3-7:彼の方は今何処
ピーチスライム探索中に呼び戻されたバーガンディは、向かいに座る二人の男を見て内心で首を傾げた。珍しくもない組み合わせではあるが、特に親しくしていたという記憶はない。しかし疑問を面には出さず、無礼にならない程度に礼を取る。
「帰城が送れてしまい申し訳ありません。捜索が思いのほか長引いてしまいまして」
眦を吊り上げ、死角から閃光を放つアクセルの攻撃をバーガンディは片手で受け流す。目の下に隈を作り、疲労困憊といっていい姿であるにも関わらず、アクセルの攻撃は一切容赦がない。だが文句を言う気力もなく、バーガンディはそれを無視して側に控えていたラムスを見た。
「調度良かったラムス氏。これの分析をお願いしてもいいですか?」
「これは木の枝と獣の皮、ですか?」
「捜索の際に見つけましてね。宰相閣下、コルモの村での調査報告書はお読みになられましたか?」
「一体なんの話だ。そんなもの届いていないぞ」
アクセルは手元にある書類に触れ、管理番号を確認する。しかしコルモ村に該当する書類は見当たらない。バーガンディは朦朧とした目付きで書類を漁る様を眺め、ふっと思い立ったように目を見開いた。
「あ」
「なんだその、やっちまいましたみたいな面は」
「申し訳ありません。立件しなかったからか、あちらで書類作成してなかったようです。あ~どうしましょうかね。宰相閣下。口頭と書面とどちらがいいですかね?」
「廻りくどい言い方は止めろ! さっさと用件を言え!」
声を荒げながら発せられた光線を適当に弾きながら、バーガンディは目元を擦る。疲れにより翳みかかった脳内を動かし、ラムスから差し出された茶を一息で煽ると、口元をさらりと拭った。
「ではまず最初の報告を。コルモの村で絶滅危惧種ピーチスライムの固体が確認されました」
「ピーチスライム? その食材がどうした」
「閣下。魔王様が出奔する前に改定した貴重生物保護法を覚えておいでですか? 僕は閣下の補佐であると同時に、一応管理局の所長という役目があるのですがね」
「知っているが、所長に貴重生物の保護という役割はないだろう。そういった雑事は他の職員にやらせろ」
「閣下。雑事なんて言ったらいけませんよ。そんなこと言ったら雑事に一生懸命な職員から暴動が起きますよ。そうしたらあっさり業務停止ですよ、か~っか」
バーガンディは子供に諭すような口調でそう言い、アクセルの苛立ちを更に煽る。宥めたいのかからかいたいのか解らない言動に、ラムスは端で頭を抱えた。
「揚げ足を取るな! お前の所で燻らせている人員を動かせと言っているんだろうが!」
「まあまあ。それでバーガンディ様、そのスライム種がどうしたのですか?」
「そうそう、そっちが重要なんですよラムス氏。魔王様捜索中にピーチスライムの件を聞き入れまして、保護するためにコルモの村へ調査に赴いたところ、そのピーチスライムには本来持ちえていない特殊能力があると判明しましてね」
「特殊能力、ですか……」
「ええ。────ピーチスライムは狭間を渡る能力を持っています」
その一言でアクセルは一瞬にしてソファを凍結させた。それは怒りから来るものであり、バーガンディはまたかと辟易しながらも、表情を崩すことなく冷静な目線を向る。
「馬鹿を言うなッ! 何故スライム如きがそんな……!」
「そうですよね。普通はそう思いますよね。おかしいなぁとは僕も思ったんですが、コルモの村の住人全員から目撃情報が取れているんですよ。狭間を渡るピーチスライムの姿、そしてその入り口の形は円であったと」
「本当、なのですか。それは……」
よほど驚いたのだろう。ラムスはソファから立ち上がり、心労によって僅かに後退した頭をしきりに撫で付けている。バーガンディはそれを視界に納めつつ、眠気によって閉じそうになる目元に力を込めた。
「まだ確定ではありませんがね。件のスライムを捜索したのですが、途中でノックスの襲撃に遭ったようで……」
「なっ、あの方はご無事なのですか!?」
「はい。先ほど渡した皮はノックスの遺骸から採取したものです。無事に撃破されたようですが、その遺骸の辺りで一時匂いが途絶えてしまいましてね。なかなか調査が進みませんでした」
アクセルは話を黙って聞くために、苛立ちを僅かでも緩和させようと氷を生み出しては噛み砕く。しかしそのペースはいつもの倍は速かった。ラムスはその様子を見ながらも逸る気持ちを抑えられず、バーガンディに問う。
「私はその匂いを分析し、探査法に掛ければいいのですね?」
「いいえ。捕獲の際に香りに惑わされないように特殊なマスクを作って貰いたいのですよ。所在についてはもう大分絞れているので」
「ど、どこにいらっしゃるのですか!」
バーガンディの胸ぐらを掴み、勢い良く揺さぶるラムス。バーガンディは咳払いして、さりげなく手をどけ襟を正した。
「カルフォビナで最近女性向けの新商品が開発されたようで、その香料としてピーチスライムの一部が使用されているそうなのです」
「体の一部か? 貴重種を傷つけるのは法で禁じられているだろうが」
「いえ。一部といっても傷つけているわけではないようで、その体から抽出した香りを付与させてるだけ、なんだそうですよ」
「体を細かく刻まない限り、香りの抽出は難しいはずですが。一体どうやって……」
「それについての詳細までは掴めなかったのですがね。まあ体が損なわれていないならいいんじゃないかな、と」
「お前な、そんな適当な事で済むと思っているのか?!」
「それが済んでしまっているんですよ。なにせそのピーチスライム、サフィーアちゃんのところで今も元気に働いてるらしいので」
バーガンディから発せられた言葉に二人は呆気に取られて一瞬固まる。その事実をじわじわと飲み込んではいるようだが、やはり表情は不可解の文字に形取られている。その気持ちは分からないでもないと、バーガンディは内心で笑った。
「スライムが働いてる、だと……?」
「え? ……ええ!? 流石にそれはご冗談でしょう? ……え? バーガンディ様?」
「いや、僕もね。初めて聞いたときは大笑いしましたよ。しかしどうも本当らしいんです。なんでもサフィーアちゃんのとこにある日突然転がり込んできたそうで、それから四ヶ月も食べられることなく無事に生き伸びているそうです」
「カルフォビナから一度もそんな報告はないぞ!! 何を考えてるんだあの女は!!」
「さあ? いちいち報告しなくてもいいと思ったんじゃないですか。閣下が雑事と称されるくらい、貴重種の保護はそれほど重要ではないですからねえ」
うっと言葉に詰まったアクセルにラムスは内心で同情したが、次第にその眉を寄せて渋面を作っていった。それに対してバーガンディは特にいうこともなく、ただお茶を飲んで二人の様を観察している。暫くしてラムスは己の考えを纏めたのか、顎に手を当てながら唸るとバーガンディを見上げた。
「了解いたしました。今すぐにでも制作に取り掛かりましょう」
そうして若干の安堵の笑みを馳せ、室を出て行くラムスを見ながら、バーガンディは息を付く。あとは提出用の書類を作成し、館に帰って寝るだけだと踵を返そうとした。
「────ちょっと待て」
しかし立ち去ろうとした矢先、バーガンディに向かってアクセルが掴みかかり、その勢いのままに乱暴に壁際に押し上げた。バーガンディは隈の残る目元を半眼にしながら思わず唸る。顔にも態度にも『面倒くさい』ということがにじみ出ており、アクセルにもそれは見て取れていただろう。
「お前、本当にそのスライムが魔王様だと思っているのか?」
「可能性はあるんじゃないですか? 狭間を渡る能力は本来魔王様にしかない力。それに貴重種にしてもスライムが人のように考え、待遇改善を求めるほどの知能を持ち得ないことは閣下もご存知かと」
「可能性だと? 馬鹿なことを言うな。もしもそれが本当だとしても、何故ここへ来ない。本当の魔王様ならその力を使って真っ先に帰城するだろうがッ!」
アクセルに指摘され、それももっともだとバーガンディは懸念した。しかしそれを表に出さずにわざと笑みを馳せる。
「何か事情がおありなのかもしれません。サフィーアちゃんの所で契約に縛られている。先に片付けたいような問題が起きている。もしくはこちらの事情を何も知らない、別の魔界の王かもしれない」
「戯言を……ッ!」
アクセルは目の前にあるバーガンディの喉元を握り潰そうとしていた。待ちに待った存在がスライムという形状で帰ってくる。その事実を受け入れることが出来ず、苛立ちをぶつけているのだろう。だがバーガンディとて今回ばかりは引くつもりはない。
「いつも思ってるんですが。怒ってばかりでよく疲れませんね、宰相閣下」
「お前は、散々注意しているのにも関わらず、その減らず口が一向に治らんようだ。そろそろ口を縫い合わせてやろうか?」
締め上げる力は強い。しかしバーガンディは顔を僅かに顰めることもなく、素早く手元に狭間を発生させると、そこからある物を取り出す。手に感じた柔らかな感触を確認し、向かいに立つアクセルの顔へおもいっきり押し付けた。
「ムガッ!!」
「現状では僕しか渡れないはずの狭間の中に落ちていた熊のぬいぐるみです。プクプクしてとっても可愛らしいでしょう。それも親愛なる魔王様、かもしれない方の匂いがたっぷり付着しています。確たる証拠となりますかね、宰相閣下」
「ムッフムガムガッ!!」
「素晴らしい香りでしょう? しかもかの有名な高級食材ピーチスライム! 美味しくていい匂いのする魔王様なんて格好の餌食でしょうね。こうして不毛なやり取りを続けている間にも何者かにその正体を暴かれ、美味しく頂かれてしまうかもしれない」
「フーゴフッガフー!」
「ああッ! 宰相が頑固で融通が効かない性格の為に、本来敬われ傅かれる立場にあるはずの方が、虐げられ蔑ろにされているなんてッ! トロテッカ歴代魔王の中でも最底辺を辿る、実に哀れでお可哀想な魔王様ですよ。しかも宰相は肝心なときに、重い腰を上げもしないで文句ばかり! やっべ、マジ使えねー。口だけ無能じゃね? 解雇解雇って、嘆かわれているかもしれませんよッと!」
「ムフッフガフーッ!! 魔王様がそんな事を言うはずがないだろうがッ!!」
バーガンディはアクセルの目が光ったのを確認しさっと距離を取る。熊のぬいぐるみを顔面から乱暴に取り去ったアクセルは、それを床の上に叩きつけると瞳に獰猛な蒼色の光を滲ませ始めた。
「今度こそお前を殺すッ!!」
「殺せるわけないでしょう? あーやだやだ。まったく相変わらず短気で困りますね」
「ぶっ殺すッ!」
「時間の無駄ですよ~。ほ~ら、ピーチスライムな魔王様の香りが入った香水ですよ~。試供品ですけどね」
「なにを! へクシュ…ッ…クシュンッ!!」
怒りに歪み始めた顔に軽く香水を吹き付けられ、アクセルはバーガンディから距離を取る。思考を停止させるほどに甘い匂いに酩酊しかけた顔を伏せ、匂いを取り去るように頭を勢い良く振っていると、徐々に歪んだ顔が元に戻っていく。
「いい香りでしょう? 意中の相手とガッツン☆恋に落ちちゃうピーチコロン。カルフォビナ城内にいる女性を中心に、話題沸騰の新商品だそうですよ。つうか誰が考えたんでしょうね、このキャッチコピー」
「私が知るか。それに何が恋だ! その前に鼻が腐り落ちるわ!!」
「夢がないな~。彼女に使って貰いたいとか思わないんですか? 宰相閣下だってまだ夜は現役でしょ?」
そう言いながら妙なジェスチャーを示すバーガンディに、アクセルは盛大に眉を顰めて吐き捨てる。
「そんな女などいないし、必要もない! ……もういい。その軟体生物をさっさと私の元に持ってこい」
「お話が早くて助かりますよ」
「この……ッ!」
「そういえば、閣下。私に用向きとはなんだったのですか?」
本当に今更な事をわざと聞くバーガンディ。それを横目で睨みつけながら、アクセルは眉間にこれ以上なく皺を寄せて唸った。
「もう用は済んだ。さっさと行け!」
そうして苛立ちを押さえるためにガリガリと氷を噛んでいる。バーガンディはそれを見ながら盛大な溜息を付き、さっさと退室することにした。しかしふと思い立ち、足を止める。
「ああ、そうだ。今週末にカルフォビナで冥夜の宴が開催されるそうです。サフィーアちゃんの真意が知りたいのなら絶好の機会だと思いますよ」
「あの女のくだらん道楽などに付き合ってられるか!」
北の拠点の女王サフィーア。まだ幼体時の頃、この城へ行儀見習いとして来ていた竜族の幼姫だ。
最初こそその能力の高さに期待していたものの。
『飽きた。そこの者、わらわの下に這いつくばって馬になれ』
『こんな残飯が食えるか。ここの料理長は舌が腐っておるのかえ』
『アクセル。遊べ。ほら、そこの骨を投げてやるから取って来てみせるのじゃ』
などと散々職員をこき使い、業務に支障まできたした我侭姫である。そうして城の中を引っ掻き回した挙句、幼馴染にわんわん泣き付かれて、結局数十年程度で自分の一族の住まう拠点へと引き返していった。
いまではその当時魔王領で学んだ技術を利用して冥夜の宴という催事を作り、上層階の亜人から大量に金を巻き上げているらしい。こちらの困窮具合も知らず、なんとも悠々自適な女王生活である。
「そうしてなんでも切り捨てるものじゃありませんよ。折角のチャンスを不意にして後悔しても遅いんですよ、宰相閣下」
「それはお前の経験談か?」
「痛いとこ突きますねえ。ま、経験談でもありますけど。そのピーチスライムが例え魔王でなくとも貴重種であるという以上、あの城に置いておくわけにも行かないでしょう」
「だが貴重種とはいえ食材だぞ。それになんの存在意義がある。その香水にしても言えることだが大して益が出るとは思えんが」
「宰相閣下。サフィーアちゃんの真意、そしてピーチスライムの本当の価値を見出さないうちに決め付けたら駄目だってことですよ。もっと柔軟に考えないとねぇ~」
チッチッと芝居がかった仕草で指先を揺らすバーガンディに、アクセルは渋面を作りながらも承諾の意思を見せる。勿論信用はしていないが、バーガンディのこの中途半端な進言を無視し、手酷い仕打ちを受けた過去を思い起こした為である。
「それに今回の宴は趣向を変えて、一般からも参加できるようですよ。参加者も増えているみたいですし、ちょっとした気晴らしに行くには最高の場所でしょうね」
アクセルはバーガンディの言葉を聞くうちに勝手に腕が動いていた。その落ち着きのない仕草を見て、バーガンディは内心ほっと息を付く。アクセルの相手をさせられる人物には同情するが、暫らくの間とはいえ直接攻撃を受けないでいられるならそれに越したことはない。
不意打ちを狙ったのかアクセルからの鋭い裏拳を受け流し、バーガンディは二ヤッと笑う。
「参加登録するなら私がやっておきましょうか? 宰相閣下」
「いい。構うな」
久しぶりに憂さ晴らしができるのが嬉しくて堪らないのか、絶えず拳を鳴らしながら忙しなく執務室を出て行く。その様子を見てほっと息を吐いたバーガンディは、半眼になりながらもチェストを漁り、提出用の書類を数枚取り出してサインする。
「あーあ。結局クロードの件、伝えるの忘れたし……」
脱力しながらもバーガンディは床に叩きつけられた熊のぬいぐるみを手に持つと、若干マヌケなヒラメ顔を見て、八つ当たりするようにぶにっと頬を引っ張った。