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3-16:冥夜の宴6

 勢い良く石畳を駆け上がって最上階までたどり着く。

 上がる息にも構わず、警備の静止も振り切って飛び出した先で、生きている二人を確認して涙が出た。

 途中で何かにぶつかってコケたけれども、いまはそんなことどうでもいい。


「陛下陛下陛下!」

「煩いぞえ、モモコ」


 そうしていつもの応酬と共に、女王に呆れた目を向けられ、ネブラスカに怒られ。けれども一つも欠けていない二人の姿を見てとてつもなく安堵した。

 良かった、生きてた……。

 けれどすぐに罪悪感が沸き起こり、ふかふかしている絨毯に頭を打ちつけて心から謝罪する。


「たいっへん! 申し訳ございませんでした!」

 

 私が直接したことではないけれど、もしも女王に一言告げていたら起こらなかったかもしれない事態だ。一歩間違えたら本当に死んでたかも知れない。そう思うと怖くて堪らなくなって、今頃になって体が震えてくる。

 それでも謝らなくちゃと顔をあげたところで、まったく知らない人が視界に入ってきた。


「あれ?」


 ふさふさの銀色の毛並みに、ぴんと立った三角耳。毛に覆われた顔面に、犬みたいにしゅっと尖った口元。その天辺には黒い鼻先がピカっと光って、細いヒゲが数本生えている。全身にまで広がる艶やかな毛並みは、まるで上質の絨毯に座っているようで、触り心地もかなり良い。

 というか実のところ、いままで絨毯だと思っていた。

 盛り上がった筋肉は大きくて、私の2倍の幅と厚みがある。その奥にある理知的な蒼い瞳が静かに瞬き、こちらをじいっと見つめていた。

 よくよく見れば、その姿は闘技場で見た狼族の男性。

 しかも私がコインを賭けた選手で、そんな人が何故か私の下にいる。でも何故下にいるのか意味が解らなくて、首を傾げるも答えなんて出てこない。


「ブハッ! も、もう無理! 耐えられないッ!!」


 聞き覚えのある声にそちらを見れば、腹を抱えて笑い転げだした医師がいて。その横には警備に何かを言い含め、静かに扉を締めたネブラスカが見えた。

 けれども何故かネブラスカはこちらに哀れんだような顔を向け、女王を見ればそっぽを向いたままに肩が微妙に揺れている。

 ……ええと、これはどういう状況?


「バーガンディ……」

「アハハハハッ! アハッ! ああ、すみません。閣下。あまりにもぴったり、こう、彫像みたいに、一体化してた、もんでッ!」

「……後で覚えていろ。それとお前、落ち着いたのならそろそろどいてくれ」

「も、申し訳ございません! ひ、人様の上に乗っているとは露知らず! あまつさえ土下座で失礼ですみません!」


 先ほどぶつかったのはもしかして、この人だったのか?!

 慌ててその体から降りようとして、けれども重心を取れずに後ろに転がる。見れば背中に何故か張り付いているリンパギータの姿。あまりに急いでいたから一緒に連れてきてしまったようで、私の背中に圧し潰されて苦しそうに呻いている。


「ギュエー……」

「ああ、リンパギータちゃん。ごめんなさい。後ろにいるとは知らなくて」

「小魔獣を気遣うのはいいが、とりあえず上から退いてくれ。それから騒ぐな、耳に響く」

「は、はい。いますぐ退きます」


 足の間から呆れたような声が掛かって、慌ててスカートを抑えながら足をどかして倒れている人の横に正座する。

 けれども狼族の男性にどう対応していいかも解らず、リンパギータを抱えながら顔を伏せることしかできない。

 ランカスタの話を聞いてテンパッていたとはいえ、かなり失礼なことをしてしまったようだ。

 

「モモコ。そんな所に座っておらんで、わらわの下に来い」

「は、はい」


 女王の声にほっとして、でも香水のことを思い出してすぐに気まずくなる。

 女王は怒っているだろうか、ネブラスカのことを心底嫌いなわけじゃないだろうけれど、匂いに影響されたなんて知ったら……。

 でもちゃんと言わなくちゃいけない。ソファに座る女王の顔は何故か無表情で怖かったけれど、リンパギータをぎゅっと抱きしめながら側に近寄る。


「陛下、あの……まず一つは、勝手にお側を離れて申し訳ございませんでした」


 女王は無言のままにこちらを見ていた。ひさしぶりに向けられた凍るような威圧感に緊張しながらも言葉を続ける。


「それとシャンパンの値段のこととか、香水の開発のこととか。私、そんなにお金が掛かるだなんて知らなくて、城の人が解雇申請を出していたこととかも全然……。あの、それで……」


 上手く気持ちが伝えられなくて、もつれそうになる舌をなんとか動かす。


「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした!」


 もう一度しっかりと頭を下げる。怒鳴られるだろうか。それとももう、嫌気が差してしまっただろうか。緊張感に息が詰まりそうになりながらも、深く深くお辞儀をする。

 灰皿の上でカツンと鳴るその音、しばらく沈黙が続いて怖くなる。

 声すら掛けられない静寂に不安になりかけた頃。


「ぎゃん!」


 勢い良く頭にゲンコツを食らった。痛くはないけれど、全身が痺れるほどの衝撃にびっくりして、リンパギータを落としてしまう。恐る恐る顔を上げれば女王は呆れたようにため息を付いて、私の頭をぐりぐりと撫でた。


「小間使いとしての役目を放棄し、側を離れたことを咎めぬわけにはいかぬからの。一発で許してやる。それとな。書き置きを残すにしても、もう少し読める字で書け」


 差し出されたメモを確認すれば、確かにミミズののたくったような字が書かれいた。しかもかなり焦っていた所為か『へいか、そと、でます。ももこ』だけ。

 電報にしてももっとマシな文章があるだろうに。あまりにもアレな文面に自分でも恥ずかしくなって、謝りながらメモを隠すように手元でくしゃくしゃにした。


「それに箝口令を布いておったというのに。どうやら城の内部に口の軽い奴が居たようじゃの」

「そ、それは違うんです! 相手の方は私がピー……じゃなくて、新人の侍女だと思ったから教えて下さったんだと思います。その人から香水のこととか、匂いを嗅いだら大変なことになるって聞いて……」

「それで慌てて帰ってきた、というわけかえ」

「はい……」


 呆れたような女王の声に申し訳なくなり、顔が見れなくなって徐々に俯く。すると顎にひょいっと手を掛けられ、無理矢理に視線を合された。


「いちいち情けない顔をするでない」

「で、ですが一歩間違ったら共食いになるかもって言われて……。もしもお二人が居なくなってしまうと思ったら、居ても立ってもいられなくなって」

「モモコ……」

「せめて事前にお伝えしておけば、ネブラスカ様が一夜限りで捨てられることにはならなかったんじゃないかと……!」

「モ……」


 女王の普段からのネブラスカへの態度を見ていれば解る。今回のことはちょっとした間違いというか一夜限りの過ち的な意味で、あっさり忘れ去られ。明日からはまた泣く泣く街頭演説しながら投げ銭を貰う、ネブラスカの寂しい姿が目に浮か……。 


「モモコッ!! お前は先ほどから私に何か恨みでもあるのかッ!?」

「え? なんでですか?! そんなことありませんよ? むしろ今後の事を心配して……」

「嘘を付け! このトンチキお馬鹿娘が!」

「ひ、ひがいますっふえばぁ~ッ!」


 額に青筋を立てたネブラスカに猛烈に怒られ、両側の頬をぶにーっと引っ張られる。

 痛いよりも微妙なくすぐったさに身悶えしつつ、ネブラスカのぶにぶに攻撃に耐えていると、女王がこちらを見てぷっと吹き出した。そのうちに腹を抱えて笑い出し、ソファの上で捩れている。


「ほんっに馬鹿じゃの……ッ! 香水のことなぞ、ここに来る前から気がついておったわ」

「え?! そ、そうらったんれすかッ?!」

「うまく抑えてあったがの。わらわが気が付かぬわけがなかろう」

「……え、でもネブラスカ様と……は?」


 ネブラスカや他の人には聞かれたくなくて、ソファに正座して耳元で小さく告げると、女王は涙目になりながらゲラゲラ笑う。


「ぬしをからかっただけのこと。ちょっとした遊びだったものを、いきなり飛び出していくから何事かと思ったぞえ」

「からかった、だけ?」


 本当なのか確認したくてネブラスカを仰ぎ見るも、まったくこちらの方を見ない。けれどもその太い首や耳が真っ赤に染まっている。

 それってどういう反応? 結局ホント、ウソ? どっちなの??

 よく解らなくて首を傾げると、今度は女王にまで頬をふにっと引っ張られた。


「香水のことについてもカレンが仕込んだことじゃろう。というより、わらわが気が付くのを見越した上でぬしに吹き付けたのじゃろうな」

「で、でもカレン様は何故そんなことを?」

「あれは早くわらわが子を産み落とし、次代を育てたくて仕方がないのえ。ぬしはそれに利用されただけじゃ」

「こ、子供……」


 まさかの理由に本当に驚いて、女王の真っ平らなお腹をじいっと見てしまう。あの時はなんのことか解らなかったけれど、城が賑やかになるっていうのは、そういう意味だったのか?

 だからといって、女王の意志を無視してまで、そんなことをするだなんて正直かなり驚きだった。というより今度は逆に、カレンの方にお咎めがないかが気に掛かる。


「あの、陛下。この事が原因でカレン様が処断されたり、ということはないですよね?」

「カレンにもそれなりの罰を与えねばならぬ」

「そんな……」

「心配せずともそれほど酷い目には合わせぬ。だがネブラスカを捨てる件については悩むところじゃの」

「そこは悩まないで下さい、陛下」


 ネブラスカがげんなりとした顔で肩を落としている姿を見て、ようやくいつもの雰囲気に戻ったことに安心した。

 そうして顔をあげたところで、向かいに立つ狼族の男性と金髪眼鏡の医師が目に入る。扉の前で二人が並びこちらを見つめているのだけれども、医師の方は度々吹き出しては狼族の男性に脛を蹴られていた。


「────話し合いは終わったか、サフィーア」

「ああ、待たせたの。これはたまに状況が見えぬ時があってな」

「見ていれば解る。詳細については後で聞こう。だがその前に、私は本人の口から事の真偽を聞き出したい。構わないな、サフィーア」

「仕方ないの」

「陛下? あの一体どういう……」

「モモコ、これと対面した以上は、隠し通すことなどできん。ぬしが知っていることを正直に話せ」


 女王の真摯な瞳に驚いて、けれども首を傾げる。正直に言えってなんのことだろうか。まだ報告してない事だなんてないような。

 けれども考えても考えても思いつかない。女王の好きなテルネ茶は今月分発注済だし、ゴールデンハムスターな鉄製巨大ぬいぐるみは部屋に送り届けたし……。


「陛下」

「なんじゃ」

「まったく思い当たりません」


 すっきりきっぱりと言い切ると、女王は何故か脱力したように肩を落とし、ネブラスカは片手で額を抑えて唸ってしまった。


「……まあの。ぬしは隠し立て出来るほど器用な性質ではないし、むしろ人に利用されても気がつかぬくらいじゃからの。もう見せたほうが早いわ。ぬしが持っているふしゃふしゃを出せ」

「え? はい、わかりました」


 胸元からふしゃふしゃこと、兎のストラップを取り出して渡すと、女王は狼族の男性をちらりと見やる。近づいてきた狼族の男性にそれを差し出す前に、きゅっと手の内で握った。


「ひとつ言っておくがの」

「なんだ」

「壊すでないぞ」


 女王の言葉にぎょっとしながらお守りの行方を見守る。狼族の男性は女王とどういう関係なのか。名前を呼び捨てにしているということは親しい間柄なんだろうけれど、壊されると聞いたら落ち着いてはいられない。そうしてハラハラしながら、男性の仕草を眺めていると、兎をぷらんと爪の先にぶら下げたままに眉根を寄せた。


「おい。これは……」

「あの鬼畜が持っていた印なのじゃろう? 実物を見るのはわらわも初めてじゃがの。義母上が残した記録を漁ったら合致した」

「ユーフェミア様が残した予言の石碑か?」

「ああ。ご丁寧に書き付けまで残しておった。わらわの統治のおり、『もしもこの金の鍵穴を持つものが現れたら、その者の要望を聞き入れ、大事に取り扱うこと。その者はこの世界を担う大切な柱となる』とな」


 何を言っているのか意味が解らない。これはあの人から貰ったただのお守りのはずで……。

 けれどもその言葉を聞いて狼族の男性はため息を付き、何故か医師は嬉しそうに床の上でくるくると踊り回っている。ネブラスカにどういうことなのか聞きたかったけれど、複雑そうな顔でこちらを見ているだけだった。


「陛下? あの、一体これはどういうことなのですか?」

「聞いておったじゃろう? 大切な柱────つまりはその鍵の真の持ち主こそが次代の魔王じゃ」

「ま……おう?」


 魔王。魔王ってなんだっけ。確かあれか。蝙蝠の翼とネジ曲がった変な角が生えてて、顔がもの凄く怖くて、紅い口をぱかーっと開けると鋭い牙がいっぱい生えてて。昭和のヴィジュアル系ロックバンドのような格好して、悪の中の悪でその親玉で。

 でも最終的には田舎出身の勇者の特殊攻撃技か、神々のご加護を授かった伝説の勇者の剣でバッサリやっつけられるんだけど、倒した後になって実はダークサイドに落ちた勇者の兄でしたー!とか、勇者がトラウマになりそうな事が発覚しちゃったりする、あの……。

 事実を受け入れたくなくて、色んなジャンルが混じったような気がするけれど、まさかその魔王ですか!?


「嘘ですよねッ!? 陛下もネブラスカ様も、またからかっているんでしょう? 私が王様だなんてそんなこと」

「なにを言うておるのえ? 誰もぬしが王だとは言っておらぬじゃろう?」

「へ?」

「ぬしはカルフォビナに来たおり、こう申しておった。それは預かりものじゃ、とな。つまり真の持ち主こそが王であり、それを譲渡されたぬしはすなわち────」

「すわなち?」

「妃、つまり嫁じゃの」


 よ……め……。

 あまりのことにぽかんとしてしまって、思考が追いついていかない。嫁って誰の。魔王の嫁。でも魔王って誰。魔王はこの鍵の所有者で、それを預けてくれたのは。


「う、うそぉぉおお!!!」

「うむ。嘘じゃ」

「へ? 嘘なんですかッ?! どっちが本当なんですか?!」

「鍵と王の話は本当じゃ。わらわも初めはぬしがそうなのかと勘違いしておった。だがぬしの様子をこれまで見てきたが、鍵の主と連絡を交わした様子も無いし、色恋に発展する気配すら無い。むしろぬしは呑気に見合いをしておったじゃろう?」

「あ、う……」

 

 なんとなく、お見合いしたことを咎められているような気分になって、言葉に詰まる。そんなこちらにも構わず、女王はその艶やかな唇に煙管を咥え、緩やかに煙を吐き出した。


「となれば、その所有者とぬしが縁戚関係にあるか。もしくはぬしがあまりにも頼りないから渡した、というのが大方の理由なのじゃろう」

 

 的確な推理の後、女王に同意を求められて、おもいッきり肯定の意思を示す。確かあの人がくれた理由は「心配だから」だ。そもそもは私が城に着いてから食べられないように、と渡してくれたお守り。

 そんな嫁だとか。嫁……。あの人のお嫁とか。嫁。


「お、お嫁さぁん……」

「────そんなことは有り得ない」


 冷えた言葉がグサッと胸に刺さって、微妙にヘコみながらそちらを見れば、ぎゅっと首を握り締められた小さな兎。狼族の男性がもの凄い形相で、兎のお腹を見つめている。


「鍵を切り取る」

「えッ?!」


 手の内でぎりっと絞めつけられる兎はいつも以上にくたーっとしていて、そんな正体のないお腹に狼の鋭い爪先が迫る。もしかしてこのままお腹を抉られて鍵を取られてしまうのだろうか。

 これまで大事にしてきたお守りを? あっさり失ってどうするの?


「そ、それだけはやめて下さいっ!!」

「寄るな小娘、危ないだろうが!」

「だ、駄目です! それを壊されたら困ります!」

「大丈夫ですよ。兎なら縫い付ければまた元通りになりますし」

「そういう問題じゃないんですッ!」


 医師の言葉が頭にきて思わず叫ぶ。

 たとえ縫えば戻るからといって、「じゃあ取ってください」なんて差し出せるわけがない。

 その兎も揃ってはじめて、あの人がくれたお守りなのに。それを奪われたくなくて精一杯、腕を伸ばして狼族の男性に張り付く。けれど欝陶しそうに振り払われて、床に尻餅を付いた。


「ッ!」

「鍵さえ取ればちゃんと返してやる」

「だ、だめ!!」


 狼族の男性は兎のお腹にある鍵穴を取り去ろうと、その鋭い爪をぴたりと鍵に当てる。

 ……嫌だ。こんなの絶対に嫌だ。

 いまだってぎりぎりなのに、それまで取られてしまったら、もう……。

 泣きそうになって目を覆ったとき────。


「ぐふッ!!」

「だ、大丈夫ですかアクセル様?!」

「え?」


 周囲の声に閉じていた目を開けると、狼族の男性の顔にめり込んでいたのは、小さな兎の鋭い蹴り。

 銀の杯を壊して以来、まったく動かなかったのに、目の前でその体が軽やかに動いて狼族の男性の体を蹴り倒していた。


「がッ! このッ! やめろッ!」

「え……?! ちょ、ちょっと?!」


 いつもと同じく俊敏に動くその体は、的確に狼族の男性の顔を蹴り上げ、蹴り落とし。ついにはその小さな体で、巨体を地に沈めてぐりぐりと踏みつけた。

 なにがって狼族の男性の頭部をぐりぐりとだ。


「なんなんだこの鍵はッ!!」

「あーあ、確認を怠るからそうなるんですよ。閣下」

「煩い! 見ていないでこの鍵を拘束しろ、バーガンディ!」

「何言ってるんですか。閣下が制御できないものを、僕が制御できるわけないじゃないですか。しかし凄いですねえ。こんな小さな体で閣下を一息に打ちのめすだなんて」


 医師はにこにこと口元に笑みを浮かべながら兎に近寄り、その体を観察する。しかしその間合いに入った途端、兎は医師目掛けて蹴りを繰り出し、地に沈めた。

 小さな体なのに相変わらずもの凄く強い。体が柔らかく軽い為か、あらゆる角度から蹴り上げ蹴り下げ、最後にその背中をふみふみする。


「……こ、これは、結構。キツイ……ですね……」


 兎のお守りはこちらに真っ赤に発光する目を向けながら、くるくるとその場で踊り回る。けれどその間も、医師の背中を踏みつぶすことはやめなかった。

 もうどう対処すればいいのかも解らず、女王の方に救いの手を求める。


「陛下。これ、一体どうしたら……」

「マヌケな顔をするでない。一言命令すればよいのじゃ」

「でも、なんて言えば」

「『やめろ』もしくは『徹底的に蹴り倒せ』。その鍵は恐らくぬしの言うことしか聞かぬ」


 本当にそうなのだろうか。半信半疑ながらも制止の声を掛けると、二人の男性を交互に蹴り続けていた兎の足が本当にピタリと止まった。

 先程の凶暴さはなりを潜め、まったく普段と同じ愛くるしい瞳を向けてくる兎。

 軽やかなステップでくるくると踊り、飛びついてきた小さな体を抱きとめながら困惑に呻く。

 蹴られていた狼族の男性の毛並みはボサボサで、医師の白衣も蹴りによってボロボロになっている。どれくらいの衝撃があったのか解らないけれど、二人とも痛みで撃沈しているようだ。

 

「へ、陛下……この鍵一体どうしてしまったんでしょうか?」

「おそらくではあるがの。長く一緒にいたことで、ぬしを主と勘違いしておるのではないのかえ?」

「主? でも私は……」

「もちろん憶測にすぎぬ。だが鍵の所有者、つまり現時点ではモモコこそが王の代理人とも言える。その鍵は王、もしくは王に連なる者を守るように認識されておるようだからの」


 王の代理人? あり得ないと思いながらも眺めていれば、なんだか嬉しそうに小首を傾げてそわそわする兎。どうしたのかと見ていれば、突然両腕を広げて私の胸元にすりすりと抱きついてくる。

 一体いつの間にこんなに懐かれてしまったのだろう。そのまま放っておくと小さな手足を使ってワンピースの中に潜り込み、腕だけをちょこんと出して胸元に納まった。どうやらこの位置がお気に入りらしい。


「え、えーと? ……この勘違いってどうやったら解けますかね?」

「しらぬ。それこそ鍵を渡した奴にでも聞け」


 女王はそう切り捨て、倒れている狼族の男性の前にしゃがみ込む。そしてその頭を片手で掴み上げ冷徹な視線を向けた。


「小娘に容易く押し倒され、鍵にも拒否され。最高に無様じゃの、アクセル」

「…………糞!!」


 悔しげに呻く狼族の男性に、女王は高らかに笑って身を翻す。


「鍵に拒否された以上、ぬしは鍵の所有者としても、これの後見人としても相応しくない」


 アクセルと呼ばれた男性は女王の言葉に悔しそうに顔を歪めた。もの凄く辛そうな顔で、なんだかこちらの方が悪いことをしてしまったような気にもなってくる。

 それでも女王を睨みつけると床の上から立ち上がり、私に鋭い眼光を向けた。


「私はお前を王とも、代理などとも認めない!」


 魔王領ということは、この人がもしかしてあの女王の言っていた人なのだろうか。一万年も長い時間を支えてきて、魔王という人を待ち続けた人。

 その瞳は真剣で、鬼気迫るものがある。そんな人からすれば、ぽっと出の私が代理とか言われても納得できないし、腹も立つだろう。

 そもそも件の人物が帰って来ていないのに、そんな話をされても対処に困るだけだ。小間使いになって今の生活にもようやく慣れてきたというのに、そんな大役なんて到底務まらない。

 それでも混乱しそうになる頭を必死に動かして考える。状況に流されて履き違えるのは良くない。


 頭の中にちらつくのはあの人の姿。


 胸の前にある小さな兎を抱きしめ、本当にそうなのかと悩む。あの人が本当に魔王なのかは解らない。けれど少しの間だけ側にいた時の事を思い出し、その言葉を手繰り寄せる。

 あの時なんて言っていた? 知り合いに会いに行くはずじゃないのか?

 じゃあ知り合いのはずの目の前の人は、何故こんなに辛そうな顔をしている?

 それとも知り合いじゃないのか? まだ出会えていないのか?

 疑問がぐるぐる回る。でも考えなくちゃいけない。考えても解らないと放棄していた今までのことを。

 そしていまの私でも出来ること。目の前で辛そうな顔をしている人に言えることは……。


「私は魔王様の代理人でも……お、お嫁さんでも……ありません」

「モモコ」

「陛下。差し出がましいというのは重々承知しているのですが。魔王様が居なくなって一万年経っているんですよね。そんなにも長い時間待ち続けている人に、誤解させたままなのは、……やっぱりいけないことだと思うのです。私だって陛下やネブラスカ様が突然いなくなったらどうしようって、泣いて騒いで必死になりました。こうやって探しに来るくらい、この人にとって魔王様は大切な方なんですよね?」

「モモコ、お前……」


 たった四ヶ月半、と言われてしまえばそれまでだけれど、私は待つ間の寂しさを知っている。どうしているのか心配になって、落ち着かなくなる気持ちも。

 多分この人にとって、魔王という存在はそんな位置に居る人なんだと思う。

 もしかしたら見当違いかもしれない。けれどちゃんと否定もしないでずるずると引きずるのは、やっぱり良くない。


「貴方の思っている人と同じ人かは解りません。けれど私はここに来た当初、ある人と一緒にいました。ピーチスライムという存在が食材で、この世界では生きて行くのは難しいということ。ここで生きるための術を教わって、その人に紹介されて、このカルフォビナ領に来たんです。この鍵はその人から与えられたお守りのようなもので、……預かり物にすぎません。この鍵を提示したからこそ、女王に召し抱えられて、現在まで生きながらえてきたんです」

「その人物とは誰なんだ!」


 言いづらい。もの凄く真剣な目を向ける人に対して、この一言は非常に言いづらい。猛烈な勢いで怒られそうな気もしたけれど、慎重に、はっきりと告げる。


「────……く、熊のぬいぐるみです」


 この一言の後、やっぱり目の前にいる人が猛烈に怒りだしたのは言うまでもない。

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