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3-19:宴の終わり

 早く、早く。焦燥感に駆られながら、なにもない夜空を見上げてあの丸い狭間を探す。

 リンパギータの命の光はまだ閃いていない。でももうすぐ取り込まれてしまう。

 もしかして間に合わなかったのか、それとも、もう……。


「いきなり何叫んでんだ? ついに頭おかしくな……────なんだ……」

「え……」


 クロムフォードの声に驚いて見上げれば、空中に浮かんでいたのは、蛇が尾を噛んでぐるりと一周した黒くて丸い門。

 大きさは普通のそれと同じ。けれどもそれは徐々に大きくなり、黒い物体の前で止まる。その門の前にはいつの間にか、私の所から飛び出した兎のストラップの姿があり、その体がすいっと門の中に吸い込まれた。

 ガチャンという鍵の開けられるような重い金属音の後、中から飛び出てきたのは大きくて真っ黒な髑髏。髑髏の首には無数の鎖が付けらており、歩くたびにしなってジャラリと音がする。

 その髑髏は真っ黒に染まった空虚な目元をこちらに向けて、しっかりと頭を垂れた。


「鍵所持者の生存を確認。命令を遂行。対象を排除致します」

「え?」


 髑髏の頭がしなり、顎が外れるほど口が大きく開かれる。するとそこかしこからもの凄い爆風が巻き起こった。その風は竜巻のように捻じり曲がり、急速に急激に黒い物体だけを除去していく。

 まるで掃除機に吸い取られていく埃のように、あっさりと剥ぎ取られていく黒い物体。目を開けているのも辛い中で必死に目を凝らし、その中心にいる茶色の塊を見つけた。


「リンパギータッ!!」


 声を掛けるもリンパギータの体は一つも動かない。けれどもその体が徐々に明るい色を取り戻し、僅かに呼吸音を漏らしたのを見て安堵する。息も絶え絶えで瀕死に近い状態だけれども、その円な瞳がこちらに向けられたのを見て、胸の閊えが少しだけ解れた。


「キュー……」

「……おいおい、なんだよ。なんで生きてんだ?」


「当たり前だろう。俺が阻止したんだからな」

 

 聞き覚えのある声。いままでずっと聞きたかった声。

 振り向けばそこには、見覚えのある姿が見えた。

 ぷくっとした楕円形の丸い頭に丸い二つの耳、常に緊張感のない笑みを浮かべた口元。ぽこぽこと動く丸い四肢はぷっくりしていて柔らかいのを知っている。洋梨体型のお腹はぽこんと出ていてメタボちっくな様相だ。

 チョコレートの胴体にクリーム色の布を貼りあわせて出来た、ヒラメ顔の熊のぬいぐるみ。でも私にとってはとても大好きな懐かしい顔。ずっとずっと会いたくて仕方がなかった、そして心配で堪らなかったあの顔が、そこにある。

 右耳から右目の焼け焦げたあの部分、そこだけに黒いアイパッチをしているけれど、あれは確かに────。


「熊五郎……ッ!」

「気を抜くにはまだ早いぞ、桃子」


 熊五郎が手を閃かせると、リンパギータの下に黒い円が開かれていく。リンパギータを包みこみ、その黒い円は溶けるようにして瞬時に消えた。

 けれども先程のようにその色に嫌な感じはしない。それに安心して熊五郎を仰ぎ見ると、丸い腕をぐっと突き出し、私の背後にいるクロムフォードへまっすぐに向けていた。


「はぁ? なんなんだよこれ。ぬいぐるみが喋って空間まで使うなんて有りか?! てめえ一体……」

「自分の力に自信があるんだろう? なら当ててみたらどうだ」

「……へえ、言うじゃねえの」


 熊五郎の静かな声にクロムフォードは薄く笑い、私の体を掴み上げずりずりと後退している。なにがそんなに怖いのか。霞む目元を動かしてみれば、その体は恐怖に震えているのではなく、武者震いの間違いだった。

 クロムフォードはギラギラとその紫の瞳を輝かせ、熊五郎を熱心に見つめている。

 そして狂気の色が濃いその表情に、場違いなほど快活な笑みを刻んだ。


「……ああ、そうか。全部つながった。なんでピーチスライムなんかが女王の小間使いだなんて重用されて、あの馬鹿鳥どもに探されてたのか。全部全部、アンタが関わってたからかッ!」

「そうか。解って良かったな。まあ解ったところで、もうどうともならないだろうが」


 熊五郎はその丸太の腕をくるりと回し空中に狭間を作ると、その深淵から黒い球体を取り出す。黒くて丸い拳大の球体は生きているのか、熊五郎を見てミキュムギュと小さな声を挙げている。


「こんな物まで創りだすとはな。その努力は認めてやるが、好き勝手した代償は大きいぞ」

「代償だあ? 大昔に決めた約定ならもう意味ねえだろ。つうかもう、そんなことどうだっていいんだ。ずっと待ってた。アンタを待ってたんだぜ。やっとこんな糞みたいな世界とはおさらばだ! アンタとならオレはもっと楽しくやれる。アンタとなら────魔王となら!!」


 ────魔王。

 告げられた言葉にやっぱりそうなのかと少しだけモヤモヤとして、でも前と変わらないその顔をじっと見つめた。熊五郎は狂気を含んだクロムフォードの言葉にまったく動じることすらなく、淡々と手の中で黒い球体を増やしている。


「そうか。だが俺は乱暴で我儘尊大なお子様が大嫌いでな。残念ながら、ここで ”さようなら” だ」

「なに言ってんだよ。アンタみたいな男が、こんな馬鹿なスライムに付くってのかッ? ……こんな反吐が出るような甘ちゃん思考を抱えたヤツにかよッ!?」


 首を掴まれて引き上げられる。痛みはないけれど苦しさは何故か増していて、熊五郎をちゃんと見ていたいのに目を開けているのも立っているのも辛い。


「桃子と君を比べることこそが、そもそもの間違いだ」

「はぁ? 下等生物、それも食材如きと王たるオレを比べるまでもねえだろうがよ。オレを選べよ。力のあるこのオレを……ッ!!」

「残念ながら例え地位や能力が高くとも、今の君と契約を結びたいとは思わないな。そこまでに至った思考には同情するが、その強引なやり口にはまったく賛同できない」

「んだよ。結局アンタもあいつらと一緒かよ……!」


 クロムフォードの言葉はとても怒りを感じているものだった。けれどもそれは先ほどとは種類の違う怒りで、何故か悲しそうにも見える。

 まるで一人だけ取り残されてしまったような顔。

 でも同情なんか到底出来るはずもなくて、狡いと思いながらも目を逸らす。

 大事な人を虐げられ、その人が生きているかも解らない状況で、犯人を許せるまでのお人好しにはなれない。


「その意欲は買うが、君は俺に従うようなタマじゃないだろう。それでも尚、何かを成し遂げたいというのなら」

「んだよッ!」

「順番が違うだろう。せめて罪を償ってからにすべきじゃないか?」

 

 突き放すような言葉の後、熊五郎の手から放られたのは真っ黒な球体。それがクロムフォードの目の前で破裂し、周囲をくらませる。

 それに巻き込まれて衝撃にくらくらしている間に、強い力に引っ張り上げられ、柔らかな何かで目元を覆われた。


「んむっ!」


 視界を覆われているけれど嫌な感じはしない。耳の側で骨の乾いた音と、ジャラリとしなる金具の音が聞こえるだけ。おそらく先ほど黒い門の前で見た、あの骸骨のものだろう。それがすぐ真横を通り過ぎ、クロムフォードの居る方へと向かっていく。

 そちらに目を向けようとして、顔をぐっとふわふわな何かに抱き込まれた。


「君は見ないほうがいいだろう」

「……熊五郎?」

「君だけでなく周囲の人々を巻き込み、危ない目に合わせたんだ。キツイお灸を据えなくてはな」


 目元を覆っているのは熊五郎の手なのだろうか?

 ぷっくりふわふわの綿の感触の後に、耳にふわふわの何かを付けられて音が少しばかり遮断される。

 そのふわふわの何かの向こうで鈍い破壊音が長い間鳴り響き、男性の絶叫が少しだけ聞こえ、瞬時に消えてなくなる。

 熊五郎がクロムフォードに何をしたのかは解らない。

 けれどあっさりと、その黒い物体と王であるクロムフォードを倒した事実に、少しだけ戸惑っていた。

 こんなに力の有る人が、そしてこの人は、本当に私の知っている熊五郎なのだろうか……。


「終わった。もう目を開けていいぞ」

「……う、うん」


 閉じていた目を開けると、いつものように緊張感のないヒラメ顔と対面する。

 けれどもどう反応していいかも解らなかった。あれほど会いたいと思って、会ったら話そうと思っていたことが一杯あったのに、言葉が思いつかない。

 何を言ったらいいだろう。熊五郎を仰ぎみてどうしていいのか解らず、口を開いては閉じてを繰り返す。そんな私に対して熊五郎は優しげに笑う。


「久しぶりだな、桃子」


 あの時別れたときと同じ。

 そのあまりにも自然体な言葉に安堵して、涙がぽとんと零れた。


「あ、あれ?」

 

 泣く必要無いはずなのに、あとからあとから溢れてきて止まらない。二重の意味で戸惑っていると、熊五郎にぽむっと頭を撫でられる。


「こんな辛い状況下でよく判断した。……よく頑張ったな、桃子」


 そうして優しく頭を撫でられると、ますます涙が零れててきて止まらなくなる。

 これまでの事。怖かったこと。辛くて寂しかったこと。色々な事を思い出す。

 この人にずっとその言葉を言って欲しかった。この人だからこそ、その言葉が欲しかった。

 そうした感情に胸が詰まって、何か言いたいのに言葉が喉の奥に絡まったみたいに出てこない。


「わ、私ね……私……」


 熊五郎が来るまで、ずっと心の端で考えないようにしていたことがある。

 完全に無いとは言い切れない。でも考えたくないと思っていたこと。

 その不安が一気に解消されて嬉しいはずなのに、胸の奥が閊えて苦しくなる。


「……ごめんね」

「どうして謝るんだ?」


 怪我は綺麗に治っているけれど、右目が無い。

 そのことにいまさらながらに気がついて、どうにかなってしまうんじゃないかと思うほど、頭が痛くて仕方がない。

 ズキズキする頭と、涙で視界がぼやけてしまう。ちゃんと熊五郎を見ていたいのに、涙が邪魔をする。

 

「わたしがあのとき放っておかなければ……」


 大丈夫だろうって、背中を向けてしまったから。

 いつか会いに来てくれるだろうって、こんなに凄い力があるんだから大丈夫だろうって思い込んでいたから。

 あの時、眼が焦げて、体もちぎれて、とても痛そうな顔をしていたのに。


 ────怖くなって一人で逃げたから。


 もしかしたら、あのとき見た姿が最期だったんじゃないかって、思い込んで怖くなって仕方がなかった。

 目の前にいる熊五郎は、ちゃんと無事だけれど。


「右目……ごめんね。わたしのせい、だよね」


 熊五郎の目元にある黒いアイパッチの理由。

 どこも綺麗に治っているようにみえるけれど、ひとつだけ前とは違う部分。

 ……治らなかった部分があったんだ。

 そのことに胸がぎゅうぎゅう絞めつけられたみたいに苦しくて、罪悪感に押しつぶされそうになる。

 そんなとき、ぽこんと丸い腕が頭を撫でて、その手が濡れるのも構わずに涙を優しく拭いてくれた。

 

「────君の所為じゃない」


 ずっと一人で不安だった。

 誰にも相談できなくて、ずっと一人で抱え込んでいた。

 雨の日も風の日も、季節が変わってもずっと。

 いつもいつも一人で待っていて、もう来ないんじゃないかとすら思い始めていた。

 けれど目の前にある、変わらないほど無邪気な笑みを向ける熊五郎に、やっと安堵する。

 その一言に許されたような気がして、もう堪えることが出来なくて熊五郎に抱きついた。 


「ご、ごめ……んね! ……あと……ね」

「ああ」

「助けに来てくれて、ありがとう」

「……ああ」

「ほんとはね……ずっと我慢してたの。ずっとずっと会いたかったの……ッ」


 顔だって涙でぼろぼろで見れたもんじゃないと思う。本当はもっとちゃんとした姿で会いたかった。

 女王の小間使いになれたんだよって、新品の侍女服を着た姿を見せたかったのに、どこもかしこもボロボロで。熊五郎の前だといつも情けない姿ばかりみせている。

 でも熊五郎は私が泣いても何も言わなくて、その丸太みたいな手でぎゅうっと抱きしめてくれた。


「ああ。俺も、君にずっと会いたかった」


 熊五郎が余計に嬉しいことを言うから枷が外れたみたいに、涙が流れてしゃっくりまで出てきた。

 

「く、まご! っ……!」


 何か言わなくちゃいけないと思うのに、嗚咽しか出てこない。胸が詰まって話せない。結局それ以上何も話せなくて、その胸でわんわんと子供のように泣いてしまった。

 やっと、やっと出会えた。目の前に確かにあるその存在にいま、心から安堵していた。

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