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3-15:冥夜の宴5

 閉め切りにされたテントの中は、意外に質素なものだった。簡素な木のテーブルと椅子が四つ、そして商品の入った箱が二三個積み上げられているだけといった様相だ。ただ空箱が山のように積み上げられているから、商品の売れ行きは上々らしい。

 その中の椅子の一つを示されてリンパギータと一緒に座る。何度も下ろそうとはしたのだけれど、全然離れないので仕方なくご一緒してもらうことになった。

 マリエッタは先程よりも態度を軟化させてくれて、ヨダレ拭き用のタオルと共にお茶まで淹れてくれる。

 ……どうやら浮気相手という疑惑は解けたみたいだ。

 それにお礼を言って顔を拭きつつ、向かいにいるランカスタを仰ぎ見ると、腕を組んで何事かを思案していた。

 

「うーん。なにから話せばいいかな」

「あの、差し支えない程度で構いませんので」

「……キュー」

「え? わ、ごめんなさい。リンパギータちゃん」


 気がつけばテーブルに前のめりになっていたらしく、リンパギータを椅子とテーブルの間に押しつぶしてしまったようだ。体が痛いのかと慌てて摩れば、ぐるぐると喉を鳴らして更に体を伸ばしている。

 どうやら痛いのではなく、腹を撫でろという意味らしい。

 いまはそういう状況じゃないことは解っているけれど、でーんと膝の上で広げられたふかふかのお腹を撫で、リンパギータの嬉しそうな顔を見ているうちに、私の気持ちも段々と落ち着いてきた。


「……解った。じゃあ作られた理由からにしようかな? 少し長くなるけど、時間の方は大丈夫かい?」

「はい。大丈夫……だと、思います」


 女王とネブラスカのことは気になるけれど、まだ大丈夫だろう。瞬時にあの場面を思い出して少し顔が熱くなりながらも頷くと、ランカスタはマリエッタを隣に迎えてゆったりと椅子に座りなおした。

 

「元々の原因は、ピーチスライムが体を洗うことに使うシャンパンがかなりの高額だったことからだね。経理は出費に頭を悩ませ、貴重な資源をそんなことに使うなんて問題だ、って厨房からも不満の声が上がってね。意見の合致した二つの部所が、連名でピーチスライムへの解雇申請を出したのが事の発端だったかな」


 突然飛び出した解雇の言葉に驚いて、ぎゅっとリンパギータの腹を掴んでしまう。リンパギータに抗議されて謝りつつも、状況が飲み込めなくて思考がぐらついた。それでもランカスタの言葉をようやく飲み込んで、乾いて貼りつきそうになる口を動かす。


「か、解雇って……本当、なんですか? それにシャンパンってそれほどに高いものなんですか!?」

「うん。一本辺りだいたい一千万。それが毎月一本となればピーチスライムを雇っている限り出費が続くことになる。働き始めてもう四ヶ月半になるから、すでに四千五百万弱の損失だね」

「そ、そんなに……」


 四千五百万。自分の給料を全部つぎ込んでも支払えない損失額に、目の前が一瞬真っ暗になる。

 個人的な感情を言えばやっぱり悲しい。けれど客観視に、もしも城の内部の人間がそんな高額出費を生み出していたら、と考えれば確かに解雇もしたくなると思う。

 

「魔王領から特別取り寄せているものだから、入手もかなり困難らしくてね。関税が安くなればそんな問題も多少は無くなるんだろうけれど、まあまず無理だ。その高額出費をどうにかして埋めつつ、再利用できないかって考えた末に、陛下が開発部に作らせたのがその香水なんだって」

「陛下が……」


 そんな話、全然聞いたこともない。知らないうちに自分の体の一部が使われていたことは結構……いや、かなりショックだった。けれどそういう理由があって使われたのなら、仕方がないとも思う。

 それよりも人様に迷惑を掛けていたことの方が問題だ。働いて城に貢献するんじゃなくて、高額出費を産み出すなんて、完全なお荷物じゃないか……。

 城の住人が優しくなっていく中、経理と厨房の人達だけは当初と変わらぬ態度を貫き続けているのは、もしかしてこういう理由からだったのだろうか。

 考えれば考えるほど過去の出来事を思い出し、気分が徐々に下降していく。


「あ、あの。それで、経理と厨房の方々は納得してくれたんですか? 香水の方の売り上げは?」

「もの凄くいいよ。試作品段階で香水の評判が良かったせいか、ピーチスライムの成分が他の化粧品にも加えられてからは、そっちの売上も激増したって開発部主任が昇給したって散々自慢してたからねえ。いまでは元を取り過ぎているくらいじゃないのかな。まあその経過を見たのか、経理の方は納得して申請を取り下げたようだよ」

「そ、そうですか。良かった……」


 一つの部所だけでも取り下げてくれたのは有り難い。

 厨房については料理長であるシュトルヒを納得させない限り、なかなか取り下げられることは難しいだろう。

 けれどもひとまずはその結果に安堵し、それと同時に女王と開発部の人々に猛烈に感謝した。

 私の知らないところで、本当に色々考えていてくれたんだなぁ……。

 体の一部を使われたことにはまだ少し戸惑っているけれど、誰かの役に立っているならそれほど悪いことではないはずだ。

 そうして少し安心して顔を上げると、ランカスタは妙に含みのある笑みを馳せながら言葉を続けた。


「でもねえ。その話にはまだ続きがあるんだよ」

「続き?」

「最初はただの香水だったんだろうけれど、研究の成果が出過ぎちゃったのかね。人のある感覚を揺さぶる効果があるんだってさ」

「感覚? それはどんなものなのですか?」

「確か恋情効果だったかな。意中の相手と恋に落ちるってのが売りらしいけれど、────あれはどう考えても媚薬だね」

「……………………え?」


 びやく? びやくってなんだっけ、一体何に使う薬だったっけ?


「最近の研究で解ったことなんだけれど、ピーチスライムの体から放たれる匂いには、愛欲を異常に高める効果があると実証されたんだ。本来の目的としては、その匂いで被食対象をおびき寄せたり、意識を酩酊させて食べる為だと考えられているんだけれどね」


 あいよくってなんだっけ。辞書ないかな、辞書。ア行とハ行を開いて調べなくちゃいけない。文字は知ってるけれど、似た読み方で文字も意味も違うものがあるかもしれないし。というかあって欲しいし。


「ピーチスライムはスライムの亜種だから、そんな特殊能力があっても、基本能力値が非常に低い。皮肉なことにその匂いこそが仇となって、どうやっても食べられる側に回ってしまうんだねえ。少し前に本物に直接会う機会があって、過去の記述も調べてみたんだけど、過去に発見された21匹はすべて上層階の方に食べられてしまったそうだよ。城にいる22匹目も、周り全員捕食者という状況下でよく生きていると感心するくらいで……おっと、ちょっと脱線したかな?」

「い、いえ……。周り全員捕食者ですか。ま、まあそうですよね……」

「まあとにかくその効果を応用して、作った香水がピーチコロン。もっともほとんどの香水には、薄めた成分が入っているだけで効力はあまり無い。けれど今回展示会に出したものは全然違う。匂いを嗅いで数時間経つと、もう異性と抱き合わずにはいられなくなるピーチコロン・改へと進化……」


 滑らかに放たれる衝撃的事実に、どう反応していいのか解らない。

 自分から申し出た事とはいえ、出来ればもうその口を閉じて頂けないでしょうかと、心の底からお願いしたいくらいなのだけれど。ランカスタの口はまるで研究者としてのスイッチが入ったように、留まることを知らない。

 しかしその口を閉じようと動いた人物が居た。

 会話の途中でランカスタの背後に仁王立ちした人物。ランカスタの両肩に静かに手を置き────否、握り締め、にこやかに額に血管を浮き上がらせている奥様である。


「 ど う し て ! 食品開発部にいる貴方がその匂いを知っていて、そんな効果があることを把握しているんですの!?」

「ん~? 共同開発者として参加してたアズラミカ女医が試作品を少し分けてくれたんだよ。奥様と一杯仲良くしてくださいね~って。君もいい匂いだって喜んでただろう? 開発部の知り合いにもさっき成分表を見せてもらったけれど、あれは体を密着させて体臭が混じり合うとより効果があってね。お互いが好きな匂いに変化して信じられないほどの相乗効果が……」

「ひぃ、人前で! なんてことおっしゃいますのッ! 私はそんな破廉恥なもの使ったことありませんわ!!」

「あはは! 可愛いなぁ。マリエッタったら。そんなに照れなくてもいいのに~」

「こ、この! 恥知らずバカ旦那様ッ!!」

 

 みるみるうちに顔を真っ赤に染めたマリエッタに、ランカスタはにこにこ笑みを向けながら、両肩をぐらぐら揺さぶられて喜んでいる。

 私はそんな夫婦漫才な二人を見ながら、頭の中が真っ白になっていた。


「…………え?」


 自分の、いやピーチスライムの成分によってアレな香水が作られていたこと。

 ミラリナやアズラミカだけではない。城の住人のぽわぽわしたあの独特の空気を思い出して頭を抱える。


「うっそぉ……」


 これまでのプレゼント攻撃や、城の住人が優しくなったその理由。やっと解ったその事実に喜ぶよりも、衝撃の方が大きすぎた。

 いままで皆が私に感謝していたのは、私から抽出した香水で恋人ができましたーっ!て喜んでいたということ?

 そしてもしかしたら、その香水の効果によって女王がネブラスカとラブラブ状態に陥ってしまったのでは?

 そんな重大な事実に気がついて、もうパニック状態になる。

 ……どうしよう。これってもしかして、女王に対して恩を仇で返した、ということになるのか?!

 それに効力が切れたら、ネブラスカがあっさり捨てられるとかいう事態になっちゃうんじゃないのこれ!?

 それでもなんとかミジンコ並に粉砕されつつあった理性を取り戻し、最後に気になっていた質問をぶつけることにした。


「あ、あのそれってもしもピーチスライム自身が付けて、その匂いを誰かが嗅いでしまったら……ど、どうなっちゃうんでしょうか、ね?」

「そうだねえ。ただでさえ欲求を揺さぶる香水だからね。最悪の場合は……」

「最悪の場合は?!」

「共食い、かな?」


 ────共食いだとッ!?


「まあ確率は低いけど、試験期間もたったの三ヶ月程度だしね。無いとは言い切れな……あれ。ちょっと君……!」

「教えてくださって本当にありがとうございました! この御恩は必ず後でお返ししにきますので!!」

「いや、それは別にいいんだけど、そうじゃなくてね。今のは単なる仮説で、危険な数値のままでは通常売り出さな……おーい」


 こんなところでうだうだ悩んでなんかいられない。早く、早く女王とネブラスカの下に行かないと。

 共食いなんか絶対駄目だ。そんなの絶対嫌だ!!

 来る前に見た光景、ネブラスカの首筋に喰らいつく女王の姿がちらつき、涙が出てくる。

 あれは性的な意味で食われたのではなく、食欲的な意味で食われていたという可能性もあるわけで……。その時一瞬だけ、満腹になった女王の横に、骨状態で寄り添うネブラスカを想像して、ざっと血の気が引いていく。


「うわぁああ!! 陛下ぁあああ!! ネブラスカ様ぁああ!!!」


 来た道を一目散に駆け上がりながら、どうか二人とも無事でいてくれと願っていた。



 闘技場一般通路の端で、アクセルは戦闘によって火照った体を壁に凭れさせて休めていた。

 退屈しのぎに参加した闘技場だったが、意外に楽しめたことに喜び、硬い表情を僅かに緩ませる。

 アクセルよりも断然、力も技量も劣っているがそれはさして問題ではない。日々ストレスを溜めに溜め、極限まで疲弊した精神を開放する唯一の手段が、アクセルにとって戦いだっただけのこと。

 それにたとえ相手の技量が低くとも、その中で素質を持った人材を見つけ出せれば、自領へと引き抜ける格好の機会でもある。

 女王のもとに向かって事情を聞いてもいいが、まだ宴の真っ最中。ピーチスライムの所在はつかめたが、確固たる証拠を突きつけねば、女王は知らぬ存ぜぬを通し、件の魔獣もこちら側に呼び寄せることはできないだろう。

 報告を待ってからでも遅くはない。

 そうして四戦終えて充足感に浸っていた頃、ようやく待ち人が現れたのを見て取り、司会に途中敗退を申し出る。折角の楽しみを邪魔されたのは面白くないが仕方がない。そう思って傍らにいる報告者に目を向けるも、アクセルはその鋭い目元を一層に眇めて嘆息を付いた。

 数日前からカルフォビナ城に潜伏させ、状況報告は聞いていたが、まさかそんな格好で入り込んでいるとは想定していなかったからでもある。


「それで、バーガンディ。報告書にあった娘は何処だ」

「サフィーアちゃんの居る最上階ですよ。さっきこちらの方を可愛らしい女の子が見下ろしていたでしょう」


 ビン底眼鏡にぼさぼさ頭の金髪。ゆるく白衣を着流したバーガンディは、ポケットに両手を突っ込みながらふらりとそちらを見上げた。

 目線の先にある最上階北支柱の部屋。先程まで開けられていたそこは、いまは隙間なくきっちりとカーテンが閉められており、中の様子を伺い知ることは出来ない。


「……やはりあの小娘なのか」


 司会の紹介のときに垣間見た女王の姿、そしてその周囲に居た存在もアクセルはしっかりと把握している。女王の隣にいた大男はアクセルもよく見知っているネブラスカ。端々に配置された警備。そして女王の後方に立っていた一人の侍女のことも。


「だがあの小娘。サフィーアの側に侍るにはかなり珍妙な顔立ちだったな。あれが変化させる気なら、もっと見目良く作ると思ったが」


 遠目から見ても小さい体躯。茶色の髪を引っ詰め、侍女服を着ていたが、顔立ちが幼すぎて衣装に着られている。真ん丸な瞳と小作りな顔立ちに、ぽてっとした太い眉。それらを見ると、アクセルはついある魔獣を思い浮かべてしまう。

 極寒の地の、海辺にしか生息しない幼魔獣アルマゴフ。鼻を黒く塗り潰して髭を生やせば、もっとそっくりな顔になるだろう。アクセルはその光景を一瞬想像して小さく笑みを刻んだ。

 それはいつも怒気しか示さなかったアクセルが久しぶりに浮かべた笑み。だがバーガンディはそれを嘲笑と取り、眉根を寄せて苦言を呈する。 


「そういうの絶対、本人の前で言わないでくださいよ。珍妙なんて事を言ったら彼女が傷ついてしまうでしょう」

「馬鹿正直に本人の前で言うわけがないだろう。しかし心の中で思うのは個人の自由だ」


 きっぱりと、しかし酷い事を言い捨てたアクセルを見て、バーガンディは大仰に首を振る。ついにはそのビン底眼鏡を押し上げ、金色の瞳を眇めてアクセルを睨み付けた。

 

「それにもしも目的の人物だった場合、不敬罪になりかねませんよ」

「その与太話は聞き飽きた。というか顔が解っているなら、さっさとお前の能力でその小娘を連れてくればいいだろう」

「それができないって書類にも散々書いたでしょうが! 城ではサフィーアちゃんが強力な防御結界を幾重にも組み込んでるから能力がまったく使えないですし、今日は監視の目まで首に付けてるんですよ?」

「あんな小娘一人の為にか?」

「それほど重要ってことなんでしょうよ」


 たかが侍女に対して信じられないことだと、アクセルは暫く顎をさすり、その鋭い視線を最上階へと向ける。だがある事に気が付いて思案を止めた。


「それでどうしますかね。まだ調査します?」 

「────もういい」

「は?」

「直接聞きに行くこととしよう」

「ええ? 証拠は充分揃ってないですけど」

「問題ない。あちらが招いているのだからな」


 アクセルは目顔で最上階を示し、その身を翻す。つられてバーガンディが見上げた先には女王の護衛であるネブラスカが立ち、こちらに合図を送っていた。


「うーん。どうせならサフィーアちゃんか、あの子にお招きして欲しかったけど」

 

 その視界の端に移ったもう一人の人物。その存在の事も気にはなっていたが、今はまだその時ではないとバーガンディは視線を外す。そうして少しばかりため息を付きながらアクセルの後ろに付き、女王の待つ最上階へと足を向けた。



 中央階段を上り最上階へ向かうと、数十名の警備が立ち並び、アクセル達を出迎える。真っ黒なスーツに身を包んだ警備はその鋭い眼光を二人に向け、一歩も通さないという気迫を感じさせていた。

 統率のとれた動きと鍛えあげられた体、そしてそれに見合う力の強さ。

 アクセルは指導者が良いのだろうと感心し、闘技場に出場していればかなり状況が変わっただろうにと残念に思っていた。

 だが程なくしてその中心に赤髪の大男を見つけ、僅かにだが鋭い目元を緩ませる。


「久しぶりだなネブラスカ。暫く見ないうちに随分と逞しくなったものだ」

「お久しゅうございます、アクセル様。お元気そうで何よりでございます。軟弱な体がこうして鍛えられたのもアクセル様のご指導あってこそ、その節は大変お世話になりました」

「いや、君の努力の賜物だ。それにこの場にいる警備は君が指導した者達だろう? よく訓練されている」

「恐れ入ります」


 幼い頃はほっそりとした体つきで病気がちな少年だったが、成長するにつれ大分面構えが変化したようだ。昔の面影は一つもなく、いまはむさくるしいまでの男っぽさを感じられる。

 その昔、泣きながら『ご指導願います』と魔王領に駆け込んできたときは何の冗談かと思ったが、いまでは充分に力を蓄え、女王直属の護衛になるという夢まで実現させたようだ。

 一時期師弟関係にあったアクセルは弟子の雄姿に仕切りに感心し、しかしバーガンディはその暑苦しいやり取りと、己の倍はある大男の姿を見てさりげなく視線を逸らした。


「アクセル様。そちらの方は……」

「どうも。ネブラスカ警備隊長様」

「躾がなってなくて悪いな。一応私の部下だ」

「そう、だったのですか。……いえ、事情を聞くのは後にいたしましょう。陛下がお待ちしております。────どうぞ」


 ネブラスカの手によって開け放たれた扉の向こう。そこに立っていたのは、幼姫時代よりもかなり美しく成長したサフィーア女王の姿だった。その美貌に衰えはなく、より艶を持ち一層輝いて見える。

 バーガンディはその姿に満面の笑みを馳せ、アクセルは時の流れの速さに瞑目し、すぐに気持ちを切り替えると鋭い目線を送った。


「久しいな、サフィーア」

「待っておったぞ、アクセル。そして馬鹿赤鳥」

「……あのねえ。サフィーアちゃん。その態度はあんまりじゃない?」

「馬鹿に馬鹿と付けて何が悪い。わらわが監視していたのを知っておった癖に、堂々と臣下に手を出しおって」


 女王はバーガンディが城の内部に侵入したことを、城中に張り巡らした監視の目で把握していた。エレベーターや地下通路、様々な場所に設置された目の刻印。あれを通してその行動を逐一監視していたのである。

 それは警備担当者であるネブラスカも預り知ることであり、宴当日になって各部署の移動や騎士隊の編成があったのも、バーガンディの不審すぎる動向を警戒してのことだった。

 しかし予測に反し、堂々と正面きって現れた侵入者に女王すらも呆れたように目を眇めている。


「人聞きの悪いこと言わないでよ。女の子達との関係はちゃんと合意の上だよ? 特にアズラミカちゃんとは運命の出逢いを果たしたというか、あんなに波長が合う子がいるとは思わなくてねえ」


 侵入したこともだが、城の女性と遊んだことすら、まったく悪びれた様子もないバーガンディに、女王はもとよりアクセルも呆れて果てている。ネブラスカは閉口し、その眉間にくっきりと皺を刻んでいた。


「……アクセル。この淫鳥を野に出すのは構わんが、せめて去勢してからにしろ」

「ちょ! 物騒な事言うのやめてよね、サフィーアちゃん!」

「……これの事については私とて頭を痛めている。いやそれよりも、あの娘は今何処にいるんだ」

「どの娘じゃ。城の女共で気に入った者でもおったのかえ? 嫁に欲しいのか?」

「とぼけるな。ピーチスライムを整形させて人型にしたんだろう。バーガンディから報告があった」


 アクセルはバーガンディが調べ上げた調査記録と書類を提示し、女王の眼前に突きつける。そこに記された映像記録には、まだピーチスライムだった頃の桃子の姿が克明に映し出されていた。

 坂道でころころと転がって停止できずに壁にぶつかったり、食われそうになって急いで逃げていたり、人に無視されてしょぼんとしている姿もある。その姿は珍妙極まりなく、喋る姿はぽやぽやとして威厳がない。いや、威厳など皆無だろう。

 アクセルはその調査報告を見るたびに、なんとも言えない心地になったものだ。


「おお、映像が綺麗じゃの。最新式の動画記録装置かえ? わらわにもくりゃれ」

「やらん。そもそも貴重生物の管理は魔王領の管轄だろう。何故いままで報告をしなかった」

「一応書類は提出したぞえ。あれを雇うことになった時に管理局から許可を貰っておる。その許可書をもとにして認識票を作ったのだからの」

「嘘をつくな。そんな話は聞いていない」

「ならば部下が無能だということじゃろう。職務を怠慢しているのか、もしくはぬしが舐められておるのか」


 ああいえばこう言う。相変わらずの生意気さに、アクセルは眉尻を釣り上げて女王の顔を睨めつける。


「貴重生物保護法違反により、お前を犯罪者として捕らえることもできるんだぞ」

「わらわは法に触れることなどしておらん。あれを城の一員として雇ったのも、本人から頼まれてのことだしの。……というか本当に何も知らぬのかえ?」

「何を言っている? 弁解するならばいまのうちだが」


 女王は何かを考え込むような顔をすると、すぐに気を取り直し、その口元に含みのある笑みを刻む。


「何を言ってもぬしは信じまい。ならば好きに取るがよい」


 探るような視線を送るアクセルに対し、女王は紫煙を燻らせそっぽを向く。

 思えば出会った当初から反りが合わなかった。

 サフィーアの王たるに相応しい素質は認めてはいるが、その唯我独尊ぶりを見るたびにアクセルは嫌気が差し、どうしようもない程の苛立ちを感じる。アクセルは弁明する気もないその不遜な態度を見て踵を返す。

 

「いいだろう。ならばお前を捕らえて尋問を────」

「陛下ぁあああああーーーーーーーー!!!!」

「ぐふッ!」


 扉を開けてアクセルの腹に体当たりしてきた小さな存在。いやよく見れば娘だが、何故か魔獣のマルマルタを背負っている。

 その珍妙な組み合わせに瞠目し、アクセルは防御をすることも忘れて床に背中を打ちつけた。同時に倒れ行く娘の体をとっさに庇うが、相手はそれにも構わずにアクセルの体に馬乗りになって叫んでいる。


「陛下陛下陛下!」

「煩いぞえ、モモコ」

「ご、ご無事ですか! 生きてますか?!」

「なにを騒いでおるのえ? その目で確かめてみればよいじゃろう」


 女王の言葉に涙をぽろぽろと流しながら、娘は安堵したように笑みを浮かべる。


「よ、よかったぁ……。あ! でもネブラスカ様は!? 食べてませんか?!」

「……ぬしはわらわの事をなんだと思っておるのじゃ。あんな暑苦しい男を食うわけがなかろう。腹を壊すわ」

「ネブラスカ様! 生きてますか? 体食いちぎられてませんか? 何処か失った部位は!?」

「生きているに決まっておるだろうが! お前はそれほどまでに私を亡き者にしたいのか!?」

「ち、違いますよぉ~~ッ!!」


 泣きながら心配する忙しない娘の姿に、アクセルは困惑して動くこともできなかった。

 それもそのはず。探していたはずのその娘が、何故かアクセルの体に乗ったままに勢い良く土下座していたのだから。

 かなり焦っているのか、未だに下敷きにしている存在に気がつかず、アクセルの胸に額をドスッと打ち付けてぶるぶると振るえている。

 バーガンディが腹を折って無言で笑い転げている様子が視界の端に入るも、怒鳴りつけることもできない。


「たいっへん! 申し訳ございませんでした!!」


 かつてこれほどまでにアクセルの存在を無視し、その体の上で土下座まで成し遂げた女がいただろうか。

 ────いやいない。いるはずもない。このちんちくりんな小娘以外は。

 アクセルは痛む頭を摩ることも出来ず、娘を乗せたままに脱力していた。

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