4:異世界人との交流
目が覚めてはじめに見た光景は、私を中心にして放射線状に大破している雪玉と、これまた周囲3メートルに渡ってすり鉢状に丸く窪んだ地面。
意識を手放す前、確かに地面にドグシャアッと墜落したのに、私は運良くも生きていた。
この摩訶不思議軟体ボディは一体どうなっているのか。相変わらず良く分からないと体を揺らしながら遥か頭上にある崖を見る。超高層ビルに匹敵するほどの高さにぞっとすると共に、そこから落ちた衝撃すら吸収してしまうボディに感嘆の息を吐く。
もしも人間だったら全身骨折し、確実にお陀仏していただろう。
「いやはや。これが異世界補正ってやつなのか」
スライムという姿はいまだに納得できないが、滅多な事では死なないというボディはある意味で有り難い。
「これからどうしようかな」
元の場所に戻って荷物を取ってくるという選択肢もある。けれどどれくらいの距離を滑走したのか今では覚えていないし、荷物を置いた洞の中に戻れたとしても、また小動物の集中攻撃が始まるだろう。
二度もあの攻撃を受けるのは億劫でもある。
「まあとりあえず。先に進んで情報収集とでも行きますかね……」
幸いにも眼下には人里のようなものもある。なんてご都合的なと思わないでもなかったが、私は早速現地人と交流するためにその体をボヨヨンと揺らして、雪の野を進んでいった。
そうして目の前に広がったのは、異世界トリップではもはや定番ともいえる、欧風的な雰囲気漂う農村地帯だった。
レンガ作りの家々が立ち並び、その壁の合間には下着や洋服など洗濯物が無造作に紐で吊るされている。中には誰もいないようだが、生活感漂う光景に人が住んでいることを確認し、正直少しだけ安心した。
とにかく人に合わないと。そうしてずりずりと体を揺り動かして奥へと進む。
すると、程なくして集落の中心らしき所に出た。
中央にある井戸の前では農家のおばさん達が愉しげに井戸端会議をし、地べたに座り込んで煙管のような物をぷかりとフカしているオジサン方の姿も伺える。
海外ドキュメンタリー番組でよく見るような光景が広がっている。事実どこにでもあるような普通の光景なんだろう。
けれどそこに住む住人の姿形は、私の予想を遥かに超えた様相をしていた。
真っ白な猫耳と尻尾を可愛らしく揺らすオッサンに、トカゲの頭部に鱗模様の少年。黒いコウモリの羽を持ち、並みの男よりも屈強な肉体を持ったおばさんに、鳥の頭部と羽を持った男なら垂涎ものの豊満ボディをくねらす妙齢のご婦人。
「ここは亜人村なのか」
ファンタジーとしか言い様の無い光景に唖然とするしかない。草むらの中に隠れながら、人々の様子をじっと見つめ、ため息を付く。
「言語とか通じるのかな。いやしかし、私と同じスライム……もいるかも知れないし」
自分で自分のことをスライムと言ってしまったことに自虐の痛みを感じ、そっと胸だか胴体だか分からない肌を擦る。
しかし落ち込んでいる時ではない。
この世界での異世界交流第一歩。それを、いままさに踏み入れようとしているのだ。長年の夢とも言えるその瞬間がこの一歩で叶う。
沸々と湧き上がる高揚感に体をぷるんぷるんと震わせながら、私は思い切って村の集落の中心に躍り出た。
同じ魔物、否、亜人なのだから困っている姿を見れば、手を差し伸べてくれる心優しい御仁も居るかもしれない。
そうした淡い期待を持ちながら中心にぷるんと降り立つと、私はすぐに衆目を集めた。
────よし。掴みはOK。あとは度胸。
そうして声高らかに自己紹介しようとした時、私は背後から何者かに体を掴まれていた。ぎゅっと抱きしめられる初めての感触。
いやん。初対面でそんなところ掴まないでください。
「……や、やった! 捕まえた!!! 僕のだ!!!」
見れば先ほど道端から観察していた時に見つけた、トカゲ頭の少年だ。その黄色の瞳の中にある黒い縦軸の瞳孔。それらをキラキラと輝かせながら、少年は私を見つめている。
なんて可愛らしくも純粋な目だろう。
私は歓迎されている。そう思いながら笑いかけようとして少年を見上げ、しかしその後に続く言葉に固まった。
「やった!!!!! 超高級食材ピーチスライム確保ォォォォオオッ!!!!!」
少年は黄色い目をギラギラとさせながら、鋭い牙の隙間から大量のヨダレを垂らし、私の体を空中へ掲げる。その瞬間周囲から怒号のような歓声が聞こえてきた。
「す、すげえッ! こんな村の中で高級食材に出会えるなんて!」
「ぼ、ぼうや! お金、お金あげるから、あたいにも一口おくれよ!」
「甘い芳香。ピンク色の体躯。抜ける様な透明感。間違いねえ! ピーチスライムだ!! なあ坊主! 俺にも、俺にも一口くれ!!!」
大声で騒ぎ立てる民衆から逃げるように、少年は素早く私を小脇に抱えると、村の中を疾走した。後ろから大量の亜人が追いかけてくるが、そんなことお構いましとでもいうように、少年はヨダレを垂らしながら私の体を握りしめる。
「僕んだ!!! このピーチスライムは僕がおかあちゃんと一緒に食うんだ!!!」
「クソガキ! 待ちやがれ!」
「構いやしないよ、殴って奪っちまいな!!」
なんて暴力的な。必死に少年の腕から逃れようとするが、拘束は意外にも強く、抜け出すことはできない。まったく掴みところのないツル肌ボディなのに。何故だ。
しかし体をよくよく見渡せば私の体に、ぶっさりと少年の爪が刺さっていた。
痛みがまったくないけれど、己の体に他人の指先が刺さっているというその光景に、ぞわぞわと鳥肌が立つ。
なまじ半透明であるから余計に気持ち悪い。
「ちょ、ちょっと放して!!」
「うるさいうるさいうるさい!!僕んだ!これは僕のご馳走だ!!」
ヨダレが私の顔面に滴るまでになってきた。
正直いってここまで来ると、薄ら寒い心地になってくる。自分が超高級食材という事実にも戦いたけれど、それ以上に住人の興奮状態が恐ろしい。
今すぐに逃げた方がいい。
そう思いながらも体に埋め込まれた指が抜けず、それでも必死に体を動かした。
この少年もしくは、住人に食われてジ・エンドなど嫌すぎる。
「放してーーーー!!!!!」
己の限界まで高めた声量を、少年の耳元に叩き込む。危害を与えてしまうかもとか、そういう配慮も出来ず。
私は倒れこむ少年から逃げ出そうと一心不乱にもがき、他の住人の手がのびる前に、スポーンッと勢い良く空中にまろび出た。
その勢いの中で必死に腕を伸ばし、目に留まった木の枝に飛び乗る。周辺にある木々の中でも一番背の高い木の上を目指し、反動を付けて飛び付くと住人はこちらを指さしながら大声で叫んでいた。
「ああ! あんな処に逃げたぞ!」
「大丈夫だ。周りに木もねえし、飛び移れねえよ。さっさとこの木を切り倒しちまえ!」
「おい! 誰か納屋から投網とのこぎり持って来い!!」
男たちの怒号の合間に『捕まえたら蒸し煮にするかねえ』『バカだねえ。スライムは生で食うのが通だよ』というおばあさんの声を聞きながら、私はぞうっと体を震わせた。
このままでは確実に殺られる。いや、食われる。
「に、逃げなきゃ! どっかに早く……!!」
しかし周囲に逃げ場はない。低い草むらに降りでもしたら投網に捕まるし、このまま木の上にいても切り倒されて捕獲される。焦りながら必死で思考を動かし、私はどうしようどうしようと体をプルプル震わせた。
「こんなところで死にたくない!!」
「じゃあ助けてやろうか?」
唐突に、至近距離から聞こえたかなりの美声。
それに驚いて硬直する。人間だったら腰砕けになるであろう心地よい低音だ。
ま、まさかここで美形登場……か?
私は目を期待に輝かせながら、勢い良く振り返る。どうか美形であれ、と。
「………………は?」
しかしそこにいるのは期待を大幅に裏切った、ぷっくぷくに真綿の詰まった見覚えのあるフォルム。
「な、なんで……」
「たしか桃子、だったか。俺は君の相棒なんだろう?」
そうして腕を組み格好つけているのは、私があちらの世界から持ってきた熊のぬいぐるみ────熊五郎が完全に重力を無視した形でふわりと宙に浮いていたのだった。