情けないけれど、長いものには巻かれる主義なのよね……。