3-9:宴の準備2
暗い棺桶の中に居ると本当に自分が死んだような気になっていく。
真っ暗な真っ暗なその中で一人だけ。まるでとり残されてしまったように、何もかもが遮断されている。あれからもう一日を超えたのだろうか。それともまだ数時間しか経ってないのか、判断もできない。
もしかすればこのまま放置されて一生を終えてしまうだろうか。そんな馬鹿なことを考えるほどに暗闇の中で過ごす時間は長いものだった。
まるでこのカルフォビナに来た当初の、地下通路を通った時のような心細さ。あの時いつの間にか無くしてしまったカエルのストラップは何処に行っただろう。
そんな些細なこと、どうでもいいと思うのにぐだぐだと考えてしまう。
「いま何、してるのかな……」
夜中一人になるといつも考えること。周囲には極僅かだけれど優しくしてくれる人も増えてきたのに、気がついたら考えてしまう。後ろを振り返って名前を呼びたくなってしまう。
けれどその度に呼んだら駄目だって思うのだ。甘えないように、寄りかからないように。
仕事もちゃんと見つけられたのだから、辛くても一人で頑張らなきゃいけないと思う。これくらい当たり前の事だって本当は乗り越えて行かなくちゃいけない。私は人より出来ることが少ないから、何を言われても、悔しくてもその分我慢してもっと勉強して足りない部分を補うことをまず考えなくちゃいけないのだ。
そうしていたら初めは邪険にされたけれど、少しづつミラリナ以外の侍女達にも仕事を任されたり、やらせて貰えることも増えてきた。それが今はとても嬉しいと思う。とてもささやかな事だけれど、仕事を任されるというのは信用されているってことだから。
けれど寂しくなったりヘコんだりすることがあると、すぐにあの姿が頭の中にぽんと出てきてしまう。
「元気だといいな」
怪我は綺麗に治ったかな。もう痛くないかな。
私を助けようとして最後に見たあの傷だらけの姿。そればかりが頭の中に浮かんで心配になる。会いに来てこんな傷なんでもないってあの顔で笑って欲しい。もしも昔の知り合いと楽しくやっているなら、それだけでも伝えて欲しいというのは我儘だろうか。
それとももしかしたら、こんな風に甘ったれな私に嫌気がさして帰ってこないんじゃないか。自分で不安を煽ってどうするんだと自嘲しながらも、そんな考えが消えなくて急に涙が出た。
お見合いの時、マリエッタに言われた事をずっと考えていた。
これまでずっとモヤモヤしてイライラして纏まらなかった感情が、あの時すとんと落ち着いてしまったその理由。私がここに来た当初、理想として描いていた姿とは全然違う。お腹なんてポコンと出てるし、手は丸太みたいで三頭身だ。本当の姿だってどういう人なのかも解らない。
けれど一番側にいて欲しくて安心出来る人。
一緒に居た時間はとても短かったけれど、多分私にとってそう想えるのは────。
「起きたか、桃子」
「くま………!」
「────どうしたのじゃ? 早くそこから出て来るのじゃ」
暗闇から突然光をあてられて目が眩む。一瞬だけ閉じて、もう一度ゆっくりと開く。目の前に昨日のドレスに身を包んだ、亜人の姿の女王の顔があって不思議そうにこちらを見下ろしている。この四ヶ月半、それこそ毎日見てきた石碑の間と石材で出来た天上が目に入る。外に出られて安心してもいいはずなのに、なんでか暫く涙が止まらなかった。
見合いのときだって全然泣けなかったのに、自分でもびっくりするほど涙が止まらない。
それともこんな場所にいたから、色々可笑しくなって涙腺がぶっ壊れたんだろうか。
「どうしたのじゃ? 何を泣いておる」
「真っ暗で凄く怖かったんです……」
「なんじゃまったく。子供のような事で泣くでない」
適当に思いついた理由だったけれど、女王は納得してくれたのか静かに頭を撫でてくれた。顔から首筋、そして肩口から背中を撫でるように。
………………ん? 首に肩? 私の体にそんな部位あったっけ?
「うむ。流石じゃの。素晴らしく良く出来ておるの」
「あの……、陛下?」
「ほれ、惚けておらんで鏡で己の姿を見てみよ」
言われて動こうとしたのだけれど、体に違和感があって思うように動けない。いつもは体を飛び跳ねて移動できるのにまったく前に飛べないし、体が重くてだるいしなんか凄く変だった。いつもだったら腕を伸ばしてすぐに体勢を整えられるのに、それも出来ない。
「陛下……なんか体がおかしいです」
「なんじゃ。動けぬのか。仕方のない奴じゃのう」
「うわッ!」
体を勢い良く持ち上げられて、慌てて女王の首に腕を伸ばす。けれどいつものように腕は伸びなくて、必死で手を動かして女王の服を掴む。おかしい。なんで伸びないんだろう。
不思議に思って見てみれば、そこにあるのは肌色に染まった自分の腕。
亜人に近い腕が生えている。
「え? え??」
「鏡を見よ。モモコ」
カレンとミラリナがこちらを見て微笑みながら、その大きな鏡台に掛けられた布を取り去る。大きな鏡台に真っ先に移ったのは女神様のような女王陛下。そしてその腕の中には。
────元の人間の姿と寸分違わずそっくりの私がいた。
くせっ毛が強くてふわふわでまとまりの悪い茶色の長い髪、長めの前髪に隠れて太い眉と子供っぽい顔があって、そこからちゃんと首も肩も、体も足も伸びて全部揃ってる。耳だけが亜人みたいにぴんと長く尖っていたけれど、……体はちゃんと全部、自分のパーツだった。
「陛下……な、なんで……これ!!」
「わらわはスライムを連れて歩く趣味はないからのう」
「で、でもこの姿。あ、亜人ですよ?! 昨日あれだけ、乗っ取らないと出来ないって……!」
「勿論、形を変えただけで中身は同じピーチスライム。ぬしが軟体だからこそなし得た事じゃ。だが希望通り、ぬしの心の中に一番強くあった姿と同じものを作らせた。四肢もだが感覚もある程度までは亜人と同じように機能するようになっているぞえ」
そうして女王はまるで女神様のように微笑みながら、いつものように私の頬を突っついた。
「ふん。こちらの姿でも間抜けなのは変わらんの」
今の状態を実感していくまで、もの凄く時間がかかった。他の人にとっては多分一瞬かもしれない。けれども私に取っては信じられない瞬間で、胸がもの酷く苦しい。
「陛下ーーッ!!!!!」
それでもやっと自体を把握して、ぎゅうぎゅうと女王の首に抱きつく。
凄い、凄い! 本当に人の体だ。ちゃんと五本指があって手首もある。あれだけ戻りたくて欲しくて仕方がなかった体が、ちゃんとそこにあって瞼を閉じても消えないでいる。
「すごいです!! すごいすごいすごい!!!」
「ふふん! 嬉しいかえ?」
「はい! すっごくすっごく嬉しいです!!」
涙がだーっと溢れてきて女王の服を濡らしたけれど、女王は怒らずにずっと私の頭を撫でていてくれた。
凄く凄く嬉しい! いつもみたいに絶対におちょくられるだけだろうと思っていたのに、本当に人の姿だ。いままでで一番の贈り物に感動して、私は暫く女王から離れられなかった。
「わらわに一番に感謝するのじゃぞ」
「はい! はい! 陛下、陛下!」
「なんじゃ、五月蝿いのう」
「いつもいつもありがとうございます! 陛下が一番私の欲しい物をくれてます! とってもとっても大好きです……っ!!」
たまらなく嬉しい。どうやったらその気持ちを伝えられるか解らなくて、頬を摺り寄せて隙間なく抱きつく。すると女王は突然私をくっつけたままに、落ち着きなくぐるぐると石畳を踏みまわり始めた。
眉間におもいっきり皺を寄せて、暫くするとこちらも見ずにカレンの方に私の体を放り投げ、そのまま石碑の間から出ていってしまう。
「へ、陛下?」
突然放置されて呆けていると、カレンが私を支えて目元にハンカチを当ててくれた。あまりにも色々な事が衝撃的すぎてなかなか涙が止まらない。
「まったくモモコ様ったら。嬉しいのは解りますけれど、陛下を茨の道に誘わないでくださいな。もしも陛下が本気になられたら、貴女一生逃げられませんわよ」
「へ? え?」
「まあそれは冗談にしても、とても精巧に作られていますのね。あら、感触は前のままですわ」
頬から唇に掛けてちょんとツツかれ、アーンと言われて口の中を広げられるままに見せていると、カレンはにっこりと笑って、子供にするみたいに私の頭を撫でた。
「あの、陛下怒ってないでしょうか?」
「そんなことは有り得ませんわね」
「そ、そうでしょうか……。とても不機嫌だったような。私、もしかして言ったらいけないこといいました?」
「いいえ。あれは照れているだけですわ」
照れ? どうして女王が照れる必要が? そんな恥ずかしいことあったっけ?
「ふふ。陛下ったら、喜ばせるつもりが逆に喜ばせられて困ってしまわれたのでしょうねえ」
「え?」
思いがけず柔らかく笑うカレンに戸惑う。こちらの視線に気がつくと少しだけ口をつぐんで、でもどういうことなのか説明してくれた。
「貴女のお見合いの件を聞いて、陛下はずっと憤慨して居られたのですわ。周囲には解らないよう努めておられたようですけれどね」
「え? だ、だってそんなこと、一言も……」
「ええ、確かに陛下は滅多にそういう事を仰りません。誰か一人に執着を示した際の弊害をよく分かっていらっしゃる方ですから……。けれど私は長年の付き合いですからすぐに解りましたわ」
「陛下が……」
「陛下は貴賎の上下に関係なく、カルフォビナに貢献した者へ相応の恩寵を齎して下さいます。これはいわば小間使いとして頑張られてきたモモコ様への、陛下なりのご褒美なのですわ」
その言葉がじわじわと響いて、胸の中に喜びが広がる。お見合いの話をしている間ずっと笑ってたけれど、女王は考えてくれてたんだ。めっちゃくちゃ腹叩いて涙まで流しながら笑い転げてたけど。その気持ちごと嬉しすぎて、また滝のように涙が流れ出てきた。
潤んだ視界のままに女王の出て行った扉に目を向けると、ミラリナが新しいハンカチを取り出して優しげに笑う。
「黒い棺を運ばれたときはどうなることか心配でしたけれど、まさかこんなに可愛らしくなられるなんて……。良かったですわね、モモコさん!」
「はい……!」
「でも医療部の方がお見えになる前に、服を着ておきましょうね」
「服……??」
「アズラミカさんだけなら構いませんけれど、流石に殿方の前でその裸身を晒すのは関心いたしませんわ」
そうして太もものあたりをぷにっと摘まれる。摘まれた部分を眺めれば、履いてない状態の自分の下半身が見えた。
「ひいいいいぃぃ……ッ!!」
嬉しさで完全に舞い上がっていたとはいえ、産まれたまんまの姿であんなにはしゃいでたとは。今更ながらに羞恥に体全体が熱くなってくる。
「すみません! すっぽんぽんですみませんッ!!」
「何もそこまで恥ずかしがることは……」
「そうですわモモコ様。それよりもこれから診察が有りますが、少しだけ我慢して下さいね」
昨日の人達とまた会うのか。あんな実験動物を見るような冷たい目を向けられるのはちょっと怖いけど、アズラミカにも会ってちゃんとお礼を言いたい。
「はい!」
それから後ろを紐で止めるだけの白い手術着と下着を着せてもらった。
本当は自分で着たかったけれど、まだ体が思うように動かない。ここに来てからそれこそ四ヶ月体重移動で過ごしていた所為か、目線が違うことにまず驚き、膝を曲げるどころか足を前に出すという動作すら儘ならなかった。
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくてもいいですわ。けれど夕刻までには手足の動かし方に慣れてくださいませ」
「はい」
言われてミラリナに補助してもらいながら、足を動かす練習をした。体重のかけ方や重心の取り方がまだ不安定だけれど、嬉しくてミラリナの手を離してゆっくりと歩いてみる。スライムの時とは雲泥の差で目線が高いし、歩みをやめるとぴたっと止まる。カレンやミラリナに向かって礼をとっても前に転がらない。
前 に 転 が ら な い !
スライムに変化してから早四ヶ月半、この丸い体型とそのバランスを取るのにどれだけ苦労したことか……ッ! 礼を取れば前に転がり、坂道に差し掛かれば勝手に転がり、転がりだしたら止まらないこの丸い体が自在に止まる!
いままででは有り得なかった現象に、体に震えが起こる。いつもだったら体重移動で何歩も掛かる道のりが、瞬時に終えてしまう。
どういう種類の亜人なのか解らないけれど、スライムよりも、ずっとはやーい。
「本当に凄いですッ! この体とってもとっても高性能ですね!」
「モモコ様は面白いですわねぇ。動きがこう、カクカクしていて玩具みたいですけれど」
「でもとっても可愛らしいですわ。良かったですわ」
「ふぎゃんッ!!」
「あら」
「まあ! モモコさん!大丈夫ですか?」
「は、はひ」
調子に乗りすぎて顔面からコケてしまった。けれどもそれすらも嬉しくて、ミラリナに抱き抱えられても、暫く笑いがおさまらなかった。どこまでも自分の体と同じ、それが凄く嬉しくて堪らなかったのだ。
やっとこさ人化&ちょっと自覚。