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3-17:冥夜の宴7

 自分はなんてアホなんだろうと、たまに嫌気が差してくる時がある。もう少し言い方を考えてから発言すれば良かったとか、後悔することが本当に多くて、随分後になってからその人が本当に言いたかった言葉の裏の意味が解ったりしてヘコんだりもする。

 ああすれば良かった。こうすれば良かった。

 毎回後悔することも解っているのに、何度も失敗を犯してしまうのは私が馬鹿だからなんだろうか。


「ふざけるな!!」


 相手の方のお怒りは当然だと思う。確かに待ち人が熊のぬいぐるみとか言われたらブチ切れるだろう。

 憤怒の形相でこちらを睨みつけている姿は、まるで仁王像のように恐ろしい。

 そして周囲からこぼれ落ちる呆れたようなため息と、微妙な視線をひしひしと感じながら、それでも必死に説明する。


「せ、正確には熊のぬいぐるみに入っている中の人? です。どういう原理なのかまでは解りませんが、とにかくその人はこちらに居たことがあると言っていました。そしてもの凄い能力を持っていて」

「どんな能力なのかな?」

「え、えと。ワープホールと言ってました。空間を渡る能力っていうんですかね。蒼い光が灯っている真っ暗な通路があって、そこを通ると出発地点とは全然別の場所に出るっていう。私をカルフォビナの地下通路まで送ってくれたのもその能力で」


 こうして改めて考えてみると、本当に不思議な人だと思う。

 こちらの生活に慣れてきて、住人の能力とかを間近に見てきたけれど、あんなにも不思議な力を持つ人はいなかったふうに思う。

 自分でも曖昧な説明だと感じながら視線を上げると、医師は床に胡座を掻きながら、手をひらりと閃かせた。


「もしかしてこんな能力?」


 一瞬にして空中にできた黒い空間。その奥には随分と見ていなかった蒼色の灯りが揺れる通路が見えて驚く。

 でもその形は菱形。とても似ているけれど、それはあの人が使っていたものじゃない。


「似てます。でも形がちょっと違うもので、こんな形の……」

「円、か」


 狼族の男性はまだ眉間に皺を寄せてはいるけれど、先程よりも怒りを抑えた声でそう呟いた。その言葉に私が頷くと、額を抑えて静かに唸る。


「しかしそれが本当の話だとするとしても、やはりおかしい。あの御方の性格からすればすぐに帰城するはずだが」

「いえ。本当は最初、その人の知り合いの所に行くはずだったんです。でも途中でノックスに襲われてしまって、私を助けてくれるために大怪我を」

「ご無事なのか?!」

「そ、それは……ごめんなさい。途中で別れてしまったので解りません。でも一旦体を治しに行くって。かなり時間がかかるとは言ってましたけれど、体が治ったら……ちゃんと戻ってくると思うんです」


 いままで自信がなかったけれど、口に出してそういうと僅かに希望が湧いてくる。そうだ、まだ体が治っていないのかもしれない。知り合いにもまだ出会えていないのなら、治療中という可能性もある。

 狼族の男性は、やっぱりこんな理由では納得してくれはしないだろう。けれど先程よりは怒気を収めてくれたようで、仁王像のような顔はやめてくれた。それに少しだけ一心地ついて胸を撫で下ろす。

 ……怒られたけれど、やっぱりちゃんと伝えて良かった。


「でもさぁ。そうなると君は結局なんなの?」

「え?」

「さっきから聞いていておかしいとは思ったんだけれどねえ。貴重種とはいえ、本来ならばスライムには言語能力を操れるほどの知能は備わっていないんだよね。なのに君の言動に粗野なところは見受けられないし、それなりの配慮も出来るときた」

「え、と?」

「そして『ここに来た時』『この世界』と称した。これってちょっとおかしくない?」


 口元に笑みを馳せながらも、眼鏡の奥から感じる値踏みするような視線。それに慄いて頬が強張る。いままでは体がスライムで、食材で。そこそこ会話はできても、ここまで込みいった話を出来る人は居なかった。

 女王にもネブラスカにもまだ話していないこと。それをこの場で伝えても大丈夫なのかと不安は残る。

 そもそもこの世界で、『人間』という存在はどの位置にいるのだろう。


「最下層にある魔獣が、北の女王の小間使いだなんて破格の待遇だ。しかもいまや人型。この短期間でかなり数奇な人生を送ってるよねえ。で? 君の本来の目的は何かな?」

「わ、私は……」

 

 言っても大丈夫なのだろうか。それを言って信じてもらえるのだろうか。

 けれども女王とネブラスカの視線と、医師の鋭い視線に焦りが生じる。どうしよう。もしも人間がこの世界で受け入れられない存在だったら、どうなる。


「陛下、ネブラスカ様。あの、私……」


 もしも人間が、この世界で嫌われる存在だったら、私はまた居場所を無くして彷徨うことになるかもしれない。これまでカルフォビナに来て学んだこと。これから頑張ろうとしていたことが、すべて無意味になる。

 そしてもしもこの関係性が絶たれれば、高い地位にいる二人には、もう二度と会うことすら叶わなくなる。

 心配になって泣いてしまうほど、いつの間にか大切な存在になっていた女王とネブラスカ。

 二人に会えなくなるのは、とても辛い。


「私、本当は」

「君は何者なんだい?」


 最悪な場合を想定して、もの凄く怖くなる。けれど、もう言うしかない。

 そうして口を開きかけたとき、ぽこっと頭を叩かれた。仰ぎみればすぐ隣に女王が居て、余裕の表情で煙管を燻らせている。

 美しい蒼色の瞳は煌めいていて、私と目が合うと長いまつげが一度だけ伏せられてくしゃりと頭を撫でられた。


「────モモコはモモコじゃ。これの立場がどうであれ、今まで通り、カルフォビナの住人だということに変わりはない」

「へい、か……」

「これが何者であっても、わらわが認めた以上、これからもわらわだけの小間使いじゃ」


 まさか女王にそこまで言ってもらえるとは思わなくて、あまりの嬉しさにじわじわと涙腺が緩んでくる。

 どうしよう。思っていた以上に凄く、嬉しい。


「それで良かろう、バーガンディ」

「でもねえ、サフィーアちゃん。管理局長としては、そういう訳には」

「いままで仕事らしい仕事をやってこなかった輩が局長などと甚だしい。人のことを詮索する前に、罪人であるということを自覚せよ」

「罪人って酷いなぁ。僕そんな悪いことしたっけ?」

「不法侵入、偵察行為、ついでに言えば猥褻罪も加えられるぞえ。これだけのことをしておれば、充分に罪に問えるじゃろう。麗しい侍女頭の拷問が待っておるぞ」

「いやいや~、僕だけ特別待遇だなんて楽しみだ。けどねえ、そうせざるを得なかったのはサフィーアちゃんがこのピーチスライムちゃんの所在を隠匿したからでしょう?」

「だから申請をしたと申しておるじゃろう。まったく、管理局長も相当に舐められておるようだの」


 その言葉に医師は片眉を上げ、狼族の男性は嫌そうに眉間にシワを寄せ、女王と睨み合う。


「アクセル。ぬしが想像するよりも、魔王領の下層部は相当に腐りきっておる。関税が前以上に上乗せされておるし、本来北領へ納品されるものが、下層市場を介して他領に横流しされておる。────モモコ。認識票を出せ」

「は、はい」


 兎を避けつつ差し出すと、女王は宝石の部分をスライドさせ、私の個人情報を壁に投影した。

 カルフォビナ城・魔獣職員02番・女王陛下付き小間使いと書かれた下の備考欄には、私がいつ何処で発見され、何日にこの城に役員として登録されたかなどもきちんと書かれている。

 給与明細やこれまでの功績や失態まで詳細にだ。

 いままで銀面しか触ってなかったから解らなかったけれど、まさかここまで記されているとは思わず、自分でも何度も情報面を確認してしまった。……わー、銀杯とテーブルクロスの借金まできっちり。


「この四ヶ月半、まったくそちらに伝わっておらぬというのなら、もしかしたら情報を握りつぶしたか、どこぞに売り渡している可能性もあるかもしれん。わらわの事を言及する前に、己の臣下を懲罰に掛けた方がよいのではないのかえ?」


 真摯な顔で忠告をする女王に狼族の男性と医師は何も言い返さず渋い顔をした。もしかして心当たりでもあるのだろうか。


「さあこれで解ったであろう。モモコは名実ともにわらわの所有物じゃと」


 優しく頭を撫でられ綺麗な瞳で見つめられる。そんな女王の言葉に嬉しくなってうんうんと頷く。


「これから先、これを利用して儲けるのも、虐めて楽しむのもわらわだけじゃ」


 うんうん。────ん? 

 いま儲けるとか虐めるとか危険なワードが聞こえなかったかな。

 あー! そうか! 今日は色々あって気疲れしたから、幻聴が聞こえてきたのかな?

 

「香水の売り上げ六億。化粧品の全体売り上げ十億強。この短期間でこれほど儲けられたのはこやつの成分のお陰。元を取るだけでなく、新たな客層までも呼び寄せる。これはもうただの食材ではない。金をも産み出す稀有な生物じゃ。もしも妃であれば魔王に恩を売って逆らえなくし、その利権を取り尽くすつもりであったがの。それがなくともこやつには充分に利用価値がある」


 あれれー? おかしいぞー?

 利用価値ってなんだろうなー。あんまり考えたくないなー。てっきり小間使いとして役に立ってる系な意味で、引き止められた系かと思ったのだけれども、まさかのピーチスライム系な意味でしたかー。

 しかもがっぽり儲けてる上に、気がついたらシャンパン一本の値段なんかもうちゃんちゃらおかしい系な金額に、もう脳が処理しきれないですよー。

 さっきの嬉し涙から一転、微妙に悲しい涙が出てきそうになりますよー。


「モモコ。安心せい。ぬしのことは死ぬまでわらわがこき使ってやる」


 微笑みながら私の肩に手を回す女王の眼は、まったく曇りのないきらきらとしたものだった。しかし気のせいか目の中には、いつもの星マークではなくトピマークが浮かんでいるように見える。勿論目の錯覚だけれども。


「……あ、ありがとうございます」


 色々複雑だけれども、とりあえず厭われていはいないということでいいのだろうか。そんなに悲しくなる必要はないはずなのに、どうしてか、ここではない遠いところを眺めたくなるのは何故なんだろう。


「良かったな、モモコ」


 けれども親しみを込めてネブラスカに背中をぽんと叩かれるとやっぱり嬉しいもので、女王のさきほどの言葉さえも嬉しくなってしまう。

 カレンから女王の天邪鬼な性格を断片的に聞いていなかったら、完全に誤解していただろう。けれどもしかしたら、これが女王の気持ちの示し方なのかもしれない。

 むしろ一生を安全に過ごせる居場所を貰えたと、喜んでおいた方がいいのかも。

 そうして納得しかけたとき、横からぐいっと腕を引っ張られた。

 

「そうはいかん。この小娘の話は到底信じられるものではないが、この鍵は本物だ。ならばこれは魔王様の預かり物。魔王領の者が育てるのが筋だろうが」


 見れば先程の狼族の男性が側にいて、女王を上から見下ろしている。女王はその態度に腹が立ったようで、眉間に皺を刻むと私の腕をぐいっと引っ張った。

 ……この時点で嫌な予感はしていたのだけれど。


「わらわの物じゃ」

「私の、いや。魔王領の物だ。どちらにせよ貴重種の保護はこちらの管轄だ」

「カルフォビナの所有物としてすでに登録してある。それにぬしは鍵に拒否されたじゃろうが」

「書類上でのことだろう。私は確認していないし、認証印も押していない。それに鍵ならば懐かせればいいだけのこと。カルフォビナ城よりも待遇を良くし、小娘を迎え入れれば事は済む」

「ならば今すぐ確認せよ。職務を怠るでない。というか愛玩魔獣じゃあるまいに、そんなことで懐くか阿呆。これは体こそ魔獣だが、心まで魔獣ではないのえ。もう少し女の機敏を学べ、このド阿呆めが。だからいつまで経っても嫁が来ぬのじゃ」

「う、煩い! お前が手を離せば、すぐにでも小娘を連れて確認に行く」


 ぎりぎりと目を吊り上げて睨みあう二人の男女。

 ああ、これってもしかして、夢にまで見た私の為に争わないで~っていうシーンなんだろうか。

 ……しかしどこをどう考えても、あのシーンを思い出して、喜ぶよりも困ってしまう。

 大岡越前の守の前で、二人の母親が子供の親権を争う有名なアレ。

 腕を引っ張られて痛がる子供の姿を見て、手を離した方が本当の親と判明する、あの大岡裁きの名シーンを……。


「所有権をさっさと渡せ。いまの倍額で買ってやる」

「売るわけがなかろう。この愚か者が」

「……なんだと、この高慢強欲女王。昔から言っているだろうが、そういう人を人とも思わぬ態度をいい加減に直せと」

「後から来たくせにぐだぐだねちねち煩いわ。このお飾り無能宰相が。相変わらず後手ばかりに回っておるのは、その硬い頭と重い腰の所為ではないのかえ? ぬしの下になぞモモコを置いたら、性格が歪んで腐るわ」

「なんだと……ッ!」


 けれど二人とも私の事など構わずにぎりぎり腕を引き絞り、お互いの目しか見ていない。引っ張っているのは、私の腕だということすら認識していないんじゃないだろうか。

 しかも引き絞られていく腕は、波打って捩れてきている。何も言わなければこのまま抜けてしまいそうな勢いだ。


「あ、あの~」

「なんだ!」

「なんじゃ!」


 双方から何故かギロッと睨みつけられて困っていると、ネブラスカが仲裁に入ってくれた。


「お二方とも、これの前で大人げない行動は謹んで下さい。それにモモコの腕が際限なく伸びてしまいます」

「ふん!」

「ネブラスカが言うなら仕方ない」

 

 まさかの大岡越前守なネブラスカに感謝しつつ、際限なく伸びるとまで言われた腕を見る。言われてみれば、微妙に腕が長くなっているような気もしないでもない。

 ……というか、縮むのかなこれ。

 微妙に長さが違ったような両腕を確認していると、足元にころんと転がってきた茶色い毛玉があった。

 見ればリンパギータで、人懐っこい顔でごろごろと足に顔を擦り付けてくる。

 正直いまの状況下には、少々場違いなまでに愛くるしい顔つきだ。急いでいたとはいえ、無断で連れてきてしまったし。ランカスタ夫妻が心配して探しに来る前にちゃんと帰さないと。


「キュルルゥ?」


 けれどもかわいい鳴き声とその柔らかさにほっとして、その背中を撫で上げる。

 かなり気を張り詰めていたようで、リンパギータの体を抱っこしながらほーっと息を付いた。

 私の手を離してくれた後も、まだ睨み合って口論している女王と狼族の男性。そこにネブラスカがやや呆れ顔で仲裁に入っている。

 腕を摩りながらその様子を眺めていると、医師はまだ納得していないのか、首を傾げながら何事かを考え込んでいた。

 けれどそこから視線を外して、リンパギータの柔らかさとつぶらな瞳に和む。

 まだ色々考えないといけないことはあるだろう。

 でも少し落ち着いてこれからのこと、それからいまの状況を整理し……。


「キャアアアアァァーーッ!!!!」


 けれどもその時。歓声とは違う種類の悲鳴が響いた。

 宴の会場の中で明らかにおかしな、恐怖を帯びた絶叫。先程まであった歓声もぴたりと止まる。

 女王はもとよりネブラスカ、先程の男性二人も立ち上がり、闘技場の方を眺めている。リンパギータを抱き寄せていた私は一歩遅れて、その現場を見ることが出来なかった。

 

「陛下?」


 声を掛けるも返事はない。あれほどの歓声がパタリと止んでいることに不審に思いつつ、そこを見下ろして────声すら失った。

 闘技場の中に開かれたのは真っ暗な真っ暗な深淵。

 違う、黒く蠢く何かだ。

 檻を自ら破壊し、次々と中から飛び出してくる生物とも呼べないそれは、うねうねと蠢き所々を鈍色に変える。

 そして次の刹那、空を切って触手を伸ばし、周りにいる人々を捕らえ始めた。


「陛下! こ、これ?!」

「……東の愚王の催しのようじゃ。ここ数十年なりを潜めておったが、ついにやりおったの」

「え?! これってさっきのクロムフォード様がやってるんですか……?!」


 けれどもその催しは先程のように人々が喜べるものではない。

 楽しげな雰囲気から恐怖へ。完全に切り替わってしまった宴の場。人々はパニックを起こし始めて逃げ惑う。

 真っ黒な物体はそんな人達から次々に取り込み始め、その身に納めると体の中にぱあっと色が広がった。

 体の奥で蒼や黄色、緑と花火のように広がるそれは、ただの色ではない。


 なにもかもを取り込まれた瞬間の、命の色。


 それが解った途端にぞっとして、見ていることすらできなくなった。強烈なまでの吐き気と怖気。口元を抑えて呻くことしか出来ない。

 けれども視線を背けたその先に、あまりにも場違いな笑みを浮かべる男性が居た。

 その残虐な光景を殊更に愉しむ人物。黒いスーツに黄色のストールを掛けた男性。

 黒い物体の横にいる東領の王は、自領の民が食われているのにも関わらず、また助けることなく。ただ薄笑いながらその光景を見ているだけだった。


「あの人、正気なんですか……?」

「あれがあやつの本質じゃ。────ネブラスカ」

「ハッ! 退路は確保済みです。避難誘導指示も出しておきました」

「有翼一族は羽を使うなと通達。あれは動くものに反応するようじゃ。怪我をした者から優先的に保護。力のない中層下層の民は絶対に飛ばせるな」

「畏まりました」

「合成魔獣の一種か? ネブラスカ、壁に穴は開けるな。あれが外に出たら、おそらく厄介なことになる」


 ネブラスカは扉の外にいる警備に通達し、迅速に女王と狼族の男性の命令を遂行していく。パニックを起こし始めていた観客は、黒いスーツを着た警備の誘導によってようやく落ち着きを取り戻し、会場の外に向かい始めている。

 けれども黒い物体は複数体おり、人々を取り込んだ後に、更に増殖し始めていた。

 会場の外にいるランカスタ夫妻は無事だろうかと、不安になってくる。


「あのー、宰相閣下」

「なんだその面は」

「……実は散策中にですねえ。アレに遭遇してしまいましてね? もしかしたらまーだ、二三個くらいは悪だくみしているかもしれません」

「何故それを早く言わなかった! 余計なことを増やしやがって!!」

「うわーい。今言われた~……」

「泣き言は聞かん。各入り口部分に狭間を開き、観客を噴水広場まで誘導。後方に医療施設を配置。必要ならば魔王領の人員も動かせ。キリキリ働け!」

「御意~」


 狼族の男性はせわしなく警備の元へ行き、医師は狭間を開いてその身を瞬時に消した。

 いままでにない事が起こっている。あり得ない光景に肌が泡立ち寒気が走る。けれども女王がそこを離れない限り、私も逃げることはできない。

 もの凄く怖いけれど、ネブラスカが忙しいいま、私だけでもお側にいないと……。


「陛下。そちらは危険です。もう少し中程にいらしてください」

「モモコか。ぬしも早く退避せよ。ネブラスカの後についていけ」

「いえ、お側におります」


 さっきみたいな後悔はしたくない。また失うのは嫌で、きっぱりと拒否したけれど、女王にべちっと額を叩かれた。


「場に流されるな愚か者。ぬしがおったとしてもなんの役にもたたん」

「そうですけど、私は陛下の小間使いです! それに」

「我侭を言うな」


 我侭なんだろうか。小間使いな私にはやっぱり何も出来ないのだろうか。

 でもまた逃げるのはいやで、また誰かを置き去りにするのは嫌だった。


「だったら陛下もいらしてください!」

「何をいうておるのじゃ」

「だ、だって陛下! 私一人じゃ死んじゃいます。陛下が一緒に逃げてくれないと駄目なんです。カレン様にも陛下のお側にいろって言われましたし、だから陛下が一番安全なところに移動して下さらないと駄目なんです!」


 情けない理由だけれど、こうでも言わないと女王は動いてくれないかもしれない。女王には一番安全なところにいて欲しいのに、いろんな理由を立てて説得しても、眉を跳ね上げて私の言葉に苦笑しているだけ。

 けれど暫くするとその蒼い瞳が近づいて、女王は私の額にぴたっとその額を合わせた。目の前にあるのは綺麗な星型の瞳孔。それが煌き、徐々に黒い色へと変化する。


「────わらわを信じよ」

「え?」

「ぬしが心配してることくらい解っておる。だがわらわは領民を守らねばならぬ。カルフォビナの王としてその責がある。そしてその守るべきものに含まれているのは、ぬしも同じじゃ」

「あ……」

「だから素直に守られておれ」


 綺麗な蒼い瞳が完全に黒に染まり、ぽんぽんと頭を叩かれて、背中をくるりと向けられる。すると女王は体を竜に変化させて巨大化した。


「そこの護衛」

「ハッ!」

「これを安全な場所へ連れて行け。皆と同じ場所へ避難させろ」

「畏まりました」

「陛下!」

「東の。わらわの前でいい度胸じゃ。ぬしの体もろとも、一つ残らず破壊しつくしてくれる!」

 

 吹き抜けになったその場所から巨大な竜が飛び立ち、咆哮と共に天から一筋の雷が閃く。ビリビリと周囲を切り裂くほどの轟音の後、一番大きく膨れ上がっていた黒い物体が、会場ごと消し炭になっていた。

 半端ないその攻撃力に戰きつつ、煙が舞い上がったその場を見つめる。程なくして見えたのは東の王の姿で、その体にはカスリ傷一つ無い。


「陛下!」

「侍女殿。陛下のご命令に従って下さい」

「でも……うわっ!」


 リンパギータごと護衛に体を抱え上げられて、部屋の中から連れ出される。

 東の王と対峙する女王の姿を目の端に捉えながらも、他の護衛によって扉を閉められてしまい、その姿を見ることはできなかった。

 

「陛下! お願いです。陛下のもとに戻してください」

「何をいうのですか侍女殿。陛下のご命令は絶対です。それに貴女如きに何かができるとでも?」


 護衛の言いたいことは解っている。戦える技も力もない私に何が出来るのか。そう言いたいのだろう。でも私にも何か手助けできることはあるかもしれない。

 ……なにか、なにか。


「せめて、せめてネブラスカ様にご報告してからにしてください。陛下はお強いですけれど、陛下お一人じゃ駄目です!」


 女王を信じていないわけじゃない。けれどどんなに強くても、どんなに力を持っていても、帰って来なかった人を知っている。それが解っていたから余計に心配は拭えなくて、逃げる観客の中でネブラスカを探す。

 人がごった返していてこの位置からではよく周囲を伺えない。それでもなんとか護衛と共に、観客を誘導するネブラスカを見つけて叫ぶ。


「ネブラスカ様!」

「モモコ? 陛下はどうなされた!?」

「闘技場に降りてクロムフォード様と一人で戦っています! ネブラスカ様、お願いです! 早く陛下のもとに!」

「……だが」

「ネブラスカ。ここの指示は私に任せろ。あれの思惑は解からんが搦め手で囚えられれば、サフィーアとて苦戦するだろう。行ってやれ」

「アクセル様。……宜しくお願いいたします!」


 きっちりと頭を下げて、その場を飛び出していったネブラスカ。その背中を見ながら、少しだけ安堵して狼族の男性を見上げる。


「ありがとうございます」

「礼はいいからさっさと安全な場所へ逃げろ。お前にはまだ聞くことが一杯あるのだからな」

「は、はい」


 護衛の人に抱え上げられたまま、そのまま外へと向かう。

 混雑している中に、どうにかしてランカスタ夫妻を見つけたかったけれど、あまりの人の多さにこちらも溺れそうになっていた。

 けれども暫く歩く内に人がまばらになり、閑散な森の中へと護衛が足を向けていることに気がついた。

 皆はいま何処に避難しているのだろう。

 周囲を見渡すも月明かりもない闇の中では、ここが何処なのかも判断がつかない。


「あの。ここは皆さんが避難している場所なんですか?」

「大丈夫です。こちらの方に抜け道があるんですよ」

「そ、そうなんですか」


 ここの案内状を全域把握しているわけじゃないから、警備の指示に従うしかない。けれど行けども行けども人の気配が離れていき、真っ暗闇で光も差さない場所まで来ていた。


「あの、やっぱり間違っているんじゃないですか?」

「いいえ。間違っていませんよ」


 護衛の行動を不審に思ってその顔を見つめる。

 茶色の髪に顔立ちはあまり特徴のない細目で、体つきは青年というよりも少年に近い。私とあまり代わりがない細い体格なのに力強く、こんな長距離を歩いてさえ息が一つも上がっていなかった。

 護衛として鍛えていると言われてしまえば返す言葉もないけれど、流石に不可解に思って手を添えて、あることに気がつく。

 ……この人。息してない。いや、鼓動すらもない。

 しかもその体には正体がなく、ぐにゃっとしていて掴みどころがなかった。

 その瞬間ゾクッと背筋に冷や汗のようなものを感じて、体が勝手に震え始める。


「あの、貴方……」

「大丈夫ですよ、大丈夫」


 護衛の表情はこんな状況下にあっても笑顔だった。

 いっそ怖いほどの笑みを貼り付け、こちらをじいっと見ている。その笑みが徐々にひしゃげ、口が弓なりに釣り上がり細目がぱかりと開かれる。

 その目の中にあるのは白目すら無い真っ黒な瞳。いや蠢く何かが見えて、ぞっとして声を掛けることすら出来なくなる。


「大丈夫大丈夫」


 けれども逃げようとした途端、真っ黒な何かに口を塞がれた。

 目の前にあるのは護衛の腕から伸びた黒いうねうね。

 会場で死んだはずだった真っ黒な物体は、完全に護衛の姿に擬態しておりその言動すらも模倣している。一体いつから入れ替わっていたのだろう。それとも……。怖いことを考えそうになって必死で振り払う。けれども後ろにあるもう一つの気配に、ぞっとするほどに肌が泡立った。

 誰かなんて見なくても解る。

 顔の横に長く垂れ下がる黄色のストール。その色に確信し、体が異常なまでに震えた。

 なんでここにいる。陛下と戦っていたはずじゃなかったのか?


「あーあ。結構高かったのによ。あっさり殺されちまうんだもんな、残念残念。まあ結果的に欲しいもんが手に入ったから良かったか? よくやったなクロスケ」

「オン!」


 人の口でまるで犬のように叫ぶ黒い物体に驚き、必死になって身を捩る。けれども上から抑えつけられ、更に体の動きを封じられてしまった。


「……ッ!」

「おおっとぉ。動いたり騒いだりすんじゃねえぞ? ────じゃねえと殺しちまうからな」


 首の後ろ、髪の辺りに指が滑らされ、黒い小さな蜘蛛のようなものが私の目の前に晒される。それを確認する前に手の中で握りつぶされ、さらりと霧散した。


「念のために仕掛けておいてよかったぜ。あの高慢女王は隙がねえけどお前に付けるのは簡単だったからな」


 どういうことだ? いままで一体何を付けられて……。

 

「しっかし、これがホントに食材なのかね? まあ食ってみりゃ解るか」

「────ッ!!」

 

 背後からがりっと首筋に歯を当てられる衝撃の後、耳元で何かを吸う音が聞こえる。

 それは自分の体液が吸われている音で、そんなもの聞きたくないのに、飲み込む音まで聞こえてきて耐え切れないほどの恐怖を感じた。


「……甘ったるくてまじぃ」

「んーーッ!!!」

「あばれんじゃねえつってんだろ。まあいいや。味は気に入らねえけど、クロスケにやれば喜ぶだろうしな」


 私の首にするりと黒い触手と、白い両の手が這わされる。まるで蛇が這うような、ゆっくりとした感触に怖気が走る。

 けれど腕の中でリンパギータが威嚇しようとしている事に気がついて、それだけは必死になって宥めて抑えた。


「んんー……」

「……キュー」


 この人は危険だ。いまリンパギータが動けば、躊躇うことなく確実に殺すだろう。恐怖に飲み込まれそうになる気持ちをなんとか押しとどめ、リンパギータを守るようにぎゅっと抱きしめる。


「意外に馬鹿でもねえのか、ふしゃふしゃのフシャ。いや、ピーチスライムのモモコだったか?」


 くつくつと喉の奥で笑いながら、その人は背後から私を抱き留め、肩口に頭を埋める。

 これだけの状況を作り出しておいて、それでもなお笑えるその思考が理解出来ない。その笑い声が体に響くたび、いつ体に歯を立てられるのかと震えが止まらなかった。


「ああ、そうだ。これも外しとかなきゃなぁ」


 貼りつくように手が首に這わされ、黒いチョーカーと認識票を抜き取り、石畳に放り投げる。

 女王から貰った迷子札と、認識票。私が小間使いになった時にくれた証が、手を伸ばした瞬間、目の前で真っ二つに割れてしまう。


「ッ……!」


 東の王の足がそれをぐりぐりと踏み潰し、綺麗に磨かれた銀面を汚す。

 まるでこれまで頑張ってきたものが、一瞬で砕けてしまったような、そんな気がして、耐え切れなくて涙が零れた。

 なんでこんな酷い事ができるんだろう。この人には大事なモノがないのだろうか。だからあんなことが出来るのだろうか。


「あ? なんだ。泣いてんのか。スライム如きでも泣くんだな」

「んん────!!!」


 遠くに見える会場の方へ、二人の方へ必死になって手を伸ばすのに、真っ黒な物体に顔面を覆われ、何もかもが見えなくなる。何もかも覆い隠される。

 声すらも出せないその恐怖の中で、クロムフォードの笑う声だけが酷く耳に残っていた。

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