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3-14:冥夜の宴4

※R15・性的な描写有り。

 司会の開始の合図と同時に、始まった試合をドキドキしながら見つめた。参加する側になって初めて、熱狂する観客の気持ちが解ったような気がする。普段とは違う独特の高揚感の中で、ラダコインを賭けた相手に小さく声援を送った。


「頑張れー!」


 こんな遠くから声が聞こえるわけはないだろうけれど、やらないよりはマシだと大きく手を振る。選手のやる気だって違ってくると思うし、折角だから頑張ってほしい。

 けれど今度の試合は司会の実況すら追いつかないほど、選手の動きが早いものだった。そんなに比較できるほど観戦したわけじゃないけれども、私がラダコインを掛けた方が幾分劣勢。相手から与えられる衝撃を受け流してばかりで、何故か攻撃を一切仕掛けないでいる。


「なんで攻撃しないんでしょうか?」


 疑問に首を捻るも、背後から声をかけられることはない。

 なんとなくだけれども、その理由は察している。会場入口での妙な動き、そして先程の赤面したネブラスカと満足気な女王。

 もしかしたらそうなのかなと段々気がついて、そうだったら「良かったですね!」と祝福したいところだったけれども……!


「陛下。こんな所でお戯れはおやめ下さい。それに陛下に触れていいのは王配のみだと……」

「かまわん。わらわが許しているのえ? ほれ近う寄れ」


 実際こうなると後ろ、振り向き辛いですがなッ!!

 私が声援を送っている間、突然イチャイチャしだした上司二人の意味が解らない。これまで恋愛に繋がるような、あれやこれやがあっただろうか。確かにネブラスカは押せ押せ攻撃を仕掛けていたけれど、女王は全くNO THANK YOUってな感じで邪険にすらしていたのに。

 それとも恋愛感情がなくとも、大人だから体で突っ走れるということですか。そういうことなのですか。

 しかし恋愛初心者にはその過程がないと納得できないので、申し訳ございませんが理解ができません。衝動的にくっつくという状況も無いのでよくわかりません。

 それでも周囲に見られてはいけないということは解るので、無いよりはましと薄手のカーテンを閉めておく。

 その合せからそーっと顔を出して、一人で観戦した。


「口では嫌がっていても体は正直じゃの」

「陛下……ッ!」

「これまでの褒美として存分に、その体愛でてやろう」


 女王がネブラスカに向かってもの凄くエロオヤジ的な言葉を連発するものだから、傍で聞いてるだけで顔が凄く熱くなってきた。

 恥ずかしさマックス。羨ましさマックス。いたたまれなさマックスの三乗です。独り身には些かキツイ状況でございます。悶死するまえに誰か耳栓をください。

 しかしそんな都合よく耳栓など来るはずもなく、自分で耳に指を突っ込んで試合に意識を向けることにした。

 私にだって流石に分かっている。

 今声を掛ければ確実に邪魔。気の利かない無能な小間使いとして扱われてしまい、これからの上下関係に支障をきたすということを。

 特にこれまで女王の愛を乞い、忍耐に忍耐を重ねてきたネブラスカにとって、今は至福の時だろう。私が考えていたものと違ってネブラスカが逆に女王に可愛がられてるけれども、それでもかなり幸せなんじゃないだろうか。

 実際私もネブラスカの事を応援していたので、こうなってくれて結果的には良かったとは思っている。良かったとは思ってるけれど、ただ私の存在も少しは思い出してくださいと悲しくなるだけの話です。

 そうして周囲のイロイロな音をなるべくシャットアウトしながら、観戦を続けることにした……のだけれども。

 

「はぁ!!」

「……っ……サフィ……!」

「セイッ!!」

「もっとわらわに声を聞かせろ、ネブラスカ」

「おらおら、掛かって来いやッ!!」


 こういう時に限って聴覚がこれ以上無く研ぎ澄まされるのは何故なんだろうか。耳を塞いでも、まるで頭の後ろに耳が生えたように鮮明に聞き取れるから不思議です。

 気がつけば前でも後ろでも始まっている熱い攻防。

 正直どちらを応援すればいいのかも判らなくなってきた。

 顔から火が出るんじゃないかと思うほど熱くなった頬を摩りつつ、邪魔をしないように闘技場の方に集中しようと努める。


「あ……!」


 するとほどなくして私の賭けた相手の猛攻が始まった。

 防御の為に胸の前で交差していた両腕を解くと、対戦相手の攻撃の隙を縫って胴に数回攻撃を打ち込む。先程まで圧されていたのが嘘のように、相手の攻撃を容易く絡めとって打ち落とし、鋭い牙を剥き出しにしてニヤリと笑う。

 素人目に見てもその力の差は歴然。

 先程まで余裕の笑みを浮かべていた対戦相手は、猛攻を受けとめきれずについに闘技場へ倒れ込む。

 その眼前にぐっと突き出された鋭い攻撃の一手。それが倒れた相手の鼻先を掠める寸前────ピタリと静止した。

 

「降参か、死か?」

「チッ! ……降参。降参だよ。ちくしょう!」


 あまりにも簡単に翻された盤上に、周囲は驚愕の声を上げ始める。その選手に賭けている人は結構少なかったようで、観客は相当悔しそうに呻いたり塵を投げつけている。

 そうしてざわつきを見せる周囲にも構わずに、司会に手を添えられ、選手は勝利の拳を天上へと突き上げる。

 本当に凄い……。相手の人も相当強かったのに、それを上回ってあっさり打ち負かしてしまった。

 しかし難なく勝利を収めたその人は、賞賛の声に応えることもなく静かに舞台を去る。ストイックで格好良いその後ろ姿に、慌てて拍手を送っていると、手元にあるゲージが紅く点滅していることに気付く。

 【おめでとうございます!】とトロテッカの文字で大きく表示された画面の下、ラダコインがゲージの中で変化し、蒼色のコインが七枚落ちてきた。さっきよりも三枚減ってしまったけれど、よく見ればコインにはラインが増えており、画面には見たこともない程のゼロが順序良く並んでいく。

 一体ネブラスカは幾らほど賭け金をくれたのだろう。


「ええと、賭け金が百ラダで倍率が七倍だから、七百ラダ。変換レートが一万トピ=1ラダだから全部で…………七百まッ!!」


 百ラダ=百万トピ。そんな高額を「運だめし」と言ってぽんと差し出すネブラスカの金銭感覚にも驚愕したけれども、その破格過ぎる配当額にも度肝を抜かれた。

 いや、もしかしたら女王との密着密接閉鎖空間(+私)に、相当舞い上がってただけかもしれないけれど、まさかの金額にラダコインを持つ手も震える。

 こ、こんなコイン一枚で百万トピもするなんて……!

 蒼・赤・黄。各領土別に色分けされたコインは、ラインが増えるほど単位も高くなるようで、最高額の単位は億。色もラインも無くなって、真っ黒に染まったラダコインがゲージの上に表示されている。

 億だなんて、それこそ一生かかっても到底手の届かない金額だ。

 途方も無い金額に暫く呆けていたけれど、亜人になって初めて尽くしの事、そして最先の良い結果に徐々に喜びが湧き上がってきた。

 もしかしてこれって凄いことなんじゃないの?!


「へい、……ッむぐ」


 しかしこの喜びを分かち合いたいはずの二人は、今まさに賭けでは味わえない幸福を享受している。目の端に少しだけ捉えたけれども、まだあちらは攻防中のご様子。こっちの事など知った事ではないとでもいうように盛り上がっていらっしゃる。

 ……一人で舞い上がっているのが、正直ちょっとだけ悲しいなー。

 先程の試合でネブラスカがすった分も見たけれど、六百万のマイナスがきっちりゼロになって百万上乗せされていた。意外なことにさっきの分で回収できてしまったらしい。


「……うーん」


 もっとお金を増やしてみたい気にはなったけれど、やっぱりやめておいた。

 以前だったら全然気にしないで適当に遊んでいたと思う。けれど働くようになってお給料を貰う立場になると、お金の有難みも大分違ってくるわけで……。

 自分のお金で遊ぶならまだしも、人様のお金でこれ以上やるのはなんかこう違うというか、異様なほどに居心地が悪い。

 これ以上手を出したらいけない気がして、コインをそーっとゲージの上から避けて丁寧に詰んでおく。

 そうして一息つきながら再び階下を眺めると、会場の端の方に座っているある人物の姿を発見した。


「あれ? あの人……」


 金色の髪をぴょんぴょんと飛び跳ねさせた頭と、ビン底眼鏡が印象的だったあの人。白衣を着ているから多分仕事で来たのだろう。けれどその人が何故か私が賭けた相手を呼び止めて話し込んでいる。

 先程の戦闘で何処か痛めたところでもあったのだろうか。二人は暫くその場で話し合うと、今度はじっとこちらを見上げてきた。

 なんだろう。あちら側から何か見えるものがある────……ぬはッ!!

 もしかしてカーテンの隙間から、こちらの状況が覗けてしまっているとか?!

 しかしいま後ろを振り返って確認することなど出来ない。その合間にもこちらをじいっと見つめてくる階下の二人に慄いて後退る。ヤバイ、気のせいかと思ったけど、絶対こっち見てる。どうすればいいんだろう。

 それでもなんとか見えないようにラダコインを籠の中に寄せてから、重いテーブルを押してカーテンの広がりを抑え、ぴっちり隙間なくカーテンを閉めてからその端っこをきつく縛る。後は何をすればいいだろう。さっきシャンパンを拭くのに使ったタオルはまだあっただろうか。


「……ッ」

「ん?」


 そうして目隠しアイテムを捜索しかけたとき、背中にとんと何かが当たった。

 もしかして終わったのかと思って振り向いてみれば、目の前にあるのは剥き出しの太い腕。それを辿ってみれば、片腕で顔を覆って荒い息を付くネブラスカと、その上に乗っかって太い首筋に食らいついている女王の姿が見えてしまう。


「ハブフッ!!」


 屈強な男が美女に組み敷かれる様は異常なほどに倒錯的かつ、視覚から脳に強力な影響を及ぼし、物事を冷静に考えさせなくさせる程の衝撃があった。

 もっと簡単に言うなら、頭の中の理性というネジがスポポポーンと全部抜け落ちてしまったような感じ。

 乱されたスーツから垣間見える整った筋肉質の肌。そこから流れ落ちる汗と押し殺した声、それを殊更に楽しみ舐る女王の姿に体から汗以外の何かが噴き出しそうになる。

 幸いにも二人は行為に熱中していてこちらに気がつかない。

 慌てて前を向いてメモをもぎ取り、震える手で書き置きを残す。そして壁際に沿ってそちらを見ないようにカニ歩きしながら出口に向かう。音を立てないようにして静かに手早く扉を締めて、脱力しながらその扉に頭をゴチッと打ち付けた。


「…………び、びっくらこいた……」


 映画とか小説でしか知らない、あれでそれでこれな状況。まさかそれを、自分が間近でばっちり見てしまうことになるとは……。

 それこそ鼻血を噴射しそうになる強烈な映像。いまでも隅々まで思い出せそうな肉感に鼻の奥がつーんとして、首の後ろをトントンと叩く。

 まるで夏祭りの太鼓の音頭のようにドンドコドンドコと調子が狂い始めてしまった鼓動。離れてみても全然それは収まらない。けれど、黒いスーツを着た警備の人達がこちらを不審そうに見下ろしているのに気が付いて、慌てて居住まいを正した。

 幸いにも歓声のお陰で中の様子も声も、こちら側には聞こえていないようだ。


「どうしたのですか、侍女殿」

「先ほどクロムフォード様がお見えになりましたが。……もしや陛下に何かあったのですか?」


 そうして焦ったように扉に手を掛けた警備を見て、素早くその手をがっちりとホールドする。折角邪魔しないように出てきたのに、ここで第三者が踏み込んではならんのです!


「いいえ! ネブラスカ様の密着密接警護により、全然まったく問題ありません! むしろ放っておいてもいいくらいです!」

「は、はあ……。隊長がいらっしゃるのなら確かに安全でしょうが」

「はい。とても安全なのです! ですがいま、陛下とネブラスカ様はとてもとても試合に熱中しているので、中から声を掛けられるまで絶対に開けてはならないのです! もの凄く楽しんでおられる最中なので絶対に邪魔したら駄目なのです!」


 理由は解らないけれど、折角くっついた二人の邪魔をさせないように必死に言葉を尽くす。納得してくれるかどうかは解らないけれど、身振り手振りを合わせて訴えると、警備の一人が静かに頷いてくれた。

 

「畏まりました。しかし侍女殿はこれからどちらへ?」

「え?」


 自分の事を聞かれるとは思わなくて、一瞬きょとんとしてしまう。私はこれから……どうしよう。慌てて行く場所を考えるも、初めての場所だからすぐには思いつかない。とりあえず女王の側を離れても問題ない理由、理由……。


「どうされました、侍女殿」

「あ、あの。その、おおおおお手洗いに! 行こうと……思いまして……」


 目線を上げた途端、警備の目が集中していることに気がついて顔が熱くなった。まさかこんなにも大勢の前でこんな事を言う羽目になるとは……。 猛烈に恥ずかしくなって涙目になる。いくらなんでもこの理由はないわーと思ったけれど、警備の人達は一応納得してくれたようだ。


「こ、これは大変失礼致しました!」

「化粧室ならここからまっすぐ歩いて左側にあります。ごゆっくりどうぞ」

「ご親切にどうもありがとうございます」


 言ってしまった手前、後には引けなくなった。恥ずかしさもあって、数十名も立ち並ぶ警備の視線を浴びながらその場を足早に走り去る。

 小間使いとしての義務を果たせとカレンに言いつけられた事を忘れたわけじゃない。けれどもあんな状況に、いつまでも平気な顔でいられる人がいたら逆に知りたいくらいだ。もしもいたらその人は心臓にハリネズミの棘の如く、トゲトゲがびっしり生えていることだろう。

 とにかく私には、色々な意味でダメージがでかかった。


「……大人って、すごい……」


 化粧室に急いで入り込んで、洗面台に突っ伏す。火照りの取れない頬を摩りながら鏡台で見た自分の姿は、結構酷いものだった。髪はボサボサな上に、ヘッドドレスが斜めに曲がっていてなんともだらしがない。

 編みこんだ髪を指先で撫で付けてヘッドドレスを直し、乱れてしまった化粧も拭けるところだけハンカチで抑えて、見れる程度に整えた。城に帰ったら化粧の仕方や髪の結い上げ方も覚えないといけないかもしれない。


「ふう……」


 ようやく少し気持ちが落ち着いてきて、椅子に座りながら胸元に押しこんできた案内状を開く。先程東の王が言っていた新商品。気持ちを切り替えるついでに、ランカスタ夫妻の居る展示会に行くのもいいかもしれない。案内状に触れて行き方を確認すれば、そう遠くないところに設置してあった。


「すぐ戻ってこられるからいいよね」


 イチャイチャが終わるまでに帰ってくればいいだろう。女王の側を離れるのは少し抵抗があったけれども、思い切ってその会場へと足を向けた。





 化粧室からまっすぐ中央階段を降りて石畳を進むと、目の前に広がったのは黒いテント群。案内状を見ながら狭い露店の間を縫って歩いて行けば、飲食施設があるのかすぐに美味しそうな匂いが立ち上ってきた。

 真っ赤に膨れ上がった羽の生えた豚の丸焼きに、じっくり煮込んだ牛に似た八つ目モロロのシチュー。野菜と生ハムとチーズがたっぷり挟まった具沢山の白パンが店頭に並ぶ。

 この世界にお米は無いけれど和食っぽい魚のメニューは結構あって、根菜と白身魚の煮付けのようなものも売りに出されていた。

 それ以外にも美味しそうなオレンジに似たクワロイジュースに、濃厚ミルク味のモロロシャーベット。白いクリームとフルーツがたっぷり巻かれたパンケーキのお店もある。

 売り子の明るい声と美味しそうな匂いに目移りして、しかしその値札を見てがっくりと肩を落とす。

 ……相変わらず値段が半端ない。

 城で生活している分には食事も支給制だからお腹が空くことはない。けれど外食するときはやっぱりお金が必要だと思った。

 モロロシャーベット、一度でいいから、食べてみたい。

 ある意味で生殺しな露店街を涙目で抜けると、程なくしてみえてきたのはカルフォビナの大きなタペストリだった。

 展示会の会場なのか、綺麗にディスプレイされた商品が立ち並び、お客はその商品を手に取って販売員にどういうものなのか説明を受けている。


「あ、マリエッタさん!!」


 その展示会一角。普段のツナギ姿とは違って、マーメイドラインのペールブルーのドレスに身を包んだマリエッタは、ストレートの髪を結い上げて綺麗な羽飾りを髪に挿していた。背中にある真っ白な翼をむき出しにしていると、まるで天使のように神々しく見える。

 声を掛けるとすぐに気がついてくれたものの、マリエッタはいつもの笑顔ではなく眉根を寄せてこちらを睨めつけた。


「……貴方カルフォビナの侍女じゃないの。しかも新人がこんなところで何をしているの」

「えと、あのですね! 私は……」

「上司はどうしたの? どこの所属? こんな所を一人でほっつき歩いていては怒られるのではなくて?」


 マリエッタはいつもよりキツイ表情で矢次早に質問してくる。その姿に戸惑っているうちに、何を勘違いしたのか今度は黒のタキシードを着たランカスタをギロリと睨みつけた。


「……旦那様。また若い侍女をだまくらかしたのですわね。しかもこんな子供みたいに幼い侍女を! いい加減にしないとその羽むしり取りますわよ!」

「何を言っているんだい、マリエッタ。俺は君以外の女性に何かした覚えは……、おや? お嬢さん。どうしたの? こんなところで一人かい?」


 ほわっと人のいい笑みを見せながら私の手を取り熱心に撫で摩るランカスタに、マリエッタの制裁が加えられる。脛におもいっきり蹴りを食らったランカスタは、弁慶の泣き所を抱えながらも恍惚の笑みを浮かべた。

 ……うん。相変わらずバイオレンス夫婦ですね。


「このオタンコナス・ドスケベ・バカタレ旦那様!」

「あははははは! また不思議で面白い愛称を考えたねえ、マリエッタ」

「愛称じゃなくて罵倒ですわよ!」

「あ、あの、マリエッタさん。ランカスタさんは別に浮気したわけではなくてですね。私は……」

「私の前に来た女性は皆そうして旦那様は悪くないと仰るのです。ええ、解っておりますわ。この方は自覚が無いだけなのです! 悪いことは言いませんから、貴女も早く目を覚ましなさいな。そんなに若い身空で、しかも宴の夜に人様の夫に手を出すだなんて……! 冥府でご先祖様が嘆かれましてよ!」


 完全に浮気相手として見られてしまって困惑して呻く。もうどう説明すればいいのやら。スライムから人型になったって言って、素直に信じてもらえるような雰囲気でもない。

 それでも怒りの中でも目元を潤ませているマリエッタを見て、慌てて口を開く。


「激しく誤解です。私はランカスタさんの浮気相手ではありません! そうじゃなくて私はピーチス……」

「ハキューッ!!!!」

「ごふぉっ!!」


 腹のあたりに猛烈なタックルをキメられてもんどり打つ。

 だ、誰だ。こんなにも強烈なタックルをしてくる人は。そんな知り合いは未だかつていなかったと記憶しているけれど。


「え?」

「キューキュー!」


 ゴロゴロと抱きつかれるままに体を起こせば、そこにいるのは紅い蝶ネクタイを付けた子供サイズのムササビ。私の元見合い相手であるリンパギータが、円な瞳をキラキラとさせて尻尾をフリフリしながらこちらを見つめている。

 一体どこにそんなアグレッシブさを秘めていたのかと思うほどに、昼と違って俊敏だ。

 リンパギータはそのふかふかで柔らかな体を素早く跳ねさせ、私の体に乗り上げると頬をベロンベロンと舐めまくった。


「ちょ、やめて下さい、リンパギータちゃん!」

「キュー!」


 いつもと違って猛烈なまでに懐かれているのは何故なのだろう。体にぎゅうぎゅう抱きついてくるのを仕方なく抱き上げると、更に顔を舐められて困った。

 その攻撃は何故か顔面だけに集中しており、気がつけば顔がリンパギータのヨダレまみれになっている。

 さつまいもみたいな、妙に甘い匂いのする不思議なヨダレを手でふき取ると、リンパギータは満足気に私の体に凭れて鳴いていた。


「キュキュキュ~ッ!」

「……あらまあ。リンパギータちゃんがこんなに懐くなんて」

「珍しいこともあるものだね。初対面の人には絶対慣れないのに。……君、なにか付けてる?」

「はい?」

「何か君から特別甘い匂いがするんだよねえ。この先の露店で何か食べてきたのかい?」


 とはいわれても何も食べていないし、飲んでもいない。モロロシャーベットは食べてみたいとは思ったけれど、手が出せない値段だったし。


「いえ、特に何も食べては……────ん?」

「なんだい?」

「……そういえばここに来る前に、香水を吹きつけられました」


 カレンに顔一杯に吹きつけられたもの。確か幸せになる香水と言っていたけれども、リンパギータの反応はあれと関係があるのだろうか。

 私がそう答えるとランカスタは胸元からハンカチを取り出し、顔についたヨダレを拭きとる。その匂いを嗅ぐと納得したように頷いた。


「うん。やっぱりあれだね」

「なんなんですの?」

「商品開発部で企画していたピーチスライムの香水だよ」

「…………え?」


 一瞬何を言われているのか解らなくて硬直する。ピーチスライムって私以外にもいる……わけないですよね。


「看板は出ていましたけれど、展示会に出品されていませんでしたわよ?」

「売れ行きが良すぎて在庫が無いんだって。展示会に持ってきたのもたった3本で、値段もかなり高額に設定したらしいんだけど。上層階の人がすぐにやってきて三本全部買い占めていったそうだよ」

「え? あ、あの、少し宜しいですか? ピーチスライムの香水ってなんのことですか? そんなものいつ作られたのですか?」


 訳が解らなくて詰め寄ると、ランカスタはにこやかに笑いつつも私から一歩後退する。


「というか君、城の住人なのに本当に知らないのかい?」

「……はい。あの、不躾で申し訳ないのですが、そのお話、もう少し詳しく教えて頂けませんでしょうか?!」


 ランカスタだけでなくマリエッタにも頭を下げてお願いする。どういうことなのか、何故そんなことになっているのか。知りたくて必死になってお願いすると、二人は顔を見合わせながらもテントの方へ招き入れてくれた。

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