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3-8:宴の準備

 そうして迎えた宴前日。

 何をやらされるのかと不安になる私の前に降り立ったのは、一人の美しい女神だった。

 きりりとした眉の下に長い睫毛に縁取られた蒼い目。すっと通った鼻筋に続く程良い厚さの赤い唇。短めの黒い髪から見える項は艶を増し、黒のドレスが白い肌の色を一層に際立たせる。端の尖った耳には小ぶりの蒼の石のピアスを留めた。

 エンパイアラインのマキシ丈のドレスには前スリットが入り、しなやかな美脚を際立たせ歩く度に段重ねのラッフルが優雅に閃く。胸下部分から広がるように銀糸で繊細な刺繍が施されており、光に反射すると黒で重たげになりがちなドレスが華やいで見えた。

 豊かな胸元を惜しまず隠さず、∨ラインに大きく開いており、その両胸を支える頂点を首の後ろでリボン状に結んでいる。

 それこそスタイルが良くなければ着こなせないドレス。そのデザインに着られることもなく、己の美を最大限に引き出すものとして使いこなしている。その人が私を見下ろして優美に微笑む。


「どうしたのじゃ、モモコ。口が開いておるぞえ」

「……陛下は竜でなく、女神様だったのですか?」

「ふっくくく……ッ!! ここでは女神は罵倒の言葉じゃ。だが一応褒め言葉として受け取っておこうかの」


 竜体から亜人へと難なく変化した女王は、カレンが最後に差し出した黒のストールを首に巻いて、鏡の前で長い脚を組む。女王のどこまでも高慢すぎる性格にはたまに引いてしまうけど、それを補って余るほどの美に感嘆の息を付く。

 でも正直レベル高すぎて、並みの男では釣り合わなさそうだと思った。多分隣に居たら自信削げ落ちる。確実に削げる。


「どうでしょう、陛下。今回は黒紫蟲の糸を紡がせて通気性のある布地に仕立てました。これなら宴の席にいらしても、過ごしやすいと思いますわ」

「うむ。なかなかに動きやすい。他のものよりもこれが一番肌にしっくりとくる。当日はこれを着ていこうかの」

「畏まりました。何処か障りのある箇所はございませんか?」

「また胸周りが窮屈になったか? それから足首に何か飾りが欲しいかの」

「畏まりました。では服の方を再調整させますわね」


 カレンの隣に付き従った仕立て屋は、女王の体を採寸してドレスに直しを入れていく。その横でミラリナは宝飾品を手に取り、女王の足元へ銀細工のアンクレットを嵌めていった。

 そうして衣装選びを全て終え、大胆な黒の下着姿のままに長椅子に寝そべった女王を見ながらふと思う。こういう術があったのだろうか、それとも元々が亜人だったのか。


「陛下」

「なんじゃ、モモコ」

「そちらの姿が本当の姿なのですか?」

「どちらということもない。わらわは竜の血統を強く継いでおるから、竜にも人にもなれるだけのこと。だからこんなことも出来るぞえ、ほれ」


 言いながら女王は顔だけ竜の姿に変化させる。体は人なのに、顔だけ竜。まるで手品のような早変わりに、びっくりして後ろにころんと転がる。


「す、凄いですね!」

「中途半端に変化しておると、幾分見苦しいがの」


 女王は瞬時に顔を人の形に戻すと、悪戯が成功した子供のように二ヤッと笑う。なんという便利スキル。そうなると手だけ竜とか、脚だけ竜とか、腹だけ竜という姿も可能なのだろうか。

 ……うーん。それは微妙に見たいような、見たくないような。

 けれど目の前にある不思議な現象にワクワクしていると、カレンとミラリナの背にある透明な二枚羽が眼に入る。


「カレン様方は確か蜂族ですよね?」

「ええ。ですが私共は陛下よりも力のない種族ですから、こちらの姿だけですわ。侍女として従事するには最適な体ですけれどね」


 ミラリナを見るとそちらも頷いて、でも少しだけ寂しそうに俯いてしまった。その姿が気になったけれど、女王に紫煙を向けられて思考ごと遮られる。


「ゲホッ! え、えーと。でも陛下はどうしていままで亜人の姿に変化されなかったのですか? こちらの姿の方が便利というか、有利のような気がするんですが」 


 竜体が伸縮自在なのは知っている。私が女王の体を磨くときはある程度まで小さくなってくれて、全身くまなくオイルマッサージしたり、鋭利すぎて岩さえ砕く爪を磨いたり、ストレス発散を兼ねているのか逆にモニモニと体を揉まれたり壁に投げつけられたりするのが私の仕事であり日課でもある。

 まあたまに女王が体を小さくするのを忘れて、天上に頭をぶつけながら通路を破壊していき、建築部の人達が泣きながら直していくのも割とよくある光景だったけれども。

 しかしこの四ヶ月半、一度として人の形に変化したことはなかった。


「こちらの姿だとネブラスカだけでなく、他の奴らも王配だなんだと五月蝿いからの。公の場に赴くときだけは仕方なくこちらの姿を取るが、それ以外では竜の姿の方が都合が良いのじゃ」


 女王は軽く笑い紫煙を燻らせる。確かにこれだけの美女っぷりなら誘いの手も引く手あまただろう。

 けれどもその姿を見ているうちに、私の中にある一つの希望がむくむくともたげてくる。


「陛下! その変化の法? って私にも使えませんかね。今すぐ習いたいのですが!」

「無理じゃの」

「な、なんでですか?!」


 人間にはなれなくても亜人くらいにはなりたい。もしもそういう術が習えるのならば頑張って覚えたいと思ったのに、女王の返事はかなりあっさりとしたものだった。


「ぬしはそもそもが魔獣じゃろうが。変化など出来るはずもなかろう。それにぬしには魔力を扱えるような素地も無いようだしの」

「魔力……?」

「トロテッカに生まれ落ちたものならば、誰しも持っている力の質じゃ。ぬしにはそれがまったく感じられん。……というよりもまったく読めん。これから魔力が増えるのか、変化できるかどうか、わらわにも解らぬ」

「そ、それってもしかしたら一生変化できないってことですか?!」

「あり得るの」


 あっさり言われた……。流石にショックで呻いていると、ミラリナが慰めるように体を摩ってくれた。


「で、でもモモコさんは十分そのままでも可愛らしいですわ」

「そうですわ。モモコ様はそのままでも、充分私達に癒しを与えてくれますわ。無理に変わらなくても宜しいのではありませんこと?」

「で、でも私は……」


 他人の癒しになれる事は嬉しいけど、自分の癒しにはまったくならないわけで。簡単に言うけれど、これまでの生活だって楽なものじゃなかった。

 シュトルヒに包丁やナイフを投げられる他にも、厨房に入るたびに食材として扱わせてくれと包丁を持ったコックにキラキラした目で交渉されたり、外を歩けば一度でいいから味見させてくれとご婦人やご老人に追い掛け回されたり。

 無視されていた頃からすればマシだと思って対応してきたけれど、それでも精神的に疲労はどんどん堪ってた。

 けれどもいつかはそんな生活からも脱出できるかもしれない、そう希望を持っていたから頑張ってきたのに……。

 それなのに一生このまんまと解らされてしまうと結構、いやかなり辛い。


 ────それこそ一生、死んでもスライムのまま。


 そう思ったらじわじわと溢れてくる涙を止められなかった。


「モモコさん……」


 ミラリナに涙を拭かれてもお礼も言えずにくったりしていると、女王が煙をこちらに吹きかけながら言った。


「手段が無いわけではないぞ」

「へ?! そ、それはどんな方法ですか!?」 

「ぬしはスライムじゃろう。亜人になりたければ亜人の体を乗っ取れば良い」

「…………のっとる?」

「口から体の中に入り込み、内臓から心臓を掴んで侵食し、脳へと触手を伸ばして思考を奪えばよい」


 あれ? いまさらっとエグいこといいましたよね。驚き過ぎて一瞬涙も止まりましたよ。


「ええと。その場合、体の持ち主はどうなるんですか?」

「死ぬの」

「それって完全に殺人じゃないですかッ!! 無理です! 無理無理無理!!」


 流石に殺人犯になってまで亜人になんかなりたくない。それになんだそのエグすぎる方法は。脳内でその行動を想像して、ノックスとの戦闘を瞬時に思い出して気持ち悪くなる。


「なんじゃ、ぬしは。なりたい、なりたくないと我侭な奴じゃのう」

「ですがそんな方法、いくら考えても無理です。他人の体に入り込んで奪うだなんて……」

「なら聞くがの。どのような方法がいいのじゃ」

「基本的に人を傷つけず、安全かつ地道な感じで……」

「ふん。それこそ何百年もかかる苦行じゃの」


 けれども殺してでも奪い取るなんて方法、どう考えても無理だ。それこそ他人の人生を乗っ取ってまで体が欲しいかと言われてしまえば、それは私の思うところと全く違うわけで。

 それにもしもそれをやってしまったら、人間としても終わったような気がするし、自分で自分を許せそうにもない。 

 けれど呻く私を前に、女王はにっこりと、まるで女神のように微笑んだ。


「まあよい。どうせぬしにそんな事が出来ぬというのは分かりきっておる事だからの。だが美しいわらわの側に侍る為、ぬしもそれなりに仕立て上げねばならぬ」


 そうして女王は普段よりも優しく私の頭を撫でる。けれども意味が理解できなくて体を傾げた。仕立て上げるってどういう意味だろう。もう変化できる手段はないと、散々並べ立てられたのに。

 女王はカレンに渡されたガウンを身体に引っ掛けて前を結ぶ。


「ミラリナ。呼び入れろ」

「はい、陛下」


 ミラリナはすぐに頷き、背の羽を閃かせて石碑の間の扉を開けた。程なくして現れたのは、アズラミカと様々な薬瓶を持った白衣の男性達。

 アズラミカに合うのはあの廊下で倒れた時以来。マリエッタと仲良くなってからは、なんとなく会うのを躊躇われて医療施設に足を向けることも少なくなっていた。けれども合わないうちに、かなり変わってしまった様相に驚く。

 あれから更に目の下を真っ黒に、頬まで削げてまるでゾンビのような形相になっている。いつも頭に咲いている白い花はくすんで萎萎、茶色っぽくなっていた。


「アズ先生? どうしてあんな姿に……」

「ふん。自業自得じゃ」


 その言葉を疑問に思いながらも、アズラミカが近づいて膝間付くと女王はその顔に微笑を刻む。


「出来たか?」

「うう……陛下~。お恨みいたしますわ~」

「何を言っておる。わらわの所有物に許可も無く手を出したぬしが悪いのえ?」

「はぁ~。マリエッタ様といい、陛下といい~甘いんだから~」

「さっさと働け」


 ついっと竜の時と同じ鋭い爪先を向けられて、アズラミカはすっと表情を改めると、私の前に敬々しく頭を垂れる。そして顔を上げるとちょっとだけ苦笑いした。突然のその仕草に驚いて何も言えずにいる内に、周囲は勝手に動いていく。様々な色の薬瓶を順序良く並べていく白衣の男性達は、こちらをちらとも見ずに黙々と作業していた。


「モコモコちゃん~。アタシ一杯頑張ったから、喜んでくれると嬉しいわ~」

「ええと、一体どういう事で……」

「そろそろ始めよ、アズラミカ」

「はい。陛下~」


 もう拒否権など全然無い感じで、こちらの承諾も無しに勝手に進められている。正直もの凄く嫌な予感しかしない。何をされるかの説明すらも無しなのだけれども、言葉一つ発せる雰囲気でもなかった。そうして不安がっていると、一人の男性が前にでて何か液体を私の前に翳す。


「ではモモコ様。これをお飲みください」

「ええと。これはなんでしょうか?」

「中身はただの固定剤と発色剤です。体に害を及ぼす薬剤等は入っておりませんのでご安心を」

 

 とは言われても目の前にあるビンは、軽く亜人一人分の量はある。それにこんなに液体ばっか飲んで一体どうしろと。そうしている内にも女王に手ずから飲まされて体は徐々に膨れ上がり、気がつけば女王の腰あたりまで目線が高くなっていた。


「スライム体というのは便利なものですね。これだけの水分量を取り込んでなお破裂しないとは」

「体型もそのままに、円形から崩れること無く重力にも耐え切れる。これまで下等生物としてしか見てきませんでしたが、食品系以外にも使い道はありそうですかな」

「一時的な貯水装置として使えるかもしれません。水を大量に含ませてから切り刻み、荒地にばら蒔けば……」


 医療部の人達がこちらを見ながらなにか不穏なことを言っていらっしゃる。その完全に実験動物を見るような視線がひたすらに怖かった。おもわず縋るように女王やカレン達を見つめるもただ笑い、アズラミカは不気味な笑みを馳せながら手元を休めることはない。


「では次にこの型に入ってください」

「型……というか棺桶のような気がするのですが……」

「お気になさらず。中に遺体なども入っておりません」

「は、はあ……」

「これから一日ほど冷却されますが、モモコ様の生態維持になんら問題はありません。安心してその中でお眠りください」


 その安心はどの程度の安心だ。思わず問いただしたくなったけれども、女王の催促するような目を見て諦めて棺桶に入る。無駄な装飾等一切ない真っ暗な棺桶の中。底が見えないほどの黒に染まったそこへ、ずるずると体を入れると、パタリと蓋を閉められた。


「では陛下~。明朝こちらに医師が診察に伺うことになります~。お手数をお掛けして申し訳ありませんが、冷却の方、宜しくお願い致します~」

「うむ。任せておけ」


 棺桶の遠くでそんな話し声を聞きながら私は目を閉じる。この棺桶に入って明日どうなっているのか、不安しか感じ無いけれど、それでも必死になって眠ろうとした。

 でもやっぱり無理で、目をあけてみると真っ暗の中で蒼い光がぼんやりと点滅しているのがわかる。本当に微弱な光だけれど、ほんのりと。けれどもそれもやがて消え、体が捻じられる感覚が沸き起こる。


「ぐぇ!!」


 ぐるぐる視界が回る。体の中を弄り回されているような不快感。それが終わると体が引き上げられ、引っ張られ、心臓である核をぎゅっと握りつぶされたように息が詰まった。

 なんだこれ。相当気持ち悪い。まるで船酔いしたような浮遊感と圧迫感。体の内部から不必要なものを、すべて吐き出したいと思うくらいの嘔吐感がせり上がる。 

 その気持ち悪さが最高潮にまで達したとき、体の力が急激に抜け落ちていく。思考も朧気になっていくことに、むしろ安堵していた。

 こんなこと一晩中続けられたら、絶対気が狂ってるって……。

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