3-11:冥夜の宴
比較的人のいない場所に降り立った女王は、私を地面に降ろすとさっさと歩き出した。遠目に見えるコロッセオのような円錐状の建築物が、おそらく宴の会場なのだろう。それ以外にもサーカステントのような円形の黒いテントが数十個建ち並び、西側には大きな噴水と庭園のようなものも見えていた。
この敷地内に一体どれだけの施設があるのかはわからない。そのすべてを見て回れるだろうかと期待しながらも、先を歩く女王に遅れないようにして必死で付いていく。
長い長い石畳を抜けて程なくして見えてきたのは、中央入場口。石造りの門には三領タペストリが掲げられ、黒のスーツに身を包んだ屈強な警備兵により入念なチェックがされていた。不審物が無いのか身体検査してはタグを確認し、黒いパンフレットを手渡している。あそこを通らなければ会場には入れないというのは分かる。
けれどもレッドカーペットの上にはすでに長蛇の列が出来ており、チェック待ちの亜人達がひしめき合っていた。
そんな場に私一人しかお供に付けず、平然とした顔で歩く女王もいろんな意味で凄いけれど、歩いていく内にも亜人は足を留め、自然に頭を垂れて素早く道を開けたのには恐れいった。
まるでモーゼの十戒。それを地でやってのける女王に付き従いつつ、一方でこちらに視線を向ける亜人達の多さに内心でタジタジになる。
他領の亜人達の値踏みするような視線はまた格別にきつく、城での生活に慣れてなければそれこそ硬直して動けなかったかもしれない。
しかし視線に慣れるに連れて、奇妙な行動が目に付き始めた。女王眺めて見惚れるのはその理由も解る。しかしついで私を見て、首を傾げるのは一体どういう意味なのかー……。
実際そういった仕草を取る亜人が多くて微妙に落ち込みそうになっていると、女王の歩みが少しだけ遅くなって距離が近づく。
「モモコ」
「は、はい!」
「しっかり前を見て堂々と向け。そうして卑屈な態度を取るだけでもカルフォビナは侮られるのえ」
前を向いたまま毅然とした態度でそう告げる女王に、慌てて顔を上げる。女王に付いて回る以上は、カルフォビナ領の侍女代表。その格を下げるようなみっともない姿を他領の人に見せてはいけない。
女王に言われて今更気がつくなんて情け無いけれども、カレンやミラリナの普段の歩き方を思い出し、猫背になりそうな背をピンと正して慎重に歩いた。目線は怖いけれど平常心平常心。周りにいるのは南瓜じゃがいもさつまいも。
「お待ちください。サフィーア女王陛下!」
「────ん?」
突然前に出てきた南瓜じゃがいもさつまいも、もとい三人の男性が女王の前に跪き頭を垂れた。それを皮切りにして数十人の男性が現れ、あっという間に黒い人だかりに女王が取り囲まれてしまう。
な、なんだいきなり。こんな大勢の前で集団土下座する気……いや、もしや暗殺かッ?!
「だ、大丈夫ですか、陛下ッ!! お怪我はありませんかッ!? いまそちらに参ります……!」
「大事ない。ぬしはそこで待っておれ」
すぐに助けに行かなくてはと人を引き剥がそうとするも、まったくびくともしない。女王にも言えることだけれども、こっちの人は何故そんなにも背が高いのか。その場でぴょんぴょん飛び跳ねるも、姿がよく見えないうえ、人波が女王を沖の方へと流してしまう。
「お久しゅうございます、サフィーア女王陛下」
「陛下。この度は御機嫌麗しく……」
「いつにも増して艷めいておられる。黒のドレスが白の肌に映えて、これはまた……」
「皆の者。今宵は宴の夜じゃ、堅苦しい挨拶はせずともよい。ぬしらはそれぞれの華を大切にしてやれ」
その言葉に人垣の合間を見てみれば、取り残された男性達のパートナーらしき方々が、悔しげに女王の方を睨みつけている。中には本当に涙目になっている女性もいて、流石にこれは如何なものかと少し腹が立った。それこそ自分の恋人を放ったらかしで女王に粉をかけようとする男性達。
そんな人達に女王の側にいて欲しくなくて、開いた隙間からなんとか体を潜り込ませる。
「ど、退いて下さいッ!! 陛下に手を出したら、私は元よりカルフォビナの領民が黙っておりませんよ!」
「イテッ! なんだこのちんまい……侍女か? いったいどこから来たんだ」
「女王の侍女じゃないのか? まあそれにしては随分と幼いが」
「そんなんどうでもいいだろ! あーもう、うざってえ。侍女は侍女らしく端に控えていろよ!」
「おほぅっ!!」
けれど体を突き飛ばされて、輪の中からまた弾かれてしまう。
そうして見ている間にも男性達は女王に纏わり付き、その手を取って口づけを落としてしまった。
人垣の合間からその様子が見えた瞬間、背筋が凍る。
そんなことをしたら問答無用で張り倒されるのではと思ったけれど、女王は意外にもその相手を厭わずに嫣然とした笑みを向けていた。
「サフィーア女王陛下。付添人が不在なのであればどうか私めにその権利をお与え下さいませ」
「いいえ。わたくしめに!」
「陛下。貴女様のお側に侍る権利をどうか……」
「さて、どうしたものかの」
男性に甘く耳元で囁かれた女王は、満更でもなさそうに相手の顔に手をやり、するりと頬を撫でている。頬を撫でられた男性は完全に恍惚状態に入り、ネブラスカのように恥じらい、体をくねくねさせていた。周囲の男性も女王に纏わり付き、手が触れるのを今か今かと待っているようだ。
……しかしなんだろう、このアルファベットの付く女王様に群がる下僕絵図は。
それと同時に周囲の女性の温度差も増している。襲われても文句言えないような状況下に女王を放っておいていいわけないけれど、全然前に進めないし弾き返される。それでも必死なって隙間に突っ込んでいこうとすると、肩を掴まれてその場に押し留められた。
「うわっ?!」
「危ない事をなされるな侍女殿。いま暫く大人しくしておられよ」
突然のことにびっくりして背後を見れば、赤い髪を後ろに撫で付け、不精にならない程度に顎ヒゲを生やした男性が険しい顔で周囲の状況を見ていた。
東欧人のような彫りの深い顔立ちに浅黒い肌、三白眼の鋭い目元に緑色の瞳が映える。その高い鼻に続く厚めの唇はきつく引き結ばれていた。
こう言ってはなんだけど、とても大きくておっかない。
そうしてこちらが戸惑っている間にも赤髪の男性はその長い足を数歩詰めて、人だかりに近づいていった。
「その御方の付添人はこの私だ。どいて頂けないか」
「後から来て何を言ってるんだ。この大男は」
「陛下がこれから誰を選ぶのか考えて居られるのだぞ」
「自分に見合った大女の所にでも行くことだな」
あからさまな男性達態度とその嘲笑に怯むこともなく、赤い髪の男性は呆れたようにため息をついてその腰に手を当てる。
「御婦人方を悲しませてなお、平気でいられるような腐った精神を持つ貴様等に、その御方に触れる資格などあるわけなかろう」
「なんだと?!」
「怒る暇があるのなら、萎れる前に己の華の下へ急ぐことだ。それでもこの御方に付き纏うというのならば、こちらにも手段はある」
「ふん。口だけならどうとでも言える。実力行使でもしてみることだ」
「良かろう。なれば貴様の言うとおりにして進ぜよう」
女王から離れ、勢いまく男性に静かに対峙する赤い髪の男性。さも乱闘か、と湧き上がる周囲にも構わず、その状況はあっさりと崩された。
拳を繰り出す男性を前にして、赤い髪の男性が振り下ろしたのは素早いチョップ。その脳天にたった一撃。それだけで男性は白目を向いて昏倒し、その場に崩れ落ちる。
「いきがるのは勝手だが、隙が有り過ぎる」
その鮮やかすぎる手並みに、驚いているのは私だけではない。あれほど強固だった人垣が一連の行動を見て緩みはじめていた。
赤髪の男性が人垣の外に目配せすると、スーツ姿の警備がその緩んだ人垣に入り込み、昏倒した男性をどこかに連れ去っていく。
それを最後まで見送ることなく、赤い髪の男性は女王に群がっていた男達の前に立ちふさがり鋭く睨みつける。その険しい顔から滲み出る威圧感は半端じゃない。
「我がカルフォビナの王に気安く触れるな下郎共。私にこの場で括り殺されたいのならば立ち向かってくるがいい」
静かだからこそ強く感じる敵意。それに慄いたのか、男性達は渋い顔をしながらも蜘蛛の子を散らすように去っていった。
あまりにもあっさりと、群がっていた人だかりが消えて呆気に取られていると、ぽんと肩を叩かれて我に返る。仰ぎみれば先程の男性が、人懐っこそうな笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「小さき体にして見上げた根性ですな。あのような人数に立ち向かうなど、いささか無謀とも思えましたが。その威勢は買いますぞ、侍女殿」
「い、いえ。あの、陛下をお助け頂きありがとうございました」
「元よりこれが私の仕事ですからな。警備が行き届かず、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ないことをした」
「い、いえいえ! そんなことないです! 充分助かりました」
頭を下げられて驚いて首を振る。この人が来てくれなかったら、本当にどうなっていたかも解らない。そうして改めてお礼を云っている間に女王が男性の横から顔を出し、呆れたように息を付いていた。
「陛下!」
慌てて女王の下へ駆け寄るとおもいっきり睨まれ、それでも目顔で謝るとぺちっと額を叩かれて横に抱き込まれる。
ああ、良かった。大惨事にならなくて。
他領の人は女王のことを良く知らないから、ああして気安く触れられるのだろう。もしも普段の女王を知っていれば、絶対にあんなことは出来ないし、ネブラスカは元よりカレン達も絶対に許さない。行き過ぎて女王本人の逆鱗にでも触れれば、それこそあの場にいた全員が張り倒されて地面に転がっていた。
「陛下、お迎えが遅くなり申し訳ございません」
「なんじゃ。わざわざ元に戻ったのかえ。別にあちらの姿でもよいではないか」
言葉はキツイけれども、女王の雰囲気は先程の男性達に向けるものよりも幾分気安い。赤い髪の男性はその言葉に怯むことなく、凄く嬉しそうに笑った。
「陛下の付き添いを務めさせて頂くのですから、魔獣の姿で出席しては陛下の恥にもなりましょう!」
「ぬしの存在自体がすでにわらわにとって恥だがの」
「照れ隠しなどされなくとも、私は重々陛下のお気持ちをわかっておりますぞ!」
「ああ、いつも間違った方向にな」
まったく見覚えがないのに、どこかで聞いたことのあるようなやりとりに面食らう。
黒のスーツがかっちりと決まる上背に、しゅっと締まった腰元。たるみなどは一切なく、大きな手が動くたびにスーツの上からでも分かるほど筋肉が盛り上がる。もの凄く大きくて、でも滲み出るような男の色気もあった。顔立ちはとても精悍なのに、そんな全体的な雰囲気の所為で濃い。
そう、多分格好良いはずなのに、なぜかとっても……濃ゆい。
そして何故か男性の喋りを聞くにつれ、己の良く見知った物の姿が思い浮かぶ。まったく似ても似つかない、あの嘴の付いた魔獣の姿に。
「え? あれ?!」
訳がわからずに女王を見れば、ニヤっと意地悪そうに微笑んでいた。
「陛下。この方は……」
「気色悪いほどに濃いじゃろう」
「はい、もの凄く濃ゆいです! あ、いえ。そうではなくてですね!」
ひそひそと話している合間にも男性をちらりと仰ぎ見ると、こちらを見てきょとんと目を丸くする男性の姿。しかしそれはすぐに眇められ、女王の脇からべりっと剥がされた。
対面するとより一層、体格差や身長差を感じられて、正直頭からバリバリ食べられやしないかとビクつく。
「────お前、もしかしてモモコかッ!?」
剣幕に驚きすぎて言葉も発せずに頷き返すと、男性はもの凄く奇妙なものを見るような目で私を見下ろした。全身をくまなく観察されるように観られて居心地悪くしていると、多分魔獣だったはずの男性は更に眉間に大きな皺を刻む。
悪いことをしていないはずなのに、そうした顔をされるとペンギンの数倍、いや、かなり怖い。
「大丈夫なのかこんなに細くて。これで陛下の護衛ができる……わけはないな」
「うおわぁッ!!」
いきなり抱き上げられて、体重を確かめられるように上下に振られる。ぐらぐらと動く視界におもわず首元に手を置くと、盛り上がった筋肉が触れてぎょっとした。
いつものペンギンの方だと凄く可愛いのに、いまは知らない人みたいでなんか怖い。しかしこちらの戸惑いも構わず、相手は子供にするみたいにウニウニと頬を引っ張ってくる。
「カルフォビナの侍女にしては随分弱々しいとは思ったが、よく見ればまるで子供ではないか。これほどまで小さくては噛み付くくらいしか出来まい」
折角女王や皆が頑張って変化させてくれたのに、そんな暴言を寄越されてムムッとする。こんな公の場で醜態を晒したらいけないということは、私ですら解るので喚いたり出来ないけれど。悔し紛れに膨れた頬をぷすーっと指で啄かれ鼻で笑われたら……。流石にカチンときた。
「……陛下。この顎ヒゲのオッサンが人の体を散々弄んだ挙句、暴言を吐きやがってます。公衆の面前で痴漢だなんて、恥ずべき行為であります」
「オッサン……ブフッ!」
「誰がオッサンだ! そして陛下の御前で人聞きの悪いことをいうな!」
「乙女の柔肌にただで触りまくり、散々に弄ぶだなんて、人として最低の行為でございます。キャーヘーンーターイー」
「お、お前という奴は……ッ!」
がっちりと口元を抑えられて、掌の中でもごもごとしか喋れなくなる。
ぐおおおおお……この顎ヒゲオヤジ……! おしゃれなのかしらないけれど、後でその中途半端に伸びたムサ苦しい顎ヒゲを剃りあげ、熱い蒸しタオルでふっくら蒸らしてつるんつるんにくれるわっ!
「まったく、こちらの姿でも行儀がなっておらんではないか! 陛下、なぜモモコをこんな姿に変えたのですか」
「ぬしにしては珍しいのう。これを心配でもしておるのかえ?」
「当たり前です。宴は多くの亜人が参加するのですよ。こんなに小さくては簡単に迷子になってしまいますでしょう。護衛にするならばせめて攻撃種にされなくては」
「よいのじゃ。元よりこれに護衛が勤まるとは思うておらん。それにわらわを守るのはぬしの役目であろう? ネブラスカ」
するりとネブラスカは顎を掴まれて、女王の美しい顔が近づく。長い睫毛の奥にある大きな蒼い目と、すっと眇められた三白眼の緑の目が交差する。
「陛下、如何されました?」
「うむ……ぬしはこんな顔だったか? 先程の馬鹿共よりは割りと見れる顔じゃの」
あと少しでキス寸前。目の前で繰り広げられた意外な光景にぼっと顔が熱くなった。
女王は確かネブラスカを遠ざけていたように記憶しているけど、これは一体どういうことなのか。
この行為の先を私が見ていてもいのだろうか。そして周囲にもの凄く見られまくってるのだけれども、これも大丈夫……?
けれども眺めている間に顔はすっと外されて、ネブラスカの首元に腕が回される。
ネブラスカの体にその豊満な体をぴったりと密着させ、鎖骨に頬を摺り寄せた女王は真横にいる私の方を見て二ヤッと笑うと、ネブラスカの首元に噛み付いた。ちゅっという強い音の後、真っ赤なルージュが首元にくっきりと付く。その途端、ネブラスカの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
女王は最後のトドメとばかりに、頬に両手を添えて艶やかに微笑む。
「馬鹿共を追い払った分の褒美じゃ。さて、そろそろ中に入らせろ。己の役目をしっかりと果たすのじゃぞ、ネブラスカ」
「はいッ! はい……ッ! この命に替えましても、陛下をお守り申し上げます!」
あれほどまで渋っていたネブラスカの目元からはいま、不満は一掃され、先程見たスターリリアの情景のようにキラキラと輝いている。
……う、うわー。改めて思うけれど、女王に関してはほんとにチョロイなこの人。
その表情に満足そうな笑みを見せた女王はさっと踵を返し、私とネブラスカを従わせて、レッドカーペットの上を優雅に踏み進んでいった。