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4-2:目覚めた先に

 目の前に広がるのは暗闇ではなく、真っ白な天井と、もふもふした黒い毛玉。しかも何故か、その毛玉にべろんべろん顔を舐められている。

 最近同じような目にあったような、そんな既視感にぼーっとしながら、抵抗もせずにされるがままになっていた。

 体の感触からして上に乗っているのが誰なのかは、もう解っている。だからこそ安堵して、全身から力を抜いていった。

 唾液まみれで少し息苦しいけれど、ほんのりと暖かい体温と柔らかい毛並みが肌に触れるたび無性に癒される。

 舐められている途中でさつまいもみたいな甘い香りがぷんと漂って、胃の部分をぎゅうっと刺激するのがまた堪らない。

 あんなに怖い夢を見たというのに、気がつけば普通に食欲は湧いているし、目の前の毛玉に癒されまくっている。

 もの凄く正直すぎる自分の体に、怖さも紛れて、次第に強ばっていた顔も緩んでいた。


「……おはようございます。リンパギータちゃん」

「キュィッ!?」


 私の声に反応してか、リンパギータはびっくりしたように真ん丸な目をさらに見開き、ぽかんと口を開けた。けれども話掛ける間も置かずに、私に乗っかったまま必死に鳴きはじめる。


「キュキュイ!! キィキューキュ?!」


 以前のゆっくりとした動作とは違い、妙にキビキビとして俊敏さがある。日差しの入り具合からして、まだ昼間なのに異様に元気、いや、若干ハイになっているような。

 けれどよくよく全体を眺めてみれば、リンパギータの瞳はいつもの倍キラキラしているし、頭から尻尾の先までしっかり栄養が行き渡ってますよーといった具合に、毛艶にも気合いが入っていた。

 お腹のあたりも多少、でっぷりしているような気がしないでもない。

 もしかすると私が寝ている間に……育った、のかな?

 さっきの妙な夢を見たのも、もしかしたらリンパギータが乗っかっていたのが原因だったのかもしれない。本当に、そう思ってしまうほどの重量感があった。


「キュキュイ! キュキュキュー!!」

「えっと、すみません。あの、言葉がわかりません」

「キュキュキュー!」


 リンパギータが必死に何か伝えようとしているのは解る。けれどもさっきからジェスチャーが早すぎて、何を表現したいのか解らない。

 そうして何度も首を傾げていると、リンパギータは若干疲れたように肩を落してしまった。少々申し訳ないなと思いつつ眺めていると、今度は鉤爪を器用に動かして空中に文字を書き始める。

 ジェスチャーよりもこっちならよく解る。これは多分、トロテッカの文字だ。


「もしかして『モモコ。おはよう』ですか?」

「キューキューキュイッ!」


 正解です! と言わんばかりに長い尻尾をふりふりして、ちっちゃな円を作り出すリンパギータ。その可愛らしい動作に一瞬呆気に取られ、吹き出すのを必死で堪えた。

 一体いつの間にそんな可愛い動作を覚えたんだろう。

 以前は文字を書くこともできなかったはずなのに、いまはこちらの言葉までしっかりと理解している。もしかしてランカスタ夫妻が、新たに覚えさせたのだろうか。


「とてもお上手ですね。びっくりしました」

「キュ~イ~!」


 誰が教えたのかは解らないけれど、リンパギータと意思疎通ができることは結構嬉しかった。話せる魔獣仲間なんてシュトルヒ以外にいなかったし、あちらと違って親しげに接してくれる事が嬉しい。

 あまりの可愛らしさにリンパギータに触れようとして、あることに気がついた。


「あ、腕……」


 あの日ばっさりと切り取られた右腕が、完全に元に戻っていた。

 眠りについた後にアズラミカ達が治してくれたのだろうか。つなぎ目も何も無い腕をぐんと伸ばして、指が自在に動くことを確認する。

 二本の腕に、しっかり人の形を成している十本の指。

 リンパギータに避けてもらって体を見下ろせば、以前とまったく同じ、二本の足が揃って見えた。

 打撲の痣もさっぱり、無い。


「……良かった。全部、元に戻ってる」

「キュロロー」

「そういえば……リンパギータちゃんは怪我とかないですか?」

「キューキュ」


 転送される前に見たリンパギータの瀕死の姿を思い出して、柔らかい毛をかき分けて痕を確認する。細かな傷はあるけれど、地肌も健康的なピンク色で、手先も顔もどこも、大きく損傷している部分はない。

 リンパギータは私が観察してる間にも、円な瞳をくりくりとさせて、元気そうに動いていた。

 すべて元通り、そんな風に。

 けれどその姿に安堵すると同時に、自分の至らなさを自覚したような気もして、思わず目の前にあるリンパギータの体をぎゅっと抱きしめていた。


「……ごめんなさい。リンパギータちゃん。危険な目に会わせてしまって」

「キュ!」


 リンパギータは首を傾げながらも、優しく体をすり寄せて、暖かな体温をこちらに分け与えてくれる。

 あんな危険なことに巻き込まれたのに、怒ることも嫌がるそぶりも見せない。

 それどころか、まるで気にするなとばかりに、長いしっぽをこちらに巻きつけて背中をぽんぽん撫でてくれる。

 まるで私があやされているような、不思議な気分だった。

 あれからどうなったのかとか、女王とネブラスカはいまどうしているのかとか。気になることは沢山ある。けれど、頭の中がぼんやりとして思考がうまく定まってくれない。

 まだ夢の中にいるような不安定な体、それを立て直すのにかなりの時間がかかった。


「すみません……。突然抱きついたりして、苦しくありませんでしたか?」

「キュイ!」

「そうならいんですけど」


 リンパギータは文句も言わず、私に寄り添っていてくれる。そのことに心の底から癒されて、やっと落ち着いて周囲を見回すことが出来た。

 ここは多分、カルフォビナ城内にある医療施設だろう。

 清潔感のある白地に蒼ラインの壁紙に、白いカーテン。白と青で揃えられたベットの横には、銀のカートに並べられた銀色の医療器具や何に使うのか検討もつかない怪しげな薬品の数々もある。

 ホルマリン漬けっぽい内臓系の何かを視界の端から避けつつ、他のところに目をやれば、アズラミカがいつも座っている緑色の椅子や机が見えた。

 以前とまったく変わっていないようで、けれど違っている所もある。


「……なにかお祝い事でもあったのかな」


 部屋の中には花束が置かれていた。ベットの周りにも花々が並び、ピンク色のリボンと数種類の花を組んだ壁飾りなども掛けられている。

 扉の部分には手作りなのか、ちょっと歪んだ花のリースまであった。

 パステルカラーでまとめられた花々と、ほんのりと香る甘い匂いに気持ちが和んでいく。

 そんな光景にぼんやりとしていると、リンパギータは私の背中に回ってぐいぐいと背を押し始めた。

 もしかして起きろ、という意味なんだろうか。

 押されるままに体を起こすも、まだ体がふわふわとして覚束無い。


「そういえばここにいるの、リンパギータちゃんだけですか? 他の方々は」

「キューキュイ。キュッキュキュッキュー」

「『いまお仕事中。だからボクだけお見舞いに来た』だそうだぞ」


 突然発せられた言葉に驚いて、声の方を振り返る。

 すると熊五郎が丸い手を使って器用にドアを押し上げ、こちらに入ってくるのが見えた。


「熊五郎……!」

「おはよう、桃子。体の具合はどうだ?」


 熊五郎は慣れた手つきでドアを閉めると、ふわりとベットの上に降り立ち、ポテポテとこちらに歩いてくる。

 いつもと同じヒラメ顔。起きてもまだ、この場所に留まってくれていたことが嬉しかった。

 それに再会したときにあった眼帯は取り払われ、出会ったときと同じまんまるな両目が覗いている。

 以前と一つ違うことがあるとすれば、首元に真っ赤な宝石を付けている事だろうか。けれどそこを除けば夢の中と同じ、新品みたいな体がそこにある。


「大丈夫、今のところ無いみたい。それよりも、その目どうしたの? もしかして治ったの?!」

「ああ、途中まで作り終えていたスペアを部下が持って行ってしまってな。最近やっと取り戻したんだ」

「じゃあ、目痛くないの? 見えてるの?」

「いまは両目とも無事だ。……心配を掛けたな」

「ううん。……治って良かったね」


 すぐ側にある、ほにゃーっとした顔に和んで笑う。

 その柔らかそうな体を抱き上げて、フェルトの目を確かめるように指でなぞると、熊五郎はちょっと困ったように眉をハの字にさせた。


「あ、もしかして痛かった? ごめんね」


 目に触れられたのが嫌だったのかもしれない。

 でも離すのも名残り惜しくて、両脇の部分をおもわずムニムニする。

 夢と同じ、柔らかくて、たまらなく気持ちいい感触だった。

 とても落ちつくし、綿が一杯詰まってるお腹に顔を埋めると、ほのかにハーブの香りがする。


「……いや、そういうわけではないんだが」

「キュイキュイキュウー!」

「作り直したって言ったけど、もしかして自分で作ったの?」

「キュッキュイキューキュー!」

「この丸い手に慣れるのは大変だったがな。この程度のものならば自力で修復できるようになった」

「キュッキュ……」

「どうしたんですか? リンパギータちゃん」


 なにやら悲しげな表情をしているリンパギータを見かねて抱き上げ、再び熊五郎を見る。

 小さな狭間を開いて何をするのかと思えば、熊五郎はその中を漁り、ぽんっと何かの花を差し出した。


「わっ!」


 確かこれは、女王と上空から見たスターリリアだ。

 白百合に似た花で作られた、手のひらサイズのブーケ。ピンクのリボンでまとめられたそれが、リボンと共に可愛らしく揺れている。まるで手品みたいに鮮やかに取り出したそれを、熊五郎は私の手のひらに置いた。


「お見舞いだ。造花だけどな」

「造花? ……もしかしてこれ、全部手作りなの?!」

「ああ。こちらの花はあまり長持ちしないからな」


 手作りでしかもこんな可愛いのを、お見舞いだって渡してくる。その不意打ち具合にかなり驚いた。

 スターリリアの白い花弁からこぼれ落ちる光は、あの夜に見たものとそっくり同じ。どこまで精巧に作られているのか、花の内側から光が生まれて、ランタンみたいに手元をほんのりと明るく照らす。

 ぼんやりとしていた思考が一気に吹き飛んで、その代わりに段々頬が熱くなってきた。

 ここに勤め始めからいろんな人から贈り物はされたけれど、こんな真正面から贈り物をされたのは初めてだった。

 だからだろうか、突然すぎたこともあって、どういう風に返していいのか解らない。


「気に入らなかったか?」

「ち、違う! そうじゃなくて。……あ。そ、その。あのね」

「どうした」

「こ、これがいい!! その、凄く、嬉しい……です」


 気に入らないなんてそんな訳ない。むしろ凄く嬉しくて、でも熊五郎の事を段々見ていられなくなって、思わず顔を背けた。

 ……なんでだろう。やたら顔が熱いような気がするし、なんか、なんか変だ。


「そうか」

「う、うん。……ありがとね」


 視線を合わせているのも恥ずかしくなってきて、隠すようにしてスターリリアのブーケに顔を埋めた。

 とにかく気持ちを落ち着かせなくてはと思うのに、抑えようとすればするほど、余計に顔や首まで熱くなってくる。

 目の前にいるのは、それこそポッコリ下腹が飛び出た可愛らしい熊のぬいぐるみなのに。


「キュイー!!」


 そんなテンパッた私の頭を覚ますように、リンパギータが突然こちらに向かって跳びかかってきた。引っ掻かれたりはしていない。けれど、何かもの凄い勢いで抗議している。


「え? リンパギータちゃん?」

「キュッキュイキューキュー!」


 あやしてなだめようとするも、リンパギータは私の腕の中で暴れ回り、ついにはぺしぺしベットの上を叩いて猛烈な怒りを表現し始める。

 しかし綴っている文字が高速すぎて、何を書いているのか判別できない。そんなに怒るような事があったのだろうか。


「あの、一体何を怒っているんですか?」

「キュキュキュロロッ!」


 どうにかして理解しようと文字を追っても、『モモコ』『浮気』『どうか』という単語くらいしか。

 もしかしてランカスタがまた浮気まがいの事をして、マリエッタを怒らせているのだろうか。それを私にどうにかして欲しい、ということ?

 そんな疑問を解消する前に、リンパギータは何度も地団駄を踏むと、ベットの上を駆け上がって窓辺から飛び出していこうとする。

 ……いやいや、ちょっとお待ちになってください。

 そのまま突っ込んだら確実に窓にぶつかって、大怪我すると思います。


「キューキュイ!!!」

「ええと。熊五郎、ど、どうすればいい? 外に出しても大丈夫かな」

「ああ、タグがついてるから平気だ」

「タグ、って?」

「桃子も持っていただろう。認識票と同じようなものだよ。ああ、いま開けてやる」


 しかし窓を開ければ開けたで、リンパギータは何故か熊五郎をキシャーッ!っと威嚇してさっさと飛び立ってしまった。

 あまりの勢いに呆然として見送ってしまったけれど、本当に外に出してしまって良かったんだろうか。


「どうしたんだろう。前に会ったときはあんなに気性の激しい子じゃなかったのに」

「さあな。彼には彼なりの事情があるんだろう」

「でも大丈夫かな? 日にあたると体調を崩すって、飼い主さんから聞いてるんだけど」


 以前マリエッタの館にお呼ばれしたとき、リンパギータは基本的に館の外に出ることはなかった。庭に出たとしても常に黒い天幕が張られ、その下でしか動けなかったはず……。

 それを思い出して告げると、熊五郎はやや危なげに窓枠に手をつきながら、こちらに振り向いた。


「それなら平気だ。今はちゃんと主食となるマリエの花を食べているからな。体力も前より向上している」

「そうなの?」

「まあ、そのうち戻ってくるさ」


 熊五郎は窓辺を開け放ったままに、ぽこぽこと足を鳴らしてこちらに歩いてきた。そうして私の前でちょこんと正座した。

 途端、さっきのやり取りを思い出して少しドキドキしてきたけれど、こちらも習うように正座する。

 けれどもそんな浮ついた気持ちを打ち消すように、熊五郎は真ん丸な目元をキリッとさせて、静かにこちらを見上げていた。

 キリッとしても、あんまり怖くはないのだけれど。


「桃子。病み上がりの君にこんなことを言うのもどうかと思うが。まず一言、言っておきたいことがある」

「な、なに?」


 いつにない真剣な言葉に、ぎゅっと膝下にあるシーツを握りしめる。一体何を言われるのか。

 そうして身構えていると、熊五郎はすっと体を屈めて。


「……すまなかった」


 何故か、私に向かって謝罪した。

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