4-3:目覚めた先に2
謝罪する熊五郎を視界に留めながら、どう返せばいいのか言葉に詰まっていた。
助けられた私が御礼を言うならまだしも、何故謝られるのかが解らない。
「熊五郎? あの、別に謝る必要なんて無いと思うんだけど……」
「そんな訳がないだろう。鍵を与えたことで、君を危険な目に合わせたのは事実だ」
「で、でも、あのときは熊五郎も怪我してて、仕方なかったことで」
「一歩間違ったら、今回の件で君は死んでいた。実際水分が枯渇して休眠状態にまで陥っていたんだ。……それでも君は俺を許すのか?」
熊五郎の顔はいつものようにとぼけているけれど、その声はいつもより真剣だった。
確かに拉致されたときは、とても怖かった。あのまま黒い魔獣やクロムフォードに虐げられて、今度こそ殺されてしまうと思っていた。
けれどあの時の事をよくよく振り返ってみれば、自分がクロムフォードを煽った部分も確かにあったのだ。
私を愉しげにいたぶった表情と、熊五郎の拒絶に苦しそうにしていた表情。
もしかすれば、あの人なりの事情もあったのかもしれない。
それでも、クロムフォードのやり方が、どうしても許せなかったから。
言葉で煽って、結果、怒らせるまで批難した。自分の中の何処にあんな感情があったのかと驚くほど、あの時の私はクロムフォードの全てに憤っていた。
そうして感情に流されて、リンパギータだけでなく、女王やネブラスカまで危険に晒したのだ。
熊五郎があの場に来なければ、リンパギータの姿をこの目で見ることも、触れることすら叶わなかったと思う。
全てが元通りになった。けれど、本当はそうじゃなくて、そういう風に見えるのは、私が眠った後、手を尽くしてくれた人々のお陰だ。
だから至らなさを自覚して、さっきは見事にヘコんだのだけれど……。
それに熊五郎は一番大事なところを間違ってる。
「許す、許さないの問題じゃないっていうか……。私にとってあの鍵は大事なものだから、そういう風に言われたくないっていうのもあるけど」
寝起きは悪いし、かなり乱暴だった。案内をお願いしたら結構酷い扱いを受けたし、何かが気に入らなかったのか起き抜けに女王の杯を割ってしまうこともあった。
けれどその反面、鍵によって助けられた場面は何度もあった。
熊五郎が居ないとき、ずっと支えになってくれていたあのお守り。それを持っていたことについて戸惑うことはあっても、やっぱり後悔したことは無いと思う。
「熊五郎は約束を守ってくれたじゃない」
目の前にちょこんと座っている熊五郎に、恥ずかしさを押し込めてしっかりと視線を合わせる。真ん丸な目元はそのまま、でも眉はまだヘタッと垂れ下がっていた。
「熊五郎は私が呼んだ時、すぐに来て、助けてくれた。だから謝る必要なんかない……と思います」
私が今回の事で失敗した様々な事、死にそうな目にあった事。もしかすれば回避出来たことかもしれない事。
それを熊五郎が全部背負うのは、やっぱり違うと思う。
本当は心配掛けるつもりなかったのに。
……ただ会いたかっただけなのに。
そんな顔をさせているのが、少し申し訳なくも思った。
「だが……」
まだ言い募ろうとする熊五郎を抱き上げて、口をむにゅーっと引っ張った。
私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。でもそれを真正面から言うのは恥ずかしかったから、別の事を言う事にした。
「熊五郎」
「なんひゃ?」
「まだ言う気なら、森ガールも真っ青なフリフリドレスを着せ付けるの刑に処します」
「…………」
「言わない?」
「解ったからやめてくれ」
ちょっと怒ったような声に、心配になって覗き込む。
もう眉は下がっていないけれど、熊五郎はよほどフリフリにされるのが嫌なのか、背後を振り返っては自分の体を確認していた。
そもそも私はそんな物持っていないというのに。フリフリによほど嫌な思い出でもあるのだろうか。
「そういえば、熊五郎はこの四ヶ月どうしてたの? 知り合いとは会えた?」
話題を変えたくてわざと明るくそう言って、熊五郎を座らせる。すると熊五郎は律儀にも正座して、その両手を膝に付いていた。
前から思っていたけれど、所々で行儀が良い人だ。
「ああ。長く開けていたせいで、こちらの事情に慣れるのに手間取ったが、待ってくれていた人にも会ってきたよ」
「そっかあ、良かったね。でも知り合いの人。……その、もの凄く怒ってなかった?」
あの宰相の顔を思い出し、少しだけ心配になる。あの人と知り合いかどうかまでは解らないけれど、かなり怒っていたし。
ひどい事されていないといいのだけれど。
「怒っていたな。これまでの間、どれだけの思いをさせたか解らない。これからは、その償いをしていくことになる」
「償い……って」
「どんな理由があったにせよ、立場を放棄して逃げ出したことに変わりはない。その対価を、俺は払わねばならない」
熊五郎はもう先を決めたように、そうして頷いていた。
他の選択肢なんかない。入る余地もない。そんな風に。
「じゃあ熊五郎は、これからその人の所に戻るんだね」
「そうなるな」
「……そっか」
実際解っていたことだけれど、結構きつかった。やっと会えたと思ったのに、また離ればなれになる。そんな可能性に気が付いていなかったわけじゃない。
ただ見ないように誤魔化していただけで。
それに私は、目の前の人がどういう立場にいるのかも、まだ怖くて聞けないでいる。
自分が楽になれるように、そうやって逃げ道ばっかり作って。そういうのはもう嫌なのに、思考は勝手に嫌な方向にぐるぐる回ってく。
……でももう、寄りかかりたくはなかった。
「そうだね。これまでずっと待ってたんだから、その人の事、安心させてあげないとね」
「桃子?」
「お互い頑張ろうね。……そうだ! まだちゃんと言ってなかったよね。色々あったけどあれから私、サフィーア女王陛下の小間使いになれたんだよ」
まだ伝えていなかったこと。熊五郎に会って話したいことは沢山ある。
けれど、なによりも一番に言わなくちゃいけない言葉があった。
「全部、熊五郎のお陰だね。ありがとう」
以前の私のままだったら、ただ落ち込んでうじうじしていたと思う。けれどもいまは違う。
仕事も見つけたし、少しづつだけど友人と呼べる人も出来た。
だからもう、自分一人でも頑張っていける。
鍵を預けてくれて、約束通り助けてくれた。熊五郎が決めた事なら、今度は私がそれを応援しなくちゃいけない。
それくらい、私にだって解っている。
そう伝えようと思ったのに、熊五郎は何故か首を傾げてしまった。
「それは少し違うんじゃないか」
「え?」
「俺がしたことはきっかけに過ぎないし、そこまで礼を言われるようなことはしていない」
「でも……」
熊五郎がくれた鍵がなかったら、あの森の中で彷徨っていたと思う。この城で就職出来なければ、それこそ生きていたかの保証すらない。
この城で出来た大切な人達にも会えずに、ただ喰われて、死んでいく。
そんな味気のない人生を送っていた可能性もある。
なのに熊五郎は静かに首を振った。
「鍵と香水の件は女王から聞いている。利害関係も少なからずあっただろうが、鍵を持っていただけなら、奪って君を処分することも出来たはずだ。それに君の上司は誰かに推薦されたからといって、素直に起用するタイプにも思えない」
「う。……ま、まあ確かに」
「今ある立場は、俺が与えたのではなく、君がここで頑張って築きあげた結果だ。これは自信を持っていいことだと思うよ」
ふいに言われた言葉が嬉しくて、無意識に目元が引きつる。
真正面からそんな事を言われて、こっ恥ずかしい部分も確かにある。
けれどそれ以上に嬉しくて、泣きそうになって、慌ててシーツで目元を抑えた。
恥ずかしいから早く止めたいと思うのに、熊五郎はまるで促すように、知らないうちに握り締めていたブーケの手元を、ぽむぽむと撫でていてくれる。
「そう、かな?」
「俺は、そう思っている」
「そっか」
「ああ」
「うん、嬉しいな。……ありがとう」
シーツの上から顔を上げてそう伝えると、熊五郎は真ん丸な腕を伸ばして、目元を拭ってくれた。
怒ると結構怖いけど、優しい時はどこまでも優しい。
こんな所を慕ってあの宰相も、熊五郎を長い間待ち続けていたんだろうか。
それこそ私よりも、ずっとずっと長い間……。
そう思ったら、寂しいと思っていた気持ちが少しだけ和らいでいた。それに前と違って、生死が解らないのをずっと心配し続けている訳じゃない。
同じ場所にいるのなら、また会える。
「熊五郎。あのね……私ね」
「ん?」
「私ね。……その」
いままで会えなかった分、なんでもいいから話していたかった。熊五郎の事とか鍵の事とか、私が寝ていた時に起った色々なことを。
なのにそんな時に限って、
ギュウクルルクルウウプキュルキュウー……。
っと変な音がした。
……リンパギータは今居ない。そもそもリンパギータはこんな風に鳴かない。ならどこからした音なのか? そんなの見なくても解る。
これは自分の体から発された怪音だ。
さっきから妙にお腹が空いていたのは自覚していた。とはいえ、何故いま鳴る必要があるのかと。
自分の体の空気読めなさにヘコみながら、無言でシーツを引き寄せてベットの上で丸くなる。
熊五郎の方を見れないほど顔が熱いし、胸のあたりがドコドコと景気のよい音を打ち出している。
しかも部屋に響き渡るくらい大きかったし……!
「……お腹が空いたのか。結構凄い音で驚いた」
そして熊五郎もわざわざ指摘しなくてもいいじゃんか……ッ!!
泣いたときは何も言わなかったのに、いまは口調からして笑っているのが解って、ますます身の置き場がなくなってくる。
シーツに顔を埋めながら、恥ずかしさに枕をボコボコ叩くことしか出来ない。
「う~~!!」
「生理現象なんだから仕方ないだろう」
「でもやなの! 恥ずかしい! しかも怪獣が鳴いてるみたいな音だったじゃんか!」
「怪獣か。桃子は凄いものを体の中に飼ってるんだな」
「飼ってないから! 例えだから!」
真剣そうな声に驚いて、慌てて起き上がって訂正する。
けれども熊五郎はもう、声も抑えないで笑っていた。誂われているのが解って、思いっきりむすくれる。
「……もーいい」
「そう拗ねるな。桃子が眠ってすでに一ヶ月も経っている。体が要求するのも仕方のないことだと思うぞ」
「だって、こんなタイミングで鳴らなくてもさぁ」
……って、あれ? 一ヶ月ってどういう事だ。
私が眠りに付いたのは、昨日のことだったはず。
そう思って熊五郎を見れば、いつものヒラメ顔で淡々と言った。
「もう夏の月は通り過ぎている。いまは秋の初め月だ」
夏が過ぎれば、秋が来る。
当たり前のこととはいえ、そんな長く寝ていた事実が受け入れられない。そもそも何故そんなに寝入る必要がある。
そして何故一度も起きなかった自分。
「……ええと」
「どうした」
「もしかして私かなり寝過ごした? みんながたたき起こしても駄目なほど爆睡してた、とか?」
だとしたら長期間の無断欠勤で解雇もの。折角これまで頑張ってきたのに、仕事すらなくなってしまったら大変だ。
そんな風に慌てている私を尻目に、熊五郎は何故か吹き出して、否定に手を振った。
「そうじゃなくて、体を再構築するのに使用した薬剤が合わなかったようでな。安定させるために時間をおいていたら、こんなに日が開いたんだ。別に君が寝過ごしていたわけじゃない」
「そ、そっか。よかった。……あ。でも陛下は怒ってないかな」
ここ数ヶ月、女王の身の回りのお世話をしてきたのは私だ。
もしも私が居なくなったとしても、先輩侍女方は優秀だから持ち回りで動いてくれるだろう。
けれど私が抜けた穴を埋める為にスケジュールを調整したり、持ち場を移動したりと、面倒を掛けていることにかわりは無い。
後でお礼をしなくてはと思いながら、少しだけ痛む頭を抑える。
「怒ってないと思うぞ。むしろ……」
言いよどんだ熊五郎の顔をじっと見つめる。ヒラメ顔はそのまま。でもさっきより、眉が下がっているのはどうしてだろう。
「むしろ?」
「いや、とりあえず先に着替えるか、食事にしよう。お腹の怪獣を黙らせておかないとな」
「だ、だから、それはもういいってばッ!」
熊五郎は誂うように笑いながら、狭間を開いて蒼い通路を開き、ある場所を映し出す。
見慣れた配置、見慣れた器具。多分ここは私の最も苦手とする人がいる場所だ。もしやと不安になりながら、さらにそこを覗けば。
「モモコさん!」
「……うわ、本当に人型になってるし」
いつもと変わらない笑顔をこちらに向けたミラリナと、超不機嫌そうなシュトルヒが、包丁を何本も構えて立っていた。